・ n.1 カ ・ ドーロ   ・ ヴェネツィアの館

今日のご案内は、ヴェネツィアの館のシンボル的存在のカ・ドーロ・Ca d'Oroを。

かっては金色に塗られていたので「カ・ドーロ・金の家」と呼ばれる、と
豪奢なヴェネツィア貴族の館の代表でもあり、ヴェネツィア・ゴシック様式と
呼ばれる実に典雅な姿は皆さんも良くご存じでしょう。

国鉄駅前からヴァポレット・水上バスに乗り、リアルト橋に向かって大運河を
ゆるゆる行くと、じきに進行方向左手に見えてくる美しい姿。
       
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2度訪問もし、スケッチもし写真も何度も撮りつつ、でもご案内は準備不足で
まだでしたが、昨年暮の再度の訪問の際に、新しく知った事どもが
気持ちのきっかけとなりました。

ご存知の様に、このカ・ドーロには現在国のジョルジョ・フランケッティ美術館・
La Galleria Giorgio Franchettiが設置されていますが、
名の由来である男爵ジョルジョ・フランケッティが、この館の修復に大変な情熱を
かけたのですね。
で、多少ながらその修復の様子を知ると、是非皆さんにも知って頂きたくなりました。

という事で2回に分けてご覧頂きますので、どうぞ、よろしくお付き合い願います。
上の全景はカナル・グランデの向かい正面からで、サイトから拝借。



こちらは建物のすぐ東脇にあるヴァポレットの停留所からで、
2階部分のロッジャとバルコニー。

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建物、美術館訪問にはヴァポレットでもOKですが、国鉄駅からリアルト橋に
向かうストラーダ・ヌオーヴァ・Strada nuovaを、駅からだと橋を5つ渡り、
右手にあるカッレ・カ・ドーロを入るか、
リアルト橋南方面からだと、橋を3つ渡り、左にカッレ・カ・ドーロです。

開館: 月曜 8時15分~14時  火曜~日曜 8時15分~19時15分
休館: 1月1日 5月1日 12月25日
サイト https://www.venice-museum.com/it/ca-doro-galleria-franchetti.php



入り口を入り、そのまま上に上がれますが、
まずは素晴らしい中庭の様子をどうぞ。

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写真正面、ちょっとエキゾチックな飾りのついた塀の向こうを、ヴァポレット乗り場に
続く小路・カッレ・Calleが通り、今見える扉は通常閉じられていますが、



カッレ側から見る扉の模様は、こんな素晴らしい彫り。

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中庭にある井戸、床のモザイク、2階部分への外階段。

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ヴェネツィアの街は、運河が道路の役を果たし、舟が交通手段ですから、
建物の運河に面した側が正面という訳で、美しく装飾されていて、
その一郭に舟が入り込んで係留できるようになっていますが、

写真の左側の真ん中部分に係留場があり、
客人主人一族は通常、建物に横付けした舟から降りるとこの中庭を通り、
外階段から上階に上がったのですね。

2階部分は、ピアーノ・ノービレ・piano nobileと呼ばれ、主人たちの住居、
客人の接待部屋などがあり、カ・ドーロにも2階3階に素晴らしいロッジャがあり、
一番最初の写真に見える左半分ですが、そこに外階段が連絡している訳です。

という訳で、この中庭はいわば建物のロビー部分、商売用の荷降ろし、
荷積みにも勿論使われたでしょうが、
一家の繁栄ぶりをまず見せつける入念な造りでもあったでしょう。

以前ご案内したカルロ・ゴルドーニの生家博物館の中庭にも、似た様子が。
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463330953.html 



この素晴らしい中庭の井戸ですが、ヴェローナ産の赤い色紋入り装飾用
大理石を使い、3面に裁き、力、情けの寓意が彫り込まれた物。

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館の最後の個人所有者で、修復に力を注いだジョルジョ・フランケッティ男爵が
カ・ドーロを1894年に購入した際、この井戸の所有権は建物と分割され、
既に売り払われていたのを、パリの骨董屋にあるのを突き止め買い戻したのだそう。
       

ヴェネツィアの街の広場で良く見かける井戸ですが、単に井戸・ポッツォではなく、
ヴェーラ・ディ・ポッツォ・vera di pozzoと呼ばれる事を今回知りました。
ヴェーラというのは井桁の事で、落ち込んだりせぬ様、使用に便利な様に
石で井桁を作り、囲った井戸の事をそう呼ぶのだと。



ヴェネツィアの井戸は、広場隅に設けられたこの様な穴から雨水を受け、
マンホールを通して中央に流し込み、砂と粘土の層を透した後に
汲みだす仕組みになっています。

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大きな広場には井戸が2つも2つもあったりしますが、乾期が続き水不足に
なる時は、大きな水の運搬船でラグーナ近辺の川から真水を運んだのだそう。
井戸の使用が不便な家用には、水売りの存在もあったそうですが、

1884年に遂にシーレ川・Sile、トゥレヴィーゾを通りヴェネツィア・ラグーナに
注ぐ川水を利用しての水道が通り、
現在はこのヴェネツィアの街の井戸は使用されていません。

が、一体幾つぐらい井戸があると思われます? 確認されているのが600以上! 
個人の家の分を含めると、まだ200以上見つかるだろうとの事。

はは、私が何を考えたか分かります? 今迄撮りためた井戸の写真を
纏めなくっちゃ、とね。 ・・そして勿論、皆さんにご覧を!



はい、また本題の中庭に戻りまして、
色大理石を使ってのモザイクの床模様をどうぞ!

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素晴らしいでしょう?! 上の中庭の写真にも少し見えますが、
これも修復に情熱をかけたジョルジョ・フランケッティの賜物で、
  
彼はとにかく、最初にこの建物が造られた15世紀のイメージに沿った、
当時の豪奢で洗練された建物に修復をする事に心を砕き、

使う大理石も決して新しい物を使わず、モザイク柄も、サン・マルコ聖堂や
ヴェネツィアの古い建物からのイメージ、はたまた12~14世紀に持て囃された
コズマ風から、彼自身が幾何学模様を描いたりしたのだそう。

コズマ風・cosmatescheというのは、コズマ一族・cosmatiという
ローマを中心に12~14世紀に活躍した大理石装飾やモザイク技術に長じた、
彼らの柄なのだそうで、

il porfido rosso antico・斑岩、
il serpentino・蛇紋岩、
il cipollino verde・緑色の縞がある雲母大理石、
il giallo antico・アルジェリア産の濃黄色の大理石、
il pavonazzetto・(paonazzo?、暗い赤紫色の、濃い菫色の)
il verde antico・白い筋目の緑の大理石、
なんぞという使用した大理石の名がぞろぞろ出て来まして、

il marmo luculleoが、何か判明しませんでしたが、
どうぞ、写真と石の名を見比べて下さいませぇ!



中庭から見上げる建物、北側、

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西側、

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西側の3階部分。

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今ここに見える素晴らしいバルコニーも、ジョルジョ・フランケッティが、
最初にあったように再建したもの。

というのも元々この館は1421年から40年にかけ、有力裕福なヴェネツィア貴族の
マリーノ・コンタリーニ・Marino Contariniによって当時の一流建築家が
集められ、彼自身が指揮を取り建設した物で、

大運河に面した正面壁は、ウルトラマリン、黒、白、赤色に塗られ、
しかも多くの部分に金箔が貼られており、
その素晴らしさから、金の家・カ・ドーロ・Ca' d'Oro と呼ばれたと。

多色装飾があった事は知らず、金が塗られていた、と考えていましたので、
金箔が、というこれも新知識。

コンタリーニ家というのはとにかく栄えた家柄で、18の家に分枝し、
8人ものヴェネツィア総督を送りだし・・。

が、読んでいて大笑いしたのは、彼らの家柄が関係している際の投票では、
代理人達が大評議会の部屋から出る都度に大騒ぎをしたというのです。
ご想像下さい、どんな騒ぎだったかを!
厳格な政治制度を持ったヴェネツィア共和国、と言われていても、
昔も今も中身はやはりイタリア人、いや、ヴェネシァンですねぇ。
       
はは、また脱線ですが、
で、このマリーノ・コンタリーニは館建設のすぐ後1441年に死亡、
その一人息子ピエロ・Pieroが継ぎますが、その後はその娘たちの間で所有が
分割され、長い年月のうちに所有者が次々と変わり、
分割された住居としての内部変更が甚だしくなっていた様子。

それを19世紀末にAlessandro Troubeskoy(プリンチぺですと)が
当時有名なバレリーナのマリーア・タリオーニ・Maria Taglioniに
贈り物として購入! 改装します。

が、この時に、はい、お待たせいたしました、上のバルコニーや、
外階段を取り外したというのですね。



この時の改装で、運河側にも手をつけたのかどうか、
サイトから見つけた当時の写真をどうぞ。

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上階の変化は見えませんが、1階の右側、現在は1つの窓が4つ見え、
が、案外これは、こちらがオリジナルの形なのかもですね。



これは、運河側から中庭に入って来た時に見える様子。
なんとも素敵な空間でしょう?!

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奥に彫像が見えますが、
      
  

こんな様子。

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ジョルジョ・フランケッティ自身大変なコレクター、しかも素晴らしい目利きの
コレクターで、この館にも彼のコレクションが展示され、
はたまた1916年に彼から国へ贈呈されたこの館には、現在幾つかの
国のコレクションも含まれているそうです。



中庭脇の天井部分はこの格子天井。
細かい柄が施されているのが見えますか?

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壁の大理石の色、柄も素晴らしいでしょ、
運河側からの入り口脇の壁も、この柄で埋められ、

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これが、中庭を挟んでの南側と外階段。 
階段の下の整然としたアーチが素敵ですねぇ。

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階段の手すり部分の小さな像。
どれほどフランケッティが苦心して集めたものか・・。

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という事で、最後はジョルジョ・フランケッティ男爵を。

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この笑顔の写真は大分前に見つけたのですが、彼の人生について
書かれたのが見つからなかったのですね。

それがつい先日、偶然に短いながら2つ程も見つかり、
カ・ドーロについても書かれたのが別に見つかり、
読んでいて、彼の修復にかけた情熱に、ささやかな敬意を捧げたくなったのです。

ヴェネツィアを27年前に最初に訪問した時、即大好きな街となり、
カ・ドーロの素晴らしさにも魅せられ、いつか絵に描こう、
その時は金箔を下に貼って、と謂れも詳しく知らぬまま、描いたり撮ったりし、
いま改めて知った彼の仕事に、感謝と敬意を表します。

ジョルジョ・ジョアッキーノ・フランケッティ
Giorgio Gioacchino Franchetti
1865年1月18日トリノ生まれ
父 ライモンド・Raimondo 男爵  
母 ルイーザ・サーラ・ロシィフィールド・Luisa Sara Rothschild
       
3人兄弟の末子、長兄アルベルト・Albertoは力量ある作曲家に、
2番目エドアルド・Edoardoは外交官に。

父親とまるで違う性格を持つ彼は母親似、ウィーンの洗練された
知的な環境の中で育ち、音楽や美術品、文学に情熱を持ちます。
トリノの軍のアッカデミアを卒業するものの、ピアニストへの勉強で、
ドレスデン、そしてミュンヘンに。 ここで知り合った男爵令嬢
Maria Horustein Hohenstoffelnと結婚、25歳。

父親との不和が原因で家から離れ、その為経済的には余り良い状態では
ないものの、美術品のコレクションに情熱を持ち始めます。
1890年26歳で、フィレンツェに音楽家としての勉強の為移住。

当時のフィレンツェは、まさにルネッサンス期のトスカーナ美術に世界中が
注目し始めた時期に当たり、妻と一緒に、それまで以上に系統だった
コレクションを、祖父からのそう莫大でもない財産もつぎ込み、始めます。

経済的にはそう自由ではないコレクターではあるものの、とにかく目利きだった様で、
その本質を見極めての掘り出し物が多かったとか。

1891年の長男ルイージ・Luigiの誕生を機に良好となった父親との関係もあり、
ヴェネツィアに戻りますが、一家の所有となったサン・ヴィダールの
パラッツォ・カヴァッリ・Cabvalliの修復に関し、オリジナルと大いに違う修復方法に、
再び家を出て別に住まいを持ちますが、余りの狭さに深い違和感を。
       
この現在のアッカデミア美術館の大運河の向かいにある
カヴァッリ・フランケッティ邸の内部はこちらでご案内を。
      
そうこうするうちに1894年カ・ドーロが売りに出され、
当時としては莫大な金額17万リーレで購入、
そしてその全ての情熱と知識を注ぎ、修復に取り掛かった訳です。

井戸の買い戻しや、床のモザイクについても触れましたが、新しい材料を使わず、
往時の高価な貴重な物を選び、洗練された美的センスが許すものだけを
つぎ込んだのですね。

様々な友人達が助言を与え、その中にガブリエーレ・ダヌンツィオもいたとかで、
最初から、彼はこの館を自分の住居にするつもりはなく、
自分のコレクションを置く、公開の博物館にするつもりだったと言います。
      
余りにもの莫大な修復経費に、遂に1916年に国と契約を結びます。
彼のコレクションとカ・ドーロを、修復が済んだ時点で国に贈る代わりに、
経済面をカヴァーするという同意です。

こうして1927年1月18日、本来ならば彼の62歳の誕生日に当たる日に
ジョルジョ・フランケッティ美術館が開館に至りますが、
その5年前に彼は世を去っています。

29歳で館を購入、それ以降の28年間、まさに人生の半分を
このカ・ドーロの修復に捧げつくした男。

美に魅入られたというか、ある意味なんとも壮絶な彼の人生ですが、
改めて彼の写真を見ると、磊落そうな爽やかな笑顔で、良いなぁ!!       
カ・ドーロの美の女神が、彼を欲したのかもなぁ。
              
少々長くなりましたが、書かずにおれない気持ちがありました。
ヴェネツィアにお出でになり、カ・ドーロを訪問するチャンスがございましたら、
その美しさに大いに見惚れ、愛で、
そして、修復に己の人生を懸けた男性に、暫しの想いをどうぞ!
       
という所で今回は一応お終いにし、
次回は中の博物館の様子、あのテラスからの眺めなどをご覧頂く予定です。

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