・ ヴェネツィア ・ モノクロの絵葉書で

今日はまたヴェネツィアに戻りまして、漂い始めた秋の気配に合わせ、
懐かしいモノクロの絵葉書をご覧下さい。

ポルトガルでは、つい最近の風景もセピア色の絵葉書で売っていて、
このおっちょこちょいは簡単に引っ掛かったのでしたが、
ヴェネツィアのこちらは正真正銘の古い風俗風景があり、ただ残念な事に年代と
場所が書いてあるのが少ないのですね。

でもまぁご覧の様に、場所名など書いてなくてもどこかすぐ分かる、
建物風景は昔とまるで変わらぬヴェネツィアです。
スキャンしたままの色、ピンボケも傾きもそのままで、ごゆっくりどうぞ!

サン・マルコ小広場から見るサン・ジョルジョ・マッジョーレ島。
ゴンドリエーレの服装から見て、秋口でしょうか?

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ヴェネツィアの古い絵葉書は以前一度ご覧頂いた事がありますが、暫くの間に、
手元にまた増えておりました。

旧き 良き ヴェネツィア ・ 古い絵葉書に見る
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461786065.html
              


これは場所がどことはしっかりご説明できないのですが、サン・マルコから西だと。

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こちらはサン・マルコからスキアヴォーニ河岸をずっと東に、殆ど島の端に近い
サンタ・エーレナ・Sant'Elenaの方かと。

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そんなに遠い昔でないとは思うのですが、帆船が多く見えます。 運搬船に使っていた
ラグーナ用平底船というブラゴッツォ・Bragozzoというタイプなのかも。

ブラゴッツォについては、こちらに。
n.2 埋もれた島の蘇り ・ ヴェネツィア、チェルトーザ島
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463621868.html



この鉄の橋も見た覚えがあり・・、う、う、確か、東側で・・。

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そうなのですね、ヴェネツィアに400以上あると言われる橋、それぞれがみな違う形で、
なので、昔よく通って歩きまわっていた頃は、頭の中に通る道順に地図が描けたのが、
まぁこの頃は衰えて・・。 情けない!



さてこの、洗濯女と、洗濯物の干し場!

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年代も場所も分からないのが残念です、かなり広い場所の様で、
おまけに女性のスカートがねぇ! 籠もかなり使い古されていますねぇ。



こちらもまるで変わらないカ・ドーロ・Ca' d'Oroの姿。 大がかりな改修修復も
行われたとはいえ、元は15世紀の建物、たかが半世紀やそこらで変わりませんね。

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n.1 カ・ドーロ ・ ヴェネツィアの館
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463740863.html

n.2 ヴェネツィアの館 ・ カ・ドーロ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463741340.html



この広場の名を探しまわりました、というのも知っている広場で、
写真も撮っているのでムキになり・・! 

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はは。 はい、サン・ポーロ地区のカンポ・サン・ボルド・
Campo San Boldoと判明しました。 地図もどうぞ。

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右端の赤点がリアルト橋から北に続く道で、リアルト橋の方からカンポ・サン・ポーロ・
Campo San Poloに出る位置が、広場の下の道につけた赤点の所。

この広場だす!と証拠写真が即お見せできないのが残念ですが、はい、
井戸の写真も整理しつつ、また見て頂きますね。



なんとも懐かしい服装風俗ですが、どの広場でしょうか? 
屋台の店が並んでいるのでお祭りの様ですね。 女性の髪形、縞の服、
男性の縞のズボン、子供の編み上げ靴・・。

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この天使像には、初めてお目にかかりましたが、幸いこれには裏に、
L'Angelo di Calle Magno・カッレ・マーニョの天使像、と書いてあり、
天使像の両脇に、イノシシの紋章があるのも、なんという家柄の奉納なのかが
気になりますが・・、

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カッレ・マーニョは造船所の近くのようで、

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アップしますと、こうなり、はい、次回のチャンスには会いに行きたいと思います。

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こちらは、アッカデミア美術館から駅に西回りに行く途中に出会う、
カンポ・サンタ・マルゲリータ・Campo Santa Margherita.

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半分に切られた鐘楼跡が見えますが、ここに広場の名となった元の
サンタ・マルゲリータ教会、既に19世紀から教会では無くなっておりますが、
ご覧の様に服装からみて、これは近年の写真ですが、
ちょっと興味深い事が引っ掛かりましたので、どうぞ。



地図での位置はここで、この広場はかなり広く木もあり、周囲のあちこちに
ヴェネツィア大学の建物がある事からも若い人たちの溜まり場、地元の人々の
憩いの場所となっている様子。

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三角の広場の方に建物が一つぽつんと見えますが、これは皮なめし業の信者会、
職業訓練所・Scuola dei Varoteriが18世紀半ばに建てられたもので、
というのも、
元はここに小運河が通っていて、南のバルナバ運河・Barnabanに繋がっていて、
19世紀に衛生上の問題から埋め立てに。 そう言えば、この道はかなり広め。
で、その後この建物は、炭の倉庫、映画館、ファシストの子供の教育用にも使われ。

で、この今は無い運河に面し、オスピーツィオ・スクロヴェーニ・Ospizio Scroveni・
病院、老人ホームがあります。

皆さん、スクロヴェーニという名にピッと来られましたか?
そうなのですね、調べましたら、パドヴァの、あのジオットーの壁画で有名な
スクロヴェーニ礼拝堂を建設したエンリーコ・デッリ・スクロヴェーニ・
Enrico degli Scrovegniの孫のマッダレーナ・Maddalena の遺言と遺贈の
莫大なお金で15世紀に建設されたものなのだと。

当初は13人(12人とも)の貧しい未亡人が収容されたそうで、現在もその趣旨に沿って
医療活動の財団が運営し、建物の写真を見て、いつも見ている白い大きな建物と
気がつき、興味を持って調べたのでした。

エンリーコの父親のリナルド・Rinaldoは、ダンテの神曲にも苦々しく描かれた金貸し、
高利貸しだったのですが、息子のエンリーコとなると、当初は家業を継いだのでしょうが、
学問も治め、パドヴァの政治家として活躍、その為に戦時には家が略奪されたり、
亡命の浮き身にもあい、そういう苦さが礼拝堂建設にも繋がった様子。
     
その息子のウゴリーノ・Ugolinoは既に歴とした貴族階級、ヴェネトのべッルーノや、
フィレンツェでも執政長官を務め、そのまた娘となると、父娘とも亡命で
ヴェネツィアに住み、美人の誉れ高い才媛と語り残され、オスピーツィオも寄贈した
という事になりますが、その子孫は16世紀にフランスに移住して行ったとの事。

リナルドの高利貸しぶりについては、cucciolaさんが詳細を。
http://blog.livedoor.jp/cucciola1007/archives/765022.html



こちらもかなり新しい写真ではないかと思いますが、御存じムラーノ島のガラス吹き。

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まさに職人芸の凄さで、ちょいちょいとつまんで挟んで伸ばして切って、
あっという間に、見事な馬を作ったりするのも見た事があります。

ヴェネツィア ・ ムラーノ島、サン・ミケーレ島
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463330379.html



今日の最後は、久し振りにすっきり覆いなし、右ドゥカーレ宮と上を渡る溜息橋。

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広告費を稼ぐのに、わざとゆっくり修復しているのではないかと勘繰りたくなるような、
もう何年もお目にかかっていない風景。

昨年秋に行ったドゥカーレ宮内部のご案内、写真の方は既に用意できていますが、
読み始めたドゥカーレ宮の厚いのと、薄めの牢獄のガイドブック、これがまだ済まず、
そのままになっておりまして、はぁ、   ドゥカーレ宮は近日公開されま~す、
と、ここで自分に気合を入れて・・! 大丈夫かいなぁ?

ヴェネツィアのモノクロの絵葉書は、まだまだありますので、また機会を見てご覧を。
       
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