今日は先日行って来ましたフェッラーラ・Ferraraのご案内を、
いえ、まだ写真の整理が全部済んでいませんので、その予告編を!
いえ、まだ写真の整理が全部済んでいませんので、その予告編を!

買い込んできた本やガイドブックもまだ読みかけですので、
今日のご案内は、大きなご紹介だけにさせて頂き、
詳細は追ってぼちぼちという事で、よろしくお願いいたしま~す。
今日アップの写真数は、余り自慢になりませんが50枚ありますので、
どうぞお茶など入れて、お気楽にご覧下さいませませ!
どうぞお茶など入れて、お気楽にご覧下さいませませ!
今回はフェッラーラの街のみに絞りましたので、国鉄利用で。
我がコネリアーノからだと、ヴェネツィア・メストゥレでの
乗り換えの待ち時間を入れても2時間半ほど。
我がコネリアーノからだと、ヴェネツィア・メストゥレでの
乗り換えの待ち時間を入れても2時間半ほど。
10時半には到着し、歩いて中心地に。 現市役所の中庭から見るドゥオーモ、
ああ、フェッラーラにまた来れた! と思う一瞬。
ああ、フェッラーラにまた来れた! と思う一瞬。

ドゥオーモの細部を少し。 正面上の聖母子像。

聖母子像のすぐ横にこんなのが、あはは。 いややぁ、釜茹では嫌やぁ!!

今回大変素晴らしい位置にあり、値段も安い宿を発見!
是非お勧めしようと、いろいろ尋ねて来ましたので、次回には詳細を。
で、荷物を置きすぐにお城巡りに。 ぐるっと濠を回って、これは北からの入り口跳ね橋。

渡って出る場所が、お城の中庭。 この左手奥にインフォメーションがあり、
右手に傾斜して見える渡り橋が、お城見学の入り口。
右手に傾斜して見える渡り橋が、お城見学の入り口。

出かけて来たコネリアーノも小雨、途中のトゥレヴィーゾ、パドヴァは大降りでしたが、
フェッラーラではちょうど止んだ後。まだ地面が濡れ、写真の発色もイマイチですが、
ボクが、ほれっ! と決めてくれ。

お城見学は、私以外に3人見かけたのみ! 殆ど一人で歩き、この地下牢にも一人。

こういうものには大変怖れなのですが、この地下牢には謂れのある人物名が絡むので、
頑張って写真も撮って来ましたぁ、はい。
本番をお楽しみに!! ええ、これは廊下部分です。
頑張って写真も撮って来ましたぁ、はい。
本番をお楽しみに!! ええ、これは廊下部分です。
これも地下牢の、廊下部分の床煉瓦、古いオリジナルのまま残っているそう。

上階に上がると豪華な部屋が続き、天井のフレスコ画を見るのに、大きな鏡が。
アイディアだなぁ! イタリアのお城では初めてお目にかかったような・・。
下側にshinkaiの頭とレンズと手が。

こちらは細長い三角の鏡。 古いお城に、モダンアートが入ったイメージ。

見学最後の、紋章の間。 天井にかかる布が、なんとも優雅な演出で。

現在は市役所になり、この広場も市役所広場と呼ばれますが、
かってはここもエステ家のドゥカーレ宮で、その階段の中程を。
かってはここもエステ家のドゥカーレ宮で、その階段の中程を。

お城の東側には、この方が。 フェッラーラ出身で、フィレンツェを、カトリック教会をも
揺り動かしたサボナローラ・Savonarola.
揺り動かしたサボナローラ・Savonarola.

今回の宿の食堂から。 ほらね、凄い位置でしょう?!
横のテラスに出ると、も少し正面が見えます。
横のテラスに出ると、も少し正面が見えます。

で、ツインの部屋を一人で使い65エウロでした。 も少し離れた位置にあるホテルでも
100~150ですから、これはもう本当にお勧めの宿!
100~150ですから、これはもう本当にお勧めの宿!
3日目の朝はお天気だったので、この景色。 こちらはホテルのテラスから。

ドゥオーモの斜め前にあるエステ家の領主像、
騎馬像がニコロ3世・Nicolò III、座っているのがボルソ・Borso.

フェッラーラは自転車の街、と言われますが、 まぁ本当に、本当にその通り!!
どの写真にも、自転車の姿!
一人で行くのも・・、

2人でゆっくり歩くのも・・、

道いっぱいに行くのも・・。
街中の車は規制されているのか、大変少なく、犬も人もゆっくりと道を横切り、
写真を撮りに動くのも、まるで心配なし。
写真を撮りに動くのも、まるで心配なし。

ドゥオーモの南側の広場から東に、マッツィーニ通り・via Mazziniは、
かってのユダヤ人のゲットーに含まれ、今もシナゴーガが博物館としてあります。

今回学生たちと一緒に見学でき、ナチの強制収容所で使われた縞の服も実物を見、
興味深い話も聞けましたのでまたご紹介を。
興味深い話も聞けましたのでまたご紹介を。
この自転車、素敵でしょう?!

スキファノイア宮・Palazzo Schifanoia.
25年ほど前に初めてフェッラーラを訪れ、ここを見学、暦月の間と呼ばれるフレスコ画で
飾られた部屋に驚嘆して以来、今回が4度目の訪問。
内部はすっかり整備され、見学範囲も広くなりましたが、その代わり、写真撮影が禁止に。

入り口上にいる一角獣かな、 長い角に、今回初めて気がつきました、ははは。
ずっと、馬か犬だと思っていたのですよ!

スキファノイア宮の近くにある、コルプス・ドミノ教会、修道院。
ここにはエステ家の当主たちのお墓があり、今回訪問。
エルコレ1世も、アルフォンソ1世も、ルクレツィア・ボルジャもここに眠っています。

ドゥオーモの南側広場のかってのサン・ロマーノ教会が、現在ドゥオーモ博物館に。
ここに、コスメ・トゥーラのサン・ジョルジョが。
今回初めてお目にかかり、その大きさ暗さに驚き、
そしてまた、13世紀の暦月の彫像の素晴らしさに見惚れました。

これは入口の中庭部分。
この博物館前を南に抜けるサン・ロマーノ通りは、中世時のこの街で、
商取引が一番盛んだった通りとお城の見学の際に知り、通り抜けに。
商取引が一番盛んだった通りとお城の見学の際に知り、通り抜けに。
狭い道の両側にポルティコが続きます。

アーチを支える円柱の柱頭部分に飾りが施され、当時の賑わい、繁栄を偲ばせます。

こちらは有名なヴォールテ通り・via Volte. 単に建物の支えではなく、住居になって
上に伸び、その形が全部で10ありますが、今回一部が工事中でした。

お城の南西部からの眺め。 やはり素晴らしい威容です。

お城の横に広がる広場の西端に、小さなサン・ジュリアーノ教会があり、
その入り口上にこの石碑。
その入り口上にこの石碑。

なんだぁ、これ?! 抜き身の剣を持った若い男がご夫婦の寝所に、と見るか、
はたまた、女房の浮気現場に踏み込んだ夫と見るか・・、
はたまた、女房の浮気現場に踏み込んだ夫と見るか・・、
おまけに教会の入り口でっせぇ! でも、男の頭に光輪があるから、聖ジュリアーノ?!
う~ん、何をされた方か、調べてみないと・・。
う~ん、何をされた方か、調べてみないと・・。
◆ 追記 サン・ジュリアーノについてのご報告を!
何年という表記もないのですが、フランドルの裕福な商人だったものの、性格が堅く
復讐心に富む男で、ある日狩りから戻って来ると自分のベッドに男女の姿を見つけ、
てっきり自分の女房とその愛人だと思い、ちゅうちょなく殺害。
何年という表記もないのですが、フランドルの裕福な商人だったものの、性格が堅く
復讐心に富む男で、ある日狩りから戻って来ると自分のベッドに男女の姿を見つけ、
てっきり自分の女房とその愛人だと思い、ちゅうちょなく殺害。
が、それは自分の両親だったそうで、大いに反省、贖罪の為に貧しい人を助けつつ南に。
イタリアのポテンツァ川で船から落ち、溺れかけるライ病の男もひるむことなく助け、
実はそれが神であり、贖罪を認められ聖人に、と。
イタリアのポテンツァ川で船から落ち、溺れかけるライ病の男もひるむことなく助け、
実はそれが神であり、贖罪を認められ聖人に、と。
サン・ジュリアーノ・ロスピタリエーレ・San Giuliano l'ospitaliere・
もてなしの聖人ジュリアーノというわけで、旅人の守護神だそう。
葬られたマチェラータ・Macerataにはたくさん教会記念碑があるそうですが、
パリのカルチェラタンにもSaint Julien l'Hospitalier教会があるとの事。
いやぁ、余りにも詳細に彫り込まれた石碑だったもので、
ついその気になって探しましたが、面白かった!
聖ジュリアーノと呼ばれる方は、何と40人ほどもおられましたぁ!!
お天気の良い道を、せっせと東に行く途中であったワン君。
バールの前、かなり必死の顔でご主人を待っています。

カーザ・ロメイ・Casa Romei・ロメイの家博物館。
これは掘り出し物という感じの博物館! 大変な豪邸で、何とテルメ式の浴場まであり、
エステ家の公爵様もしていない贅沢を!
エステ家の公爵様もしていない贅沢を!

内部は写真禁止でしたが、ほんの3枚程は、はい。
これは通りに開いていた扉の隙間から、泥棒猫ちゃん式に、はい。

コルソ・ジョヴェッカ・Corso Giovecca の東の突き当たりの、多分市の門、
ジョヴェッカ門と思いますが、上の幕にちらっと見えるように、
手前右にマルフィーザ・デステ宮・Palazzina Marfiza d'Esteがあり、
可愛い小じんまりの博物館に。
ジョヴェッカ門と思いますが、上の幕にちらっと見えるように、
手前右にマルフィーザ・デステ宮・Palazzina Marfiza d'Esteがあり、
可愛い小じんまりの博物館に。

内部は写真禁止ですが、これは庭園からの眺め。 マルフィーザ・デステは、
ルクレツィア・ボルジャの孫娘で、お祖母ちゃま共々、なかなか凄い噂が残ります。

小じんまりの庭園に東屋風のテラスがあり、天井部分にフレスコ画が描かれていて、
こちらは奥の、肉眼では見えない程の暗い部分を。

通り道で見かけた扉。 頑丈そうながら、繊細さも。

この角を2度行きつ戻りつ、その度に良い香り。
ふと見上げると、蝋梅の花。 既に終りかけですね。

最後に、街をぐるりと取り囲む城壁を見に。これはドゥオーモから南に抜けた位置で、
すっかり修復され、散歩コースにも、ジョギングにも。
すっかり修復され、散歩コースにも、ジョギングにも。

買い込んだ本でどっと重くなった鞄を引きづり、お城の横のタクシー乗り場まで。
駅まで行きたいのだけど、その前に城壁の周囲をぐるっと回って貰えませんか?
で、運転手さんお勧めのまわり順、まずお城から北の突き当たりまで真っ直ぐに。
突き辺りに見える門の建物、運転手さんによると、ボイアの家・
死刑執行人が住んでいたのだとか!
駅まで行きたいのだけど、その前に城壁の周囲をぐるっと回って貰えませんか?
で、運転手さんお勧めのまわり順、まずお城から北の突き当たりまで真っ直ぐに。
突き辺りに見える門の建物、運転手さんによると、ボイアの家・
死刑執行人が住んでいたのだとか!

ボイアの家の前で一旦曲がり、城壁の外に。 家の横の壁土手の上には、
騎馬警官が遊んで、いや、大事なお馬さんを遊ばせ、休ませていました。
うん、普通のシニョーレだった。
騎馬警官が遊んで、いや、大事なお馬さんを遊ばせ、休ませていました。
うん、普通のシニョーレだった。

城壁の外は散歩道がめぐり、ワン君も多く。

この部分は街の東になりますが、街の北側、そしてこの東、広々として、素晴らしい眺め!
全長9kもあるそうで、運転手さんが「昔の人間は偉かったねぇ!」と。 あはは。
この写真を大きくして見ると、ワン君もこちらを見つめていましたね。
東側の中程に出っ張る要塞部分。 ここにもたくさんの人々・・、

こんな風に、皆さん思い思いに・・。

2日目の午後からすっかり雲が晴れ、晩御飯の前に少し撮りに。

お城の照明はオレンジ色、少し濃いめかな。

お城前広場の本の屋台。
私が撮ろうとしているのを知り、シニョーラが前を横切るのを待っていて、恐縮。

ドゥオーモの南側の広場、広々と、殆ど車も通らず。
気がついてみたら、この街には上れる鐘楼も塔も無く、これも珍しい事。

すっかり暗くなった空の月。 広場やお城側に、何人かの大道音楽家たちが出て
音楽を奏で、この若者はそれを聞いているのです。
音楽を奏で、この若者はそれを聞いているのです。

エステ家がこの街に遺した物は大きく、生活風習も気風も、かってのままに続いている
部分があるのかも。 大学の街でもあるのに、のんびり感があり、
お菓子屋さんの、大きなカフェ・テラスが多いのにも少し驚きました。
部分があるのかも。 大学の街でもあるのに、のんびり感があり、
お菓子屋さんの、大きなカフェ・テラスが多いのにも少し驚きました。
という事で、写真整理(790枚)に励み、資料を読み、
ボチボチとご紹介して参ります。 お楽しみに!
ボチボチとご紹介して参ります。 お楽しみに!
追記:実はこの次に「フェッラーラのお城」についての2回分があるのですが、
引っ越しのどさくさにどこかに紛れたか、バックアップし忘れたか、
見つからず、泣いています。
写真はあり、何を書いたかも大きな趣旨は覚えていますが、いかんせん、
元の原稿がないので・・。 最悪の場合は春を待ち、一日再訪問にとも
思っていますので、お待ちくださいませませ。
*****
ブログご訪問、有難うございます!
見たよ! の応援クリックも宜しくお願い致しま~す!
見たよ! の応援クリックも宜しくお願い致しま~す!
*****
コメントの書き込みについてのお願い。
ブログの記事下に、「コメントを書く」が出ていない時は、
上か右の、記事タイトルをクリックして頂けると
記事の一番下に「コメントを書く」が出ますので、よろしくお願いいたします。
上か右の、記事タイトルをクリックして頂けると
記事の一番下に「コメントを書く」が出ますので、よろしくお願いいたします。
非公開コメントをご希望の場合は、非公開で、と書いて頂くと、
コメント承認制ですので、保留にし、お返事だけ公開しますので、
それもご了承下さいませ。
コメント承認制ですので、保留にし、お返事だけ公開しますので、
それもご了承下さいませ。
この記事へのコメント