引き続き、有難うございます! セッティニャーノ村のご案内を続けます。
デジデーリオの像を見て、さて次は?と言うので、ガンべライア荘・Villa Gamberaia
にと頼み、車を回すために入り込んだ、村の外れの細~い道の標識。
デジデーリオの像を見て、さて次は?と言うので、ガンべライア荘・Villa Gamberaia
にと頼み、車を回すために入り込んだ、村の外れの細~い道の標識。

フィレンツェから出かける時に、ガンべライア荘と言いましたら、あそこは道が狭いから
この車では無理、と言うので、では近くで待っていてくれ、という事で出かけたのですが、
道中あれこれ喋るうちにその気になってくれたかして、
本当に車幅いっぱいの狭い道を、両側を見ながらズッ、ズッと進んで!
これを書きつつ、森下さんの本の地図を確かめましたら、どうも上の写真の向きの
反対側に見えた家辺りが、デジデーリオの生家とされている場所ではないかと・・。
が、行った時は彼の生家を探す事は失念していました。
やはり上の場所からの谷越しの風景。 奥に見えるのがフィエーゾレに近い部分だろうと。

ガンべライア荘に向かう道。 オリーヴ畑が広がります。

ガンべライア荘の入り口。

森下さんの本によると、これがベルナルドとアントーニオ・ロッセリーノ兄弟の家と。
しかし見るからにちょっと凄い別荘で、??と。
柵越しに覗きます。

本にも屋敷とありましたが、いくら建築、彫刻で売れっ子の兄弟でも、これは無かろう、
単にその様に称しているのではなかろうか、と。
ガンべライア荘を見ようと思ったのには、ガイドブックに、週末にここでお茶をするのが、
フィレンツェの若きスノッブたち、というのがあり・・、ええまぁ、いつもの好奇心で・・。
単にその様に称しているのではなかろうか、と。
ガンべライア荘を見ようと思ったのには、ガイドブックに、週末にここでお茶をするのが、
フィレンツェの若きスノッブたち、というのがあり・・、ええまぁ、いつもの好奇心で・・。
屋敷は道の突き当たりにあり、門の前がちょっとした駐車場兼車回しになっていて、
それより奥はトンネルで細い道に。
それより奥はトンネルで細い道に。

塀や生け垣の途切れた所から、もう一度覗きを。
う~ん、何やら動物の像などもお庭に見え、貴族のお屋敷風!

で、今回これを書く為にガンべライア荘を調べましたら、そう、やはり貴族の手が加わり、
名は残っているもののまるで別物になっている事が分かりました。
が、まずロッセリーノ兄弟についても少しご説明を。 兄弟は5人ほどいた様ですが、
中でも有名なのがベルナルド・Bernardo(1409-1464)と、アントーニオ・Antonio
(1427-1479)の2人、
中でも有名なのがベルナルド・Bernardo(1409-1464)と、アントーニオ・Antonio
(1427-1479)の2人、
ベルナルドは教皇庁の建築顧問となり、数々の建築改修を手掛けており、
とりわけレオン・バッティスタ・アルベルティ・Leon Battista Albertiが法王庁の
書記官となってからは実務担当で腕をふるい、
とりわけレオン・バッティスタ・アルベルティ・Leon Battista Albertiが法王庁の
書記官となってからは実務担当で腕をふるい、
ピオ2世の理想の町ピエンツァ・Pienzaの町づくりにおいてはドゥオーモやピッコローミニ宮を
造った事で有名ですが、建設費をごまかした、とピオ2世からの譴責もあったとか。
造った事で有名ですが、建設費をごまかした、とピオ2世からの譴責もあったとか。
どうもこのピオ2世という方は、人文学者としての誉も高かったようですが、
自分の道を進むとなると他が見えなくなる、激しい方だったようで、
皆が乗り気でない十字軍派遣に突き進み、遂には船出前にお亡くなりに。
自分の道を進むとなると他が見えなくなる、激しい方だったようで、
皆が乗り気でない十字軍派遣に突き進み、遂には船出前にお亡くなりに。
アントーニオの方は、同じセッティニャーノ村出身で年も近く、デジデーリオとは終生の友
だったようですし、サン・ミニアート聖堂の礼拝堂の彫刻を見てもお分かりのように
デジデーリオの作風と良く似た、優雅な優しい彫刻を作ったようです。
だったようですし、サン・ミニアート聖堂の礼拝堂の彫刻を見てもお分かりのように
デジデーリオの作風と良く似た、優雅な優しい彫刻を作ったようです。
で、このガンべライア荘ですが、14世紀よりベネデット派の尼僧たちの物だったのが
15世紀にロッセリーノ兄弟の手に。
当時は田舎の素朴な家だったのが、もう一度所有者が変わった後、
18世紀の初めにカッポーニ家・Capponiの物となります。
このカッポーニ家が大改装を行い、現在の優雅な別荘に模様替え、庭園も、裏の美しい
トキワガシの林やオレンジ畑も造ったのだそう。
トキワガシの林やオレンジ畑も造ったのだそう。
19世紀以降は次々とヨーロッパ貴族間での所有変遷があり、
第2次大戦で大被害を受けたものの漸くに修復し、現在の姿との事。
第2次大戦で大被害を受けたものの漸くに修復し、現在の姿との事。
ガンべライア荘横より、緩やかに広がるオリーヴ畑。

最近新しい事柄、名前に出会うと、これは何? 何者?と、まるで知恵がつき始めた
子供みたいに、遅すぎるのはよう分かっておりま!、ははは、
芋づる式に次々と調べる癖がつき、これがなかなか楽しいのですが、
ガンべライア荘を買い大改装を行ったというカッポーニ家、
これがお金持ちのフィレンツェの名門旧家で、興味深い事がいろいろと。
これがお金持ちのフィレンツェの名門旧家で、興味深い事がいろいろと。
元はシエナ近郷からフィレンツェにやって来た家柄の様で、記録への登場は11世紀。
13世紀初頭に絹の組合・Arte della Setaに加入し、羊毛と絹の商売で
社会的にも上昇、と同時に他のフィレンツェの有力家と同様に銀行業も。
分家同士が固く団結して商売に励み、支店も各地に。
13世紀初頭に絹の組合・Arte della Setaに加入し、羊毛と絹の商売で
社会的にも上昇、と同時に他のフィレンツェの有力家と同様に銀行業も。
分家同士が固く団結して商売に励み、支店も各地に。
対メディチ家の旗色を15,6世紀にはかなりはっきりと表明して動いた様子で、
現在フィレンツェの街にカッポーニ家の個人の名を冠した通りを2本持つ、
メディチ家は別として、唯一の家柄だそう。
現在フィレンツェの街にカッポーニ家の個人の名を冠した通りを2本持つ、
メディチ家は別として、唯一の家柄だそう。
何の気なしに日本のサイトにカッポーニ家で検索をかけましたら、殆どが映画「ハンニバル」
に関してで、レクターがカッポーニ家司書のダンテ研究者のフェル博士になりすまし、
という物で、アンソニー・ホプキンスは好きな俳優なれど、あの手の映画はどうもで、
に関してで、レクターがカッポーニ家司書のダンテ研究者のフェル博士になりすまし、
という物で、アンソニー・ホプキンスは好きな俳優なれど、あの手の映画はどうもで、
別に見つけた可愛いお話を一つご披露です。
カッポーニ邸と名のつくのはフィレンツェのあちこちにあるようですが、アルノ河沿いの
サンタ・トゥリニタ橋の近くにも一つ。
サンタ・トゥリニタ橋の近くにも一つ。
16世紀にカッポーニ家のロドヴィーコ・Lodovicoが購入したもので、
これには当時の世情を沸かせた有名な恋のお話が絡みます。
ロドヴィーコはマッダレーナ・ヴェットーリ・Maddalena Vettoriという女性に夢中になり
結婚を申し込みますが、彼女の継父が、自分自身の息子の許嫁である事を理由に許さず、
おまけに余りにも若い年の許婚で、未だ結婚する以前に未来の夫は戦死、
マッダレーナは修道院に籠ってしまいます。
結婚を申し込みますが、彼女の継父が、自分自身の息子の許嫁である事を理由に許さず、
おまけに余りにも若い年の許婚で、未だ結婚する以前に未来の夫は戦死、
マッダレーナは修道院に籠ってしまいます。
が暫く後、当時のトスカーナ大公夫人エレオノーラ・ディ・トレードのピッティ宮の
宮廷侍女をする形で修道院を出ますが、決して一人での外出は許されず、
で彼はここに家を買い、大公夫人のお出ましに従う彼女と、熱い眼ざしを交わしたとか。
当時の年代記は伝えます、
その2人の様子を眺めるため、大勢のやじ馬が集まったのですと! ははは。
で彼はここに家を買い、大公夫人のお出ましに従う彼女と、熱い眼ざしを交わしたとか。
当時の年代記は伝えます、
その2人の様子を眺めるため、大勢のやじ馬が集まったのですと! ははは。
で、遂に大公夫人が継父の許しを得に乗り出し、めでたく2人は結婚に。
当時の年代記は伝えます、
コンフェッティ(結婚式にまかれる砂糖菓子)は春の霰のように降り注ぎ、
ワインは川のように流れた、と。 めでたし、めでたし。
コンフェッティ(結婚式にまかれる砂糖菓子)は春の霰のように降り注ぎ、
ワインは川のように流れた、と。 めでたし、めでたし。
ガンベライア荘はいわば村外れに当たりますから、村の中心はこんな風な眺めに。

で左端の方に目を移すと・・

この様に、村の家並の向こうにドゥオーモが見えるのでした。
もう一度、先にご覧頂いた村の目抜き通りの写真をどうぞ。
左側奥斜めに古げな建物が見え、その手前のクリーム色に緑の鎧戸ですが・・

こういう入り口が見え、あのガラス戸には・・

LA CAPPONCINA di Settignano ・ラ・カッポンチーナ・ディ・セッティニャーノ
と書かれていますね。

実はこれ、勝手にミーハーしている、今時こんな言葉ももう無いかな?
ガブリエーレ・ダヌンツィオ・Gabriele d'Annunzioが1898年から1910年まで住み、
当時彼の愛人であったエレオノーラ・ドゥーゼ・Eleonola Duseが、隣の小別荘に
住んでいたのだそう。
フィレンツェでドゥーゼの別荘の隣に住んだというのは知っていたので、ガイドブックで
セッティニャーノ村に別荘がある、と知り、これはもう、見に行かにゃ!と。
セッティニャーノ村に別荘がある、と知り、これはもう、見に行かにゃ!と。
で運転手さんが、ほら、これがカッポンチーナよ、と車を停めてくれ、見て驚き! 唖然!
あぁた、別荘と読んだのが、実はこんな道端のガラス扉だったと想像しますぅ?!
ましてあの、ダヌンツィオ様ですもの。 ははは。
レストランになっている事も知らずに訪れたこの馬鹿は、それでも扉から覗きに行きましたが、
閉店中で中は暗く、田舎のバール式に、いささかがっかり!!
閉店中で中は暗く、田舎のバール式に、いささかがっかり!!
運転手さんは1度行った事があるとかで、私の失望を見てとり、表はああだけど、
中はとても可愛くて素敵なレストランなのよ、眺めは素晴らしいし、と慰めを。
中はとても可愛くて素敵なレストランなのよ、眺めは素晴らしいし、と慰めを。
サッカーのフィオレンティーナのファンがよく行くのだそうですが、サッカー場から近いし、
なかなか良い場所だから、との事。
なかなか良い場所だから、との事。
ダヌンツィオとドゥーゼについては、こちらに。
アーゾロを彩る女性ふたり ・ アーゾロ市立博物館 n.1
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463693720.html
アーゾロを彩る女性ふたり ・ アーゾロ市立博物館 n.1
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463693720.html
ガルダ湖畔 ・ G・ダヌンツィオの家、 そして サロ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463417856.html
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463417856.html
サイトは新しくなっていて、http://www.capponcina.com/
この写真は既にありませんが、あれこれ写真が見れますのでどうぞ。 冬季は閉店とか。
この写真は既にありませんが、あれこれ写真が見れますのでどうぞ。 冬季は閉店とか。

レトロ風でもあり、モダンでもあり、なかなか可愛いお店の様子です。
ダヌンツィオが住んでいた当時の別荘の写真も見つけましたが、
広々と面影がまるで違い、内部も彼の趣味を反映し高級な家具類で飾られていたそう。
写真は彼の書斎で、ガルダ湖畔の家の雰囲気に良く似ていますね。
という事で、セッティニャーノ村を去りましたが、これは来る際にも見た道端の城館。

上り坂のカーヴの位置にあり、戻りに車を止めてくれましたが、今は個人の所有だそうで、
中は見れません。
まさに中世の城ですが、13,4世紀でしょうか? どんな方の持ち物なのでしょうねぇ。


中を見たいとは思いますが、まぁ住みたいとは。 暖房費も大変でしょうし・・! はは。
うろうろ見ていると、上から石でも降って来そうですね、あはは。
運転手さんが眺めの良い場所にと、フィエーゾレとの分かれ道まで走ってくれました。
周遊バスで見憶えていた小さな礼拝堂のある場所。
周遊バスで見憶えていた小さな礼拝堂のある場所。

生憎高めの石垣と金網でフィレンツェの方角は無理でしたが、フィエーゾレの丘を望み。
緩やかな丘の流れの向こうに、大きなヴィッラ。


遥かにフィレンツェの街を望み。

長い記事、おまけにごちゃ混ぜの内容にお付き合い下さり、お疲れさまでしたぁ!
◆* おまけ *◆
私のイタリア語の先生、アンナリーザの長女、ジョールジャ・Giorgiaの
ブログ・デヴュー、日本向け初お披露目です。


昨年5月20日生まれで、この秋にはお姉ちゃんになる予定で~す!
(ばらした事は、内緒です、ははは)
パパのお目めとそっくりですが、でも青いのですよ!
(ばらした事は、内緒です、ははは)
パパのお目めとそっくりですが、でも青いのですよ!
◆*◆*◆
ブログご訪問、有難うございます!
カーニヴァルが済み、昨夜からサン・レモ音楽祭が始まり、バンクーバーの冬季
オリンピックも始まっているのに、TVニュースだけで済ませています。
このブログの下調べもあったのですが、へへへ、実は別の新しい興味ができまして・・。
ええと、新しい玩具を買ったのです、はい、新しいカメラを。
今迄使っていたのはニコンのD80ですが、デジタル以前はF5を。
3年前の購入時には、D80以上は格段にお高い品になるので選んだのですが、
どこがどうとは分からないままにどことなく不満だったのですね。
それが今回噴出したという訳で、友人のご意見や、店の人の進言にも従いつつ、
今後買い替えずに済みそうな品をと考え、思い切ってD300sを。
どこがどうとは分からないままにどことなく不満だったのですね。
それが今回噴出したという訳で、友人のご意見や、店の人の進言にも従いつつ、
今後買い替えずに済みそうな品をと考え、思い切ってD300sを。
ええ、とても満足で、自然に顔が綻びます。
ずしっとした持ち応えに、バシャッと響くシャッター音、痺れます!
久し振りにF5を使っていた時の快感が蘇りました。 うふん。
ずしっとした持ち応えに、バシャッと響くシャッター音、痺れます!
久し振りにF5を使っていた時の快感が蘇りました。 うふん。
おまけになんとも素晴らしい技術で、マニュアルブック(イタリア語)と日本語の
サイトを見比べつつ、使い方に慣れようと、毎晩あれこれお勉強、お遊び中なのです。
来週はフェッラーラに行く予定ですから、様子を見て頂きますね。
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