今日はルネッサンス期16世紀に、自分の理想とする町づくりに励み、
町は出来たものの後継ぎに恵まれず、結局一代限りに終わった男の夢の跡、
マントヴァと共に世界遺産指定の町 サッビオネータにご案内です。
町は出来たものの後継ぎに恵まれず、結局一代限りに終わった男の夢の跡、
マントヴァと共に世界遺産指定の町 サッビオネータにご案内です。
バスから写した、往きのヴェネト平野の朝も大変美しかったので、ちょっとご覧を。
コネリアーノから高速に入りトゥレヴィーゾに向かう霧の景色。
コネリアーノから高速に入りトゥレヴィーゾに向かう霧の景色。

6時出発、日の出があったばかりで、肉眼ではもっと明るく、
太陽も丸く見えたのですが・・。
観光バスの車窓が高いのと運転の心配が無いので、霧の風景が大いに楽しめ、
コネリアーノから一路南に。 昨年よりヴェネツィアを迂回し、ミラノ方面への
高速と直接に接続しましたので大幅に時間短縮、パドヴァの手前に。



この辺りになると霧が薄れ、日が射しはじめ・・、
後ろに見える特徴ある山は、ダンテと並ぶイタリアの大詩人ペトラルカが晩年に住み、
現在は博物館として家が残る、アルカ・ペトラルカ・Arqua Petrarcaの近く。
現在は博物館として家が残る、アルカ・ペトラルカ・Arqua Petrarcaの近く。

ヴィチェンツァからヴェローナ辺り。 パドヴァより南に広がるコッリ・エウガネイ・
Colli Euganeiの丘が望め、高速からの眺めも大変美しい地域。
耕された畑の畝も鮮やかに。
Colli Euganeiの丘が望め、高速からの眺めも大変美しい地域。
耕された畑の畝も鮮やかに。


ヴェローナで左折し、今度は高速を南に。
そう、ヴェローナから16K程でしょうか、ここでロンバルディア・Lonbardia州に入り、
マントヴァ・Mantovaは東に延びた州の端っこ当たります。
そう、ヴェローナから16K程でしょうか、ここでロンバルディア・Lonbardia州に入り、
マントヴァ・Mantovaは東に延びた州の端っこ当たります。
あちこちに広がる菜の花畑。


マントヴァ到着。 ミンチョ河が湖となって広がる、町の北からの眺めを。
見難い写真で失礼しますが、観光バスの高さでこそ見れるこの景観、
降りると、この高さの位置からは写せませんのでご容赦を。
降りると、この高さの位置からは写せませんのでご容赦を。


城と塔と鐘楼との重なりが何とも見事で、町への入り口の美しさとしては、
最高の内の一つではないかと。
最高の内の一つではないかと。
お昼にまたこの城の前を歩いて通り、その時の写真は既にミンチョ下りで
見て頂きましたが、午後は逆光になりますので、
この位置からのお城の写真を色良く撮りたい方、
是非朝の内にお出かけ下さいませませ!
見て頂きましたが、午後は逆光になりますので、
この位置からのお城の写真を色良く撮りたい方、
是非朝の内にお出かけ下さいませませ!
ミンチョ河下り ・ 新緑のみどり、緑の中を
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464090098.html
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464090098.html
n.1 マントヴァ・Mantovaと、サン・ベネデット・ポー・San Benedetto Po
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464089512.html
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464089512.html
n.2 マントヴァ・Mantovaと、サン・ベネデット・ポー・San Benedetto Po
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464090033.html
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464090033.html
地図をどうぞ。 今日ご案内の、マントヴァと共に世界遺産に指定されている
サッビオネータ・Sabbionetaはどこにあるかですが、
マントヴァの南西33K、パルマ・Parmaからは30Kの位置に。
サッビオネータ・Sabbionetaはどこにあるかですが、
マントヴァの南西33K、パルマ・Parmaからは30Kの位置に。

紫の点線が州境で、南のパルマやフェッラーラ・Ferrareは
エミーリア・ロマーニャ州・Emilia Romagnaになるのですね。
エミーリア・ロマーニャ州・Emilia Romagnaになるのですね。
サッビオネータの町を作ったヴェスパジアーノ・ゴンザーガ・コロンナ・
Vespasiano Gonzaga Colonnaは、マントヴァのゴンザーガ家の傍系で、
同じく公爵位。
Vespasiano Gonzaga Colonnaは、マントヴァのゴンザーガ家の傍系で、
同じく公爵位。
ですが夢儚く彼一代で消えたわけで、それもあってかガイドの女性は
マントヴァに対してのライヴァル意識むき出しに、
我らが町の祖ヴェスパジアーノ公、と熱く熱く語ってくれたのでした。
彼ヴェスパジアーノについては後ほどまたお話いたしますが、
このサッビオネータの土地は、当時ロンバルディアをを領有していた
スペインの第一線の要塞地でもあり、
単にルネッサンスの夢の町 とは言えない複雑な趣もあるのです。
このサッビオネータの土地は、当時ロンバルディアをを領有していた
スペインの第一線の要塞地でもあり、
単にルネッサンスの夢の町 とは言えない複雑な趣もあるのです。
パルマの街 10の 見るべきもの、すべきもの
http://www.italiashiho.site/archives/20181125-1.html
http://www.italiashiho.site/archives/20181125-1.html
マントヴァを過ぎ田舎道をゆるゆるとバスは進み、
大きな教会が見えると、! と期待するのですがなかなか・・。

とはいえ、約3時間程で着いた時は、やはり独特の城壁に囲まれているので
すぐに分かりました。
すぐに分かりました。

町の東の白い門は インぺリアーレ門・Porta Imperiale、町地図1

もう一つの町の門 ヴィットーリア門・Porta Vittoria、町地図2
こちらは見ませんでしたので、パンフレットからの写真で。

町の地図をどうぞ。 全体は6角形の星型とでも言えましょうか、
北からの道がぐるっと東南の角を曲がり、南側のPに赤い四角をつけた道から入り、
3.の横で我々は降車。
かっての町の入り口は、上の写真の東西2つの門だけだったのですね。

今日の見学順に地図の番号を。
6.テアトロ・アッルアンティーカ・Teatro all'Antica
9.サンタ・マリーア・アッスンタ教会・Chiesa Santa Maria Assunta
7.ドゥカーレ宮・Palazzo Ducale
3.ジャルディーノ宮・Palazzo Giardino
4.ガッレリーア・デッリ・アンティーキ・Galleria degli Antichi
6.テアトロ・アッルアンティーカ・Teatro all'Antica
9.サンタ・マリーア・アッスンタ教会・Chiesa Santa Maria Assunta
7.ドゥカーレ宮・Palazzo Ducale
3.ジャルディーノ宮・Palazzo Giardino
4.ガッレリーア・デッリ・アンティーキ・Galleria degli Antichi
以上の他
11.シナゴーガ・Sinagoga(ユダヤ教会)
8. インコロナータ教会・Chiesa dell'Incoronata 等
U. 旅行案内所。
11.シナゴーガ・Sinagoga(ユダヤ教会)
8. インコロナータ教会・Chiesa dell'Incoronata 等
U. 旅行案内所。
南からの道を入った所。 多分この壁は修復された物と思うのですが、
右に続く白い壁は3.のジャルディーノ宮ですから、城壁内の防御壁だったと。
右に続く白い壁は3.のジャルディーノ宮ですから、城壁内の防御壁だったと。

正面の建物、

右側にはガッレリーアが続きますが、

庭園の鉢植えのツツジが色鮮やか。

ガッレリーアの前に庭園に、アテネの守護女神パラスの像のある円柱。

町が「小さなアテネ」と呼ばれる所以でもあるのですが、武人のヴェスパジアーノが
如何に学問にも精通し、ローマと共に古代文化に憧れをもっていたかが伝わります。
ガッレリーアのアーチの並びの向こうに見える、小さなオステリーア。
マントヴァと共にやはりこの地も、美味しいカボチャの産地。

まずは、テアトロ・アッルアンティーカに。

こちらが入り口ですが、建物の裏側にも刻んである言葉は、
ROMA QVANTA FVIT IPSA RVINA DCET・
ローマがいかに偉大であったか、その遺跡が伝える、と。

真ん中に見える入り口から入り、正面を見ながらこの楕円形の席に座り、
中央にいるガイドさんの説明を。
中央にいるガイドさんの説明を。

この劇場は既存の建物を利用したものではなく、ヴィチェンツァの
テアトロ・オリンピコを造ったヴィンチェンツォ・スカモッツィ・
テアトロ・オリンピコを造ったヴィンチェンツォ・スカモッツィ・
Vincenzo Scamozzi が1588-1590に建設。
楕円形の席は、当時は舞台下からずっと繋がっていたそうで、
舞台上の装置は1700年に喪失していたのを、近年復興した物と。
舞台上の装置は1700年に喪失していたのを、近年復興した物と。

後部の円形に囲む円柱の上の像は、オリンポスの神々の像で、
格子天井も本来は素晴らしいものだったとか。


この劇場の造りが素晴らしいだけでなく、16世紀の当時にあって劇場専属の
俳優陣は月給で雇用された斬新な待遇だったと言いますが、
俳優陣は月給で雇用された斬新な待遇だったと言いますが、
ヴェスパジアーノ自身が1591年に亡くなったので、音響効果の素晴らしい
この劇場での公演は、唯の2回のみだったと。
この劇場での公演は、唯の2回のみだったと。
ヴィチェンツァのテアトロ・オリンピコはまだ見ていませんが、
もうひとつ、ガイドの説明で名の上がったパルマ王宮のファルネーゼ劇場、
これは見た事があり、大きさももっと大きく、木造りの大変素晴らしいものでした。
パルマ王宮のファルネーゼ劇場。絵葉書でこちらにご案内を。
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461919104.html
これは見た事があり、大きさももっと大きく、木造りの大変素晴らしいものでした。
パルマ王宮のファルネーゼ劇場。絵葉書でこちらにご案内を。
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461919104.html
舞台と客席のちょうど中間左右にある騙し絵のフレスコ画は、
ローマのカステル・サンタンジェロ、そしてカンピドーリオ広場。


そして周囲の壁や天井下に描かれた、舞台を覗きこむ人々の姿。



ヴェスパジアーノは、ラツィオ州のフォンディ・Fondiの城、
母親のイザベッラ・コロンナ・Isabella Colonnaの実家で生まれ、
叔母のジューリア・ゴンザーガ・Giulia Gonagaの養育の下ナポリで、
そしてスペインのカルロ5世の宮廷で教育の仕上げを。
母親のイザベッラ・コロンナ・Isabella Colonnaの実家で生まれ、
叔母のジューリア・ゴンザーガ・Giulia Gonagaの養育の下ナポリで、
そしてスペインのカルロ5世の宮廷で教育の仕上げを。
後ほどもう少し詳しく書きますが、そういった彼の経歴からも、
ローマへの傾倒ぶりが分かります。
ローマへの傾倒ぶりが分かります。
後年この地にもナポレオン軍が侵入し、あれこれと破壊、持ち去ったり、
落書きを残しているそうですが、良くぞこれだけ残った物との感慨が。
落書きを残しているそうですが、良くぞこれだけ残った物との感慨が。
劇場を出て、中央広場に向かいますが、何枚も鐘楼の写真があるのを見て
思い出したのは、
ちょうど鐘が鳴り始め、鐘楼の壁の外に鐘が降り出されたものの、
ちゃんと金網がついているのを見て安心し、写したイチビリshinkai。
ちゃんと金網がついているのを見て安心し、写したイチビリshinkai。

サンタ・マリア・アッスンタ教会・S.M.Assuntaの内部と、
ビビエーナの礼拝堂・Cappella Bibiena.
ビビエーナの礼拝堂・Cappella Bibiena.

教会は1582年に完成の一廊式で、
礼拝堂は1700年建設の透かしの天井が独特な物。
礼拝堂は1700年建設の透かしの天井が独特な物。


写真禁止の札があるものの、ガイドさんと一緒でフラッシュ無しだとOkなので、
つい教会内でも写しましたら、右端に見える警備の女性に、
シニョーラ、ここはダメですよ、と。
つい教会内でも写しましたら、右端に見える警備の女性に、
シニョーラ、ここはダメですよ、と。
町の中心広場は細長い四角形で、西にドゥカーレ宮があり、

そして東側の眺め。

真ん中の円柱の上には豚の像があり、謂れを聞きましたが・・!
広場を囲むポルティチの下の、骨董店の店先。

という所で、n.2にお進みを願います!
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