今日は再びウンブリアに戻り、ヴァッロ・ディ・ネーラ・Vallo di Neraのご案内です。
スポレートからほんの12K、ヴァルネリーア渓谷のとばくちにある、なんとも不思議な、
中世の迷路が交差する村。 時を越え美しさを今に残す、素晴らしい村です。
ヴァッロ・ディ・ネーラはどこにあるか、最寄の国鉄駅はスポレート・Spoletoで、
そこからバスで12キロに。 アッシジからは45キロ。
スポレートからほんの12K、ヴァルネリーア渓谷のとばくちにある、なんとも不思議な、
中世の迷路が交差する村。 時を越え美しさを今に残す、素晴らしい村です。
ヴァッロ・ディ・ネーラはどこにあるか、最寄の国鉄駅はスポレート・Spoletoで、
そこからバスで12キロに。 アッシジからは45キロ。

海抜は437m、 村の城壁内の人口150人!
村をぐるっと取り囲んだ古い城壁の下に車を止め、細い石畳の道を辿ります。
これが村の入り口。
これが村の入り口。

村自体が小高い丘の上に位置し、どの小路も、上がって下って・・。
上の入口から、最初に出会う広場とサンタ・マリア教会。13世紀のフランチェスコ派教会。
素朴なロマネスク様式の、修復された白とピンクの石の美しい正面壁。
素朴なロマネスク様式の、修復された白とピンクの石の美しい正面壁。

ここの鐘楼の鐘は、いまだに手動で鳴らされるとの事!
広場の横の壁、窓の外に規則正しく打ち込まれた鉄の棒。 サテ・・、と考え気がつき、
多分、窪んだ位置に横棒を渡し、お祭りの日、窓の外に飾り布を垂らす為と。
多分、窪んだ位置に横棒を渡し、お祭りの日、窓の外に飾り布を垂らす為と。

風に閃めき、さぞや美しい光景でしょう。
広場のサンタ・マリア教会の向かい側の家。

この小さな建物に、いくつ家の扉がありますか? 階段の上り口、そして上、
その下窪んだ部分、建物の左横と、見えるだけで4つ、つまり4家族用です。
丘の斜面を最大限に利用してのすごい造りなのです。
このような細い石畳の道が、村の中を迷路のように上がって、下がって・・。

掌に玉を持っているのは、ドア・ノッカー。 持ち上げてノック代わりに。

この可愛い手を、今回ウンブリアのあちこちで見かけました。
私の絵の先生のお家にも昔あり、フランスから持ち帰った、と話されていましたが。
左の茶色のドア、右の建物の扉に続く渡り、そして、もぐりこむアーチ。
ひょっとしたら、渡りの向こう側に見えるアーチの下にも扉があるのかも。
ひょっとしたら、渡りの向こう側に見えるアーチの下にも扉があるのかも。

ガイドブックには、ブーキ・穴・ブーコの複と、説明が。
あちこち石畳を辿り、ブーキをくぐり、そして、ひょこっと小さな広場に。
椅子とテーブルが並んでいるこの場所は、見かけたこの村唯一の食料品店。

カーシアの有名なザッフェラーノ・サフラン販売店の札があり、尋ねると売り切れで、
土地のオリーヴ・オイル一本と揚げ菓子を一つ。
口に入れた途端、ちょうど店に入ってきたシニューラが「ボナ・アッペティート!」
ウプッとむせそうになりながら、「グラツィエ!」
扉、そしてまた扉、高低差を利用しての家の数。 本当に感嘆するばかり!

村の地図で中心部を見ると大体丸い形で、城壁内の東西が150mほど、
南北の一番長い場所で170mほどですが、一体何家族の家が?!
南北の一番長い場所で170mほどですが、一体何家族の家が?!
少し歩くと、道の隙間からこの様に周囲の山が。

この村を訪れたのは4月10日。 城壁に沿った小さい葡萄畑に、
小さな葡萄の新芽がほころんで。 左下の赤い色は芥子の花。
小さな葡萄の新芽がほころんで。 左下の赤い色は芥子の花。

細い石畳が、下がって上って・・。

そしてまた小さな広場に、扉の数々。 石畳、そしてブーコ・穴・・。

この通路というかポルティコは、村の入口の横に続き、要塞塔に接している部分。
左側に開口部があり、村の外が見える位置にベンチ。 夏の日の夕涼みが想像できます。

「カーザ・デイ・ラッコンティ・語りの家」という博物館がありました。
ヴァルネリーア渓谷全てのコムーネの、祭りの歴史的記録保存博物館の様子。
ヴァルネリーア渓谷全てのコムーネの、祭りの歴史的記録保存博物館の様子。

昔からの伝承を語り伝えていく、そんなお祭りもある様子。
一番下左は豚ちゃんの、お腹に白い帯のある「チンタ・セネーゼ」と。
一番下左は豚ちゃんの、お腹に白い帯のある「チンタ・セネーゼ」と。
村を囲む城壁は13世紀の物で、角に丸く張り出した塔がある、その内部。
鳩が二羽まるで語り合っているかのように。
鳩が二羽まるで語り合っているかのように。

城壁に、村の東のヴァルネリーナの谷に向かい、この十字架が。

谷の向かい側、山の上にも下にも村落が見えます。
城壁の外。 この古い村に、定住移殖が始まったのは、紀元前4~2世紀のローマ期の
ようですが、中世には、戦略的見地の重要性から、教皇とスポレートの争いの的にも。
一番人口が増えた15~16世紀にかけ、城壁の外にも村が作られたとの事。
ようですが、中世には、戦略的見地の重要性から、教皇とスポレートの争いの的にも。
一番人口が増えた15~16世紀にかけ、城壁の外にも村が作られたとの事。


上の写真ともに、城壁外のいかにも素朴な家の形、屋根瓦の古さ。
村の守護聖人のサン・ジョヴァンニ・バッティスタ教会で、丘の一番高い位置に。
13世紀のロマネスク様式で、素朴な薔薇窓と鐘楼と。

サン・ジョヴァンニ・バッティスタ前の何メートル四方かの広場、隙間があり、
ピアッツァ・サン・ジョヴァンニ、の標識が。

ヴェネツィアでは、ピアッツァと名乗るのは、サン・マルコ広場だけ、を思い出し、
思わず口元がほころびました。
思わず口元がほころびました。
ガイドブックにこの場所の写真があり、「特徴あるブーキの一つ」と。
んにゃ、もっと良い形、もっと凄いブーキが幾つもあるよん。

建物の下を潜り抜ける ブーコ・穴の様子。

陽が当たらない部分は、石畳の隙間に苔が生え、通り道の石畳は磨り減りピカピカ。
村を去るとき、戻り道のカーヴをいくつか過ぎ、丘の上の村を振り仰ぎ。
素敵な、美しい村でした!
素敵な、美しい村でした!

最後に村の写真を撮った足元に、野生のシクラメンの群生が。

ヴァッロは、中世の夢、自然と文化の完全な融合の出会い。
過去を保存する石の暖かい雰囲気が、生き続ける命を示す数本の草に、隙間から
生えでる少しの場所を残し、トルコブルーの空と、取り囲む山の緑に溶けあう。
生えでる少しの場所を残し、トルコブルーの空と、取り囲む山の緑に溶けあう。
訪れる者に村は迷路の小路、小さなアーチ、張り出し、小さな窓、急な傾斜の
小さなロッジャ、などの、宝石箱を開いてみせる。
小さなロッジャ、などの、宝石箱を開いてみせる。
村の石の坂道を登る散歩を邪魔する車は無く、家庭電化の騒音も泉の水音もない。
ネーラ川に沿った丘の上に、家々は背を丸め次々と重なり、
石の扇の形をした城壁と、塔の中に閉じこもる。
石の扇の形をした城壁と、塔の中に閉じこもる。
小路は、この様な小さな村には想像できない程の驚くばかりの
ロマネスクの教会のある、小さな広場に続く。
と、こういった小さな、村々の紹介には
I Borghi piu` belli d'Italia・イタリアで一番美しい村々
という本があり、「隠されたイタリアの魅力」という副題の通り、
あまり知られていない、でも本当に美しい、小さな村々を紹介しています。
サイトはこちらに。 http://www.borghitalia.it
訪問され、新しい美しい小さな村の発見を。
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