・ n.1 チーマ・ダ・コネリアーノ展 ・ コネリアーノの町

今日のご案内は、イタリアはヴェネトの我が町コネリアーノ・Coneglianoで  
現在開催中の(6月2日迄) 我が町出身のチーマ・ダ・コネリアーノ展の様子、
そして、絵の中に繰り返し描かれているコネリアーノの町の、現在の姿を。

これは案内に使われている看板ですが、 聖母子の左の町と、右上のお城は
まさに現在も見分けられる町とお城で、

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「市壁に囲まれた町・ジャンバッティスタ・チーマの偉大な芸術と
歴史の中に今も生きるコネリアーノにようこそ」、と書かれています。



まずこちら、ワシントンのナショナルギャラリーから出品の
サンエーレナ・Sant'Elena 板に油彩49.5x20.5

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大変美しい絵ですが、左に橋が架かり町の城壁が見えますね。
そして彼女の右側に、市壁が丘の上に延びお城に続きます。

左奥の丘の上に見えるお城は、この距離感よりも遠いですが、
隣町のサン・サルヴァトーレのお城で、いずれも現存なのですね。

中世の城跡 ・ サン・サルヴァトーレ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463525627.html

勿論、今の町はもっと広がっていまして・・・、



こんな感じ。
モンティカーノ川・Monticanoに橋が架かり、かっての町の門もそのまま。

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この門は町の古い中心通りの東側の門で、モンティカーノ門、
そして見える塔はカッラレーゼ塔・Torrione Carrarese.
 
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カッラーラ家はパドヴァの領主で、ヴェネツィア共和国の元に滅びましたが、
かってはコネリアーノをも領有していたのですね。



町の地図をどうぞ。
10.が上の橋と門の位置で、ここから 9・チーマ展会場、 7.カーザ・ズバッラ、
8・ドゥオーモ、 6・チーマの生家、 9~6に繋がる道がかっての中心通り。

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その下を通る白い道が現在の中心通りで、中程に石段が見え、そこから北の一帯が
かってのコネリアーノの中心地で、右下に見えるのが国鉄駅。

町については何度かご案内していますので、なるべくダブらないよう、
今日は古い通りを東から辿り、チーマ展の会場と絵を少し、そして彼の家、
お城への道をご覧頂きますね。

我が町 コネリアーノ ・ ダーマ・カステッラーナのお祭り
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463527210.html

我が町 コネリアーノ ・ 再発見
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461745312.html


我が町コネリアーノ・Conegliano と ブログ開設のご挨拶
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460841080.html

  

町の東の門をくぐり、石畳の少し坂道を歩き始めるとじきに、右手に小さな
16世紀のアンヌンツィアータ礼拝堂・Oratorio della Annunziataが。

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現在閉っていますが、かっての町の有力者グラツィアーニ家・Grazianiの持ち物
だったそうで、隣に邸宅。
右横に見える上り道は、アージノの小道・ロバの小道と言いお城に続く細道。



この古い通りは、ヴィア・ヴェンティ・セッテンブレ・via XX Settembre・
9月20日通りで、緩やかな坂道が上って下って続きますが、
コントラーダ・グランデ・Contrada Grande・大地区とも呼ばれ、
町一番の古くて美しい、建築的にも価値ある建物が並びます。
       
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これを撮ったのは3月初旬の日曜日、お店もお休みで人通りが殆どありませんで、
見えるのはチーマ展の観客のみ。



ここは中心のチーマ広場にほぼ近く、中程に見える半月形の屋根の建物は、
ベアータ・ヴェルジネ・デッラ・サルーテ礼拝堂・
Oratorio Beata Vergine della Salute.

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1652年ペストの終焉を機に、モンタルバン家のリナルド・Rinaldが建設。 
同時期のヴェネツィアのデッラ・サルーテ教会の小さな模倣でしょうか。
左手の一番手前に半分写っている大きな建物が下の写真。



モンタルバン邸・Palazzo Montalban. 18世紀末の物で新邸で、
別に旧邸も斜め前に。
       
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南側を通る下の道との両方に入り口を持つ大きな建物で、実際、通りが狭く
下がれず、全体が写せない程!
1797年には、ヴェネツィア共和国を倒したかのナポレオンも泊まったのだとか。

コネリアーノの町が記録に登場するのが10世紀、べッルーノの大司教、
戦争好きなジョヴァンニ2世・Giovanni IIの領土としてですが、

このモンタルバン家の名は町の大評議会にも1180年から登場し、16世紀には
オーストリア皇帝マッシミリアーノより伯爵位も授けられたとの事。



通りの両脇の建物下にも、ポルティコの歩道が続きます。

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テラス席のあるこの建物は、元のモンテ・ディ・ピエタ・Monte di Pietà・
公営質店で、1524年の建物。

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正面壁には、ルドヴィーコ・フィゥミチェッリ・Ludovico Fiumicelli という画家
の名が残る美しいフレスコ画が見えますが、
現在は4つ星ホテル・レストランのカノン・ドーロ・CANON D'OROに。

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昨年春プロセッコの取材に来られた坂本さんの宿だったので中を見るチャンスがあり、
なかなか豪華な物でした。
ご覧の様に入り口はこの細長い建物ですが、ホテルとしては右隣の建物も使用の様子。
       
ホテル、カノン・ドーロのサイトは
https://www.hotelcanondoro.it/

n.1 ヴァルドッビアーデネ ・ プロセッコ ワイナリー訪問
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463526381.html

n.2 ヴァルドッビアーデネ ・ プロセッコ ワイナリー訪問
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463526671.html



ほんの少し先の左側、この白い建物がチーマ展の会場、サルチネッリ邸・
Palazzo Sarcinelli. 現在は市の持ち物で建物内部が修復され、
絵画展など、各種展示会場となっている様子。

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今回初めて内部を見ましたが、大きな建物で内部もかっての豪奢を偲ばせ、
1420年に町がヴェネツィア共和国の下に入った後、400年の平和を享受して栄えた、
この町の商人の力を彷彿と。

ちょっと調べましたら、サルチネッリ家はヴィットリオ・ヴェネト、かってのチェーネダ、
セッラヴァッレの出身で、後にコネリアーノにも進出(何商かが良く分かりませんが)、
16世紀にはオーストリアのマッシミリアーノ、フランスのヘンリー3世なども
この家に逗留の記録があり、
      
ティツィアーノの娘ラヴィーニア・Lavinia が、一家のコルネーリオ・Cornelio
と結婚していて、セッラヴァッレに住んでいた家に表示があります。



サルチネッリ邸の会場入り口と、入り口内部の様子。

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扉内がロビー式になっていて、ここにチーマ展の切符売り場、奥が内庭。
天井下に渋いグリーンのフレスコ画の帯が見えますね、内部の部屋にもこんな感じの
装飾が残って素敵でしたが、今頃はどこもかしこも写真禁止で・・。

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今回のチーマ展のキャッチ・フレーズは、
「ある種の展覧会は見るだけだが、他のいくつかは見つめる」です。

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この凝視する目、チーマの作品の中の見つめる目の部分が、階段周りの壁に
埋めつくされていて、これは迫力でした!



彼の作品で唯一、生地コネリアーノのドゥオーモにある
天使と聖人に囲まれた聖母子・Madonna in trono col Bambino
fra angeli e santi  1492年頃 150x235cm 板に油彩 

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コスタンティーノとサンタ・エーレナ・Costantino e Sant’Elena
140×73cm ヴェネツィア、Parrocchia San Giovanni Battista in Bragora 
板に油彩

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コスタンティーノ帝と母親エレーナですが、エーレナの衣装の襞の美しさに驚きです。
この絵の中央にも、町の城壁とお城の様子が見えますが、現在のお城は
塔が1つ残った小さい物に。

追記: この絵の持ち主がヴェネツィアの教会サン・ジョヴァンニ・イン・ブラーゴラと
    あるのに改めて気が付き、驚いています。
    ここはヴィヴァルディが洗礼を受けた教会でもあり、主祭壇の絵は、
    チーマ・ダ・コネリアーノの美しい「洗礼図」なのです。

A.ヴィヴァルディが洗礼を受けた教会と、その周辺を
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463740577.html



全カタログを買いませんでしたので、分かったのみでご勘弁を。
上から順に、

聖母子像・Madonna con il Bambino.
ロサンジェルス County Museum of Art

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眠るエンディミオーネ・Endimione dormiente.
パルマ、Galleria Nazionale

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キリストの遺骸に嘆く聖母と聖人たち・
Lamentazione sul corpo di Cristo con santi carmelitani.
モスクワ、 Museo Statale delle Belle Arti.

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出エジプト、聖人達との休憩・Riposo durante la fuga in Egitto
coni santi Giovanni Battista e Lucia.
リスボン、 Calouste Gulbenkian Museum.
    
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聖母子と2聖人・Madonna in trono con il Bambino tra i santi
Giacomo e Girolamo、ヴィチェンツァ、Musei Civici di Vicenza

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ジャンバッティスタ・チーマ・ダ・コネリアーノ・Gianbattista Cima da Conegliano
の署名スタイルを最後に。

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展示の作品は40点程で、他にもエルミタージュ美術館、ロンドンの
ナショナル・ギャラリーなどからも出品。

常に古典に題材を取り、明るく静謐な空気に満ちた彼の作品は、
先に生地カステルフランコで開催されたジョルジョーネの作品と比べ
少し硬い印象はあるものの美しく、誠実で真面目な性格を偲びました。

彼についての記録は不足で、生年も1459年か1460年と曖昧、
ヴェネツィアに出てジョヴァンニ・ベッリーニに学び、工房も持ち、1489年には
作品への初の支払い記録があるそう。

後にはパルマやボローニャ辺りにも教会からの作品依頼で出かけ、生地には夏に
戻っていたようですが、1517年か18年にコネリアーノで亡くなった様子。
彼の家は現在博物館として公開されていますので、後ほど。

TVニュースによると、今回の地元でのチーマ展は大変好評で観客数も多いとか。
実際観光バスが停まっているのを良く見かけますし、
如何にも観光客と分かる、地元以外の人の姿も多く見かけます。

このチーマ展は、この後パリで開催とか昨日聞きました。
世界各地からの良い作品が集まっていますし、このイタリアヴェネトの青い空の色が
見られるチーマ展はパリでもきっと評判を呼ぶ事でしょう。

カステルフランコの町 ・ ジョルジョーネ展
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462522712.html

という事で、n.1 をお終いにし、 次回の n.2 にお願い致します。


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