漸くにゴールデン・ウィークも済み、さて次は、・・夏休みですねぇ! ははは。
しっかり頑張って参りましょう!!
しっかり頑張って参りましょう!!
今日のご案内は、ルッカのアンフィテアトロ広場・Piazza dell'Anfiteatro.
ここは今回3度目のルッカ訪問で初めて見る事ができたもので、とても嬉しく
まずはこの広場をどうぞ!

写真はガイドブックからで、真ん中が光って済みません。上空からの写真で
ご覧頂くとよく分かるのですが、ルッカのアンフィテアトロ広場、
実はローマ期の野外劇場、闘技場の廃墟を利用した広場で、
写真の、楕円形の広場右下側が東になります。
ご覧頂くとよく分かるのですが、ルッカのアンフィテアトロ広場、
実はローマ期の野外劇場、闘技場の廃墟を利用した広場で、
写真の、楕円形の広場右下側が東になります。
蛇足ながら、実はルッカでまだ見ていない、見たい物が2つあったのですが、
一つはこのアンフィテアトロ広場、もう一つがサン・フレディアーノ教会ですがぁ・・、
悔しい事に、写真右上に見える白い教会がそれなのですよぉ!!
そうなのです、すぐお隣に。
が、下調べをまるでせずに出かけ、地図も見ずにいて、一人うろうろと、
置いて行かれない様には注意しつつ、はは、写真を撮って歩きまわっていたので、
自業自得ながら、ミレーナが教会前まで行って写して来たのを見せられた時は、
あ~ん、なんでや~!と悶絶しそうでしたぁ。 ・・ええねん、また行くのだ!!
一つはこのアンフィテアトロ広場、もう一つがサン・フレディアーノ教会ですがぁ・・、
悔しい事に、写真右上に見える白い教会がそれなのですよぉ!!
そうなのです、すぐお隣に。
が、下調べをまるでせずに出かけ、地図も見ずにいて、一人うろうろと、
置いて行かれない様には注意しつつ、はは、写真を撮って歩きまわっていたので、
自業自得ながら、ミレーナが教会前まで行って写して来たのを見せられた時は、
あ~ん、なんでや~!と悶絶しそうでしたぁ。 ・・ええねん、また行くのだ!!
さて、この広場には入り口が東西南北と4つあり、その真ん中に当たる点には
十字が刻まれているのだそうですが、それは見ておりません。
十字が刻まれているのだそうですが、それは見ておりません。
我々は南側から入り、建物の形に一番特徴があり、高い西側の眺めがこれ。
ちょうど大きなすぼめられたテントが見える高いアーチ、あそこが西の入り口アーチ。

小さくなりますが、ウィキペディアから拝借の、広場の建物360度の写真をどうぞ。

左から2番目に高い建物群が上で見て頂いた西側で、そこから右に、
ちょうど写真の真ん中に見えるアーチが北の入り口、
そして一番低い建物にちょっと見えるアーチの入り口が東で、このアーチが唯一の
オリジナルで残っている物だそうで、写真の右に切れているアーチが南側。
ちょうど写真の真ん中に見えるアーチが北の入り口、
そして一番低い建物にちょっと見えるアーチの入り口が東で、このアーチが唯一の
オリジナルで残っている物だそうで、写真の右に切れているアーチが南側。
低い2階建て建物のアーチ、これが東の入り口で、ローマ期のオリジナルの残りと。

分かり易い図をどうぞ。 赤丸のついた部分が、東側の入り口を外側から見た所。

この図で見ると、明らかにかってのローマ期の野外劇場の遺跡構造が
使われ、残っているのが良く見てとれますね。

下の白い部分、これは当時は地面が下の線の位置だったものが、
現在は約3m程上がっているのだそう。
現在は約3m程上がっているのだそう。
ヴェローナに残る野外競技場、現アレーナの地面もかってよりも4mほど上、
になっているのだそうで、20世紀間における地の積りなんだそうで。
になっているのだそうで、20世紀間における地の積りなんだそうで。
そしてこちらがshikaiの写真で、
アーチの左側の、かっての様子がよく残っている壁と、

入り口の足元、左側。 なにせ後ろが迫り下がれず、1枚に収まらずで・・。

こちらがアーチの右側と、足元。


そして、ここからこう撮りますと、はは、絵葉書やサイトでお馴染の、
アンフィテアトロ広場の姿という事に。
アンフィテアトロ広場の姿という事に。

n.1 ルッカ の街 中心部を一巡り
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462750845.html
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462750845.html
この広場はローマ期のアンフィテアトロ・野外劇場、闘技場の遺跡を改修した物、
とご説明しておりますが、
とご説明しておりますが、
未だに、本当に?!と思われる方もおいででしょうから、ははは、
もう少し詳しく、この図をどうぞ。

先回のルッカのご案内で現在のルッカの地図をご覧頂きましたが、
長方形の街の周囲を長さ4kmに渡る16世紀建設の城壁が取り囲んでおりました。
が、古いローマ期の町の姿はほぼ正方形で、その北東の外れに紀元後1~2世紀
建設のこの野外劇場があったのですね。今では完全に街を囲む城壁内になりますが。
建設のこの野外劇場があったのですね。今では完全に街を囲む城壁内になりますが。
で上の図の様に、このアンフィテアトロは外側が2層になった建物で、
各階のアーチが54、観客席は24階段席、という規模だったそう。
各階のアーチが54、観客席は24階段席、という規模だったそう。
所が北方蛮族の侵入により破壊放棄され、ここの石材は教会建設に切り出され、
円柱や装飾に使われていた大理石も教会建設に!
円柱や装飾に使われていた大理石も教会建設に!
中世にはここは「洞窟」と呼ばれたそうで、この廃墟跡には残った石材を使った
素朴な家とか店とか、塩の倉庫、または監獄に使われて来たのだそう。
当時からの残っている店と宿(食堂)が各1軒あると。
素朴な家とか店とか、塩の倉庫、または監獄に使われて来たのだそう。
当時からの残っている店と宿(食堂)が各1軒あると。
そして1830年ルッカ出身の建築家ロレンツォ・ノットリーニ・Lorenzo Nottoliniの
天才的なアイディアにより、この廃墟跡が生まれ変わったのですね。
天才的なアイディアにより、この廃墟跡が生まれ変わったのですね。
つまり、真ん中の広場部のごちゃごちゃを取り除き、いろいろ建て込んでいた建物の
広場に接するラインを、アンフィテアトロのオリジナルの楕円形に正し、
但し建物の高さには手をつけず、という素晴らしいアイディアで、広場として蘇った訳。
広場に接するラインを、アンフィテアトロのオリジナルの楕円形に正し、
但し建物の高さには手をつけず、という素晴らしいアイディアで、広場として蘇った訳。
そうだったのか、と知った時は驚き、またそのアイディアの秀逸さに感嘆しました!
こうして広場は食料品市場に20世紀初頭まで利用され、時にメルカート広場と
呼ばれるのはこの為ですが、後に市は引っ越して、現在のゆったりの広場となった訳。
呼ばれるのはこの為ですが、後に市は引っ越して、現在のゆったりの広場となった訳。
では少し細部も見て頂きますね。
こちらは東のオリジナルのアーチ入り口の脇、広場内側の壁にある聖人像で、
サン・フレディアーノ・San Frediano.
サン・フレディアーノ・San Frediano.

フレディアーノという聖人は、ルッカにとってまるで旧約聖書のモゼの様な方で・・。
現在は街の北側をおとなしく流れているセルキオ川・Serchioですが、
16世紀にこの方が町の司教様だった頃は氾濫を繰り返し、
ルッカの人々は流れを変える事ができなかったのだそう。
現在は街の北側をおとなしく流れているセルキオ川・Serchioですが、
16世紀にこの方が町の司教様だった頃は氾濫を繰り返し、
ルッカの人々は流れを変える事ができなかったのだそう。
で、この方が熊手を持って川に行き願いを込め祈ると、以後、この川は
流れを変えたという、町の恩人なのだと。
流れを変えたという、町の恩人なのだと。
広場南側の建物の並びと、あれこれあるスーヴェニール店。



で、こちらも広場南側ですが、写真を整理していて眼が止まった、
一番左端に写っている方!

こういう事にはマメなshinkai、ちょっと大きくしてみました。
如何、明らかに男性、若者ですよね?!
如何、明らかに男性、若者ですよね?!

こちらが後ろ姿! じゃ~ん!!

で、ですね、我が家にアンナリーザが来た時にこれを見せ、
ねぇねぇ、これホモちゃんと思うのだけど・・!
彼女は慌てず騒がず、はい、事情通は落ち着いたものでして、
いや、これはホモではなくエモ・emoと言い、流行なんだ、と。
ねぇねぇ、これホモちゃんと思うのだけど・・!
彼女は慌てず騒がず、はい、事情通は落ち着いたものでして、
いや、これはホモではなくエモ・emoと言い、流行なんだ、と。
つまりです、ユニセックスというのか、女性とも男性ともつかない服装
持ち物をするエモという流行なんだそう。 皆さん、ご存知でしたぁ?
単純にホモちゃんと決めつけてはいけない、とは知りましたけんど、
なんだぁ、この脚の線! そうか、見せたいのか!
・・でもまさか、スカートでは? ホット・パンツかなぁ?
さて、本筋に戻りまして・・、ははは、
こちらが西側にある、一番高い建物の、そのまた上にある屋上階。
う~ん、眺めは良さそうですけど、買い物の戻りなど大変だろうなぁ!
それに、風の強い夜などちょっと怖いかも!
う~ん、眺めは良さそうですけど、買い物の戻りなど大変だろうなぁ!
それに、風の強い夜などちょっと怖いかも!

西側の建物に見えた窓。

今ご夫婦が座っているベンチですが、その足元に低くめに一列、
横並びに並ぶ石があります。
横並びに並ぶ石があります。

この真ん中に見える一列並びですが、多分この石を境に、左がかっての
観覧席で高くなり、右が広場、劇場、闘技場の境だった石だろうと。
観覧席で高くなり、右が広場、劇場、闘技場の境だった石だろうと。

広場の西側から東側の眺め。

西のアーチから外に出ると、外側はちょっとした古い建物の感じがあるだけで・・。

その一番角は、こんな風に建て増しされた四角い角になっていて、
大体がほぼ楕円を保つ中で、ここだけが建て増しの角。

このすぐ近くで見かけた、動物繋ぎの輪。 これはどの町でも大概そのまま
残されていて、いろいろな形がありますね。
残されていて、いろいろな形がありますね。

アンナリーザに写真を見せながら、「かっての駐車場」と言いますと、
彼女が、昔も今みたいに駐車場を探したりしたのかしらね、と。
途端に私の頭の中には、お馬ちゃんの口輪をとった2人が俺が先、いや俺だ、と
争っている姿が思い浮かび・・、きゃはは、能天気shinkai!
彼女が、昔も今みたいに駐車場を探したりしたのかしらね、と。
途端に私の頭の中には、お馬ちゃんの口輪をとった2人が俺が先、いや俺だ、と
争っている姿が思い浮かび・・、きゃはは、能天気shinkai!
では、最後は綺麗に〆るべく、これをどうぞ!

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