・ 大地震の後の、 歴史遺産と町の修復保存に付いて

皆さま、こんにちは! 
8月最後に地震速報のアップをしましたが、
約1ヶ月間のブログ休載のお休みを頂き、再度ここに。
休載中もブログご訪問、そして応援クリック、有難うございました!!!

ブログ復帰の最初に何を、住んでいる村の緑? 葡萄畑?
なんぞと考えておりましたが、

つい先日歴史文化遺産、地震で崩壊した町村の修復に付いて、レンツィ首相の
元の通りに、元の場所に・com'era, dov'era・コメ・エーラ、ドヴェ・エーラ」、
年月はかかっても修復する、という基本方針が明かされたのを受け、
TV画面に一連の町と文化財の修復保存の様子が出ました。
       
「元の通り、元の場所に」、というのはよく言われる言葉なのですが、
今回この言葉がより大きく聞こえたのは、
7年前のラクイラの大地震のその後が皆の頭にあるからなのですね。

ラクイラ・L'Aquilaはお隣のアブルッツォ州ですが、今度の地震被害の
大きかったアマトゥリーチェ・Amatriceから、51kmほど、車で1時間半ほどの
距離にあり、7年前の大地震の後、町の修復がいまだ捗々しくない様子。

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人々は「ニュータウン」と呼ばれる、町の郊外に新しく建設された四角い
コンクリート長屋みたいな!場所で生活するのを余儀なくされています。
この「ニュータウン」の建設は、かのベルルスコーニ首相が強く望んでの建設だった
そうですが、その後すぐにテラスが落ちたりの欠陥建設でもあり、
町の人々の意識から大きく外れたものだったのですね。

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それで尚の事、この度の「元の通りに、元の場所に」が大きな響きを持ったという。
前置きが長くなりましたが、
その話題で出たニュース画面で見た写真にとても驚いたのがあり、
歴史遺産の修復保存に付いて、考えるきっかけとなり、
今回はそれをご覧頂きたいと思います。

まず過去の地震の大きな、写真が残っているものでは、
1908年2月28日に起こったマグニチュード7,2の大地震、引き続く津波とで
10万人もの死者が出たという、シチーリア島の本土側に一番近いメッシーナ・
Messinaと、対岸のレッジョ・カラーブリアの被害。

これはメッシーナの聖堂の地震直後ですが、

6-messina.jpg



現在はこの姿。 崩壊していた美しい鐘楼も元の姿に。

7-messina duomo.jpg



古い写真を探していて、こんなのも見つかりました。
       
8-BELICE 1968.jpg

これは1968年のシチーリアの西、ベリーチェ・Beliceの地震後、
最初の食料救助隊が到着した時の模様。
食料受け取りの茶碗を持った子供を、先に通そうとする救助隊で、       
ちょっと涙が出そうな写真です。



こちらは、クリスさんから、フリウリ地震の時の物と教えて頂いた写真。。

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1980年11月23日のカンパーニア州のイルピーニア・Ilpiniaでの
マグニチュード6,5 死者2914名の大地震後、救出された犬に喜ぶ人々。

10-irpinia 1980.jpg

同じイルピーニアで50年前の1930年7月23日にも、マグニチュード6,7の
大地震が起きていて、死者が1425名という記録がありました。 



今回TVニュースで写真を見て驚いたのがこれ!
1971年のトゥスカーニア・Tuscaniaでの地震で、と聞きつつピンと来ず、
後陣の上部が崩壊した写真で、あっ、サン・ピエトロ聖堂の後陣!!

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内部からはこんな様子。

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現在はこの姿で、確かに、レンガの色が違うなぁ、と感じたのでしたが・・。

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後陣にあったフレスコ画の破片の写真も見つかりました。

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サン・ピエトロ聖堂の正面には、こんな美しい薔薇窓とその周囲の装飾があり、

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TVニュースでは、この薔薇窓がポコッと落下して残った、丸い穴の開いた
正面壁の様子も見たのですね!!

12-3-san pietro tuscania 2 febb 1971.jpg

この写真をサイトで探し回りましたが、遂に見つけられずで、ひょっとして
自分の思い違いか何かかと心配したのですが
薔薇窓と後陣の崩壊があった、という記事を見つけ、
*下に追記の様に、Youtubeの中の写真を見つけました。

いやぁ、こんなに驚いたのは最近になく、勿論地震に見舞われたというのは
知っておりましたが、後陣崩壊、薔薇窓落下、なんぞとは考えもせず、

正面の扉も鉄柵の扉になっていたのを、色気が無いね、なんぞと・・!
自分が、素晴らしい聖堂だ! なんと美しい!!と惚れ惚れと眺めたのが、
今回、これは長年の修復師の皆さんのお陰なんだと改めて認識し、
あ、その前に政府の方針による財政補充があるわけですが、

今後こんな不敬な事は考えまい! 感謝しなくてはいけないのだ!!
と大いに反省、気持ちを改めるきっかけになったでした、はい。

サン・ピエトロ聖堂ご案内
       


その近くにあるサンタ・マリーア・マッジョーレ聖堂の方は、
鐘楼の上部が崩れていたのは、多分地震かな、と、すぐに考えており、

17-162416.jpg



聖堂の方はどうだった、と写真を探しましたが、上部の薔薇窓などは大丈夫だった
様子で、正面左側が落ちていた様子。

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サンタ・マリーア・マッジョーレ聖堂の様子は



町にも被害があったのでしょうが、その名残もなく、サン・ピエトロ教会から見える
丘の並びに、崩壊したという城の名残の廃墟があります。

19-tuscania-rovine_del_rivellino.jpg

追記: 上の薔薇窓崩壊の写真はTVニュースの映像から見つけたものですが、
    ニュースの中で、このトゥスカーニアの地震からの町や聖堂の修復、
    再興に「鉄の技師」と呼ばれた技師がおられた事を知りました。
    で、見事この町は30年で復興したのだと。 2019.2.28
       


そして町の修復保存に付いて、今回も何度も言及されるのが、
フリウリ・ヴェネツィアージューリア州のジェモーナの町。

1976年5月6日の夜9時、マグニチュード6,1の地震がフリウリ一帯を襲い、
1000名の死者が出ましたが、とりわけ中世の面影を残す美しい町のひとつの
ジェモーナ・Gemonaの被害が大きかったのですね。
       
聖堂正面の上部、側壁、そして鐘楼が崩壊し、高台にあったお城も崩壊、
町の被害も大きかったのですが、

21-1976.jpg

20-gemona.jpg

しかもこの時の地震は、皆が漸くに気持ちの整理を付け、復興に取り掛かった
9月になり、11日、15日と再度襲ったのでした。
写真でも、2度目の地震により被害が大きくなったのが分かります。



現在はこの姿で、町も見事に復興し、美しい古い町の面影を伝えています。

22-gemona-del-friuli.jpg

崩壊した石に番号を打ち、元の様に使えるものは使った、といい、
ジェモーナの市長から今回の被災地の皆さんに対し、
我々が出来たのだから、皆さんも頑張って!というエールも。

ジェモーナの町の様子
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462969861.html       



最後は、今回大丈夫だったアッシジの聖堂の上院の天井部の崩壊。
1997年9月26日のウンブリアからマルケ州にかけての地震でしたが、

23-cimabue.jpg



2年後に見事に復興となり、現在はこの美しい姿!

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聖堂の修復の様子なども、こちらでご覧頂けます。
       
イタリアも地震国で、今回記載したもの以外にも大きなリストがあり、
ウンブリアの地震後も、2002年には南部モリーゼ州とプーリア州に、
2009年に、お話したラクイラの大地震があり、
2012年には、エミーリア・ロマーニャ州でのモデナ一帯での地震、と続きます。

今回のイタリア中部の地震の様子をTVで見ると、崩壊した建物の中でも
しっかり頑張っている建物も明らかで、
やはり耐震設備は大事なんだ、との思いを強くしましたし、
カステルッチョやノルチャでも、以前の地震災害の後、耐震設備を施した
家屋が残っているのが、良く分かる状態。

今回の山岳部の古い家々は耐震装置が無いので、大きな地震の前には
脆くも崩れており、とても無残!
再建する時には必ず耐震で、と願います!
       

今回の地震のあった一帯で、訪れている町、地域の以前の美しい様子を、
shinkaiの愛しの風景をどうぞ!

プレーチ・Preciと、サンテウティツィオ教会、一帯の村など。
今回プレーチの教会、サンテウティツィオ教会共にかなりのひび割れが起こった様子。
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464307658.html         
      
ウンブリア一帯の地震で被害を受け、10年後に訪ねてもまだ復興しておらず
ショックだったのですが、その後再度の訪問では復興していた村、
ロッカノルフィの様子を。 復興には年数がかかります!! 
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464309701.html      
       
こちらも復興に長い年月のかかったカンピの村
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464309959.html
       
ノルチャとカステルッチョ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464307296.html       

カステルッチョの美しさ 1と2
       
今回の地震の断層が見つかったモンテ・シビッリーニ一帯の美しい風景を、
ジョヴァンニの写真で。
       

これを書いている31日お昼のニュースによると、アマトゥリーチェのホテル・ローマから、
また一人遺骸が救出されたそうで、依然として発掘が続いている様子です。

どうぞ、被災地の皆さんが再び立ち上がり、
何年か後には、崩壊した町や村が元通り、美しく蘇りますように!!

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