悪天候続きで、肌寒い、と文句タラタラだった北イタリアも、
遂に先週半ばから暑くなり、寒がりのshinkaiも漸くに半袖!
遂に先週半ばから暑くなり、寒がりのshinkaiも漸くに半袖!
プール体操も屋外になり、前の駐車場のたくさんのシナの木の花が暫く前から
満開で、奥にあるプールまでにも良い香りが漂っています。
で、はい、屋外プール3回目をこなした今、既に赤銅色で~す!!
満開で、奥にあるプールまでにも良い香りが漂っています。
で、はい、屋外プール3回目をこなした今、既に赤銅色で~す!!
さて今日は夏のヴェローナの、ははは、暑そうでしょう?! 街の一番の
中心であるエルベ広場周辺と、ランベルティの塔の上からの眺めを。

ランベルティの塔に上ったのは2007年の初夏、漸くに修復が済んだ所でしたが、
ご覧頂くチャンスを逸しており、今回は昨夏にヴェローナに出かけた時の写真と
混ぜて、エルベ広場周辺をもご覧頂きますね、ごゆっくり!
ご覧頂くチャンスを逸しており、今回は昨夏にヴェローナに出かけた時の写真と
混ぜて、エルベ広場周辺をもご覧頂きますね、ごゆっくり!
地図をどうぞ。 アディジェ河がぐるっと街を囲むように蛇行し、半島の様に
突き出したこの部分が、ヴェローナのいわば旧市街。
青く囲った中心に、南北に細長くエルベ広場・Piazza delle Erbeが。
突き出したこの部分が、ヴェローナのいわば旧市街。
青く囲った中心に、南北に細長くエルベ広場・Piazza delle Erbeが。

この地図の番号で言うと、エルベ広場が2.、1.がパラッツォ・コムーネ・
Palazzo del Comuneで、その北西の角35.に、ランベルティの塔・
Torre dei Lamberti.
エルベ広場に面した北側の建物との間に細い通路があり、そこを東に抜けると
もう一つのシニョーリ広場・Piazza dei Signoriがあり、
Palazzo del Comuneで、その北西の角35.に、ランベルティの塔・
Torre dei Lamberti.
エルベ広場に面した北側の建物との間に細い通路があり、そこを東に抜けると
もう一つのシニョーリ広場・Piazza dei Signoriがあり、
北東側をロッジャ・デル・コンシ―リオ・Loggia del Consiglio4.と、
パラッツォ・デル・ポデスタ・Palazzo del Podestàの3.が。
パラッツォ・デル・ポデスタ・Palazzo del Podestàの3.が。
南はパラッツォ・ディ・カンシニョーリオ・Palazzo di Cansignorioが囲み、
その間を東に抜けた所にアルケ・スカリージェレ・Arche scaligere・
中世ヴェローナの領主だったスカーラ家の幾人かの記念墓、棺が納められた場所、
教会があり、
中世ヴェローナの領主だったスカーラ家の幾人かの記念墓、棺が納められた場所、
教会があり、
その上8.サンタナスターシャ教会・S.Anasutasia、12.ドゥオーモ・Duomoは、
塔の上からの写真でご覧頂きますね。
塔の上からの写真でご覧頂きますね。
こちらの地図で、もうちょっとイメージを膨らませて頂けるかな。

エルベ広場の東側の建物、フレスコ画が描かれた有名な壁。

で、この先を東に抜けると、
ちょうど良い写真が無く、これはウィキぺディアから拝借したシニョーリ広場で、
広場の真ん中に立つのがダンテ像。
広場の真ん中に立つのがダンテ像。

正面に見えるのがパラッツォ・デル・ポデスタ、またの名をパラッツォ・デル・ゴヴェルノ・
Governoと呼ばれ、13世紀後半、ヴェローナのポデスタ・執政長官となった
スカーラ家のアルベルト1世・Alberto Iにより建設され、
その後ヴェローナの領主となったスカーラ家の住居となった館。
Governoと呼ばれ、13世紀後半、ヴェローナのポデスタ・執政長官となった
スカーラ家のアルベルト1世・Alberto Iにより建設され、
その後ヴェローナの領主となったスカーラ家の住居となった館。
ダンテ像がここにあるのは、このポデスタ宮に滞在した客人の内でも
第一級の著名人だから、という事の様で、他の客人としてはジョット・Giottoや
ヴァザーリ・Vasariも。
第一級の著名人だから、という事の様で、他の客人としてはジョット・Giottoや
ヴァザーリ・Vasariも。

所でよく出会うスカリージェロ、スカリージェリという言葉は、スカーラ家の形容詞で、
この家系が1262~1387年に至る125年間のヴェローナ領主だった訳ですが、
この家系が1262~1387年に至る125年間のヴェローナ領主だった訳ですが、
今は勉強不足でして、いずれヴェローナのお城のご紹介も、と思ってますので、
その時にまたご説明致しますね。
その時にまたご説明致しますね。
で、上の写真の右手奥にちらっと見えるのが、アルケ・スカリージェレ・スカラ家の墓所で、
こちらで、右手に見える教会はサンタ・マリーア・アンティーカ・S.M.Antica.

私は実はこれを書くまで、この手前の素晴らしい記念柩の塔が、スカーラ家の
代々の中でも一番の大物、カングランデの物と思いこんでおりましたが、
カングランデの棺は、この右手手前の教会の壁に納まっているのがそう、
へ、へ、と知りましてございます。
まさに、ブログ書きのお陰であれこれ知る事ができる・・、ブログさま様!
読んで下さる皆様に、感謝です!!
読んで下さる皆様に、感謝です!!
で、この素晴らしいゴシック建築物の主は、マスティーノ2世だそうで、
一番上の騎馬像の本物はお城の方に。

蛇足ながら、カングランデ・Cangrande・大きな犬とか、マスティーノ・Mastino・
マスティフ犬とか、なぜこういう名が一族に多いのか・・。
スカーラ家に付いて読むのも、興味が湧きますです、はい。
シニョーリ広場の方に戻りつつ、
これがパラッツォ・デル・ポデスタの脇のロッジャ部分で、素晴らしい装飾でしょう?!
サイトで見ると内部も素晴らしい様で、見学できるのであれば、またのチャンスに。

シニョーリ広場の北側、ロッジャ・デル・コンシ―リオ。15世紀の建築物、
やはり装飾がとても優雅ですね。


で、ロッジャの西の端と隣の建物を繋ぐアーチの上の人物像、
以前から目につきながら調べておりませんでしたが、はい、今回はからずも!
以前から目につきながら調べておりませんでしたが、はい、今回はからずも!

ジローラモ・フラカストロ・Girolamo Fracastro(1478-1553)という
ヴェローナの旧家の出で、パドヴァ大に学んだ科学者。
ヴェローナの旧家の出で、パドヴァ大に学んだ科学者。
ええとです、有名な著書には「梅毒 またはフランス病」があり、
接触伝染病を知らしめた方なのだそうで、梅毒、チフスの命名者でもあると。
接触伝染病を知らしめた方なのだそうで、梅毒、チフスの命名者でもあると。
衣装からローマ期の人物かも、と思っていたのですが、
はぁ、伝染病の大家、そして天文学の研究もされた方なのでした。
はぁ、伝染病の大家、そして天文学の研究もされた方なのでした。
こちらがティツィアーノ描くジローラモ・フラカストロ像。
1528年頃の作品で、現在はロンドンのナショナル・ギャラリーに。

さて、いよいよランベルティの塔に近づきまして、
こちらはパラッツォ・デル・コムーネ、12世紀建設の四角い建物の中庭。
今左手角上にちらっと見える部分がランベルティの塔。

建物の壁は、煉瓦と凝灰石との横縞でかなりの迫力ですが、
これはヴェローナのロマネスクの典型なのだそう。
これはヴェローナのロマネスクの典型なのだそう。
中庭を囲むロッジャの下には、こんなフレスコ画も残り、

こちらは西側、15世紀に建設されたスカーラ・デッラ・ラジョーネ・
Scala della Ragione・ラジョーネ階段。
Scala della Ragione・ラジョーネ階段。

建物に半円アーチの名残が見えますが、この部分が何度か改装された
建物に残るオリージネの部分と。
建物に残るオリージネの部分と。
西側のエルベ広場から東のパラッツォ・デル・ポデスタ辺り、この一帯が
ローマ期のフォーロがあった場所だそうで、
ローマ期のフォーロがあった場所だそうで、
中庭にガラスをはめ込んだ部分があり、覗くと地下の発掘されたローマ期の
モザイクも見えます。
モザイクも見えます。

さて、建物の北西角、階段の脇にエレベーターがあり、いよいよ塔に上ります。
お待たせいたしましたぁ!
お待たせいたしましたぁ!

塔には毎日9時半から20時半まで上れ、週末はもっと夜遅くまで上れるそうで、
夜景もまた素晴らしいかも!
夜景もまた素晴らしいかも!
塔の高さは84m、83と書いてあるのもありますが、テレコムの近代の鉄塔を除くと、
ヴェローナで一番高い塔で、
これは確かエレベーターが止まる3連窓の所からの、エルベ広場の眺め。

広場の北に見える白い建物がマッフェイ邸で、その横にある塔がガルデッロ塔・
torre del Gardello. 塔自体は古いのだそうですが、14世紀に
鐘楼として改装され、この鐘は毎時打ち鳴らされ、市民生活に重要な物だったそう。
torre del Gardello. 塔自体は古いのだそうですが、14世紀に
鐘楼として改装され、この鐘は毎時打ち鳴らされ、市民生活に重要な物だったそう。
のちに時計が取りつけられ、公的な時計としてイタリアで一番最初の物だったのが、
どういう理由からか無くなり、
こちらのランベルティの塔に18世紀後半に取りつけられたと。
どういう理由からか無くなり、
こちらのランベルティの塔に18世紀後半に取りつけられたと。
ランベルティの塔の建設は古く1172年、この町の有力者ボゼーノ・デ・ランベルト・
Bozeno de Lambetoが建設したもの。
Bozeno de Lambetoが建設したもの。
ですが塔がランベルト家の物というのはどこにも出てくるのですが、
ボゼーノで検索をかけても他には出ませんので、ひょっとしたらあやふやな記述かも。
ボゼーノで検索をかけても他には出ませんので、ひょっとしたらあやふやな記述かも。
最初から84mの高さではなく、15世紀には雷にやられ修復したり、塔の高さも
付けたされ、一番上の部分は、のちにヴェネツィア共和国が大理石を使い、
美しく高くした物で、
付けたされ、一番上の部分は、のちにヴェネツィア共和国が大理石を使い、
美しく高くした物で、
この高さに次ぐヴェローナの塔としては、高さでは10mほど低いドゥオーモの鐘楼と。
広場の西向かい側、左がドームス・メルカトールムかな・Domus Mercatorum・
商人の家と呼ばれる建物で、中世には商人達の組合などが使っていた物で、
現在は銀行がね。

北側、ドゥオーモの正面壁の上部と、鐘楼。

足元東側のシニョーリ広場、ロッジャとポデスタ宮。 右側塔の建物が
カンシニョーリオ宮・Palazzo di Cansignorio、スカーラ家14世紀の建物。
カンシニョーリオ宮・Palazzo di Cansignorio、スカーラ家14世紀の建物。

西の先には、アレーナも見え、

さて上の階に上りますが、ここからは階段を自力で。

塔には16世紀鋳造の鐘が2つあり、多分下に見える少し大きな方が
レンゴ・Rengo、これは市民集会を知らせたり、緊急の場合用で、
もひとつはマランゴーナ・Marangonaといい、仕事時間の知らせ用と。

最上階は窓に全部細かい網が張られていて、写真を撮るとこんな風になりますが、
こちらは東、サンタナスターシャ教会。

長い修復が済み、昨夏の訪問では大変美しい内部と、ピサネッロの
「サン・ジョルジョと姫」の素晴らしい壁画が元の位置に戻っておりました。
またご案内いたしますね。
背後左にテアトロ・ロマーノも見え、サン・ピエトロの丘も。
余り色がよく出ておりませんが、ポンテ・ピエトラ・Ponte Pietra.

最後にもう一度、足元のエルベ広場と、

広場から見上げるランベルティの塔をどうぞ!

新ブログでのヴェローナのご案内は、総目次から
http://www.italiashiho.site/category/26843760-1.html
http://www.italiashiho.site/category/26843760-1.html
ヴェローナ訪問は、ミラノからヴェネツィアに移動する間に、が殆どと思うのですが、
エルベ広場の屋台で聞きましたら、日本人は15分間だけねと、ははは、
笑っておりましたが、見所は多く、そして、この街は都会です!
イタリア紹介で、都会です、というのは変ですけど、洒落た街なんですね。
ヴェネツィアからでも幹線で行きやすいので、是非お出かけ下さいね。
お楽しみ頂ける事、受合いますです!
お楽しみ頂ける事、受合いますです!
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