漸くにミラノのスフォルツェスコ城のご案内も、これで最後。
やれやれ!という声が聞こえそうですが、はい、私めもやれやれ! ははは。
これで心おきなく日本行きの心準備を始められそうです。
やれやれ!という声が聞こえそうですが、はい、私めもやれやれ! ははは。
これで心おきなく日本行きの心準備を始められそうです。
では、スフォルツェスコ城!
写真は、武器展示室の外から覗き込んでいる女の子。
1月4日でしたから、窓が吐く息で曇っていますね。
写真は、武器展示室の外から覗き込んでいる女の子。
1月4日でしたから、窓が吐く息で曇っていますね。

もう一度部屋の図をどうぞ。

この像はどの部屋にあったものか覚えてないのですが、大変きりっとした顔の
美しい彫像でした。 が、無残にも左腕が失われており、アップでお見せするのは・・。
美しい彫像でした。 が、無残にも左腕が失われており、アップでお見せするのは・・。

そしてこの棟の最後の部屋、図で14.15.に当たる部分ですが、
まずこれ、壁のジグザグの鮮やかな装飾を良く覚えておりまして、
いつか自分の絵の中に入れたいなんぞと思っていたものでした、ははは。
いつか自分の絵の中に入れたいなんぞと思っていたものでした、ははは。

この博物館の目玉と言うべき部屋は、先回ご案内のレオナルド・ダ・ヴィンチの
描いたアッセの間、そしてコロンビーナの間、上のガレアッツォ・マリーアの礼拝堂など、
幾つかありますが、
描いたアッセの間、そしてコロンビーナの間、上のガレアッツォ・マリーアの礼拝堂など、
幾つかありますが、
彫刻作品での目玉の一つがこれ、ガストン・ド・フォア・Gaston de Foixの
記念墓碑。 作者はアゴスティーノ・ブスティ・Agostino Busti、
通称ボンバジャ(ヤ?)の繊細で優美、最高傑作と言われている様子。

記念墓碑。 作者はアゴスティーノ・ブスティ・Agostino Busti、
通称ボンバジャ(ヤ?)の繊細で優美、最高傑作と言われている様子。


ヌムール公ガストン・ド・フォア(1489-1512)というのは、母方から言うと
フランス王ルイ12世の甥にあたり、1511年ミラノ総督に任命。
ヴェネツィア共和国がフランス、ドイツ、教皇側を相手に戦ったカンブレ―同盟戦争
に於いて、1512年若干22歳にしてフランス側の総司令官となり、
「イタリアの雷」と呼ばれる程の活躍を。 が、同年ラヴェンナの戦いで死亡した方。
に於いて、1512年若干22歳にしてフランス側の総司令官となり、
「イタリアの雷」と呼ばれる程の活躍を。 が、同年ラヴェンナの戦いで死亡した方。
私がちょっとこの方に興味を持っている、というよりその名前になのですが、
・・それにしても、なんとも素敵な響きの名前でしょう?!
・・それにしても、なんとも素敵な響きの名前でしょう?!
ジョルジョーネの作品の黒い鎧の若い騎士を描いた作品は、このガストン・ド・フォアが
モデルだ、と読んだ事があり、もう一度しっかり読みたいと思っています。
モデルだ、と読んだ事があり、もう一度しっかり読みたいと思っています。
でこの部屋の端の階段を少し下り、回りを囲んだ形の場所にあるのが、
ミケランジェロのロンダニーニのピエタ像・Pietà Rondanini.

88歳で亡くなったミケランジェロ・Michelangeloが亡くなる3日前まで
手を入れていた最後の作品、という事でも有名ですが、
手を入れていた最後の作品、という事でも有名ですが、


ヴァティカンにある清楚で大変美しい聖母のピエタ像から始まり、最後がこの何もかも
余分は一切そぎ落とした様なピエタ像。
余分は一切そぎ落とした様なピエタ像。
最初は別の構想から始まったのが途中で変更されたかの様に、
聖母が後ろから息子を支える、というよりも2人が一体になりかける様な・・。
力強い彼の数々の作品を思い浮かべると、彼が到達した像のたたずまいに、
ちょっと粛然とした想いも受けます。
ちょっと粛然とした想いも受けます。
20年ほどの差はあるものの、同じルネッサンス期のもう一人の大天才
レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452–1519)は、様々な方面の研究発明を試み、
このスフォルツェスコ城にはアッセの間の樹木を残していますが、
その一方ルドヴィーコ・イル・モーロの大宴会の催しの指揮をとったり、
小話を聞かせたとか言う逸話も残り、
小話を聞かせたとか言う逸話も残り、
晩年はフランスのフランソワ1世の庇護の下に67歳で亡くなり、
一方のミケランジェロ(1475-1564)は88歳の最後の最後まで制作を。
このピエタ像は、そんな事をも振り返らす何かを持って迫ります。
そうそう、ロンダニーニのピエタ像のロンダニーニというのはどこから?と思って
いましたが、ミケランジェロのアトリエに残されていたこの像は、後にローマの
ロンダニーニ侯爵に買われ、その屋敷にあった事からこの名で呼ばれているのだそうで、
1952年にミラノ市が購入しここに。
1952年にミラノ市が購入しここに。
この部屋を出ると一旦外の通路になり、城の一郭が見えます。
小さな中庭の泉、厚い煉瓦の壁・・。



そして階段を上がって2階の展示室に。
ボーナ・デ・サヴォイア塔の後ろからの眺めと城壁。

上の階の展示は模様替えがあったのでしょう、まるで見た記憶の無い物ばかりで、
ここにも素敵な物がありました。 まずはこれ。
ここにも素敵な物がありました。 まずはこれ。
14世紀後半に作られた物、という金襴豪華な細工の施された個室で、
生ハムで有名なパルマ市の南にあるトッレキアーラの城・Torrechiareの城内
にある教会にあったもので、人に見られぬように宗教行事に参加する為の物と。
生ハムで有名なパルマ市の南にあるトッレキアーラの城・Torrechiareの城内
にある教会にあったもので、人に見られぬように宗教行事に参加する為の物と。

内部は外の様子に比べると、特別の事もないのですが、内側から
扉と窓が開閉できるようになっています。
扉と窓が開閉できるようになっています。

ガレアッツォ・マリーア・スフォルツァ・ミラノ公、上の礼拝堂でも名が出ましたが、
が任命式で使ったのだと。この辺り、何の任命なのか私には判断できませんが、
パルマはミラノ公国領土内にありましたので、その関係でしょう。
それよりも私が一瞬あれっ?!と驚いたのは、トッレキアーラの城という文字で、
やはり説明にもそれが書いてありました。
つまりこの城は、パルマのサン・セコンド・San Secondoに本拠を持つロッシ家の
ピエール・マリーア2世・Pier Maria IIが愛人のビアンカ・ペッレグリーニ・
Bianca Pellegriniと共に引きこもった城として有名なのですね。
ピエール・マリーア2世・Pier Maria IIが愛人のビアンカ・ペッレグリーニ・
Bianca Pellegriniと共に引きこもった城として有名なのですね。
n.2 パルマの城 ソラーニャ、そして トッレキアーラの城
n.1 トッレキアーラの城、パルマ ・ 美しく、守備堅固、そして愛の巣の
http://www.italiashiho.site/archives/20181110-1.html
http://www.italiashiho.site/archives/20181110-1.html
n.2 トッレキアーラの城、パルマ ・ 美しく、守備堅固、そして愛の巣の
http://www.italiashiho.site/archives/20181115-1.html
http://www.italiashiho.site/archives/20181115-1.html
と、フレスコ画を剥がして持ち寄り、一郭を再現した大変興味深い場所がありました。
説明も何も読まず写さずで、写真だけご覧頂きますが、
薄い緑の背景に白と黒、ほんのちょっぴり赤を使った図柄で、大変モダンに見えました。
薄い緑の背景に白と黒、ほんのちょっぴり赤を使った図柄で、大変モダンに見えました。



なんとなしにマントヴァのお城にある、マンテーニャが描いた婚礼の間の、壁画の人物を
思わせる姿で、でも腕はマンテーニャに及ばず、ははは、ですが大変新鮮な印象。
上の写真の、部屋の隙間から見えるマリーア像の祭壇がこれ。
なんとも清楚で素晴らしい顔の、木製彩色。


他にもたくさんあれこれあったのですが、もう満腹でしょう、皆さん?! ははは。
という事で、もう一度センピオーネ公園の先の凱旋門を見に行き、

前の広い中庭を通り、城の正面入り口に向かいます。

城壁の外側の穴は、大概鳩達のアパートになっていて、首をかしげて見送ってくれ、

堀の猫ちゃんも、それぞれに忙しそう、
と、我らは夕暮れ近い城を後にしたのでした。

4回に渡るスフォルツェスコ城のご案内、お付き合い頂き、有難うございました!!
到底全部はご案内出来ませんが、それでも多少の糸口にはと思いますし、
私にとっては纏めの作業でしたので、
上手くご説明出来ていると良いが、と願っております。
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