・ ヴォルテッラの洗礼堂、ドゥオーモ、エトルスク門

2年前のちょうど9月に出かけたヴォルテッラ・Volterraの町。
今日のご案内は、洗礼堂と町のドゥオーモ、そして町の中心から少し南に
下った所にあるエトルスク門を。

町の入り口の展望台から見た、真ん中のとんがり屋根8角形の建物が洗礼堂で、
その右がドゥオーモの鐘楼、松の木に隠れて見えるのがドゥオーモの正面。

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先回は町の地図だけでしたので、今回はヴォルテッラの位置を。
シエナ・Sienaが右端、ピサ・Pisaが左上にあり、ヴォルテッラの町はちょうど
間に挟まれた中間に。

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この位置だとさぞやかっては両方の町からの所有争いが激しかったろう、と
簡単に想像できますが、現在ヴォルテッラの町はトスカーナ州ピサ県に含まれます。



まず洗礼堂・Battisteroですが、正式にはサン・ジョヴァンニ洗礼堂と呼ばれ、
右手前に角が見えるのがドゥオーモ。

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以前は閉まっていて中に入れなかったのですが、今回は大丈夫でした。



中央にあるのが洗礼盤18世紀の物で、上に見える像がこの洗礼堂に名を
冠された洗礼者ヨハネ・San Giovanni Battista の像。
 
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が、内部ではロッソ・フィオレンティーノ・Rosso Fiorentino(1495-1540)への
献呈として、彩り鮮やかなスライドが映し出されており、
その為1階奥の礼拝堂部分や、8つあるニッキ、天上部などが塞がれており、
素朴で静謐な洗礼堂の雰囲気はなく、おまけにマニエリズムに関心の無いshinkaiは
がっかり、だったのでしたぁ。

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所で今回これを書くためにちょっと調べましたら、ロッソ・フィオレンティーノのこの
「十字架降下」が市絵画館に収蔵されている事を知り、そういう次第かと。

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人物の頭部を小さく、体をひゅう~と長く誇張したマニエリズムは、ダ・ヴィンチや
ラファエッロなどが古典的美を完成させたと見られた位置から、もひとつ発展した
ルネッサンス期の美術ですが、

この先駆者的立場のロッソ・フィオレンティーノは、ダ・ヴィンチの最後を看取ったと
されるフランス王フランソワ1世に招かれフランスに趣き、イタリア美術を
フランスに伝えたとされる画家で、フランスのフォンテーヌブローで亡くなっています。



彼はフィレンツェ生まれで、本名はジョヴァンニ・バッティスタ・ディ・ヤコポ・
Giovanni Battista di Jacopo.

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なぜロッソ・フィオレンティーノ・赤いフィレンツェ人と呼ばれたか疑問が湧きましたが、
このアレッツォにあるヴァザーリ・Vasari、著名な芸術家・彫刻家伝を記した
ヴァザーリの家にあるというロッソの肖像を見つけ、
ああ、彼は赤毛だったんだ、と納得! ・・という脱線記でしたぁ。



さて洗礼堂の正面をもう一度どうぞ。
    
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ドゥオーモに向って建つ洗礼堂は13世紀後半に完成したもので、正面部分は
このように白と濃い緑の大理石で装飾されており、ニコラ・ピサーノ・Nicola Pisano
(1215/20-1278/84)の作と。
       
ニコラ・ピサーノは13世紀の設計、彫刻家で、あの素晴らしいピサの洗礼堂や
ペルージャのフォンターナ・マッジョーレなどなど、息子のジョヴァンニと共に
各地に作品が残ります。
       
ずっと昔になりますが初めてこの洗礼堂を見た時、素朴なそして白黒の縞模様、
当時は濃い緑色とは思いもよらず、周囲が車の駐車場となっていたこの洗礼堂を
スケッチした物でした。

ちょうど上の写真を撮った位置辺りの、建物の出入り口に腰をかけ描いていると、
出て来られたシニョーレがスケッチを見て、抽象的でないのが素晴らしいと言ったのを
覚えていますが、今考えると、他に褒めようが無かったのかなと、ははは。



正面扉の上部、半円アーチの部分もすっきり簡素な物ですが、

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扉上部と、脇柱に続く部分に細かい彫りが見られ、ロマネスクからゴッシクへの
過渡期の趣を感じます。



正面から右脇に回ると、脇の入り口があり、上部に色石を使った装飾模様。

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サイトで見つけた写真ですが、
洗礼堂とドゥオーモの間に広場があり、左に鐘楼がありますが、以前の古い鐘楼に
取り変わり1493年に高くされたものと。
 
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さて洗礼堂と向かい合わせにあるドゥオーモの正面ですが、以前在った
サンタ・マリーアに捧げられた古い教会は、多分1117年の酷い地震によって崩壊し、
それ以降に再建された物だそうで、正式にはサンタ・マリーア・アッスンタ聖堂・
Cattedrale di Santa Maria Assunnta.

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正面扉部分のこの美しい装飾もニコラ・ピサーノの作ですが、使われている円柱等は、
先回ご案内したテアトロ・ロマーノから持って来ているのですと!

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聖堂上部のアーチの重なりのデザインは、如何にものロマネスク様式。

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外の重厚な簡素さと比べ内部はこんな感じですが、12世紀の建設以来

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13世紀に拡張され、翼部分と合唱隊席は14世紀に、16世紀には内部が完全に
改修され、19世紀にも大きな装飾などの改修があったようですので、
正面壁と同様のロマネスク様式はまるで残っておりません。



内部平面図をどうぞ。
1.キエリーチ・Chiericiの聖母
2.聖体用祭壇  後陣には木製の合唱隊席
3.13世紀初めの木製の十字架降下像
4.説教壇 13世紀の像が16世紀末に再設置

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5.6.聖堂の入り口から横に続くこの部分に、アッドロラータ礼拝堂・
    Cappella dell'Addolorataがあり、デッラ・ロッビア工房、
    ベノッツォ・ゴッツォーリの作品。
7.15世紀末のマリオット・アルベルティネッリの「受胎告知」の絵画



説明1の「キエリーチ・Chiericiの聖母」と呼ばれる聖母像は、15世紀の
フランチェスコ・ディ・ヴァルダンブリーノ・Valdambrinoの作といわれるもので、
木製彩色の美しいもの!

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あるのを知らず、5.6の礼拝堂共に見ておりません、残念!



内部でまず目を引いたのがこの格子天井で、16世紀の改修で設置された物で、
模様、天使、聖人たち、花などの木製彩色がぎっしり!

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内部は3廊式で22本の円柱で仕切られ、壁に見える白とグレイの縞模様は
塗り分けられたもので、円柱の薔薇色は漆喰で大理石の柄に見せかけた物、だそう。
いずれも19世紀の改修によるもの。

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7.の15世紀末のマリオット・アルベルティネッリ・Mariotto Albertinelli
の「受胎告知」。

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面白いなと思ったのは、四角い絵の周囲を様々な小さな絵で取り囲んだ飾りつけで、
多分これも何度もの改修のあれこれの謂れがある事でしょう。



4.の説教壇、正面からで、一番上に金(塗り)の鷲像があり、余りにも強い照明で
色が飛んでいますが、その下の彫が面白く、多分これもローマ期などの古い物を、
新しい大理石で囲んでのリサイクルかと・・!

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内陣、後陣部分で、階段の在る古い形ではありますが、後陣のフレスコ画も何もなく、
背後に見える山型はパイプ・オルガン。

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入り口扉上にある薔薇窓。 「聖母戴冠」のステンドグラスが入っていますが、
これもきっと最初にあったロマネスクの大理石の柄を除けて作ったものと。

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床は19世紀改修の物とありますから、壁の柄とお揃いですね。
手前の円柱の左下、ほら、上の色付き漆喰がはげているのが見えるでしょう?

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なんぞと、あれこれ改修結果を並べるような説明になりましたが、はは、
正面のどっしりロマネスクに比し、内部は各年代の修復の歴史でした。
まぁ、バロックの白と金色、ではなくて良かった、ははは。



説明5,6.の聖堂横の礼拝堂部分の外の壁。

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聖堂横角、庇の部分にも細かい柄がありました。

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さてドゥオーモと洗礼堂から一旦中心に戻り、1本東の道を下ります。
 
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角を曲がって見る、建物の壁の趣。 色も良く、古び加減も素敵でしょう?
店の大きな看板も見かけないのが素晴らしい!



だらだら下っていくと、このエトルスク門、またはポルタ・ディ・アルコ・
Porta di Arco
と呼ばれる、紀元前3~4世紀のエトルリア人建設の門が見えて来ます。
       
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残念な事にちょうど左手前の家の工事中で、車が止まっているわ、
家には覆いが架かっているわ、お兄ちゃんが大声で喋っているわ・・!



素晴らしく大きな石が使われているでしょう? ローマ以前のエトルリア人たちの
建設能力に驚きますが、後にローマ人がエトルリアに取って代わり修復しただろうと。

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門の外から見るとこんな様子で、中世になって町の城壁が造られると
それに取り込まれた形になります。

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門に3つ見える頭部像はそれぞれ説がありますが、要は町の守護を司るもので、
現在は表情も何も分かりません。

右の城壁に見える碑ですが、ヴォルテッラの町の人々が、この門を護る為に働いた、
とのみあり、具体的に何をしたのかが良く分かりませんでしたが、



門の近くの家の窓だったか、店のショウウインドウだったかに展示の古い写真を
見つけました。 右から左に続く一連の物で、最初は空襲にでもあって
補修したのかな、などと思ったのでしたが、

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2枚ともに見える、門を塞いでいる石の壁の写真がありますね。そして皆がせっせと
手渡しで石を運んでいる写真、それに足元が地道になっていますよね、
そんな事から爆撃ではないと思ったのでしたが、イタリア版ウィキに答えを。

つまり、この門を通る道は町の南から中心に至る道ですので、1944年6月30日、
町に駐留していたドイツ軍指令部が、連合軍が町を通るのを妨げる為に、
この門を爆破する事を決めたのだそう。

ですが24時間以内に町の人々が門を通れなくするのであれば、爆破しない事に同意。 
町の世話役が頑張ったのですねぇ!

それで写真に写っているように、町の人々は近くの道の敷石を剥がし、
せっせと門に積み上げ、爆破から護った、という事なのだそう。
カメラに向ってにっこりの若い女性達もいて、道の敷石を剥がすのは大変だったでしょうが、
案外皆が共同作業に楽しんで加わったかの様子も見え、shinkaiにも楽しい発見でした。
       


上り坂の道を町の中心に向って戻りますが、この敷石が、あの20世紀前の
古い門を援ける為に役立ったのですね!

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奥に見える塔、プリオーリ宮の上の塔なのですが、あそこにも上がりましたので、
はは、高上がり大好き!  素晴らしい眺めをまたご覧頂きますね。


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