・ メディチ・リッカルディ宮 ・ フィレンツェ

フィレンツェのメディチ・リッカルディ宮・Palazzo Medici Riccardiに、ご案内を。

フィレンツェに君臨し、ルネッサンスの花の都と呼ばれる程に街を造り上げた
メディチ家の約100年間に渡る住居だった建物で、
内部のベノッツォ・ゴッツオーリ・Benozzo Gozzoliの描いた華麗なフレスコ画の
礼拝堂で有名ですから、訪問された方も多い事でしょう。

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写真は市内周遊観光バスからの眺めで、足元が見えずすみませんです。
1階部分は堅固なイメージを与える切り石積みで、手前のアーチ内部に三角形の
屋根が見えますが(右の通りに面しての側も)
ここは以前通り抜けになっていたのをミケランジェロが窓にしたのだそう。
       
建物角にメディチ家の6つ玉の有名な紋章が見えますが、メディチ・リッカルディ宮
という名が示すように、メディチ家は政変により何度か街からの追放があり、戻り、
という事で、建物自体も何度もの略奪の変遷を経ており、

1532年にアレッサンドロがフィレンツェ公となったのち暗殺されますが、
その後は黒旗のジョヴァンニの息子に、という具合に遂に世襲の君主になり、

後のトスカーナ大公フェルディナンド2世・Ferdinando IIの時代になり、
彼の忠臣でもあり大銀行家でもあったガブリエッロ・リッカルディ・
Gabriello Riccardiが1659年に買ったという由来に寄ります。


 
2階3階と上部に行くにつれ、石組みの様子がすべらかになり、窓も大きくなり、
貴族の住居のイメージも十分に。

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道が狭いのと建物が大きいので、到底1枚の写真には収まりません。



地図をどうぞ。 メディチ家礼拝堂、そしてサン・ロレンツォ聖堂・San Lorenzo前広場、
この辺りたくさんの屋台店が並びますが、その角からすぐに屋敷があり、
入り口は一筋東に行って曲がったヴィア・カヴール・Via Cavourに。

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ちょっと図が分かり難いかもですが、表側の建物が2つの中庭に分かれ繋がっていて、
手前側の大きめの四角の方と奥庭部分が、
1444年から1452年にかけコジモ・ディ・メディチ・Cosimo de'Mediciが
ミケロッツォ・Micherozzoに建設させた部分で、
奥の中庭を抱えた部分は、リッカルディ家が買い取った後の建て増し部分という事です。
       


これはサン・ロレンツォ広場の南東角にあるジョヴァンニ・デッレ・バンデ・ネーレ・
Giovanni delle Bande Nere・黒旗のジョヴァンニ、トスカーナ大公コジモ1世の
父親の像ですが、

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奥に見える角のいかつい石組みと緑、ここがメディチ・リッカルディ宮の裏庭と建物で、
あの間の通りを抜けると、最初にご覧頂いた表側の角に出ます。

サン・ロレンツォ聖堂とカヴール通りの先にあるサン・マルコ教会は共にメディチ家の
菩提寺扱いであり、この一郭はメディチ区域とでも。



サン・ロレンツォ広場から抜ける道に続く1階部分の重厚な壁。

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右端に座っている人物が見えますが、壁に沿って石のベンチが続いているのですね。
と、それぞれの石に小穴が掘り込まれているのが分かりますか?

これは設計建設のミケロッツォ自身が石の適性を見分け、OKの物に印をつけた名残だそう。
この館は、コジモ・デ・メディチが政敵から専横という事でフィレンツェを追放され
ヴェネツィアに逃れ、10年後民衆の歓呼に迎えられて街に戻り建設をしたもの。

最初は、ドゥオーモのあのクーポラと内部、そして街のあちこちに作品が残るブルネレスキ・
Brunelleschiに依頼したものの余りにも壮麗華美である事から、民衆の妬みを考慮し、
一般的で地味なミケロッツォに依頼したという逸話があり、
確かに、厳しく地味ながらお金はかかっている、という感じですね。

現在の建物は県庁が使っており、入り口には警官がいて、入り口は?と聞く前に、
向こうから先に英語で教えてくれました。



これは入り口の階段を上ってすぐにあるメディチ家の私的礼拝堂・Cappella dei Magi
に1459年に描かれた、華麗なべノッツォ・ゴッツォーリのフレスコ画の一部。

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3面の壁面全体にびっしりと描きこまれた素晴らしい物ですが、写真禁止でサイトから。       
真ん中の白馬の美男貴公子が一応ロレンツォ・イル・マニーフィコ・偉大なロレンツォ、
という事になっていますが、他の肖像画で見るひしゃげた鼻のロレンツォも左2列目に描かれ、
   
左側白馬、赤い帽子がロレンツォの父のピエロ・痛風病みのピエロで、
その左の茶色のロバの、白髪がロレンツォの祖父コジモという・・。



1階にハイテク利用の部屋があり、ここで描かれた人物が誰であるかが分かる様に
なっていて、下段の中央の赤い帽子が画家本人と言う事。
       
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礼拝堂の後は、建物内の見物が出来ます。

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ロレンツォ・イル・マニーフィコの時代には、既に家業の銀行業が傾き始めてはいたものの
ルネッサンスの最盛期、この家にはプラトン派の学者や芸術家たちが集い、
メディチ家がパトロンとなって集めた芸術品をめぐり、ヨーロッパ初の芸術アカデミーの
様相を呈していた様子。

が、上に書きましたように、1492年のロレンツォの死後サボナローラの扇動により、
またロレンツォの子のピエロのフランス王に対する失態により、
怒った民衆より略奪を受け、街からの追放、そして財産没収も。

ロレンツォの次男で、枢機卿から教皇レオーネ10世となったジョヴァンニが盛り返すものの、
それに続く従兄の、クレメンテ7世となったジューリオの引き起こしたローマ略奪の惨事で、
メディチ家一族はまたもや街から追放され、屋敷の略奪、

と言う訳で、後のリッカルディ家による大きな改装で、現在残るのは当初とはまるで
別物と言いますが、こういった部屋が見れます。



こちらは、鏡の間・Galleria degli Specchiと呼ばれる1685年のロココ様式で、
天井画はナポリ出身のルーカ・ジョルダーノ・Luca Giordano.

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鏡の中にも絵が描かれていて、これはちょっと面白い趣向でした。



フィリッポ・リッピ・Filippo Lippiの素晴らしく美しい聖母子像。

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色の美しさは到底写真では! 確か写真禁止で、大急ぎで隙を狙って写し・・。
ゴッツォーリのフレスコ画と、この聖母子を見るだけでも、メディチ・リッカルディ宮
訪問の意味があろうというもの! 



時々の催しが変わるようですが、この時は、メディチ家の劇場というタイトルで、
木製モデルが幾つか展示で、当時の劇場の仕掛けが彷彿とされ、興味深かく。

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これはリッカルディ家の新築部分の中庭、簡素ですっきり。
窓の下に装飾が描かれ。

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下に降り、メディチ家部分の中庭。 この写真はサイトから。

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中央の像を横から見ましたら、犬が双頭になっていて・・、

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そこを通りすぎると、奥庭。

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鉢植えがあり緑もあるのですが、広さの割に周囲の壁が高く、私には少し落ち着けず。     



美人の像がある、と思ってファインダーを覗くと、なんと、向こうもこちらを見ていて・・、
石像と目が合うというのは、初めての経験の様な!

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メディチ家がフィレンツェに及ぼしたその影響の大きさは、計り知れないものがあり、
この屋敷にしても、その歴史にまるで触れずには通れず、かといって詳細を知っている
訳でもありませんで、そんな理由から、フィレンツェのご案内は本当に難しい!
不足部分はご容赦願います。

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