・ サロ ・ Salò ・ ガルダ湖西岸のヴァカンス地

今日のご案内は、ガルダ湖西岸に位置するサロ・Salòの町、
・サロのロにアクセント、の発音でお願いいたします、はい。

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なぜ急にサロの町か、という複雑な理由はありませんで、 ははは、
単純に、いまだ寒い日が続く日常から逃れたく、夏らしい写真を探し見つけた、
という単純な理由で~す。
       
と、以前「ガブリエーレ・ダヌンツィオの家とサロ」というタイトルで取り上げた時は、
彼の家のご案内だけになってしまい、はぁ、時に思い出しては悔恨の情に・・、へへ、
てな事はないのですが、宿題になっておりました。
漸くに今回チャンスが巡って来ましたので、出かけた2回分、
2007年と11年の写真を混ぜてご覧頂きますね。

トップの写真は町の西からの眺めですが、結構細長く続き、
おまけに夏の紫外線が強く、逆光で色が出にくく、



では、とウィキペディアのサイトから拝借がこちらです。

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ガルダ湖畔のどの町も、湖畔に沿って細長く広がり、すぐ背後に迫る山との間を
国道が走りますので、運転も、狭い道カーヴ続きで少し緊張しますし、
駐車場の確保がいつも大変!なのですね。



ガルダ湖全体の地図をどうぞ。
ガルダ湖はイタリアで一番大きな湖で、真ん中と上部にグレイの線が通っているのが
見えますが、東岸がヴェネト州、西岸がロンバルディア、北がアルト・アディジェと
3州に跨る、ローマ期から開けた温暖の地なのですね。

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この北の地にあり、レモン栽培もオリーヴ畑もあり、温泉地としても有名で、
夏のヴァカンス期にはどこもいっぱい!

今日ご案内のサロは、西岸の湾の奥にあり、古くから大いに栄えた裕福な町だそう。
ガルダ湖の東南端のペスキエーラ・Peschiera del Gardaからミンチョ河・
Mincioが流れ出しており、この河は南下して、マントヴァを通りポー河に合流し、
アドリア海に注ぎます。
    
という流れを利用し、海側からの船による物資運搬がガルダ湖まで楽に到着し、
このサロにはその物資の貯蔵庫、とりわけ塩が貯蔵され、繁栄していた町なのだそう。
       
そして町の名サロがイタリアの歴史にしっかり残るのは、1943年9月~45年4月の、
イタリア社会共和国・Repubblica Sociale Italiana、通称サロ共和国、
ドイツのヒットラー政権の下、ムッソリーニによる傀儡政府の幾つかの省がここと、
お隣のガルドーネに置かれたからなのですね。
公的にはローマがイタリアの首都のままでしたが、混乱の時期、ムッソリーニが
パルチザン兵に逮捕され処刑されるまでの最後を過ごした地でもあります。
     
ガルダ湖各地のご案内はこちらから。
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460835170.html   
       
       

サロに到着し町の西に駐車、中心部に向かいますが、湖岸のすぐ脇を通りつつ、

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夏の早朝、こんな子供達のヨット教室も既に準備中で、

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小さなイタ鴨の子も、一人泳ぎ。

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町の中心広場の円柱上には、ヴェネツィアはサン・マルコのライオン君。       
湖に向かって開けたこの広場、何度も通りながら、なぜか一枚も全体写真が無く!

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湖岸沿いの道脇には、こんなに太い、古いオリーヴの木も並んでいて・・。
ですがこういうのも、やはり並木道というのかな?

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北隣のガルドーネ・リヴィエーラにある、詩人ガブリエーレ・ダヌンツィオ家博物館、
イル・ヴィットリアーレ・Il Vittorialeに辿り着いたのは、
このガスパーロ・ダ・サロの銅像を見つけたのが切っ掛けで、

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ガルダ湖畔 ・ G・ダヌンツィオの家、 そして サロ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463417856.html


像の美しさもさることながら、この碑に彫られたダヌンツィオの言葉に
魅かれたからなのでした。
  ヴァイオリンを引き出すために胸を開いているのか、
  心を入れる為にヴァイオリンを開いているのか分からない。

碑にも、ヴァイオリンの発明者、ガスパーロ・ダ・サロとありますが、
サロ出身のガスパ―ロの本名(姓)はベルトロッティ・Bertolottiと言い、
ヴァイオリン制作者であり、コントラバスの奏者でもあった様子。

多分彼の祖父は羊の腸から弦楽器の弦を作っていたであろう事、
そして一家一族が楽器製造、または奏者として有名な中で育った様子で、
彼の叔父はサロの礼拝堂のマエストロであり、その息子、ガスパ―ロの従兄弟
ベルナルディーノはフェッラーラのエステ家宮廷、そしてマントヴァに、
遂にはローマのカステル・サンタンジェロの教皇付き音楽家だったと。

彼ガスパーロ自身も奏者としても活躍し、父親が亡くなった20代前半に
ブレーシャに出て工房も持ち、町の音楽奏者たちとも付き合いが深くなり、
楽器製造名手としてヨーロッパ中に名を知られたと言います。

私は楽器に詳しい訳ではなく、良く分からずに読んだままで書きますが、
ヴァイオリンの発明者というよりも、以前からあった素朴な初期の形の
ヴァイオリンを、現代的で標準的なモデルに定めた人とでも。
       
39~44,5cmに及ぶ、サイズの小さい物から大きな物、コントラルトからテノ―レに
及ぶ物、ヴィオラ・ダ・ガンバ、ヴィオローニ、ヴィオロンチェッロ、コントラバス、
リーラ、そして大きなリーラまでを作り、
       
その作の内でも最上はヴィオラとコントラバスで、響きの柔軟性と強さは
後世に出てくるストラディヴァり同様、世界中の名奏者に好まれているのだそうで、
100年後にストラディヴァリによっても、製造法を研究されたのだとか。

初期の競争相手として名を知られるアンドレア・アマーティですが、
当時の評判もまるで相手にならずであった様子で、アマーティがガスパ―ロよりも
長く生きたものの、記録に残る弔辞も素っ気ないものであったとか出まして、

単純にヴァイオリンの発明家と思い込んでいたのとは一味違い、
ちょっと興味を引かれましたので、ここに。

クレモナ ・ ストラディヴァリの典雅な街
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464088423.html

ヴァイオリン博物館・クレモーナと、ヴァイオリン、ストラディヴァリのあれこれ n.1
http://www.italiashiho.site/archives/20170316-1.html

ヴァイオリン博物館・クレモーナと、ヴァイオリン、ストラディヴァリのあれこれ n.2
http://www.italiashiho.site/archives/20170317-1.html

    
   
ガスパ―ロはブレーシャで亡くなっていますが、ガスパ―ロ・ダ・サロが通称の様に、
生まれた町のここサロで、毎年彼の名を冠した国際ヴァイオリン奏者の
コンクールが開かれているそうで、2007年度のポスターをどうぞ。

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湖畔沿いにはホテル、レストラン、店が立ち並び、ヴァカンス地特有の
明るい雰囲気に満ちており、

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時にこんなリバティー風の建物装飾も見かけますが、

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この地一帯は地震発生地なのだそうで、とりわけ大きなのに1900年、
そして2004年にも被害を受けたと知りましたので、
新しく見えるのも、案外以前通りに修復されているからかも、ですね。



町の中心地には、こんな風に古い建物の形も残り、中世の面影が宿ります。

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湖畔に面し、かってのこの地の歴史を残す名、マニ―フィカ・パートリア・
Magnifica Patriaのロッジャ。 かっての政庁の建物は、現市役所に。

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14世紀前半からこの周辺34のコムーネが一体となり、様々な変遷を経ながら、
ヴェネツィア共和国政府の元に入り、大きな自治権を得、一つの国の扱いを
得ながら忠誠をつくし、
       
それにヴェネツィア共和国が与えた名が、マニ―フィカ・パートリア・素晴らしい祖国。
セレニッシマ(ヴェネツィア共和国)の長女、というタイトルも。

16世紀のヴェネツィアとトルコとのレパントの戦いには、この地から武装した船に
男達が乗り込みミンチョ河を下り、ヴェネツィアの艦隊と合流、大いに戦ったという、
はい、勇壮な男達の忠誠に満ちたお話も残り、
両者の関係は、かのナポレオンがヴェネツィア共和国を倒すまで続いたのでした。



このロッジャも地震災害によるのか、殆ど何も残っていませんが、
夏もひんやりと涼しい風の通る、ここのベンチは町の人々の憩いの場所。

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狭い町中の通りの両脇に並ぶ建物の壁には、古い壁画の名残もあり、

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かと思うと、円柱上の司教像のお向かいには、リバティ風のなまめかしい女性像も
描かれていたりで、ははは、

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張り出したテラス風のカフェでも、お喋りが広がり、

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狭い通りはかなりの人で賑わい、

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こちらは中心の古い地区の西の門。

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逆に中心から東に向かうと、狭い道の正面に見えてくるのがサロのドゥオーモ。

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後期ゴシック様式で建設が始まった物の、未完のままで現在も。
が、正面入り口の大理石の装飾は1506年の物と。

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ピン甘ブレ写真で失礼して、こちらが内部の様子と、薔薇窓を内側から。

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ドゥオーモ脇の狭い道を横に抜け、

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湖岸通りをさらに東に、ドゥオーモ後ろからの眺め。
ドゥオーモの丸屋根上が少し変わった形ですね。

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東の方は住宅地区となり、お家の庭に見える驚くほど色鮮やかな赤い花!

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湖岸沿いも少しのんびりとした感じとなり、ゆらゆらのイタ鴨一家とか、

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ちゃっかりとボート上で憩うカップルとか、ね。

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という様子の、ガルダ湖西岸のサロ、お気に入って下さったでしょうか?

ガルダ湖というと、ヴェローナから行きやすいシルミオーネが有名ですが、
東岸も、奥も、そしてこの西岸も、それぞれに趣ある町が続きますので、
チャンスを見つけてお出かけ下さ~い!


◆ 追記 ◆

このサロの記事を見て下さったcucciolaさんから、
ラツィオ州はブラッチャーノ湖畔のお城城主であったパオロ・ジョルダーノ・オルシーニと、
彼は妻殺しで、愛人の夫も殺し、素晴らしい美人ヴィットーリア・アッコランボーニと
遥々このサロの地に逃げて来て結婚したものの、二人とも報復のため殺された、
という16世紀のニュースを!

ブラッチャーノのお城というのは、かのトム・クルーズが結婚した城ですが、
歴史上の2人の当時の大スキャンダルの詳しいお話は、こちらに。
http://blog.livedoor.jp/cucciola1007/archives/3261454.html
    
   
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