・ プレーチ と サンテウティツィオ修道院 ・ 中世の外科学校を誇る

今日はウンブリアの東端、ヴァルネリーナ渓谷から少し南に入った所に位置する、
中世からヨーロッパ中に名声を知られたプレーチ外科学校で有名なプレーチ・
Preciと、その元となったサンテウティツィオ修道院・Santo Eutizio、
そして、プレーチ近郊の村のご案内です。

プレーチへは、スポレートからヴァルネリア渓谷を東に辿り、約60キロほど。
南のノルチャ・Norciaへの道に少し入り込んだ、標高596mに位置します。

12世紀頃に教皇の目を掠めてスポレートが自領を増やす為に、移殖を始めたのが
起こりのようで、町は小高い丘の上傾斜地にあります。

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このサンタ・マリーア教会の鐘楼の鐘と、私が泊まったホテルの宿の部屋が同じ高さ!
時刻の鐘と、ついでに少し高い鐘の音で、毎15分毎にチーン、チーンと。



丘の町の、更にまた高所に位置するホテル、アッリ・スカッキ・Agli Scacchiで、
傾斜地にある別棟の私の部屋へは渡り廊下で。

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品の良いプレーチの町の中でも、とりわけ上品な石組みでの壁で見事でした。

スカッキ一族・Scacchiは、フィレンツェのメディチ一族に繋がるとの事で、
一族からは有名な医者がたくさん輩出、フランスのルイ11世の侍医やら、
イギリスのエリザベス1世の手術医も。



山里の春にはまだ少し早く、咲き始めの桜が冷たい風にフルフルと。

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10年前の地震でかなりの被害を受けたようですが、この町は修復されておりました。
小路から見える壁は新しく味気ないですが、上からの屋根瓦の並びはやはり良い趣。

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町の外に広がる傾斜地に馬が2頭、見えますか?



教区教会サンタ・マリーアの内部礼拝堂で、修復作業が続けられていました。

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丁寧に石像に積もった埃を拭い、礼拝堂全部を洗うのに1ヶ月以上かかるとの事。
底冷えのする教会内での根気の要る仕事です。

フォリーニョの近く、モンテファルコのかっての教会内の美術館でも、若い女性二人が
もくもくと修復をしていました。
応急作業で詰められていた石膏を、カンカンと槌とノミで剥がしながらの作業で、
あの場所も大変冷え込む場所でした。

イタリアの膨大な美的財産をこうして護り続ける、表には出ない、
たくさんの若い人々がいるのですね。



教会横を下って行くと、このテラス状の広場にでて、右には住民の集いの為の建物が。
       
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広場で日向ぼっこをしていたシニョーラと少しお喋りをしました。
町には仕事がなく若い人は出ていく、生ハムのお祭りは人出があって楽しい事、
冬は冷えこむので薪をしっかり蓄え、家からは出ない事などなど。
       


こちらは北に見える村サッコヴェーショ・Saccovescio. シニョーラに村の名を
教えて貰った物で、プレーチよりも高い710mに位置します。
       
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サッコヴェーショとは土地の訛りで、袋・サッコが裏返った、という意味だそうで、
村の形からついた名の様子。



こちらは西に位置するカステルヴェッキオ・Castelvecchio. 地図にも載っておらず
標高も分りませんが、プレーチよりも少し高く600m少々でしょうか。
       
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手前右下に見える白い線の場所は鱒の養殖場。 このプレーチの下を流れるのは
テッシーナ川で、この先で、ネーラ川に合流します。
ヴァルネリーナを流れるネーラ川では、他に2箇所ほど養殖場を見かけましたし、
海老の養殖もあるようです。



少し霞んでいますが、これはカステルヴェッキオ村から見たプレーチの町。

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左側の町の稜線中程の鐘楼が見えるかな。 そこから3,4軒右がスカッキ邸。
プレーチの奥の、谷が開けている部分、方角から考え、サンテウティツィオ修道院へ、
そしてノルチャに続く道。



プレーチから南へ約3キロ、サンテウティツィオ修道院に向かいますが、
余りにも何もない素晴らしい青空だったので。

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この壮大な修道院の壁。 5世紀頃より建設され、13世紀始めにノルチャの元に
下るまで広大な領地を持ち、この辺り一帯の政治と経済の中心でした。

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病人の看護を規範とするベネデッティ派だったので、それがプレーチの外科学校の
元となり、宗教のみでなく薬学、細密画の学校もあり、
豊富な図書も文化に寄与したとの事。



修道院の見えるかなり下に車を止め、坂道を歩いて行きましたら、
横の草原にこんなブチ馬君が何頭か。

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馬よりは小さくポニーよりは大きく、なんと言う種類かな?
立ち止まって写真を撮っていましたら、何か用? とばかり近寄って来たのですが・・。



建物に沿った下の道を行き、ぐるっと戻る形で入口に。
 
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元々は岩山の洞穴に住んでいた修道士達が、5世紀頃より建設を始めたという事で、
教会は13世紀頃の建物。

ですが、ほとんど修復された部分の多い、新しい壁が目につきました。
手前右側はレストラン兼ホテルで、少し離れて子供用の遊園ピクニック場もあり、
いささか驚き!



岩山の上に聳える鐘楼。 17世紀。

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この下の岩の部分、修道院創設の頃は穴倉部分が、修道僧たちの
墓地になっていたとの事。



教会内部ですが、内陣後陣とも修復され新しく、余り味がありません。
椅子の形が少しおもしろく。

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教会の内・後陣部分が高くなっていて、脇の階段を下りるとクリプタ。



ここは写真で見えるよりももっと暗く、なかなか良い雰囲気。
2本の古い円柱もずんぐりと太く。
ただ掛けてある絵が本物のイコンでなく、めったやたらに新しさが目につき、
無い方が良いのに・・と。

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中庭部分から入口を見たところ。左側が教会で、入口の右側部分に、
この訪問時には閉じていた、外科学校に関する博物館が。

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13世紀の宗教会議で、修道僧が外科手術を行うのを禁止したのに関連し、
ここの修道僧達は持てる知識と医術を、近辺のプレーチの民に伝えました。

住民達は豚肉製品を作る、つまり屠殺に携わり、動物の内臓器官に通じており
医術を学ぶには問題がなく、大学で学んだのではない経験主義の外科医でしたが、
庶民たちには大変な信用があったと伝わります。
 
既に13世紀において泌尿器科の手術、膀胱結石の取り出し、ヘルニア切開術、
白内障の手術をする技術に達しており、
16世紀から18世紀にかけては去勢の手術にも通じ、
   
これが当時ヨーロッパを一斉風靡したボーイ・ソプラノを持つカストラート歌手の
輩出に貢献したという、悪評にも繋がります。 



帰りに門を出た所で、ふと向かい側の谷を振り仰ぎ驚きました。
この高さの谷の上に集落がありました! なんとまぁ!

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プレーチから4キロ、ロッカノルフィ・Roccanolfiの村への山道を行きます。
中世からの城があり、独特な防御の村と読み、行ってみましたが、

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10年前の地震からの復興工事が、この村では今始まったばかりでした。



村の家の何軒かには人が住み、復興もされている様子でしたが、
ほとんどが、住民が村を離れたそのままで、地震の爪痕深く。

この家も戸口から中の崩れた様子が見えましたが、それにしても、
中世のままの様な、狭い低い家の中でした。

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城の塔は村の上に見え、子供の声もするのですが、道はこうして崩れたまま。
住んでいる人はどの道を通るものやら、人影もなく、断念して引き返しました。

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それにしても、よくもこの塔が残ったもの!
   
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手前に見える家々は修復が済んでいますが、2台の大きなクレーンがずっと稼動中。
いつか村が蘇った時また訪れたいものです。



ロッカノルフィから更に山道を、ポッジョ・ディ・クローチェ・Poggio di Croceの村に。
ここは標高938mに位置します。

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下に新しい集落はありますが、これで全部! そして、この小さい村に教会が2つ。
写真一番左、屋根の上に小さい鐘楼のあるのが、村の教区教会サン・エディージョ。

城の塔の近くまで行きましたが、今は普通の民家の様で、塔のみが残されていました。



かなり長い庇が張り出した面白い形のサン・エディージョ教会・San Edigioで、
15世紀の物との事ですが、閉じられていて中は見れませんでした。

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これは、村の下の草原辺り、たまたま太陽と雲が面白い遊びを見せてくれました。
右下の辺り、羊君達がカラカラと草を食みつつ移動中。

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・◆・◆・
    
以前読み、この地に行ってみたい と思うきっかけとなった詩をご紹介しますね。

過去からの声 

巡礼よ  プレーチに歩を向け 近づいたなら 聞き耳をたてよ
岩また岩の谷を通る時 水の上 家畜小屋の中でささやくのを

決して消える事のない過去の話  本当のこと 無かったこと
もしお前がホップとイラクサの中で休むなら  聞きなさい 私がその声だ

感じ取った事を語ろう  人々の過去の話を  悲しい姫の話を  
世捨て人のことを  サラセン人のことを  今はもう消えてしまった事を

何百年も既に過ぎ去った 何百年もの間決して忘れられた事はなかった
聞いたことを語ろう   かって起こった事を

若い領主の王妃ノルファは 王とは遠く離れて住んでいた  不幸だった  
彼と離れたく 決して戻るつもり無く 別れた 
   
二度と彼の元には戻らぬよう 静寂の内に暮らすつもりで
館の内に閉じこもった  テラスからも見られぬように

誰からも二度と見られる事のないように  本当なんだ  不幸な王妃
そして 人々は囁いた  美しいノルファは砦にこもったと

柳とイラクサの間を風が通り 古い囁きを運んでいく  畑の声 過去の声 
かって起こった事をお前に語る

さて聞きなさい この新しい話を 
ベルフォルテの近く プリンチヴァッレ・ドーリアでは
軍馬にまたがる2千の武装した騎士を通過させた
 
黒い肌の幾人かのムーア人が  皆の中でも最も恐れられていたその彼らが
前に押し出され すべて殺された 
 
冷たい風が木の葉の間で息づく だが彼らは何も知らない どうやってあそこに 
彼らがやって来たのか 辺鄙なあの凍えた土地で 剣で殺されるなんて

お前も過去からの声を聞きなさい  巡礼の夜の歩みを導く 小さな星 輝く友よ
麝香草の花よ サンザシの花よ

もう一つ別の話を語りたい 2人の修道士が祈るためにやってきた 山の上 
静寂の中で  片方のエウティツィオが行ってしまうまでは

エウティツィオが行ってしまった後  フィオレンツォはとても寂しさを感じ
信仰と熱情をこめて祈った  神よ どうぞ良い仲間をお与えください

神は彼を満足させるべく 少し特別な仲間を与えた フィオレンツォは満足で 
幸せだった  その熊は 彼にはとても従順に見えた

そして彼は命じた 昼の内は家畜と一緒に草を食み 帰ってくるように
日暮れ前に 洞窟の中に

この評判はすばやく広がり 嫉妬に駆られた修道士たちは 熊を殺そうと考えた
殺した  そして 嫌がらせで殺した と言った

一日が暮れた 夜が過ぎそして無益にまた日が過ぎた  フィオレンツォは
何時間も待った そして殺した者を呪った 再び一人ぼっち 矢車草の花 

巡礼よ お前は既にあの土地から遠い  そしてお前の道のりは長い 
だが覚えておきなさい 既に知ったあの事を

過去からの声は忘れたりはしない  過去からの声は決して忘れたりはしない
我々の歴史の小さな話  


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