先回に続きトゥレヴィーゾのご案内ですが、今日は少し毛色の違う、
いや、猫ちゃんのお話ではなく、はは、
かっての貧しい庶民相手の公営質店内部の様子と、
その奥にあった素晴らしく豪華な革装飾の部屋を!
いや、猫ちゃんのお話ではなく、はは、
かっての貧しい庶民相手の公営質店内部の様子と、
その奥にあった素晴らしく豪華な革装飾の部屋を!
つまりです、その取り合わせの妙にも驚きましたが、サイトで調べていて、
革細工の素晴らしい部屋も他に見つけましたので、最後にご覧頂きますね。
革細工の素晴らしい部屋も他に見つけましたので、最後にご覧頂きますね。
写真は先回申し上げた通り、キメが粗いイマイチのでご容赦願い、
私のよりも分りやすいグーグルのストリート・ヴューのも拝借し、
ブログ・アドレスの入っていないのが、サイトからお借りした分です。
私のよりも分りやすいグーグルのストリート・ヴューのも拝借し、
ブログ・アドレスの入っていないのが、サイトからお借りした分です。
写真は、トゥレヴィーゾの街の中心にある正面がパラッツォ・デル・ポデスタ・
Palazzo del podestà.
Palazzo del podestà.

15世紀末建設の執政長官邸と市の塔で、右がパラッツォ・デイ・トゥレチェント・
Palazzo dei Trecento・12世紀建設で、一帯が政治文化の中心でした。
建物同士の角に見えるアーチをくぐると裏の広場に抜けれますが、
グーグルの衛星地図をどうぞ。上の写真は下のシニョーリ広場からですが、
レストランの印のある下のアーチを抜けると、
緑色の印をつけたモンテ・ディ・ピエタ広場に出ます。

広場の西1の印の2階に、今日ご案内のモンテ・ディ・ピエタがあり、
同じ建物の1階はサンタ・ルチーア教会で、教会入り口は北の丸印に、
2の建物はサン・ヴィート教会で、入り口は北と西にあり、サンタ・ルチーアの
内部と繋がっているという、この辺りちょっとややこしい構造です。
同じ建物の1階はサンタ・ルチーア教会で、教会入り口は北の丸印に、
2の建物はサン・ヴィート教会で、入り口は北と西にあり、サンタ・ルチーアの
内部と繋がっているという、この辺りちょっとややこしい構造です。
パラッツォ・デル・ポデスタの北側のモンテ・ディ・ピエタ広場には、
ご覧のようにカフェのテラス席が3つほどあり、突き当たりに見えるのが、
今日ご案内のモンテ・ディ・ピエタ・Monte di Pietà.
こんな感じで入り口。上にはキリスト像も見えますが、
現在はウニクレディト銀行の持ち物。


ですが入り口を入った所には受付があるのみの狭さで、上の階に上がった奥には
事務所もある様子でしたが、普通の銀行業務はしておらず、広告関係のみとか。
つまり銀行業務に関連した博物館を持っている、とでも。
事務所もある様子でしたが、普通の銀行業務はしておらず、広告関係のみとか。
つまり銀行業務に関連した博物館を持っている、とでも。
広場の端、入り口の斜め前にもこんなキリスト像。

まずモンテ・ディ・ピエタ・Monte di Pietàのご説明を少し。
上のタイトルに「公営質店」と書きましたが、このモンテ・ディ・ピエタというのは、
日本の質店とは設立の由来が少し違うのが、まず特徴でしょうか。
キリスト教の教えにおいて、お金を貸して利子を取る、金貸しで儲けるというのは
大変な罪悪の一つで、中世においてはその事業に携わる者は地獄行きの教え!
大変な罪悪の一つで、中世においてはその事業に携わる者は地獄行きの教え!
が、経済の発展により都市生活者も多くなり、小口のお金を求める一般庶民も増え、
そんな必要から金貸しも増えたわけですが、キリスト教の教えが根本にありますから、
これに関係のないユダヤ人の金貸しが幅を利かせ、時に高利貸しという事になります。
そんな必要から金貸しも増えたわけですが、キリスト教の教えが根本にありますから、
これに関係のないユダヤ人の金貸しが幅を利かせ、時に高利貸しという事になります。
ユダヤ人は不動産所有を認められず、数少ない許された業務の一つが
金貸しでもあったのですね。
金貸しでもあったのですね。
ところが利子が高くなる、時に20%という記述もありましたが、我が町コネリアーノの
ユダヤ人の歴史を調べている方の話では、時に25%にもなったそう!
ユダヤ人の歴史を調べている方の話では、時に25%にもなったそう!
そんな様子を見ていて、ユダヤ人の金貸し排斥に立ち上がったのが、
主にフランチェスコ会派の中の一派で、
都市の庶民相手の質店、儲けを目的としない質店を、タリアにおいては
大体15世紀半ば以降に設立します。
主にフランチェスコ会派の中の一派で、
都市の庶民相手の質店、儲けを目的としない質店を、タリアにおいては
大体15世紀半ば以降に設立します。
質草は、貸して欲しい金額の少なくとも3分の1以上の値打ちである事、
利子は大体5%、時に6%~10%の所もあり、お金を返す余裕は1年間、
それを過ぎると競売にかけて売ったのだそう。
利子は大体5%、時に6%~10%の所もあり、お金を返す余裕は1年間、
それを過ぎると競売にかけて売ったのだそう。
というのが、ここでお話しするモンテ・ディ・ピエタの設立動機で、
聖職者が始めた、儲けを目的としない質屋ですね。
聖職者が始めた、儲けを目的としない質屋ですね。
という事で、入り口にキリスト像が掲げられていたりの理由もお分かりと
思いますが、まずは内部の様子をご覧下さいね。
思いますが、まずは内部の様子をご覧下さいね。
銀行の入り口からすぐ階段を上に上がった所で、これは部屋の中から逆に
奥の階段の位置を見ていて、廊下は敷石の重厚なものですが、
部屋の中はちびた木の床。
奥の階段の位置を見ていて、廊下は敷石の重厚なものですが、
部屋の中はちびた木の床。

長方形のさほど広くもない部屋の正面にあったフレスコ画。
ここだけ残したのか、残ったのか・・。

右手の壁にあった絵、作者名も聞きましたがぁ・・。

小さな秤。 2つあったうちの1つ。

この部屋の右手奥にもう1つ小部屋があり、部屋の入り口の上に刻まれた文字。

友人のジュリアーナにも訊ねましたが、読めない、意味不明の言葉が2つ程あり、
要は、出納係りの書付とXXの立会いなしの預けは無効、と。
要は、出納係りの書付とXXの立会いなしの預けは無効、と。
奥の小部屋の隅に、手洗いの泉があり!
水盤には1557の年号が刻まれ、上にはトゥレヴィーゾの紋。

こちらの隅に、こんな急な細い階段があり、


上がった上奥の暗い小さな、いわば金庫室は、木張りを施され、
左手奥にこんな棚があり、貴重品類が収められていた様子。
左手奥にこんな棚があり、貴重品類が収められていた様子。

つまりこういう貴金属、貴重品などを触った後は、手を洗った、という訳ですが、
この金庫室はサクレスティア・Sacrestia・聖具室と呼ばれます!
この金庫室はサクレスティア・Sacrestia・聖具室と呼ばれます!
最初の部屋の左手に入ると驚くばかりの、こんな装飾の部屋で、
ラ・カペッラ・デイ・レットーリ・La Capella dei Rettori・
長官達の礼拝所、とでも・・!

奥は半円形で天井部分も半球で、まさに教会の後陣風ですが、
壁の部分をびっしりと革細工が覆っていて、
壁の部分をびっしりと革細工が覆っていて、
天井部のフレスコ画はフィゥミチェッリ・L Fiumicelli、16世紀ですが
かなりの修復を経ている様子。
天井のすぐ下の油絵はポッツォセッラート・L Pozzoserrato、17世紀。

この2人の画家はどちらもトゥレヴィーゾを中心に活躍した画家で、コネリアーノにも
彼らの作品が残り、フィゥミチェッリの作品は、現在ホテルとなっている
元のモンテ・ディ・ピエタの建物の正面壁画で、ドゥオーモの正面上部の壁画が
ポッツォセッラートの作品と。
n.1 チーマ・ダ・コネリアーノ展 ・ コネリアーノの町
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463847804.html
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463847804.html
n.2 チーマ・ダ・コネリアーノ展 ・ コネリアーノの町
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463848078.html
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463848078.html
天井部の豪華さをどうぞ!

天井の梁に施された極彩色の模様と、

その下の、なんと呼ぶのでしょうか、漆喰と金塗りの文様、

そして部屋の窓側の様子。

これが周囲を囲む壁の様子で、革に赤色と、金、銀での装飾で、
この柄が左右の壁を覆います。
この柄が左右の壁を覆います。



金銀の部分には打ち込みの柄が入り、1枚の革の大きさは、今考えると
50x60cm程でしたか、継がれて、壁面全部を覆っているのですね。
50x60cm程でしたか、継がれて、壁面全部を覆っているのですね。
正面の奥は、上部がこの革の柄で、下側は革ではなく、フレスコ画だったと。

とにかく始めてこんな革装飾を見て驚きましたが、ヴェネツィアのドゥカーレ宮にも
革装飾の部屋があるが、ここまで手の込んだ素晴らしいものではない、とも聞き、
箪笥なども革で装飾したのがあるのだ、とも。
革装飾の部屋があるが、ここまで手の込んだ素晴らしいものではない、とも聞き、
箪笥なども革で装飾したのがあるのだ、とも。
もうちょっと詳しく知り、確かめるべくあれこれ検索し、はは、
ここの革装飾は、スペインのコルドバ製のものである事を知りました!
さぞやお高いものであったことでしょうねぇ!!
ここの革装飾は、スペインのコルドバ製のものである事を知りました!
さぞやお高いものであったことでしょうねぇ!!
革装飾はヴェネツィア独特のもの、なんぞとも聞いたのですが、ウルビーノの
ドゥカーレ宮にもあることや、革を使う装飾はかなり広まったものの、
いずれにしても高価なもので、一般庶民のものではなかったと。
ドゥカーレ宮にもあることや、革を使う装飾はかなり広まったものの、
いずれにしても高価なもので、一般庶民のものではなかったと。
ヴェネツィアもウルビーノも、どちらのドゥカーレ宮の革装飾の部屋の写真は、
サイトでは見つけることが出来ませんでしたが、
代わりに、ヴェネツィアにある素晴らしい部屋を見つけましたので、最後にご覧を。
サイトでは見つけることが出来ませんでしたが、
代わりに、ヴェネツィアにある素晴らしい部屋を見つけましたので、最後にご覧を。
部屋の外、廊下の様子を。
すぐ傍らに、こんな厳しい鉄の格子戸があり、中に見える扉が、
あの皮装飾の部屋の扉なのかどうか・・?

ここトゥレヴィーゾのモンテ・ディ・ピエタが設立されたのは1462年といいますが、
公的には1496年だそうで、16世紀には現在のサンタ・ルチーア教会の方にも伸び、
最終的には入り口前の広場の北側に、翼廊式に建物が伸びたという繁盛!
あの豪華絢爛装飾の部屋を見れば、一目瞭然ですよね?!
公的には1496年だそうで、16世紀には現在のサンタ・ルチーア教会の方にも伸び、
最終的には入り口前の広場の北側に、翼廊式に建物が伸びたという繁盛!
あの豪華絢爛装飾の部屋を見れば、一目瞭然ですよね?!
そうなのですね、いくら儲けが目的でないとは言え、利子を取り、元金回収が
ない場合は競売で売るわけで、巨額の富が集積されたであろう、と思われます。
ない場合は競売で売るわけで、巨額の富が集積されたであろう、と思われます。
モンテ・ディ・ピエタの歴史を読んでいると、
係りが横領の現行犯で捕まる、 泥棒が入り大金を盗む、資本金の半分が消え
永久に閉鎖、高位聖職者と管理人が金庫を持って逃走などなど、
お金に纏わる笑えるお話もいっぱい!
係りが横領の現行犯で捕まる、 泥棒が入り大金を盗む、資本金の半分が消え
永久に閉鎖、高位聖職者と管理人が金庫を持って逃走などなど、
お金に纏わる笑えるお話もいっぱい!
そうそう、資本金はどうやって都合したのかですが、
まず、お金持ちの寄付、そして家に大金を置かない為にモンテ・ディ・ピエタに預ける、
というのもあったそうで、
そうすると、泥棒の心配も、貧乏人に寄付する心配も要らず、はは、
必要な時にはいつでも引き出せる、というちょっとした銀行代わり。
まず、お金持ちの寄付、そして家に大金を置かない為にモンテ・ディ・ピエタに預ける、
というのもあったそうで、
そうすると、泥棒の心配も、貧乏人に寄付する心配も要らず、はは、
必要な時にはいつでも引き出せる、というちょっとした銀行代わり。
そしてshinkaiが大笑いしたのは、贖罪の為に払う、というのですが、
この贖罪の中には日頃の罪のみならず、非嫡子を嫡子に認めるとか、
近親相姦の罪をあがなう、というのも!
はい、聖職者というのは、人の弱みを良く知っておられますですねぇ!!
この贖罪の中には日頃の罪のみならず、非嫡子を嫡子に認めるとか、
近親相姦の罪をあがなう、というのも!
はい、聖職者というのは、人の弱みを良く知っておられますですねぇ!!
所で、モンテ・ディ・ピエタは町中に、都市生活者の為に、日頃の生活の糧の為の
小口の資金融資が目的で設立されたのですが、
勿論、質草になるのもある、という読みでして!
では田舎の貧しき者、農業者への救済はどうだったかというと、
こちらにはモンテ・フルメンターリオ・Monte frumentarioというのがあり、
種籾を貸し出しており、ウンブリアのノルチャ、アッシジにもこの建物が残ります。
こちらにはモンテ・フルメンターリオ・Monte frumentarioというのがあり、
種籾を貸し出しており、ウンブリアのノルチャ、アッシジにもこの建物が残ります。
これについては、パドヴァの項で触れておりますのでどうぞ。
n.2 パドヴァ ・ 黄金の世紀 の 1
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462330115.html
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462330115.html
これは、新しい翼廊の方にあった壁画で、
扉に見えるDIREZIONE・ディレツィオーネは、本部、局長室とでも。
扉に見えるDIREZIONE・ディレツィオーネは、本部、局長室とでも。

この壁に見える十字架と、元の屋根の形が残るのは、現在西隣に隣接する
サン・ヴィート教会の元の壁と。

鉄の金庫、かな。
こういう場所で見る、こういう金庫は、一際趣きと実感がありますねぇ!

廊下の突き当たりの窓から見る、北のサン・ヴィート広場。

正面のこの建物はどうやら古い様式で建てられた、新時代のと思うのですが、
そのせいか、何の建物なのかどこにも名前が見つからず・・。
でも、青空が見えてちょっとホッとする感じ、ははは。
ここのモンテ・ディ・ピエタの活動は19世紀になるまで続きますが、
当時この北イタリア一帯を治めたナポレオン、そしてオーストリアの時代になり
非難攻撃された事から大幅に活動を減らし、遂には預貯金銀行に鞍替えしたとか。
当時この北イタリア一帯を治めたナポレオン、そしてオーストリアの時代になり
非難攻撃された事から大幅に活動を減らし、遂には預貯金銀行に鞍替えしたとか。
という事で、元のモンテ・ディ・ピエタの見学を終え、裏のサン・ヴィート広場の方に。
階段が見えるアーチから出て来て、今両脇を広告写真に挟まれて見えるのが、
サンタ・ルチーア教会の入り口。
階段が見えるアーチから出て来て、今両脇を広告写真に挟まれて見えるのが、
サンタ・ルチーア教会の入り口。

上に並ぶ窓がモンテ・ディ・ピエタの窓で、上から広場を見た窓は一番右の
アーチ型の窓で、その右側は、サン・ヴィート教会の前のポルティチに。
所でサイトで見つけた素晴らしい革装飾の部屋ですが、ヴェネツィアのどこにあると?
カ・ヴェンドゥラミン・カレルジ・Ca' Vendramin Calergi、大運河沿いの現在は
カジノ・ディ・ヴェネツィア、リヒャルト・ワーグナーが住んだ事でも有名なあの邸宅で、
写真がちょっと小さいのが残念ですが、どうぞ!
カ・ヴェンドゥラミン・カレルジ・Ca' Vendramin Calergi、大運河沿いの現在は
カジノ・ディ・ヴェネツィア、リヒャルト・ワーグナーが住んだ事でも有名なあの邸宅で、
写真がちょっと小さいのが残念ですが、どうぞ!




クオーリ・ドーロの部屋・La Sala Cuori(Cuoi革) d'Oro
と呼ぶそうで、やはり金を使ったタペストリー風の芸術品で、15~17世紀にかけ
大変流行ったのだそう。
と呼ぶそうで、やはり金を使ったタペストリー風の芸術品で、15~17世紀にかけ
大変流行ったのだそう。
そしてですね、ここで結婚式が挙げられるのだそう!
http://www.wedding-venice.net/Wedding-in-Venice/sposarsi-a-venezia-a-ca-vendramin-calergi.html
http://www.wedding-venice.net/Wedding-in-Venice/sposarsi-a-venezia-a-ca-vendramin-calergi.html
テーブルの置かれた同じ部屋と、他の重厚で美しい部屋の写真をどうぞ!


という事で、モンテ・ディ・ピエタの少し重い内容も、ヴェネツィアの美しい部屋で
終える事が出来、shinkaiもちょっとホッ! でした。
◆ 個展のお知らせ ◆
我が絵の師匠であり友人の二木(フタツギ)一郎さんが、
ながの東急百貨店において、長野初の個展をされる事になりました。
ながの東急百貨店において、長野初の個展をされる事になりました。


長野生まれの私と違い松本郊外出身の二木さんは、長野に行かれることも
本当に久し振りなのだそうで、
そういう私めも、昨秋が半世紀以上経っての訪問でしたが、ははは、
本当に久し振りなのだそうで、
そういう私めも、昨秋が半世紀以上経っての訪問でしたが、ははは、
今回ながの東急百貨店における二木さんの初の個展は、そんな私にとっても
大変嬉しいもの!
大変嬉しいもの!
広い5Fの別館シェルシェ会場では、特選秀作絵画展が開かれ、
同時に二木さんの個展も開催で、多数の作品が展示の様子です。
どうぞ、お出かけ、ご高覧下さいますよう、私からもご案内申し上げます!
同時に二木さんの個展も開催で、多数の作品が展示の様子です。
どうぞ、お出かけ、ご高覧下さいますよう、私からもご案内申し上げます!
新作の写真、長野への想いは、こちらの彼のブログでどうぞ。 http://blog.goo.ne.jp/futa2560/e/444f1960aa41f509377bf82738465cea
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それもご了承下さいませ。
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