ポンペイ遺跡のご案内を続けさせて頂きますが、今日はフォーロの南西にある
アポロ神殿、北にあるテルメ・公衆浴場、そして多分ポンペイの住居では
一番規模が大きいと言われる牧神の家を順に。
という事で、ごゆっくりどうぞ!
アポロ神殿、北にあるテルメ・公衆浴場、そして多分ポンペイの住居では
一番規模が大きいと言われる牧神の家を順に。
という事で、ごゆっくりどうぞ!
まずは、ガイド・ブックからの写真でアポロ神殿。

そしてこちらは同じく、想像図をどうぞ。

この神殿は、残っている装飾様式から見て、途中で改修があったにせよ、
ポンペイにおける神殿の一番古い物と見られ、紀元前6世紀に溯るそう。
ポンペイにおける神殿の一番古い物と見られ、紀元前6世紀に溯るそう。
周囲を48本の円柱回廊が取り囲み、基礎が高く造られた神殿も
コリント式円柱で囲まれ、手前に見える祭壇は、ローマ期以前の物という
生贄台で、多分その後ろに白く見える円柱の事と思うのですが、日時計が。
コリント式円柱で囲まれ、手前に見える祭壇は、ローマ期以前の物という
生贄台で、多分その後ろに白く見える円柱の事と思うのですが、日時計が。
手前右に見える像は、弓を引くアポロ像で、
現在はこんな様子。
若くすらっと美しい体の線で、後ろから見て一瞬女性像かと思ったのですが、
前に回ったら、・・はは、違いましたぁ。
前に回ったら、・・はは、違いましたぁ。

円柱が取り囲む回廊の左側の向こうは、フォーロがある位置。
こんな風にフランスからの学生がたくさん居て、賑やかに見物、お喋りで・・、

アポロ像の向かい側に、こちらはディアナ像。
どちらも美しい像ですが、本物はナポリの国立考古学博物館にあるのだそう。
どちらも美しい像ですが、本物はナポリの国立考古学博物館にあるのだそう。

今日のメニュー、地図をどうぞ。

4.アポロ神殿・Tempio di Apollo
15.公衆浴場フォーロ・Terme del Foro
22.悲劇詩人の家・Casa del Poeta Tragico
17.牧神の家・Casa del Fauno
15.公衆浴場フォーロ・Terme del Foro
22.悲劇詩人の家・Casa del Poeta Tragico
17.牧神の家・Casa del Fauno
さて15.公衆浴場フォーロ・Terme del Foroですが、
当時の人口12000人程だったというポンペイの町に、テルメと呼ばれる
公衆浴場がいくつあったかと言いますと、4つありました。
当時の人口12000人程だったというポンペイの町に、テルメと呼ばれる
公衆浴場がいくつあったかと言いますと、4つありました。
上の地図の中
左端下 1.テルメ・スブルバーネ・Terme Suburbane
40.テルメ・スタビアーネ・Terme Stabiane
ここは町のテルメとしては一番古く大きく、ですが62年の大地震でかなりの
被害を受け修復されたもの、まだ閉められたままになった物もあった様で、
この春も閉じられていたので、中庭越しの写真を先回に。
35.テルメ・チェントゥラーり・Terme Centrali
見ておりませんが、運動場として使われたという中庭の面積は一番の敷地。
+.これからご覧頂く、テルメ・デル・フォーロの4つ。
左端下 1.テルメ・スブルバーネ・Terme Suburbane
40.テルメ・スタビアーネ・Terme Stabiane
ここは町のテルメとしては一番古く大きく、ですが62年の大地震でかなりの
被害を受け修復されたもの、まだ閉められたままになった物もあった様で、
この春も閉じられていたので、中庭越しの写真を先回に。
35.テルメ・チェントゥラーり・Terme Centrali
見ておりませんが、運動場として使われたという中庭の面積は一番の敷地。
+.これからご覧頂く、テルメ・デル・フォーロの4つ。
テルメ・デル・フォーロの写真、サイトからをどうぞ。

このテルメは小さめながらも保存が大変良く、そのエレガントな内部の造りが
良く分かると言います。
が、内部が意外と暗く、全体を写した自分の写真が殆ど無いのと、
公式サイトでも余り部分写真が見つからず、今回はどの部分に当たるのかを
突き止めるのに往生しました!
公式サイトでも余り部分写真が見つからず、今回はどの部分に当たるのかを
突き止めるのに往生しました!
が、漸くに平面図があるのを見つけ、浴槽の形と、入り口があったという
道路の名から判断し、なんとか間違いなくこの部屋です、とご案内OKかと。
上のサイトの写真は、温浴室・caldariumとでも言う長方形の部屋の、
冷水の出ていた部分。
冷水の出ていた部分。
この部屋の手前部分に、四角い熱いお湯の浴槽がありますが、これは後ほど。
この所謂かまぼこ型の天井をイタリア語で「volta a botte」というそうで、
これも分からず、遂に私設辞書ジュリアーナに電話、即教えてもらえましたが、
これも分からず、遂に私設辞書ジュリアーナに電話、即教えてもらえましたが、
それにしてもこの大きさの部屋に、こういうアーチの天井を架ける技術が
既に紀元前にあった事に改めて驚きました。
既に紀元前にあった事に改めて驚きました。
とアップした後、大変分かりやすい平面図を見つけましたので、ここに追加を。

1.男性用テルメ入り口
2.脱衣所
3.冷浴室
4.適温室
5.温浴室
6.女性用テルメ(ピンク色の部分)
7.中庭、運動場
8.女性用テルメ入り口
この公設テルメ・フォーロには男性用部分と、この部分はどのテルメでも大きく、
施設も整っているそうですが、
少し狭い女性用とが、中央にある焚口を挟んであるのが、今回は男性用部分
のみを見て来たようです。
男性用入り口は、施設の東と西、そして北の3か所にあり、北の入り口には
有料トイレがあったそうで、一方女性用の入り口は、北の1ヶ所のみで、
有料トイレがあったそうで、一方女性用の入り口は、北の1ヶ所のみで、
まずいずれも脱衣所に行きます。
男性用の脱衣所には衣服をしまって置く箪笥が備えられていて、その釘跡が
壁に見えるそうで、明かり取りの上の窓には曇りガラスが填められ、壁の色は黄色。
壁に見えるそうで、明かり取りの上の窓には曇りガラスが填められ、壁の色は黄色。
そこから直接に温浴の部屋にも行けますが、まずは冷浴室の写真をどうぞ。
丸い大理石の段が浴槽を囲む丸い部屋で、天井がやはり明かり取りになっており、

この部屋を囲むこんな細かく繊細な装飾に魅せられました。
動物や人間がなんと楽しそうに走り回っている事、表現の伸びやかに美しい事!


ここの装飾は、40.テルメ・スタビアーネ・Terme Stabianeに、
大変良く似ているのだそう。
大変良く似ているのだそう。
これはガイドブックからの想像図で、女性用部分の脱衣所の様子。

ここも天井がかまぼこ型で、床のモザイクは白と黒で、ギリシャ神話の
トリトンとイルカ、蛸やウツボが描かれ、壁に見える棚に、衣類を置くように。
トリトンとイルカ、蛸やウツボが描かれ、壁に見える棚に、衣類を置くように。
でその上に、スプーンが巻いたような形の装飾が見えますね、
これは大理石にも彫り込まれたりする装飾模様ですが、元の形は
ストゥリージレ・strigile と呼ばれる金属製の物で、
当時石鹸がわりに使用されていた油と軽石の粉を混ぜた物質を
体から掻き落とすための物だそう。
ほら映画にも、ローマ貴族がオリーヴオイルを体に塗ってマッサージさせて、
ヘラみたいなもので拭う場面がありますね、あれですね。
これは大理石にも彫り込まれたりする装飾模様ですが、元の形は
ストゥリージレ・strigile と呼ばれる金属製の物で、
当時石鹸がわりに使用されていた油と軽石の粉を混ぜた物質を
体から掻き落とすための物だそう。
ほら映画にも、ローマ貴族がオリーヴオイルを体に塗ってマッサージさせて、
ヘラみたいなもので拭う場面がありますね、あれですね。
という様な事をイタリア語の先生アンナリーザに話していましたら、
そうそう、馬を洗った後にヘラで搔き落とすとすぐ乾くのよ、と、ははは、話が飛び、
はい、彼女の実家はトロット競馬の馬を育てているので・・。
そうそう、馬を洗った後にヘラで搔き落とすとすぐ乾くのよ、と、ははは、話が飛び、
はい、彼女の実家はトロット競馬の馬を育てているので・・。
ねこ、ネコ、猫、馬、犬、そしてまた 猫
こちらは男性用適温室・tepidariumの、素晴らしい装飾を。
周囲の壁にはこんな男性像で仕切られた棚があり、ここに上記した軟膏類や
浴用道具を置いた様子。


そして小男性像の棚の上には、こんな素晴らしい装飾があり、これが全体を
覆っていた様子をご想像下さいね。 公衆浴場とは言え、この豊かさ!

この部屋も元々は壁も床も2重構造で、熱い空気によって暖められるのが、
このテルメの装置は最新式だったのが地震で壊れ、当時は部屋の真ん中に、
寄贈された大きな火鉢があったそうで、
このテルメの装置は最新式だったのが地震で壊れ、当時は部屋の真ん中に、
寄贈された大きな火鉢があったそうで、
これがその青銅製の火鉢、脚の装飾、素敵でしょう?!

で、最初にご覧頂いたサイトからの写真の、温浴室・caldariumにあった
冷水の出る円形の泉で、
冷水の出る円形の泉で、

縁に見えるブロンズの文字は、誰それが幾ら寄贈した、という文字だそう!
部屋の奥にある熱いお風呂で、浴槽内には10人程が一度に入れる程の大きさ。

勿論この部屋も壁と床が2重構造で、焚口からの熱い空気が通って、
部屋全体が温められていたといい、
部屋全体が温められていたといい、
2000年前のこういった公衆浴場の設備に驚くばかり!
冷水、温水の浴室も勿論、いわゆるサウナ式の部屋もあった訳で、
その使用料金は見つかりませんでしたが、
ご存知の方、お教え願います! そんなに高くはなく、大変に流行っていたそう。
ご存知の方、お教え願います! そんなに高くはなく、大変に流行っていたそう。
お風呂に行く時間は、多分午後の早い時間であったろうといい、
ポンペイ市民は朝早くから仕事を始め、お昼過ぎには切りあげ、
適当に運動し、浴室でサッパリと、という生活状態だったかもと想像でき、
う~ん、快適でしたねぇ!
ポンペイ市民は朝早くから仕事を始め、お昼過ぎには切りあげ、
適当に運動し、浴室でサッパリと、という生活状態だったかもと想像でき、
う~ん、快適でしたねぇ!
ポンペイn.2の記事、アッボンダンツァ通りの所でもちょっとご覧頂いた
伝統的なポンペイの家の造りについて、こちらの想像図をどうぞ。
伝統的なポンペイの家の造りについて、こちらの想像図をどうぞ。

町の北西部に位置する6区と呼ばれる地区、テルメ・デル・フォーロや、
次にご覧頂くファウナの家が7区で、それのもひとつ北側になりますが、
次にご覧頂くファウナの家が7区で、それのもひとつ北側になりますが、
この辺りが町で一番古い定住区だったと言い、紀元前4~3世紀には
大きな家が立ち並ぶ地区だそうで、記録も残っていると。
大きな家が立ち並ぶ地区だそうで、記録も残っていると。
町の人口が増え、拡大し始めると南東部に広がりつつ家も狭くなり、
各種民族の移住で特徴が薄れていく訳ですが、
この想像図はローマ期におけるポンペイ風特徴を捉えた物で、
入り口は、右端の中程の緑の扉で、ロビーに入り、中庭に。
ここは天井部が開いていて、雨水を受ける為の四角な貯水池。
ここは天井部が開いていて、雨水を受ける為の四角な貯水池。
その奥にいわば食堂、サロン部分があり、ここまでが所謂公的と言える部分。
その奥に円柱に囲まれた奥の中庭が広がり、果樹や野菜畑もある私的空間、
という訳です。
という訳です。
で、この形式を最大限にしている家が、17.牧神の家・Casa del Fauno.
上の地図で、南北に通る道いっぱいに広がる様子、約3000平米になる
広さのご確認をどうぞ!
紀元前120年頃の家で、2つのロビー、列柱に囲まれた広い中庭が2つで、
我々は家の裏口から入った形で、この脇には庭師の家などもあったのだそう。
これは奥の広い果樹園を囲む円柱の列。
我々は家の裏口から入った形で、この脇には庭師の家などもあったのだそう。
これは奥の広い果樹園を囲む円柱の列。

円柱の柱頭飾り部分。

これが南にある玄関口で、こちらは閉められていた隙間から、この家の名の由来と
なった踊るファウノ像・Fauno・牧神が最初の貯水池の真ん中に見えますが、
本物はナポリの博物館に。 高さは約80センチと。
なった踊るファウノ像・Fauno・牧神が最初の貯水池の真ん中に見えますが、
本物はナポリの博物館に。 高さは約80センチと。

これは家の前にモザイクで書かれたHAVEの文字。
ラテン語で、いらっしゃい、の意味だそう!
ラテン語で、いらっしゃい、の意味だそう!

ガイドブックからの写真で、正面玄関口からと、

想像図を重ねて。 上のポンペイの家の一般想像図を見ながら、
かっての豪奢な生活ぶりを、ご想像下さい!
かっての豪奢な生活ぶりを、ご想像下さい!

こちらは、家の奥庭と中庭に挟まれたテラス部分にある有名なモザイク画で、
本物は例によりナポリだそうですが、
本物は例によりナポリだそうですが、

アレクサンダー大王とペルシャのダレイオス3世のイッソスの戦い(紀元前333年)を
描いたものだそうで、5,12 x 2,77 mの大きな物。
到底自分が立った高さでは1枚に収まらず・・!
描いたものだそうで、5,12 x 2,77 mの大きな物。
到底自分が立った高さでは1枚に収まらず・・!
この手前の倒れた馬の流れる血潮の表現などなど、表現技術の素晴らしい事!

全体図をサイトからの写真でどうぞ。

で、眺めていて例によって後から、アレッ!と気が付いたのは、ははは、
左の落剥の多い中に運強く残っている男、
左の落剥の多い中に運強く残っている男、
この方、これがアレクサンダー大王像として紹介される顔かたちで、

乗っている愛馬の名はブケパロスと言い、「大きな黒い馬で、額の星が牛の角の形
であったことから「ブーケパロス(雄牛の頭)」・・と呼ばれた。
雄馬といわれるが語尾変化から雌馬ともいわれる。
であったことから「ブーケパロス(雄牛の頭)」・・と呼ばれた。
雄馬といわれるが語尾変化から雌馬ともいわれる。
また伝説では星ではなく角が生えていたともいわれ、ポンペイでの絵にも角が
描かれている」と日本版ウィキにありましたが、
う~ん、馬体は茶色に描かれ、見えるのは角ではなく、耳ではないのかなぁ?!
額には何か黒い色の柄が見えますけど・・。
勿論、この戦はアレクサンダーの勝ちで、2~3倍にも及ぶペルシャ軍を打ち破った、
という勇壮なお話。
という勇壮なお話。
ギリシャ絵画を摸したであろうというのですが、こんな逸話が屋敷のモザイクに選ばれ、
かなりの技術者を使う、という事からも、この館の主の人となりが偲ばれますね。
かなりの技術者を使う、という事からも、この館の主の人となりが偲ばれますね。
という所で、予定していた悲劇詩人の家がパスになりましたが、今回はこれで。
次はいよいよ、予てからポンペイで一番見たかった秘儀荘に行く予定で、
・・はい、しっかり読みますです!
・・はい、しっかり読みますです!
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それもご了承下さいませ。
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