・ n.1 パラッツォ・ドゥカーレ・ディ・ヴェネツィア

皆さま、ヴェネツィアにようこそ!

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空から眺めて頂くと、ヴェネツィア本島の中心にサン・マルコ聖堂の鐘楼が聳え、
その右にドゥカーレ宮が大きく少しピンク色にどっしりと、 
左少し手前にはサンタ・マリーア・デッラ・サルーテ教会があり、
ジュウデッカ運河を挟んで、レデントーレ教会が茶色に大きく、
右に目を移すと、サン・マルコ広場の向かい側になる、サン・ジョルジョ島の教会と
鐘楼が見えますね。

サン・マルコ小広場からだとすぐ向かい側に見えるサン・ジョルジョ島ですが、
こうして見ると、意外に間の運河が広い事も良く分かります。

ヴェネツィア本島の上には、お墓の島サン・ミケーレが四角く、そのすぐ向こうに、
ガラスで有名なムラーノ島、そしてラグーナ・干潟があちこちにあるのも良く見えます。

ヴェネツィアにようこそ! ・ 空からのヴェネツィア
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463623119.html



という事で、今日から4回に渡って、ヴェネツィアのシンボルであるドゥカーレ宮・
Palazzo Ducale、かってのヴェネツィア共和国、1000年に渡って続いた
セレニッシマ・Serenissimaと呼ばれた国の、行政司法の中心であった
建物内部をご覧頂こうと思います。

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とはいえ、内部のご案内に付随するこの国の政治形態については、
塩野七生さんの「海の都の物語」に素晴らしく詳細に書かれておりますし、
私が言及するには到底力不足なので、パスです。
       
内部は、殆どの有名な広間などは写真禁止で、それに、余りの広さと見事さ、
建物の大きさで見疲れた挙句に軽~く方向感覚も失い、正直言って撮る気力も失う程
でして、・・という事で、ガイド・ブックからの写真もお借りする事に。

が、修復が進み、建物は大変美しくなっていますし、博物館としての整備も進み、
徐々に見物できる部分も増えています。 が、また逆に観光客の多さからでしょう、
見れる部分が昔よりも限定される部分もあります。
なにせ、2010年度の訪問者は136万人程というのですから、
・・入場料 X ・・と試算したくなりません?! ははは。

イタリア全体の観光についての一般向けガイドブックの中で、ヴェネツィアに割かれた
ページが何枚かで、またその中のパラッツォ・ドゥカーレとなると、半ページ程。
ですからそれより少し詳しく、写真も多く見れる、という事にしたいと思っています。
       
・・というご挨拶を申し上げ、よろしくお付き合いの程を、
ごゆっくりお楽しみ下さいますように!
写真の殆どは昨年秋9月の物ですが、何枚かは以前のものもあります。


こちらがドゥカーレ宮見物の入り口、建物南側、スキアヴォーニ河岸に面した場所。

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まず中庭の素晴らしい眺めをどうぞ!
現在の入り口から入って来た向きでの中庭の眺めです。

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とお断りするのは、今正面に見えるアルコ・フォスカリ・Arco Foscariと呼ばれる
白い一連の突き出した部分、この下のアーチの通路を通って現在は出口ですが、
これがかっては建物の正面玄関であったカルタ門・Porta della Cartaに。

カルタ門のカルタは紙の事で、すぐ近くに記録書館があり、代書屋がたむろしていた
そうなのですね。 カルタ門は、一連のご案内の最後にご覧頂きますね。

で、現在の訪問者用の門はなんと言うかと思われました? はい、shinkaiめも探し、
ポルタ・デル・フルメント・Porta del Frumento・穀物門、と分かりました。
荷の積み下ろしのあったであろうスキアヴォーニ河岸に向かい、かっては建物内部に
大切な兵糧、穀類倉庫もあったでしょうから、納得です。

写真右の影の中に見える階段は、階段上部に2体の大きな彫像があり、
巨人の階段・Scala dei Giganti・スカーラ・デイ・ジガンティと呼ばれます。



アルコ・フォスカリのアップをどうぞ。
ご覧になって、アルコ・フォスカリの上に丸屋根がある、と思いになるかもしれませんが、
これは私めの責任で、この丸屋根はすぐ向こう側お隣にあるサン・マルコ聖堂の
丸屋根なので~す、すんまへん。

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時計部分のアップですが、文字盤をどうぞ。

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始めて気が付きましたが、数字が5,10,15と進み、60で最後ですが、この表現は
初めてで、まさか、1時間で一回りとも考えられませんし、何か意味があるのかな? 
また調べてみましょう。

時計の一番上に見える2人の天使に挟まれた紋章ですが、アルコ・フォスカリの
一部ならば、フォスカリという名のドージェ・総督、フランチェスコ・フォスカリ・
Francesco Foscari、ヴェネツィアの最盛期に、最長不倒の総督期間を
過ごした彼の物かと思ったのですが違いました。

という事からまたあれこれ探し、この紋を持つドージェが120代迄続いた内に
誰もいない事、このあるこの上に突き出した四角な部分全部が、
65代フランチェスコ・フォスカリの在任中(1423-1457)に建設されたものではなく、

後の67代クリストフォロ・モーロ・Cristoforo Moro(1462-1471在)と
72代ジョヴァンニ・モチェニーゴ・Giovanni Mocenigo (1478-1486在)にも
持ちこされて完成された事が分かりました。

上部の時計も、1615年にという記述があるので、もっと後の時代の設置かも。

追記ですが、上の天使に挟まれた紋は、ドージェの冠が上に見えるのであれこれ探し、
92代のジョヴァンニ・ベンボ・Giovanni Bembo(1615-1618任)の、
花が山形の下に1つ、上に2つと分かりました。

最初に出来たアルコの上になぜこんなに次々と重ねて行ったのかをあれこれ考え、
中庭から、1階の回廊から見た時のアルコの上に、お隣の聖堂の壁が直に見えるのを
隠そう、ドゥカーレ宮の独立感を強めようと継ぎ足して行ったのかも、という推測で。



という所で、こちらをどうぞ。
ヴェネツィアのドージェについての記述が詳しく、参考にするClaudio Rendina著
「I DOGI」にあった図版、分かり易いように空と右側部分を切っていますが、

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アルコ・フォスカリも全部が完成していない時の様子で、手前に屋根のある下り階段、
多分木製が見え、徐々に徐々に様子が整えられていったのが分かります。
この図版の年代はありませんが・・、


皆さん良くご存じの様に、ヴェネツィアはラグーナ・干潟に杭を打ち、地盤を固めて
造り上げた街、蛮族に追われて本土から逃げ、干潟のこの地に新天地を求め、
営々と造りあげた街で、小さな破片の様な土地を400以上もの橋で
繋ぎ合せている訳ですね。

ですからパラッツォ・ドゥカーレが最初に造られたのは、完全に要塞の形であったという
9世紀に溯りますが、今我々が見る形は14~15世紀に整えられ、
美しく再建され始めた以降の物と言えます。
何度もの大火による大波壊も乗り越え、その後も留まる事無く、4世紀間に渡り
次々と改装美化され続けた、まさに一国を象徴する建物なのですね。
       
アルコに名を残すドージェ、フランチェスコ・フォスカリについても、かなり今回
あれこれと分かりましたので、最後のカルタ門の時に一緒にご案内致します。



巨人の階段部分。 このご案内も最後にで、ここでは中庭からの素晴らしい雰囲気を。
昔々イタリアに初めて来た時、見物にもカルタ門から入り、この階段も上がれた
ものでしたが・・! 昔話。 

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一番上左のテラスにちらっと緑が見えますが、あの右手奥がドージェの居住区だった所で、
テラスではドージェ夫人が植物を育てたのだと。



中庭から見上げる東の棟、ルネッサンス風部分と呼ばれる細やかな優美な装飾が
施された壁面ですが、
右端にほんの少し見える、南棟と西棟の中庭に面した壁面は、ゴシック様式の
古いレンガ積みのままの壁で、 

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こんな感じ。 この壁は西棟のサン・マルコ小広場に面した方で、写真も上階から。   

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中庭には美しくて大きな青銅鋳物の井戸が2つあり、こちらは南側にある物ですが、
いずれも井桁が1554、59年に作られた物と。

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西棟のポルティチにある大きな客室付きのゴンドラ。

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ドージェのお召しであったのかどうか、何も説明がありませんでしたが、
彫りの見事さをどうぞ。

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かってのゴンドラはこんな風に覆いの小部屋付きで、は~い、4畳半程広くはないと
思うのですが、うふ、ははは、色も黒ではなく、様々に塗られていたのだとか。

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で余りにも放埓すぎると、16世紀になって禁止されたのだそうで、
一説にある、ペストに因る多数の死者への追悼の為である、というのは当て嵌らず、
というのも、ヴェネツィア共和国時代の追悼の色は赤だったのだそう。 



中庭から、では上階の見物に。
東棟の中程にある金の階段・Scala d'Oroからどうぞ!

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ご覧の様に重厚華麗、化粧漆喰に本物の金を貼った物だそうで、82代ドージェ、
ロレンツォ・プリウリ・Lorenzo Priuli(1556-59任)の時に作られた物だそう。

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で、この階段を上まで上がって来ると3階のロビーにでます。
中央に見える扉、ここがドゥカーレ宮「秘密の行程」の始まる扉。

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「秘密の行程」は一切写真が撮れず、ガイド・ブックからの数枚になりますが、
またこちらも最後にご案内いたしますね。

今回の見物は、この秘密の行程に参加して後、一般の見学同様自由に行ったり
来たりしたので、頭の中の地図がわやくちゃとなり、おまけに良い平面図が見つからず、
まぁ階層の複雑さもあるのでしょうが、頭の再構築に大変時間がかかったのでしたぁ。
       


この3階の四角いロビーの天井画はティントレット描く物で、右端に見えるドージェは
金の階段を作ったロレンツォの兄ジローラモ・Girolamo、珍しい事に兄弟続けて
ドージェになった、それも弟が先、という例。

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この時のドージェの選挙に対抗馬として出ていた者が背中に大きな瘤を持ち、猫背、
民衆が嫌って、もしグリマーニがドージェになるなら、犬に喰わせてやる!と
何度か叫んだのだそうで、・・凄いなぁ!
で、本人はかなり粘ったものの、遂に辞退したのだそう。

厳格さで鳴る、いや、そう言われているヴェネツィア共和国政府ですが、代々の選挙の
様子などを読んでいると、結構ハチャメチャで、ははは、民衆感情、ドージェの
生活態度も、人間の面白さがにじみ出て来るのが丸見えで、時に大いに笑えます。



これが有名な、ボッカ・ディ・レオーネ・Bocca di Leoneと呼ばれる、
秘密の告訴の投書口。

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これは人間の顔をしていますが、ライオンの顔の物もあり、ドゥカーレ宮内に関わらず、
各地区に一つはあったようで、現在でもヴェネトのあちこちで見かけますが、
下に高利貸しに関する事、衛生問題等などと書かれていた記憶があります。

秘密の告訴と言っても、決して無記名ではならず、必ず自分の名と連名者が2名?
必要で、告訴によって呼び出しを受けると、司法官の前で説明する事になり、
後に10人評議会にまで届いたのだそう。



東棟3階の奥にドージェの居住部分・アッパルタメントがあり、その部分の様子を、
これはガイド・ブックの写真で。

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こちらは中庭から見上げた時、奥に緑のテラスが見えた、あのテラスへの出口部で、
入れませんでしたがこんな様子を覗き見。 テラスが見える筈の窓にはヨシズが張られ。

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「ガーデニングを愛したヴェネツィア元首夫人」についてcucciolaさんがこちらに。
http://blog.livedoor.jp/cucciola1007/archives/765095.html



では、ちょっと気分を変え、2階部分の柱廊をどうぞ。 どっしりとした柱が続く
奥にちらっと見えるのが、

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サン・マルコ小広場なのですが、残念ながらテラスには出れません!
まぁ、妥当な処置ですよね、でないと、あのテラスが観光客で溢れかえるでしょうしね。

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柱頭部分、かなり修復された様子が見えますが、ヴェネツィア共和国を倒した
かのナポレオン君の軍は、結構この地でも乱暴狼藉を働いているのでございますぞ。

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こちらも負けずに、べぇ~!とでも、ね。



こちらは南側に開ける部分ですが、こちら側もここまでで、
お馴染のサン・ジョルジョ島を今日の最後に。

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古い記事ですが、よろしかったらこちらも。
ヴェネツィア ・ ドゥカーレ宮 ・ Palazzo Ducale
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461429395.html
      
 
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