・ 塩田・サリーネ という名の町 ・ ヴォルテッラ近郊 

旅の下調べ段階はとても楽しく、色々知る事も多いですが、
そんなこんなで発見トスカーナはヴォルテッラ近くの町、
サリーネ・Salineのご案内です。

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ヴォルテッラの周辺風景は雄大で素晴らしかった、というずっと以前の記憶があり、
どう回ろうかと地図を調べていて目に付いたのが、
ヴォルテッラの南西8k程に位置するサリーネの地名。

サリーネ・塩田?! こんな平野に?!
勿論北ヨーロッパの岩塩採掘など知識としてはあっても、塩田と聞くとやはり
海辺の塩田を思いますよね?

調べましたら、やはり古代より塩の採取で有名だった事が分り、も一つ、かって
ヴォルテッラまでの鉄道線があった事も知り、あれこれ纏めての今日のご案内を。

上の写真は、ヴォルテッラの町から西方の眺めで、中程に細長く広がるのが
サリーネの町、手前から蛇行しつつ行く道が、州道68号線。



地図をどうぞ。 中程にヴォルテッラ・Volterraの町があり、南西の赤点が
サリーネ・Saline、ティレニア海に出た所がチェチーナ・Cecina、ここは今回後ほど。

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そして東には、北からチェルタルド・Certaldo・ボッカッチョの町、
ポッジボンシ・Poggibonsi、ここはシエナからサン・ジミニャーノやヴォルテッラへの
バスの連絡駅。



海抜が530mもあるヴォルテッラの町から坂道を下り、やっと路肩に止まれる
場所から仰ぎ見る町。

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右端に並木が途切れ、人の姿がチラッと見える辺り、あの辺りから、
明け行く平野を眺めたのでした。

ヴォルテッラの朝 ・ 目覚めてゆく町と平野 
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/465893083.html
       


州道68号線といっても、やっと2車線のカーヴの多い道で、上手く止まれる場所を
探しつつ、次々と変化する風景を睨みつつ・・!

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西に進んでの右手、つまり北側の風景よりも、左側南の風景の方が雄大で
変化に富むのですが、逆光になり、少し靄で色が余り冴えませんが・・。

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振り返ってのヴォルテッラの町。 上でもご覧頂いた旧市街の中心の洗礼堂や
プリオーリ宮のでっぱり、そして右端の傾斜に沿って大きく見えるのがメディチ家要塞。

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北側の風景で、写真整理中に気が付きちょっと感嘆したのは、

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見え難いのをご容赦願い、部分を半分切り取ったのがこれ。
お分かりですか、電線が平野を3本走っているのに、びっしりと黒い鳥で、中には
少し灰色も見えるのですが、大きさから考え多分カラスの種と思うのが、
こんなにもびっしりと止まっているのでした!

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茶のなだらかなハーモニーもあり、

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濃い茶と、緑の縞々の段だらと、

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大きくカーヴする道、白い丸いのは、どうやら現代彫刻らしいのですがぁぁ、
大きな廃墟も見え、

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・・で、なんだろ、これ? 要塞とか居城跡かな?

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もうそろそろサリーネの町に近い位置。
shinkaiのパンダちゃんと、車の陰でスケッチするmkちゃん。

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この頃はグーグル・マップの地図、衛星地図、ストリート・ヴューがとても便利で
活用していて、町の様子も先に大体探る事が出来ますよね。

でやはり、サリーネの町自体は先の偵察通り、街道筋に家や店が立ち並ぶ
変哲もない町でして、失礼、見かけた道路標識だけ撮っており・・。
東ヴォルテッラまで8k、西チェチーナまで30k.
      
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最初に書いた様に、サリーネの町の由来を読んでいて、かってヴォルテッラまでの
鉄道が通っていたのが、現在は廃線となっている事を知りましたが、
こちらがその駅、鉄路はここで途切れます。

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上の写真で奥に見える駅舎で、写真に見える右のガードレールのすぐ横を州道が通り、
かなりの車の往き来で、駅舎の前までは行かなかったのですが、



こちらがサイトから拝借の駅舎正面からの様子。
サリーネ・ポマランチェ・Pomaranceのポマランチェは、サリーネから南に行った町。

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で、こちらがかっての鉄道線の行程。

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どこの国にも鉄道ファン、それもかっての蒸気機関車ファン、廃線になった鉄道線の
ファンなるものが居られる様子で、今回調べているうちに、かなりの情熱をこめた記事も
写真も見つかり、あれこれ知ることが出来ました。

まず、ヴォルテッラに向ってはかなりの傾斜となるのはお分かりですよね。
なのでこの区間3箇所にクレマリエーラ・cremagliera・日本語でラック式と呼ばれる
歯車を噛み合わせ傾斜を上る方法が採用され、西海岸のチェチーナ(リヴォルノ県)まで、
乗客、ヴォルテッラのアラバスターやサリーネの塩を運んだのだと。



古い写真が見つかりました!
まずラック式という、歯車を噛み合わせて傾斜地を克服する方法ですが、

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線路をご覧下さいね。 二本の通常の線路の他に、真ん中に太い線が見えますね?
この部分がぎざぎざの長い歯車になっているのですね。

背景の風景から見て、ヴォルテッラの町から坂を下り西に向う位置と見えますが、
見物人も出ているのが、楽しい!! ははは。



もう一枚、どうぞ。 こちらではっきり真ん中の歯車式が分りますね。
そして小さめの機関車の車体自体が傾斜し、可愛い!
前についている輪が歯車を噛む式になっているのが見えます。             

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あの急坂のヴォルテッラの町のどこに鉄道駅があったのかと考えましたが、
どうやらメディチ家要塞の下の平地部分に駅があった様で、
現在はバス駅に利用されているとの事。



所でサリーネ駅を傍まで見に行かなかったのは、廃線になったと読み、
てっきり駅も使われていないと思ったからなのでしたが、
なんと、サリーネから西に向う部分は復活していたのですね。

後先逆になりますが、ここの鉄道線について書きますと、西のティレーニア海側の
チェチーナからサリーネの30km間が開通したのが1863年10月20日、
更にヴォルテッラまでの開通は1912年だったとの事。

第二次大戦中に破壊されたりもあったのが、戦後直ちに復活、貨物列車がせっせと
活躍していた様子ですが、次第に貨物での運搬物資が減り、様々な新しい試みも
された物のヴォルテッラ・サリーネ間が閉じられたのが1958年11月12日。
つまりこの区間は大変短い運転期間だったのですね。

そして車での運搬が増え、サリーネ・チェチーナ間も遂に1990年代に貨物の運行が
止まり、乗客輸送のみになっていたのも、1999年の川の大氾濫による被害があったりで
止まり加減だった様子。


それが漸くに何ヶ月間の保線修理も終え、2013年12月4日に西海岸側とを結ぶ
鉄道線が再開されたといい、
 
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現在は日に4往復、日曜日はお休みで、学校が閉まるクリスマス休暇と
夏休みの6月最初から9月の最初まではお休み、という運行。

そうなんです、我がスコミーゴ村を通過するバスもちょうどこんな運行本数で、
日曜と学校のお休み期間は無しで、
イタリアの田舎の場合はこういうのが多いのではないかしらん・・。
       


所でヴォルテッラ・サリーネ間の元の線路跡が通行出来そうとグーグル・マップで知り、
あの狭いカーヴの道で停車できる場所を探すよりも、こちらの方がゆっくり風景を
楽しめるかもと行って見る事に! へい、好奇心いっぱいのshinkaiですよってね。

衛星地図をどうぞ。
赤点がサリーネの町、左下の電車の印が駅の位置で、小さい赤点ポツポツが
元の鉄道線路跡、上を黄色の州道が通ります。

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細長めの池に見えるのが、町の名サリーネ・塩田の由来となるもので、
大きな赤点を打った辺りに我々は間違えて入り込んだのでした。



駅の近くで丁寧に教えてくれる人に出会い、確かに入り込んだ道は
正しかったのですが、行き過ぎてしまい、ははは、こんな道!!

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出会った高年シニョーレにヴォルテッラまで行けるかと訊ねると、途中の橋が
落ちているから、そこまでは行けるけど、あとは車では無理だというので、
では、そこまで行こうかと。

春からずっと大雨が続いていましたし、4輪駆動の大型車でも通ったのか酷い道に
なっており、直に、止めておいた方が良いね、と車を回そうとしてガタンと落ち込み、
友人が右だ左だと指示を出してくれて脱出成功!



その道脇に車を置いて、暫く先まで歩いて行きましたが、

普通車は寄せ付けない凸凹道も、蟻は大丈夫なのね、ふむ。

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道を間違えた事は、今回ブログ・アップの為にもう一度グーグルマップを確かめて
気がついたのですが、
       
間違えずに元の鉄道線路跡に入り込んでいたら、この塩田は見れませんでした! 
ならば幸運だったのかな? へへ。 はい、ここがサリーネの塩田です。

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塩田といっても、海水を平たい畑に通し、太陽の陽で乾燥させるのではなく、
ここのは塩水の湧き水利用で、こうしてご覧になる様に、いわば岩塩状態ですね。
で、まさにこの一帯にはイタリアにおける大きな埋蔵量が埋まっているのだそう!

エトルスクの時代からここの塩辛い湧き水は利用されていた様子で、
ローマ期には既に記したものがあリ、中世を通しこの湧き水はモイエ・moieと呼ばれ、
この地方の経済を潤し、当時はヴォルテッラの司教領主の持ち物だったのが、
コムーネに渡り、そしてフィレンツェ共和国に。

塩田の最初の記録が残るのは980年頃、当時ドイツのザクセン地方で岩塩鉱が
見つかり、神聖ローマ帝国皇帝オットーネ2世が、技術を学ぶようにと、
この地方の塩製法の親方達を招いたものだそう。

フィレンツェ共和国、トスカーナ大公国に渡っても、大きな税金はかけられた物の
この地のものとされ、どんどん大掛かりな製造法になって行った様子。


モイエ・塩水の湧き水から塩を取り出す方法がちょっと面白くダイナミックなので
書いてみますね。

5つの井戸(6つと書いてあるのも)から巻き上げ機によって、24時間に500杯もの
塩水が大バケツで汲み上げられ、幾筋かに分けられた道を通り槽に溜められ、
そこから再度幾筋かの道を通り8基の燃焼器に。

燃焼器の下は鉛製の格納庫とでも言うのかになっていて、
3時間毎に木製の熊手で出来上がった塩を掻き出す仕組み。

昼も夜も焚き続けるために、一つの燃焼器に付き3人の男が働き、燃やす薪は
一日にしてロバの積荷にして100荷もの薪が必要。
パスクワの休暇以外は休むことが無いので、周囲5マイル一帯は薪の山で埋まり!

3ヶ月ごとに石の燃焼器が新しく作られ、その上に鉛の塊が置かれ、その鉛が溶け
石の燃焼器の形となり、塩が燃焼器から出る時に乾燥するのに調度良い形に
なるそうで、ご想像を! 出来た塩は即袋に詰められ、ヴォルテッラの倉庫に送られ。

トスカーナ大公国からイタリア王国に、そしてイタリア共和国にと持ち主が移り、
塩も国家専売品に。



塩田脇より眺める現在の精製工場で、アティサーレ・Atisale.

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サイトを見ましたら、所有の3つの塩田の説明があり、ここサリーネのは
地下100~200mにある1700平米の岩塩で、大変純粋度の高い細かい塩だそう。
       
イタリア内の、所有する3つの塩田の様子も知れるサイトは
https://www.atisale.eu/



道をもっと進むと、こんな廃屋もあり、

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小池もあり、・・うん、ここも塩味かな? ははは。

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草や細かい枝に絡みつくようなカタツムリがあちこちに。

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そして、塩辛トンボ風、かなり大きめ。
ね、塩田脇に塩辛トンボなんて出来すぎですよね、ははは。

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道はまだまだこんな風に延びて行き、

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振り返ると、遠くにサリーネの町並み。
小さな小屋の先に、小さく見えるshinkaiのパンダちゃん。

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も少し先の小高い所から眺める、ヴォルテッラの町。

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さて、引き返す事にしましょうか・・。
     
少し長い説明もありましたが、どうぞ、お楽しみ頂けました様に!

    
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