連日の厳しい冷え込みで、少しでも暖かい空気の景色が欲しく、何にしようか・・、
という事で、フィレンツェのヴェッキオ橋・ポンテ・ヴェッキオ・Ponte Vecchio
を探し出しましたのでご覧下さいね。

昨年9月末のフィレンツェの、まだまだ暑かった日のミケランジェロ広場からですが、
今こうして寒い日に見ると、・・ああ、懐かしい! そして、本当に美しい眺めですね。
そう、ルネッサンスの花の都のシンボルの一つであり、
世界にも有名な橋のうちの1本ですものね。
ヴェッキオ橋は現在、立ち並ぶ金細工や宝石店で有名ですが、もひとつ有名な
ヴァザーリの回廊・Corridoio Vasarianoが、橋の店の上を通っています。
ヴァザーリの回廊・Corridoio Vasarianoが、橋の店の上を通っています。

写真に見えるヴェッキオ橋の2階部に等間隔に続く窓がそれで、
アルノ河畔の右(北側)を手前に曲がり、ウッフィツィ美術館のアーチの手前で
建物に入り込んでいますね。 見物を望みながらもまだ未訪問なのですが、
あれこれ読んだ事も含めてのご案内を。 ごゆっくり!
というのも、「ポンテ・ヴェッキオ・古い橋」という名に恥じず、
なかなか興味深い事があれこれ出てきましたのです。
なかなか興味深い事があれこれ出てきましたのです。
ヴェッキオ橋は既にご存知の通り、ヴェッキオ・vecchio・古い、という言葉通り、
フィレンツェの街のほぼ真ん中、アルノ河にかかる4本の橋の内、
東から2本目の、一番古い橋なのですね。
フィレンツェの街のほぼ真ん中、アルノ河にかかる4本の橋の内、
東から2本目の、一番古い橋なのですね。
このヴェッキオ橋のかかる位置は、古代には人々が徒歩で渡っていた場所、
つまりアルノ河が一番細く浅瀬の位置なのだそう。
古くにはローマ期に既に木の橋が架けられた様ですが、何度も洪水で流され、
1170年頃には5つのアーチを持つ石橋が。
1170年頃には5つのアーチを持つ石橋が。
これもほぼ100年ごとの洪水で打撃を受け、1333年の大洪水では、遂に壊滅。
アルノ河沿いの道の整備が済んだ後再度着工し、1345年に現在の
3つのアーチの橋が完成という訳です。
3つのアーチの橋が完成という訳です。
タッデオ・ガッディ・Taddeo Gaddiの作とも、ネーリ・ディ・フィオラヴァンテ・
Neri di Fioravanteとも言われますが、
この低い3つのアーチというのが、建築史上でも重要なのだそうで、
ローマ期からの半円アーチのモデルだと、この長さの橋には幾つものアーチが必要、
または傾斜した橋、そして幅の狭い橋となる訳で、
ローマ期からの半円アーチのモデルだと、この長さの橋には幾つものアーチが必要、
または傾斜した橋、そして幅の狭い橋となる訳で、
この高さと橋上の広さの関係が1:6というのは、西洋においてローマ期の
モデルを越えた最初の橋なのだそう。
モデルを越えた最初の橋なのだそう。
橋からたくさんの小部屋が木の杭をつっかえにして張り出していて、これもこの橋の
特徴ある眺めですが、こちらにも歴史があるのを知りましたので、後ほど。
特徴ある眺めですが、こちらにも歴史があるのを知りましたので、後ほど。
こちらはアルノ河から街中にちょっと戻りまして、
左がヴェッキオ宮で右がウッフィツィ美術館、間のニンナ通り・Ninnaを渡る廊下、
これがヴェッキオ宮からアルノ河の南にあるピッティ宮を繋ぐ「ヴァザーリの回廊」
の始まり部分です。
これがヴェッキオ宮からアルノ河の南にあるピッティ宮を繋ぐ「ヴァザーリの回廊」
の始まり部分です。

ご存知の様に、ヴェッキオ宮は13世紀末から14世紀初頭に建設され、
フィレンツェの街の政治中枢部として使われ、
最初は先日ご紹介の、現在のメディチ・リッカルディ宮に住んでいたメディチ家が
後にここを改装拡張して住居としたのですね。
そして、1550年頃にはピッティ宮に住まいを移しますが、
居住のピッティ宮からアルノ河を渡り、政治の場のヴェッキオ宮に人目に触れる事なく、
しかも安全に移動できるように考えられて作られたのが、
このジョルジョ・ヴァザーリ・Giorgio Vasari考案の廊下なのです。
既にフィレンツェ共和国の政治体制はほぼ1世紀前に終結を迎えた、とはいえ、
まだメディチ家が君主として民衆に圧倒的に支持されていたわけではないらしい、
という事が憶測できます。
しかも安全に移動できるように考えられて作られたのが、
このジョルジョ・ヴァザーリ・Giorgio Vasari考案の廊下なのです。
既にフィレンツェ共和国の政治体制はほぼ1世紀前に終結を迎えた、とはいえ、
まだメディチ家が君主として民衆に圧倒的に支持されていたわけではないらしい、
という事が憶測できます。
で1565年に僅か5ヶ月で建設されたもので、発注者はトスカーナ大公コジモ1世、
ちょうど息子のフランチェスコがオーストリアのジョヴァンナと結婚するのを機に
建設されたのだそう。
ちょうど息子のフランチェスコがオーストリアのジョヴァンナと結婚するのを機に
建設されたのだそう。
n.1 フィレンツェ ・ ヴェッキオ宮
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461595223.html
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461595223.html
n.2 フィレンツェ ・ ヴェッキオ宮
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461595718.html
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461595718.html
という事で、このヴェッキオ宮からまずウッフィツィ美術館に渡り・・、
最上階を通り抜け、U字型になったウッフィツィ宮の右翼から、最初の写真で見えた
角の廊下部に出ます。
角の廊下部に出ます。

蛇足ながら、イタリア語のウッフィツィはオフィス、事務所の複数形で、
つまりかってメディチ家の事務所だった訳で、
この辺り皆さんも想像力を働かせて、メディチ大公家の一員となり、
実際にヴァザーリの回廊を通るおつもりで、お楽しみ下さいね!
上の写真はウッフィツィ美術館がアルノ河に接するアーチの部分で、
手前のベージュ色、右側の柱廊の上を回廊が通っている事になりますが、
手前のベージュ色、右側の柱廊の上を回廊が通っている事になりますが、
下がその柱廊部分で、つまりこの幅で上に回廊があるという訳。

橋にかかる部分、貴金属店の脇に、かっての馬やロバの駐車場跡の輪が残っており。

ではヴェッキオ橋を渡りますが、振り向くとあのドゥオーモの丸天井がドーンと。
右の店の2階部分が、橋の角を曲がった回廊。
右の店の2階部分が、橋の角を曲がった回廊。

橋のちょうど中央部分は左右共に店が途切れ、見晴らしの良い場所に。


上が東の上流部分、下が西の下流方面で、西側にはフィレンツェの金銀細工で
歴史に残るベンヴェヌート・チェッリーニ・Benvenuto Cellini(1500ー1571)の像。
歴史に残るベンヴェヌート・チェッリーニ・Benvenuto Cellini(1500ー1571)の像。
橋の上に立ち並ぶ店の建物群にも、やはり歴史が刻まれます。


橋が出来たのは上記の通り1345年ですが、1442年にこの橋上に屠殺業者の店が
集められ、というのも、屠殺のくずや汚れ、荷車での運搬など各種衛生上の
問題もあったのを、橋の上だと即流せる、という理由からで、
集められ、というのも、屠殺のくずや汚れ、荷車での運搬など各種衛生上の
問題もあったのを、橋の上だと即流せる、という理由からで、
こうして橋の上に屠殺業者が建物を作り所有する、少しでも広くする為に橋から
つっかえを出して張り出す、といった状態が約150年間続きます。
つっかえを出して張り出す、といった状態が約150年間続きます。
ええ、現在のあの優雅な金銀細工の店々の元は、ああた、肉屋さんだったのでして、
でも今は観光客がひき肉にされている訳で、まぁ似たような物だと言えない事も
ありませんですが、ははは。
でも今は観光客がひき肉にされている訳で、まぁ似たような物だと言えない事も
ありませんですが、ははは。
で、場所の悪臭と、あまり上品でない業種が遂に1593年、フェルディナンド1世により
立ち退きを命じられ、代わりに現在の貴金属店となったという訳です。
立ち退きを命じられ、代わりに現在の貴金属店となったという訳です。
こちらが西に見える1本下流のサンタ・トリニータ橋・S.Trinita、
とても美しいエレガントな橋。
とても美しいエレガントな橋。


ヴェッキオ橋から眺めた美しい夕暮れの様子は、今も目に残ります。
アルノ河の様子をまた見て頂きたいと思います。
逆にサンタ・トリニータ橋から眺めたヴェッキオ橋。

橋の真ん中の3連アーチの上、ヴァザーリの回廊に開けられた3つの大きな窓、
これは当然、ルネッサンス期の小さな丸窓ではなく、
1939年、アドルフ・ヒットラーがムッソリーニとの連盟の為にイタリアに来た際
フィレンツェを訪れ、彼ら一行の眺望の為にムッソリーニが作らせたのだそう。
フィレンツェを訪れ、彼ら一行の眺望の為にムッソリーニが作らせたのだそう。
この回廊からのアルノの眺めは、いたく彼らのお気に召し、これが、ドイツ軍が
フィレンツェからの引き上げの際に、街の他の橋は皆例の如く破壊されたものの、
ヴェッキオ橋だけが橋の南部分に損傷を受けただけで、無事残った遠因かもと、
つまり、軍内部からの通報があったのだそうで。
ヴェッキオ橋だけが橋の南部分に損傷を受けただけで、無事残った遠因かもと、
つまり、軍内部からの通報があったのだそうで。
再度橋上に戻りまして、南に向かいます。
こんな風に塔がにょきっと見え、回廊部分が張り出し膨らんでいますが・・、

南から見るとこんな有様! これが有名なマンネッリの塔・Torre di Mannelliで、
かっては橋の両側両脇にひとつづつあった4つの監視の塔の、現在唯一残る塔ですが、
かっては橋の両側両脇にひとつづつあった4つの監視の塔の、現在唯一残る塔ですが、

マンネッリ塔の持ち主、マンネッリ家は古い家柄で、代々武器を持つ仕事に携わり、
どうやら大変気も強かった様子で、 ヴァザーリの回廊が当初この塔を打ち壊し
真っ直ぐ進む計画を、当時の当主マッテオが素っ気なく断り訴訟となり、
遂にコジモ1世が折れ、こうして塔をぐるっと回る次第に!
これは事情を知ると大変に可笑しい回り道ですよね。
そして右に切れる大きなアーチは、バルディ通り・via de'Bardiを飛び越えるアーチで、
バルディ通りの野菜、果物店を一枚。

そしてバルディ通りを飛び越した回廊は、工事中で写真が無いのが残念ですが、
別のもう一つの塔を、今度は突き抜けるのですね。
別のもう一つの塔を、今度は突き抜けるのですね。
この塔の名はオブリアーキの塔・Torre degli Obriachi、銀行業でぼろ儲け、
ダンテにも神曲の中に悪口を書かれ、のちヴェネツィアに逃れ象牙細工で有名な
エンブリアーキ家(オブリアーキ・ウブリアーキ)が持ち主だったのですが、
ここはすんなり通りぬけに同意。
ダンテにも神曲の中に悪口を書かれ、のちヴェネツィアに逃れ象牙細工で有名な
エンブリアーキ家(オブリアーキ・ウブリアーキ)が持ち主だったのですが、
ここはすんなり通りぬけに同意。
オブリアーキ家(エンブリアーキ)については、cucciolaさんがこちらに。
http://blog.livedoor.jp/cucciola1007/archives/765054.html
http://blog.livedoor.jp/cucciola1007/archives/765054.html
オブリアーキの塔を突き抜け、サンタ・フェリーチタ教会・Chiesa di Santa Felicita
前に出てきた所です。

回廊はこの教会の真前、というか教会内部に接して通り、2階部分のテラス席には
厳重な格子戸で仕切られた部分があり、ここからミサに参列する事も出来たという・・。
で、この後回廊は通りの裏道を抜け、ボーボリ庭園のグロッタの辺りに出て、
こうしてピッティ宮に無事到着という次第です。
こうしてピッティ宮に無事到着という次第です。
長いお散歩、ご苦労様でした!!
そうそう、肝心な事を書き忘れる所でした。
このヴァザーリの回廊は、現在ウッフィツィ美術館収蔵作品の肖像画、
そして17~18世紀のデッサンの展示がされていて、ガイド付き見学ができるのですが、
このヴァザーリの回廊は、現在ウッフィツィ美術館収蔵作品の肖像画、
そして17~18世紀のデッサンの展示がされていて、ガイド付き見学ができるのですが、
定時ではないので、あれこれの詳細はこちらでお調べを。
https://www.florence.net/galleria-degli-uffizi/corridoio-vasariano.asp
https://www.florence.net/galleria-degli-uffizi/corridoio-vasariano.asp
で、我々は夕闇せまるヴェッキオ橋に再度戻りましょうか、


優雅な品が揃う金銀細工の店を覗き・・、

黄昏迫る上流を眺め・・、

最後はやはり、サンタ・トリニータ橋からのヴェッキオ橋の夜の眺めをどうぞ!

いつも橋を眺めてばかりですが、読んで見ると大変興味深い面白い事が色々分かり、
かいつまんでご説明をと思ったものの、歴史の長い街の、古い橋の由来、
楽しんで頂けたように願います。
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