・ フィレンツェ ・ ジョットの鐘楼より 

今日はルネッサンスの花の都はフィレンツェの、ジョットの鐘楼からの眺めを
じっくりお楽しみ下さいね。
写真は昨年9月の末ですが、ご一緒にゆっくりと鐘楼に上るおつもりで、

フィレンツェの輝く秋の青空の下、ドゥオーモの丸天井、花の都の俯瞰をどうぞ!

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こちらはもう皆さん良くご存知の三点セット、
左手前から洗礼堂、そしてドゥオーモの正面、右に並んで鐘楼、間にドゥオーモの
丸天井が覗きます。 

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ジョットの鐘楼・Campanile di Giottoと呼ばれる通り、設計はジョット(1266頃-1337)
の晩年の仕事で、1334年にドゥオーモ、即ちサンタ・マリーア・デル・フィオーレ聖堂・
Santa Mria del Fiore・花のサンタ・マリーア聖堂と、鐘楼建設の長になります。

先代の長はアルノルフォ・ディ・カンビオ・Alnolfo di Cambio.
鐘楼の基礎掘り工事は既に1298年に始まっていたそうで、ジョットーは1337年に
亡くなりますから、実際に関わった期間は短いのですが、彼の名が冠され残ります。

彼の設計によると、塔の天辺には約30mの高さの尖った屋根が造られる筈でしたが
実現せずで、現在の高さは84,7m。
彼はこの仕事で年間100フィオッリーニを受けたとの事。 さて現在の金額にして如何ほど?

ジョットーが亡くなった時には鐘楼の一階部が出来上がっており、彼の後を
アンドレア・ピサーノ・Andrea Pisano が引き継ぎ、当時既に問題になっていた
建築上の欠陥部である、下部の部屋、そして階段の問題も巧みに解決。

ペスト災害による中断の後、1359年フランチェスコ・ターレンティ・Francesco Talenti
により完成、ドゥオーモの完成よりも100年早かったという事。

この鐘楼は常の教会の鐘楼の位置とちょっと違って、教会正面横に並ぶ形ですが、
建設当初から、勿論教会内陣部分に大クーポラ設置が決まっており、
その視覚効果を邪魔しないようにこの位置にしたのだろうとの事。 流石!
 
       

こちらは上の写真にも見えますが、塔の1階部分、4面に2段に嵌め込まれている
意匠彫刻で、アンドレア・ピサーノの作と伝えられますが、現在のはコピーで、
本物は大聖堂博物館に。

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職業を現わすのもたくさんあり興味深く、あれこれたくさん写していますが、
これは塔の西面の、左がエヴァの誕生 そして右は祖先の仕事。
エヴァの誕生の左にアダムの誕生があるようですが、写してなかった!



では、上りましょうか。 一番上までは414段! 展望できる窓が3階分あります。
はぁ、はぁ、とまず辿り着いた最初の窓の階。

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この高さで、右からヴェッキオ宮の塔、真ん中がバディア・フィオレンティーノ修道院の塔・
Badia Fiorentino、一番左がバルジェッロ宮・Il Bargelloの塔。

一番手前にもニョキッと背の高い塔の家が見えますが、

中世フィレンツェの有名な塔の家については、こちらに。
n.1 ルネッサンスの都に、中世を探して
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463022763.html

n.2 ルネッサンスの都に、中世を探して
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463022941.html



塔の内部はこんな様子で、

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ドゥオーモがこう見えます。

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ジョットの鐘楼に上がろうか、ドゥオーモのクーポラか、と一瞬考えたのですが、
クーポラに上がるとドゥオーモ自体は見えなくなる訳で・・。
次回のチャンスには、クーポラにね、勿論!



これは鐘楼横のドゥオーモの正面壁の端と、左に洗礼堂上部。
まさに細部の細部まで!
真ん中にぴょこんと見えるクーポラは、メディチ家礼拝堂の丸天井。

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まだまだ上らないといけません!

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真ん中の展望の窓から。 ドゥオーモのクーポラの高さが、少し下に。

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漸くに、これは一番上の3連窓から。 丸天井とほぼ並ぶ高さにまで上って来ました。

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サンタ・マリーア・ノヴェッラ教会の正面と鐘楼がこんな風に。

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遂に最上階の塔の上に! 低い屋根があり、その周囲を回りながら展望できます。
ドゥオーモに写る鐘楼の影。 はい、既に夕方近い長い影です。
クーポラの上に、見物の人々の姿がまだたくさんに。

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鐘楼の西部からの眺め、左にサンタ・マリーア・ノヴェッラ教会・S.M.Novella、
その右奥にフィレンツェの国鉄駅。

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真ん中に、メディチ家礼拝堂・Cappelle Mediceeと、右手前に延びるのが
サン・ロレンツォ聖堂・San Lorenzoで、回廊も見えますね。



こちらは北部分。 左下手前角の薄茶色の大きな建物はメディチ・リッカルディ宮・
Medici Riccardi、現在は警察署でしたっけ、でも見物はOKで、

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華麗な建物内部とべノッツォ・ゴッツォーリ・Venozzo Gozzoliの描いた、
礼拝堂の煌びやかなフレスコ画が見られます。

同じ通りを辿りますと、右奥に見える教会の正面は・・、



こちら、サン・マルコ教会・San Marco。 15世紀後半のフィレンツェの人々に、
悔い改めるように呼びかけて大波紋を起こしたサヴォナローラ・Savonarolaが
いた教会修道院、

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そしてフラ・アンジェリコ・Fra Angelicoの描いた有名な「受胎告知」をはじめとする
一連の美しいフレスコ画があります。

写真右下に切れる辺りに、ミケランジェロのダヴィデ像のあるアッカデミア美術館。



南に向かい、今日最初の眺めと同じ方向ですが、グンと上から。

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左奥に白く見えるのが、サンタ・クローチェ教会・Santa Croce.

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アルノ河の向こう、街の東南高台に見える、サン・ミニアート・アル・モンテ聖堂・
San Miniato al Monteと、左下に広がるミケランジェロ広場。

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サン・ミニアート・アル・モンテ聖堂 ・ フィレンツェ



ヴェッキオ宮・Palazzo Vecchio のアップを。

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奥に繋がって見えるのが、ウッフィーツィ美術館・Gli Uffiziで、
中の細長い広場を挟み建物はU字型になっていて、ヴェッキオ宮の右隣に見える
ロッジャ・Loggiaの上の白いテント、あそこがウッフィツィ美術館のカッフェです。

n.1 フィレンツェ ・ ヴェッキオ宮
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461595223.html

n.2 フィレンツェ ・ ヴェッキオ宮
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461595718.html



最後にもう一度、鐘楼の影の映るドゥオーモのクーポラを!

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ルネッサンスの花の都フィレンツェ。 その象徴とも言えるこのドゥオーモのクーポラ。
そして今も、なんと魅惑に満ち満ちている街。
そしてそして、見きれていないもののなんと多い街!

こうして写真を見直すと、またすぐ出かけたくなって・・。
    
フィレンツェ関連の記事はこちらに

高上がり大好き人間ですから、塔があり時間があれば上りますが、
まだヴァティカンの上には上っていないのです。
早く上りに行かないと無理になるかも、と心配です!

ヨーロッパで一番高い鐘楼のあるクレモナの街のご案内は
クレモナ ・ ストラディヴァリの典雅な街
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464088423.html

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ブログご訪問、有難うございます!
蟻とキリギリスのお話では、せっせと働いた蟻さんは寒い冬が来てもぬくぬくと丈夫ですが、
夏中遊んでいたキリギリスは、たちまちに困って・・、
というあのお話ですが、

コンドミニオ1階の我が家のテラスのテントには、秋口から毎年バッタ君が幾つも留まり、
冬を越します。 いや、本当の真冬になると見かけませんが、今頃は
色々な大きさのが日光浴をしていて、大きいのは身長が6~7cm、胴体も大変太く。

大小いる、というのは冬を越して何年も生きている訳で、バッタ君が越冬するとは
考えた事もなかったので、これを最初に見た時は驚きでした。

春先には、またテントに停まっているのを見ますから、テントを巻きあげるは要注意で。
少し晴れ間が出たら、写真を撮りお目にかけますね。

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