先回ご案内の、フィレンツェはアルノ河の向こうにある
サン・ミニアート・アル・モンテ聖堂を、ヴェッキオ宮の後ろの広場から、
現在ウッフィツィ美術館の出口になっている、あの辺りからの眺めですが、

この古い13世紀建設の聖堂に少し雰囲気の違う、15世紀半ばの、ルネッサンスの
優雅さに満ちた礼拝堂があるのを先回ご覧頂きましたが、
まず最初にお断りを。 今日は少し神秘的な世界から果ては世俗の話までごちゃまぜで、
おまけに長くなりますが、どうぞお付き合いくださいませ!
おまけに長くなりますが、どうぞお付き合いくださいませ!
サン・ミニアート・アル・モンテ聖堂にある「ポルトガルの枢機卿の礼拝堂」・
Cappella del Cardinale di Portogalloは、アントニオ・ロッセリーノ・
Antonio Rossellinoと、その兄ベルナルド・Bernardoの作と伝わります。

ポルトガルの枢機卿と呼ばれる方の名前は、ヤコポ(ジャコモ)・ディ・ルジターニア・
Jacopo(Giacomo)di Lusitania、ポルトガル語読みの名はジャイメ・
Jaime(1433-1459)で、当時のポルトガル王アフォンソ5世・Afonso Vの従兄、
2歳上のイザベッラ・Isabellaが王と結婚しているので、義理の兄弟にもあたります。
ルジターニアというのは、イベリア半島の西南部の古代ローマ領を示し、現在の
ポルトガル中央部に当たり、イタリア語で彼の名はジャコモ・ディ・コインブラ・
Giacomo di Coimbraとも。
ポルトガル中央部に当たり、イタリア語で彼の名はジャコモ・ディ・コインブラ・
Giacomo di Coimbraとも。
ジャコモの父親ペードロはアフォンソ5世の叔父に当たり、わずか6歳で即位した甥の
摂政となりますが、王位簒奪を狙う噂が立ち、とどのつまりは内戦となり死亡。
摂政となりますが、王位簒奪を狙う噂が立ち、とどのつまりは内戦となり死亡。
16歳のジャコモも反逆者とされ1年間獄に繋がれますが、多感な年代に受けた精神的
影響が大きかったのか自由の身となるとすぐに宗門に入り、20歳でリスボンの大司教、
そして許される最年少の22歳で枢機卿に。
1459年に法皇ピオ2世が招集したマントヴァの公会議、はたまたコスタンティノープルを
占領したトルコ討伐の十字軍に参加の為にローマからの旅の途中健康状態が悪化、
7月はシエナに留まり、8月にフィレンツェに。
そして8月27日にこのフィレンツェで25歳の若すぎる死を迎えます。
既に死を予見していた枢機卿自身の希望でここに葬られ、ロッセリーノ兄弟、
ルーカ・デッラ・ロッビア等当時の一流芸術家を集め、ポルトガル王家一族の
莫大な財力により作られた素晴らしい礼拝堂で、
ルーカ・デッラ・ロッビア等当時の一流芸術家を集め、ポルトガル王家一族の
莫大な財力により作られた素晴らしい礼拝堂で、

頭上に天使が王冠を捧げ持ち、布の柄も彫り込まれているのが見えますが、
かっては、金で彩られていたとか。 天使の顔も素晴らしく、なんとも優雅です。
かっては、金で彩られていたとか。 天使の顔も素晴らしく、なんとも優雅です。
先回ちょっと触れましたが、
森下典子著 前世への冒険-ルネッサンスの天才彫刻家を追って 光文社知恵の森文庫
には、ポルトガルの枢機卿と呼ばれる王族の一人と、フィレンツェ郊外セッティニャーノ村
出身とされる彫刻家、デジデーリオ・ダ・セッティニャーノ・Desiderio da Setignanoが
実の兄弟、デシデーリオが庶出の兄で、この枢機卿が嫡出の弟である事を、
様々な調査の末に突きとめた事が書かれているのですね。
以下の文中で、少しずつそれらの事柄についてもご紹介を。
出身とされる彫刻家、デジデーリオ・ダ・セッティニャーノ・Desiderio da Setignanoが
実の兄弟、デシデーリオが庶出の兄で、この枢機卿が嫡出の弟である事を、
様々な調査の末に突きとめた事が書かれているのですね。
以下の文中で、少しずつそれらの事柄についてもご紹介を。
デジデーリオ・ダ・セッティニャーノという、ルネッサンス期の彫刻家とは一体どんな人?
なのですが、
なのですが、
これは、フィレンツェのバルジェッロ博物館にある彼の作品「聖ジョバンニ・聖ヨハネ」で、
見るからに繊細な作風が伝わって来ます。
見るからに繊細な作風が伝わって来ます。

バルジェッロ博物館は今回初めて訪れましたが、ミケランジェロ、ドナテッロ等など、
とにかく大作力作がこれでもかぁ! と揃っていますから、
優雅で洗練され、線が少し細いデジデーリオの作品は、そのつもりでないと皆さんの
記憶にも残り難いのではないかと。 他に、薄い浮彫の作品もあります。
とにかく大作力作がこれでもかぁ! と揃っていますから、
優雅で洗練され、線が少し細いデジデーリオの作品は、そのつもりでないと皆さんの
記憶にも残り難いのではないかと。 他に、薄い浮彫の作品もあります。
メディチ家の菩提寺とも言えるサン・ロレンツォ聖堂・Basilica di San Lorenzoにある
タベルナーコロ・デル・サクラメント・Tabernacolo del Sacramento「秘跡の壁龕」。

ご覧の様に、薄い大理石の中央部に遠近感を用いた凄い作品で、
一番上の幼児のキリストが、なんともあどけない可愛らしさ。
最初、森下さんの本で見た時に、真ん中のいわば廊下の奥部分に少し違和感を
感じていたのが、サン・ロレンツォで実物を見ると、周囲に何か小さな穴の様な物を認め、
傍の管理の男性に何かと尋ねましたら、学芸員の女性を呼んでくれ、説明が聞けました。
感じていたのが、サン・ロレンツォで実物を見ると、周囲に何か小さな穴の様な物を認め、
傍の管理の男性に何かと尋ねましたら、学芸員の女性を呼んでくれ、説明が聞けました。
尋ねると説明してくれる学芸員の女性が2名ほど常駐し、こういう態勢はさすが凄いなぁ、
と感心した事でした。
と感心した事でした。
穴とみたのは当然で、元は小さな扉がついた聖餅・ホスティア入れで、
かってはこの聖堂の旧聖具室・Sagrestia Vecchiaにあったのだそう。
かってはこの聖堂の旧聖具室・Sagrestia Vecchiaにあったのだそう。
ですから、サン・ミニアート聖堂の聖具室の壁にあった聖餅入れのように、
壁のくり抜き穴の前にこれが据えられていたのでしょう。
下の聖母と聖ヨハネの台座部分の浮彫も、上の部分の洗練さに比べ少し見劣りがする、
もしくは少し違う作風も感じ、それも尋ねましたら、
やはり、後の時代に集められ、この形でここに移されたので、
いつの時代に、どういう意図だったのかは分からない、との事でした。
もしくは少し違う作風も感じ、それも尋ねましたら、
やはり、後の時代に集められ、この形でここに移されたので、
いつの時代に、どういう意図だったのかは分からない、との事でした。
これは、フィレンツェのパンテオンとも言える、有名著名人のお墓がずらりと揃っている
サンタ・クローチェ教会・Santa Croceにある、デジデーリオを一躍有名にしたという
マズルッピーニの記念墓碑・il monumento Marsuppiniの
左脇のなんともあどけない少年天使像。
サンタ・クローチェ教会・Santa Croceにある、デジデーリオを一躍有名にしたという
マズルッピーニの記念墓碑・il monumento Marsuppiniの
左脇のなんともあどけない少年天使像。

少年の品の良い可愛らしさが評判をとったのでしょう、調べると、たくさんの少年像が
見つかりました。
見つかりました。
デジデーリオの生年は多分1430年、亡くなったのはわずか34歳の1464年。
生年が曖昧というのは、後に有名になった人に有り勝ちですが、森下さんの調査によると、
彼の場合は少し意味が違うのですね。
彼の場合は少し意味が違うのですね。
税金額の査定の元になる土地台帳・Catastoというのがあります。
それには彼が17歳になっている筈の年にも記入がなく、
21歳になった1453年に突然に、セッティニャーノ村の石工の息子として出現し、
サンタ・マリーア・ノヴェッラ教会の説教壇の仕事を、同じセッティニャーノ村出身の
アントーニオ・ロッセリーノと共同で請け負う、
石工と木材の師匠組合・Arte dei Maesrti di Pietra e Legnameに入会、
同年にこのマズルッピーニの記念墓碑の仕事も。
1457年には兄のジェリ・Geriと共同でサンタ・トゥリニタ橋の脇に工房も持ち、
仕事は順調に発展したようで、納める税金の額も多く、土地台帳にしっかりと記載あり。
仕事は順調に発展したようで、納める税金の額も多く、土地台帳にしっかりと記載あり。
サイトで見つけた、しっかり見える作品をご紹介しますね。
なんとも優美で上品な聖母子ですが、これはアメリカ・カリフォルニア州のパサデナにある
ノートン・サイモン美術館蔵。
ノートン・サイモン美術館蔵。

マリア・ストロッツィ・Maria Strozzi像。 ベルリンのStaatliche Museum所蔵。

今回このデジデーリオ・ダ・セッティニャーノのご紹介と、森下さんの著作ご紹介の
折り合いをどうしたら良いのか、かなり考えました。
森下さんの本は謎解き風に書かれている部分が多く、結論的な事を私が書くのは
いけないのではないか、と。
ですが、調査の過程が大変興味深く、しっかりしているので詳細を辿るのが実著書で
十分に楽しんで頂けると思い、彼女が調べ上げた一部分をここに。
十分に楽しんで頂けると思い、彼女が調べ上げた一部分をここに。
このポルトガルの枢機卿の礼拝堂は、どの美術書にも歴史書にも彫刻は
アントーニオ・ロッセリーニの作、彼の兄ベルナルドが礼拝堂建設の総指揮を執ったとあり、
それに間違いはないのですが、
アントーニオ・ロッセリーニの作、彼の兄ベルナルドが礼拝堂建設の総指揮を執ったとあり、
それに間違いはないのですが、
この若くして亡くなった枢機卿の顔のみは、遺言執行者から個別に依頼され、
デジデーリオが彫っているのだそう。
それを調べあげた森下さんは、枢機卿とデジデーリオは異母兄弟であったからであろう、
と推察します。
と推察します。
この調査に彼女を駆り立てた根源には、取材で出会った過去を読む女性から、
あなたの前世はデジデーリオ・ダ・セッティニャーノという彫刻家だった、と言われた事に
始まりますが、次々と不思議な巡り合わせがあり、時に戦慄しながらも突き進みます。
あなたの前世はデジデーリオ・ダ・セッティニャーノという彫刻家だった、と言われた事に
始まりますが、次々と不思議な巡り合わせがあり、時に戦慄しながらも突き進みます。
前世への冒険-ルネッサンスの天才彫刻家を追って 光文社知恵の森文庫
には、ルネッサンスの揺籃期の世相、文化等なども詳細され、登場人物の人間関係、
ロッセリーノ兄弟、レオン・バッティスタ・アルベルティも大変興味深い芸術家の繋がりで、
途中の謎も私はたくさん省いてご紹介していますから、
後は 是非! と一読をお勧めします。
という事で、フィレンツェ滞在最終日の午後、セッティニャーノ村に出かけました。
位置関係を地図でどうぞ。
マークの付いている場所が国鉄駅で、斜め横の赤丸がドゥオーモ辺りですね。

セッティニャーノ村は、フィレンツェから大体東に約8K程、北東に位置するフィエーゾレ・
Fiesoleと国鉄駅からだとほぼ同距離で、私はヴェッキオ橋を南に渡リ、
東に少し行ったタクシー乗り場から。
最初のタクシーの運ちゃんは、セッティニャーノ村に行き、セッティニャーノの像と、
ガンべライア荘、カッポンチーナ荘を見て写真を撮りたいのだけどと言うと、
良く知らんからと去り、次に来た女性の運転手はOKで出発。
ガンべライア荘、カッポンチーナ荘を見て写真を撮りたいのだけどと言うと、
良く知らんからと去り、次に来た女性の運転手はOKで出発。
フィエーゾレがフィレンツェのパノラマが見える場所として有名ですが、実際に行ってみると
かなり遠いのに比べ、セッティニャーノ村の方が、格段にドゥオーモが近いですね。
かなり遠いのに比べ、セッティニャーノ村の方が、格段にドゥオーモが近いですね。

これはほぼ村に近づいた位置から。
森下さんの本で、広場にデジデーリオの像があると読んでいて、広場は一つと思いこみ、
村の中心広場にあるものと。
村の中心広場にあるものと。

で、この広場に連れて来てくれたのですが、この教会前広場に像はありましたが、
デジデーリオではなく、白い綺麗な像なので、デジデーリオ像と取り換えられたか?!
と一瞬大いに焦りました!
因みにこの教会は、サンタ・マリーア・アッスンタ教会・Santa Maria Assuntaといい、
現在の形は16世紀の物ですが、元は12世紀からとの事。
聖母子像が正面上に見えますが、テラコッタの白塗りとの事。
現在の形は16世紀の物ですが、元は12世紀からとの事。
聖母子像が正面上に見えますが、テラコッタの白塗りとの事。
時々このテラコッタ焼の白塗り、という言葉に出会うのですが、
やはり大理石よりも安上がりだったのかも、ですね。
やはり大理石よりも安上がりだったのかも、ですね。
いわば村の目抜き通りのヴィア・サン・ロメーオ・Via San Romeoで、上の広場から
東への通りですが、とにかく道が狭く、タクシーが結構横幅の広い車で、
通り抜けがやっとの場所も。

左側の並びに、斜めに少し古い建物が見えますが、その手前のクリーム色の壁、
緑の鎧戸の建物にご注目を! 後ほどご紹介いたしますね。
緑の鎧戸の建物にご注目を! 後ほどご紹介いたしますね。
女性運転手は大変テキパキとした対応で、運転も素晴らしく上手く!
私がデジデーリオの像ではない、と言うと考えつつ、そう言えばもう一つ広場があったと、
どこまでも狭い道を抜け、折り返して狭い道を下りこの広場に。
あったぁ!
私がデジデーリオの像ではない、と言うと考えつつ、そう言えばもう一つ広場があったと、
どこまでも狭い道を抜け、折り返して狭い道を下りこの広場に。
あったぁ!

森下さんが訪れた1993年の10月から既に16年を経ている訳で、本の中の写真より
汚れていますが、すぐ分かりました。
この像は、先日ご案内のカステルフランコの町のジョルジョーネ像よりも
作品として格が上ですねぇ、ははは。 足元に見える作品も美しく。
こちらにアップを。
左手に鑿を、右手には金槌を(アップして確認)握り、眉をしかめて見ている先には・・、
左手に鑿を、右手には金槌を(アップして確認)握り、眉をしかめて見ている先には・・、

ほら、フィレンツェのパノラマが広がるのです!
広場は樹に囲まれ、ちょうどこの位置、デジデーリオの目の先の部分が開け、
この景色が。素晴らしい場所!
フィエーゾレよりも近く低く、ドゥオーモが見えます。

上の右側部分で、のんびりとした田園風景が広がり、運転手さんが言っていた通り
サッカーの試合日で、マイクを通しての声に連れ、わぁ~わぁ~という歓声が
風に乗って聞こえて来ます。

と、ここまで長々とご案内致しましたが、実はまだ続くのです! 呆れないで!!
その2の、セッティニャーノ村探訪に、お進み願います。
*****
ブログご訪問、有難うございます!
見たよ! の応援クリックも宜しくお願い致しま~す!
見たよ! の応援クリックも宜しくお願い致しま~す!
*****
コメントの書き込みについてのお願い。
ブログの記事下に、「コメントを書く」が出ていない時は、
上か右の、記事タイトルをクリックして頂けると
記事の一番下に「コメントを書く」が出ますので、よろしくお願いいたします。
上か右の、記事タイトルをクリックして頂けると
記事の一番下に「コメントを書く」が出ますので、よろしくお願いいたします。
非公開コメントをご希望の場合は、非公開で、と書いて頂くと、
コメント承認制ですので、保留にし、お返事だけ公開しますので、
それもご了承下さいませ。
コメント承認制ですので、保留にし、お返事だけ公開しますので、
それもご了承下さいませ。
この記事へのコメント