ヴォルテッラの有名な見所をあれこれご覧頂いて来ましたが、今回が最終回、
この町の名を世界に広めているエトルスク博物館・Museo Etrusco Guarnacci
のご案内です。
この町の名を世界に広めているエトルスク博物館・Museo Etrusco Guarnacci
のご案内です。

博物館名の最後にあるGuarunacci・グアルナッチというのは、この博物館収蔵品の
大きな、そして主要な部分を占める作品を寄贈したマーリオ・グアルナッチ氏(1701-1785)
の名が冠されたもの。
大きな、そして主要な部分を占める作品を寄贈したマーリオ・グアルナッチ氏(1701-1785)
の名が冠されたもの。
18世紀後半にこの博物館が出来たのですが、それまでは町の貴人著名人達の
個人コレクションとして分散していたのが、1776年地下墳墓からたくさんの発掘が
個人コレクションとして分散していたのが、1776年地下墳墓からたくさんの発掘が
あった際に市に寄贈され、それがこの博物館発足になったのだそう。
とにかく物凄い数と質の高い収蔵品でして、到底すべてをご覧頂けず、ご説明も
ままなりませんが、shinkaiの目で見た好きな物、良いと思ったもの優先で、はは、
あまり学術的では無いご案内ですが、ごゆっくりどうぞ。
とにかく物凄い数と質の高い収蔵品でして、到底すべてをご覧頂けず、ご説明も
ままなりませんが、shinkaiの目で見た好きな物、良いと思ったもの優先で、はは、
あまり学術的では無いご案内ですが、ごゆっくりどうぞ。
上の写真は、町の中心からヴィア・マッテオッティ・Via Matteottiを行き、そして
右にヴィア・グラムシ・Via Gramusciを南に。
左からの道が合流する位置のヴェンティ・セッテンブレ広場・Piazza XXSettembre.
この辺りレストランもたくさんあり、
右にヴィア・グラムシ・Via Gramusciを南に。
左からの道が合流する位置のヴェンティ・セッテンブレ広場・Piazza XXSettembre.
この辺りレストランもたくさんあり、
目指す博物館は、そこからのドン・ミンツィオーニ通り・Via Don Minzoniを
少し先に行った所。

エトルスコ・Etruscoと言っておりますが、これはエトルリア人、国の形容詞にあたり、
エトルリア文明・文化と同じ事で、イタリアで馴染みの言葉ですので、
これを使わせて貰いますね。
エトルリア文明・文化と同じ事で、イタリアで馴染みの言葉ですので、
これを使わせて貰いますね。
エトルスコ文化が栄えたのは紀元前8世紀から1世紀ごろと言われ、とりわけ
イタリア中部に広がり、独特の原語文化を持ちますが、紀元前4世紀頃から
ローマ人が勢力を持つ様になり、徐々に併合、吸収されていった民族です。
この博物館の38室には、それぞれの時代、部門にわたる展示があるのですが、
ここでは大まかに区切り、ご覧頂くことに。 専門家の皆様、ごめんなさい!
ここでは大まかに区切り、ご覧頂くことに。 専門家の皆様、ごめんなさい!
まずは石棺類ですが、素晴らしい彫りのものを。 船の到着を迎える女性の楽人たち、
そして戦闘場面、狩猟かな、



これは上下が別々のを一緒に展示しているらしい石棺。

こちらはテラコッタのお棺。

ご覧になって分かるよう、大きな石棺と、このテラコッタ製の小さなのがありますが、
この小さいのには、火葬しての遺骨を入れたものと。
エトルリア人達の間ではかなり火葬が多かった様子で、棺の上に横たわるのは、
生前の人々の在りし日の姿を偲ぶ物。
そして棺の他に骨壷や、小さな家の形をしたものとか、様々な埋葬の品があります。
上の様に一人で横たわるのも多いのですが、ご夫婦で、というのもあり、
この博物館の目玉の一つが、テラコッタ製のこれ!
この博物館の目玉の一つが、テラコッタ製のこれ!

棺の蓋部のお2人のみが残っていて、紀元前1世紀頃の作、大きさを探しましたが
見つからずで、見た記憶からいうと、1mより小さかったような・・。
仲良く寝椅子に寄り添い、妻の方はじっと夫の顔を見つめているのですがぁ・・、

こうして見ると、妻の凝視がちょっときつく見え、ははは、
大阪弁で「アンさん、若い女を作ったら承知しまへんでぇ」とでも・・、失礼。
大阪弁で「アンさん、若い女を作ったら承知しまへんでぇ」とでも・・、失礼。
所で夫の左手に持っているのは何かと思いましたら、これは角笛なんだそう!
動物の強い力を借り、黄泉の世界に旅立つ為の魔よけなんだそうで、
必ず男性の左手に持たれていると。
動物の強い力を借り、黄泉の世界に旅立つ為の魔よけなんだそうで、
必ず男性の左手に持たれていると。
背後から見るとこんな形。

妻の頭に見える穴は、テラコッタを変形させる事なく焼く為に、中の厚みを調整する、
その土を掻き出すための穴と。
夫が右手にも何か持っていて、これは何も指摘が無く、花の様にも見えませんか?
とすると、可愛い夫ですねぇ!!
とすると、可愛い夫ですねぇ!!
所でちょっと脱線を。
「夫婦像の寝棺」として有名なのが、ローマのヴィッラ・ジューリア博物館にある、
同じくエトルスクのテラコッタのこれ!

これはラツィオ州の北の海辺に近いチェルベーテリ・Cerveteriで、
19世紀に発掘された物で、高さは1,14m 長さは1,9m、
19世紀に発掘された物で、高さは1,14m 長さは1,9m、
アルカイック・スマイルと呼ばれる謎に満ちた微笑を浮かべた、これはあの世でも
ずっと一緒に寄り添う事を確信しているのだそう。
なんともエレガントな作品で、紀元前6世紀の作というので驚くばかり!!
ずっと一緒に寄り添う事を確信しているのだそう。
なんともエレガントな作品で、紀元前6世紀の作というので驚くばかり!!
背後からの姿、この髪型も良いですねぇ!

そして、この女性の手の優雅な事!!

足先は夫は裸足、妻は靴を履いていて、妻の靴の裏底の形が綺麗に揃っているでしょう?
当時のテラコッタ職人の技術の高さと、その美的センスの高さにも大いに驚かされますね。

ローマの街自体も殆ど知りませんが、この博物館はまだ行った事がなく、
チャンスを待つ事に!
さて、ヴォルテッラのエトルスコ博物館に戻りまして、
今回あれこれ見ていて、石棺の中にもご当地名産のアラバスター・石膏雪花の石で
造られたものと、他の石で造られたものとがある事に気がつき、そうなんだ!と
一人で納得のshinkai。
造られたものと、他の石で造られたものとがある事に気がつき、そうなんだ!と
一人で納得のshinkai。
この豊満美女はアラバスターの石の中で、今も微笑み続け・・。

ですがね、これは美女ですし、周囲が緑色の枠内なので載せましたが、
黒枠の中に、顔にだけライトが当っているのもあり、
パッと見た時、ぎゃぉぇ~!と叫びそうな位で、本当に怖かった!!
胸部が黒枠の向こうにあり、顔にだけライトが当り、それも下からで、ご想像を!!
ずっと昔に訪問した時に比べ、大変整備された今回の再訪だったですが、
誰が設置方法を考えたのか、誠に良いご趣味で、はぁ・・。
こちらは副葬品の、なんとも薄い金の花びらの王冠。
お金持ちにしても、大変に愛情のこもった美しい高価な物ですねぇ!

金のイヤリング。 素敵ぃ!

博物館の床に移された、床モザイク。 渋い色合いの幾何学模様、素敵でしょう?!


ギリシャの影響が大きく感じられる壷絵。



そして、取っ手と台のついた大皿。 シックですねぇ。


表の図柄が何か意味がある気がするのですが・・。
これは当博物館像ではなく、フィレンツェの考古学博物館所蔵の品ですが、
発掘はヴォルテッラ、とあるので、ついでにご覧を。

多分、ワイン入れでしょうね。 それにしても、形と文様の見事さ!
こんなのを実用していたのですね、エトルリアの民は!
こんなのを実用していたのですね、エトルリアの民は!
そして当博物館の一番有名な所蔵品と言っても良いかと思う、
「夕暮れの影・オンブラ・デッラ・セーラ」と名づけられた男性像。

フィレンツェの骨董市で少なくとも1737年まで売られていたのを、紛れも無く
ヴォルテッラからの出土品と、当博物館創設のグワルナッチ氏が1750年に買い取ったと。
ブロンズ製、高さは57cm、頭の高さは3,2cm、直径2cm、首の長さ1,5cm、
肩から性器まで22cm、そこから足まで30,3cm、重さは1322グラム。
肩から性器まで22cm、そこから足まで30,3cm、重さは1322グラム。
紀元前3世紀始めの作と見られるそうですが、
こうして見ると、髪もきちんとセットされているのが分かります。

この小像に「夕暮れの影」とロマンティックな名を与えたのは、
ガブリエーレ・ダヌンツィオ・Gabriele D'Annunzio(1863-1938)
詩人、作家、政治家、愛国者と幾つもの顔を持つ人。
詩人、作家、政治家、愛国者と幾つもの顔を持つ人。
shinkaiはイタリアに来て後、彼の写真を見て即いかれたミーハーですが、ははは、
彼はまたヴォルテッラを舞台にした映画「熊座の淡き星影」の原作者でもあり、
良く知られているのは、やはり映画「イノセンス」で、
どちらも監督はルキーノ・ヴィスコンティ・Luchino Visconti.
彼はまたヴォルテッラを舞台にした映画「熊座の淡き星影」の原作者でもあり、
良く知られているのは、やはり映画「イノセンス」で、
どちらも監督はルキーノ・ヴィスコンティ・Luchino Visconti.
ガルダ湖畔 ・ G・ダヌンツィオの家、 そして サロ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463417856.html
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463417856.html
アーゾロを彩る女性ふたり ・ アーゾロ市立博物館 n.1
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463693720.html
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昔最初に博物館でこの小像を見た時のshinkaiの第一印象は、
わっ、ジャコメッティだ!! でしたが、
アルベルト・ジャコメッティ・Alberto Giacometti(1901-1966)はスイスの彫刻家、画家で、
このヴォルテッラの小像から強いインスピレーションを受けたであろう事が
彼の作品をご覧頂くとすぐ分かります、これです。
このヴォルテッラの小像から強いインスピレーションを受けたであろう事が
彼の作品をご覧頂くとすぐ分かります、これです。


下の写真は、1955年のアンリ・カルティエ・ブレッソンの写真と。
という様子ですが、上の細長い小像はやはりちょっと特殊で、
小さなブロンズ製の人物像や動物達の作品がたくさんあります。



強いギリシャの影響を感じる頭部像。 美しいですねぇ!

そしてガラス製品。 練りこみガラス、と言うのか、大変美しい物と、

小さな実用品の美しさ、楽しさ!

こちらはガラス製の骨壷。

ヴェネトの本土側、ちょうどヴェネツィアのトルチェッロ島の北に当りますが、
アルティーノ・Altinoという村に国立の考古学博物館があり、ずっと昔に偶然に
寄って見た事があります。
アルティーノ・Altinoという村に国立の考古学博物館があり、ずっと昔に偶然に
寄って見た事があります。
いまだヴェネツィアの歴史も、アクイレイアの遺跡の凄さも良く知らずでしたが、
それでもその収蔵品の内容の凄さに驚いた事があります。
それでもその収蔵品の内容の凄さに驚いた事があります。
ほんの少しだけ記述しておりますが、こちらでどうぞ。
n.2 アクイレイア と、 アルティーノ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462970554.html
n.2 アクイレイア と、 アルティーノ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462970554.html
アルティーノもその後の発掘が進んでいる様子ですので、また訪問してみたいと。
これは灯火器。

そして闘士の兜と頬宛。 兜には細かい浮き彫りが。

日常用品の鍋釜類と、下は家具に取り付ける物でしょうか?


なにせ夥しい数の展示で、ここでも2枚のみに。
美しいオレンジ色の指輪、メノウでしょうか?

金のブローチと、下は何でしょうか?

真ん中はイヤリングで、右はピンの付いたブローチかな? 緑色は何だろ、ガラスかな?
金の細工も細やかで、技術の高さが偲ばれます。

ざっとのご案内でしたが、それでもたくさんの品で、お付き合い、有難うございました!
ヴォルテッラのご案内、最後は近くの広場からの谷の眺めをどうぞ!
城壁に囲まれているのも見えます。
城壁に囲まれているのも見えます。


フィレンツェ、ピサ方面に行かれた時は、是非ヴォルテッラまで足を延ばして!
周囲の風景も他とは違い、荒々しく雄大、
そしてエトルスクの息吹が今も残る、素晴らしい博物館も是非どうぞ!!
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