・ n.1 ラヴェンナ ・ モザイク詣で 

今日は余りにも有名なラヴェンナ・Ravennaのビザンティン・モザイクのn.1、
サン・ヴィターレ聖堂と、同じ敷地内にあるガッラ・プラチーディア廟のご案内を。
   
まずはラヴェンナの街の地図をどうぞ。
ラヴェンナには、ボローニャから東に国鉄で1時間20分ほど、フィレンツェからだと
ボローニャ経由で2時間半、いずれにしても、なんとか日帰りできる範囲ですね。
真ん中右矢印に国鉄駅があり、街の中心ピアッツァ・デル・ポポロ・Piazza del Popolo
まで約700(測りました)で、
        
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赤線で囲った左上に、ご案内のサン・ビターレ聖堂・Basilica di San Vitale  
図の黄丸1と、ガッラ・プラチーディア廟・Mausoleo di Galla Placidia 黄丸2.
左下黄丸4には、オルトドッサ(ギリシャ正教)の礼拝堂と、
黄丸5は、ムゼーオ・アルチヴェスコヴィーレ(大司教博物館)内に含まれる
サンタンドレア礼拝堂・S.Andrea.
右下に囲った黄丸6のサンタッポリナーレ・ヌオーヴォ、ここは今回訪ねませんでしたが、
 
その下に↓で記した、街から南に7K程にあるサンタッポリナーレ・イン・クラッセ・
S.Apollinare in Classeは訪問し、モザイク詣で・その2でご案内致します。
28には、この地で亡くなったダンテのお墓と博物館。



ラヴェンナは26年振りの再訪で、鄙びた町という印象が残っていたのが、なんのなんの!
例によって駐車場探しに行ったり来たりしましたが、怪我の功名で、
気が付けばぴったり入り口脇の大駐車場に到着。

以前よりも大幅に整備され、何せ世界遺産指定ですものめ、北側隣接の
国立ラヴェンナ博物館から入場するようになり、
ローマ期の発掘物が所狭しと並ぶのを通りぬけます。
 
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実際これだけでもしっかり見る価値大なのですが、今回はモザイク詣で、という事で。

このラヴェンナはローマ期に、アドリア海を掌握するための大ローマ海軍が置かれた地で、
あちこちに残るクラッセという地名もクラッシス・Classis・ローマ海軍、から来ているのだと。

cucciolaさんの興味深いこちらをどうぞ。
http://blog.livedoor.jp/cucciola1007/archives/902945.html

実際当時の繁栄は大変なものだった様で、行き会ったグループのガイドの話を漏れ聞くに、

金を使ったモザイクは、一つの教会と思うと大した事がないようだが、巡礼達が回る
教会礼拝堂の類は当時xxとあり、90と聞いた気がするものの、肝心の数字が頭に残らず!
その総量とすると大変な金額となる、との説明でした。 なる程!


で、この現在の地面よりも低い位置の、このアーチを抜けサン・ヴィターレ聖堂の方に。

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このアーチの雰囲気が大変に荘重で、見た途端なんとなしざわっと来た事を忘れません。



聖堂内にも、以前とは逆に奥の暗い位置から入り、そろそろと内部に。
こんな風に見え始めますから、なんとなしに息を詰めて・・。

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内部は八角形に堂が張り出していますが、奇跡的にも残っているこの部分。
6世紀のビザンティン美術の傑作、なんぞという説明はまるで必要のない、
圧倒的な美しさが目の前に!!
       
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まずは天井部分。

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そして後陣上部のキリスト。

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後陣キリスト像の下部、
窓の左側には東ローマ帝国のジュスティニアーノ1世・Giustinianoの姿。

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左部分の手前側、何とも豪華絢爛に、様式に従いつつ、かつ、いとも大胆に。

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ユスティニアヌス1世の像と向かい合う位置にあるのが、彼の妃テオドーラ・Teodora像。

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この元娼婦だったと言われる、意志の強そうな彼女の美貌。
そしてこの表現の、大胆で的確な色と線!
誰がどう見ても、圧倒的な美人である事を認めさせる描写力に乾杯!

皇帝と后妃はコンスタンティノープルにて在位で、一度もラヴェンナに来た事はなく、
モザイク職人も、きっとあの東の都からやって来たのでしょう。

547年にこの聖堂が完成し、その翌年に2人共に亡くなった様ですが、
1500年後の今も艶然たる美貌を黄金色に囲まれ、ここに健在。

聖堂のブックショップで「テオドーラの生涯」という小冊子を購入、
今回肝心の前半生部分を大急ぎで読みました。

父親の早い死による生活苦より逃れるために、その美貌と若さを武器に娼婦生活に。
20歳の時に未来の皇帝と知り合い、じわじわ食い込み陥落させ、
身分差のある結婚に反対の法律をも変えさせ7年後に結婚、遂に皇帝妃となり
21年間その位に。 お分かりですねぇ、単に美貌と若さだけでは出来ない事、はい。


右側手前部分。 少し斜めになりましたが、テーブルの上の金の壺、
どの様に金のモザイク片が使われているか、お分かりでしょうか。

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これでもか、というほど金色があちこちで輝き、赤、緑、白、青と極彩色の柄で
埋め尽くされ、小鳥達が、羊が、天使が、神の福音を伝えます。

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教会の入り口部分、今は逆に出口となっているのですが、床モザイクをどうぞ。
堂内全部埋め尽くされていますが、内後陣の凄さの前には、素朴で質素に見えますね。

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教会正面入り口、手前の小道を右奥に辿ります。
  
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聖堂の後ろからの眺めと、

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奥に見えるガッラ・プラチーディア廟。

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名前を冠されているガッラ・プラチーディアなる女性は、西ローマ帝国皇帝テオドーシオ・
Teodosioの娘で、5世紀中頃に、自分と夫コスタンツォ3世・Costanzo、
そして弟オノーリオ・Onorioの礼拝墓地として建設させた、との事ですが、
彼女自身はあれこれ歴史の波の中で変遷の末、ローマに葬られている様子。



それはともかく、この素晴らしく美しい小さな廟をどうぞ!
アーチ状の天井部分に輝くブルー地の柄と、

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入り口上部の半円の、良き羊飼い。

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中央の高い丸天井部分、
満天の夜星の真ん中に十字架があり、四隅に4福音者のシンボル、

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左右の半円には、神(水)を求めるキリスト信者の姿が、泉で水を飲む鳩、
水を探す鹿の姿として描かれ、

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良き羊飼いのキリスト像と向かう奥の半円には、火刑に処せられたサン・ロレンツォの姿。

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赤茶色に見えるのは、窓のアラバスター(大理石)で仄かに光を通し、内部は殆ど薄暗がり。
次々の観光客に静寂を乱されて、お気の毒なような・・。



最後にもう一度、美しい柄模様と蒼をどうぞ!

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ラヴェンナ ・ ビザンチン・モザイクの輝き  グロリオーザさんのご案内
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463253355.html

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