今日は「アーゾロを彩る女性ふたり」と題して、月初めに行って来た
アーゾロの市立博物館のご案内です。
アーゾロの市立博物館のご案内です。
まずは、南のロレッジャ門から町に入り、

何度、と覚えていない程来ているアーゾロですが、町の門をくぐり、
このブラウニング通りを行くと、静かに嬉しさが込み上げて来ます。
やはり、とても美しい町!心が落ち着き、寛ぐのを感じます。

緩やかな坂道が下って上って。古い姿を残したオステリーア・アル・バーカロ。
帰りに、ここでお昼を。

アーゾロ ・ 中世の要塞と、花嫁と
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463456986.html
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アーゾロは、春雨にけむり
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463456425.html
n.3 アーゾロ ・ ヴェネトの奥 文化の香る小さな町
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460978208.html
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463456425.html
n.3 アーゾロ ・ ヴェネトの奥 文化の香る小さな町
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460978208.html
n.2 アーゾロ ・ 文化人に愛される、典雅な町
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460978007.html
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ブラウニング通りを行くと、町の中心のガリバルディ広場に出て、広場の南に
ドゥオーモがあり、
アーゾロ市立博物館・Museo civicoはその西向かいの建物で、
入り口はロッジャの角にあるインフォメーションのテラスから。
考古発掘物展示、絵画館もあるのですが、今回は全部省略、3階に直行。
ご存知の様にこのアーゾロには15世紀に、アーゾロのシニューラと呼ばれた
キプロス女王カテリーナ・コルナーロが、
19世紀後半から20世紀にかけての大女優エレオノーラ・ドゥーゼが住みました。
入り口はロッジャの角にあるインフォメーションのテラスから。
考古発掘物展示、絵画館もあるのですが、今回は全部省略、3階に直行。
ご存知の様にこのアーゾロには15世紀に、アーゾロのシニューラと呼ばれた
キプロス女王カテリーナ・コルナーロが、
19世紀後半から20世紀にかけての大女優エレオノーラ・ドゥーゼが住みました。
コルナーロのお城は現在時計塔のみが残りますが、エレオノーラの住んだ家は今も。
で、この博物館には2人に関する展示があり、土曜日曜10~12時 15~19時開館。
何度もアーゾロに来ながら見学した事が無かったので、今回、暑い中を
出かけて来たという訳です。
何度もアーゾロに来ながら見学した事が無かったので、今回、暑い中を
出かけて来たという訳です。
こちらは、ドゥーゼの部屋の入り口にあった彼女の有名な肖像画(Lenvach作)と、

右は、彼女の最後の写真。
こちらが奥の展示室で、左手には小物の展示、右手には本棚など。

エレオノーラ・ドゥーゼ・Eleonora Duse(1858~1924)については、
有名な舞台女優である事、アーゾロに住みお墓もある事、
ガブリエーレ・ダヌンツィオとの関係、位の知識ですから、
今回改めていろいろと読みました。
ロンバルディア州ヴィジェーヴァノ生まれ、は、旅先で生まれたそうで、
祖父両親ともにヴェネツィアの南対岸ともいえるキオッジャ出身で、
旅役者の家系に生まれ、子供の頃から舞台に出演。 20歳の頃には既に
一座の長を務めるほどだったと。
祖父両親ともにヴェネツィアの南対岸ともいえるキオッジャ出身で、
旅役者の家系に生まれ、子供の頃から舞台に出演。 20歳の頃には既に
一座の長を務めるほどだったと。
従来の舞台の良さを取り入れながらも大げさな所作をやめ、内面的な追求、
表現をし、批評家連にも良く受け入れられた様子。
表現をし、批評家連にも良く受け入れられた様子。
映画「雨に歌えば」のイタリア語版では、女優だと言うレイノルズに対し、
ジーン・ケリーが「なに? エレオノーラ・ドゥーゼなの?」と
からかう台詞がある程のイタリアでの彼女の知名度です。
ジーン・ケリーが「なに? エレオノーラ・ドゥーゼなの?」と
からかう台詞がある程のイタリアでの彼女の知名度です。
部屋の入り口部分には、舞台の絵見本とかもあったのですが、
じゃ~ん、これっ! あったぁ!!
ガブリエーレ・ダヌンツィオの署名入り写真、そして、左下は贈り物。

上の写真のアップを。 下の署名の部分、orbo veggenteとあるのは、
両目の悪かった彼が、自身を「目利きの盲人」と称していた、それですね。
両目の悪かった彼が、自身を「目利きの盲人」と称していた、それですね。

どなたか、確かめてくださいませぇ! これで良いのでしょうか?
Ai gloriosi mutilati asolani che rifecero maschio
il volto di Asolo già simigliante,
nè sogni dè poeti - sua regina di Cipro.
Ai gloriosi mutilati asolani che rifecero maschio
il volto di Asolo già simigliante,
nè sogni dè poeti - sua regina di Cipro.
ガブリエーレ・ダヌンツィオのガルダ湖畔の「イル・ヴィットリアーレ・デッリ・イタリアーニ」
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463417856.html
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463417856.html
こちらは、贈り物のアップ。 これも、どなたかに読んで頂きたく・・。
お願いいたします!

イタリアに来て写真や肖像画を見て、一目でガーンとイカレタのが、彼ともう1人。
文学作品も何も読まずの、完全にミーハーで、はい。
が、彼の筆跡を見ながら思うのは、多分大変に顕示欲の強い人だっただろうと。
こちらは、エレオノーラの筆跡。

ガブリエーレの劇作、エレオノーラの舞台という戯曲が何作かあったようですが、
これはその一つ「フランチェスカ・ダ・リミニ」の一節を書いた小冊子。
こちらがその舞台写真で、一番奥がエレオノーラと。

2人の関係はヴェネツィアで1894年に始まり、それまでにも何度か会っている様子で、
激しい芸術的な感情に満ちた結びつきは、(と書いてあった!)
8年ほども続き、ここに前述の2人の舞台芸術が生まれた様子。
これは、彼女の名刺。 手漉きの紙に活版印刷、的な。

展示室は煌々とスポットライトが点き、床や壁の赤色が目に強く。

このビーズ装飾の衣装が素敵なのですが、ケースに明かりが反射し・・、
まぁ、想像力をプラスしてご覧下さい。
左手壁面に並ぶ陳列ケースから。
2は小さなレース編みの財布で、子供の頃、これほど繊細ではありませんが、
ビーズを編みこんだ財布を作ったのを思い出し・・。
左奥は、金属線で作った大変繊細なネックレス。

ヴェネツィア衣装の人形、ブラジルの青い蝶、手前のガラスは羅針盤。
そして右奥はダヌンツィオからの贈り物、クリスタルの鉢。
そして右奥はダヌンツィオからの贈り物、クリスタルの鉢。

こちらが、鉢のアップ。 柄はコーンフラワー、Lalique だそう。

肖像画家レンバッハの作品を写真に撮り、それをメダルにしたもの。
子供はレンバッハの娘だそう。
子供はレンバッハの娘だそう。

エレオノーラの父、アレッサンドロ・Alessandro Duse.

エレオノーラの母、アンジェーリカ・カッペレット・Angelica Cappelletto.
彼女も旅回りの役者だった様で、目が似ているような。

調度品、衣装、すべて一時代前のたおやかな雰囲気を持っていますが、
これは素敵だ、と思った鞄。 黒い革に小さな鋲が打ってあります。

その右に見える写真・・、
こちら、です。 フランスの名女優の名を欲しい儘にするサラ・ベルナールと
ライバル関係にあり、ダヌンツィオの事も含めてとか・・!

ロンドンで、同じ芝居を同時期に打った事もある様子で、
そのどちらをも見たバーナード・ショウはエレオノーラを評価した、とか。
こうして見ると、余り背の高い方ではなく、横顔が一際美しかった様ですね。
本棚と蔵書。 左に見える大きな写真はイプセンで、彼の作品を上演した縁の様で、
その下はシェークスピア。
その下はシェークスピア。

2つの銅のカップのついた天秤は、10月生まれの彼女の星座に因み。
胸像の右の上着が、素敵だと思い・・。

俳優という職業は、自分を語るのは舞台の上の役を通してなのかも知れませんが、
も一つ、語りかけて来ない女性のような気がするのは、こちらのせい?
彼女は、エレオノーラ・ドゥーゼという人物を作り上げ、演じた人なのでしょうか?
入り口の部屋奥に、アーゾロの名を高め、今も通りにその名を残す
ロバート・ブラウニング・Robert Browningの写真がありました。

ざっと読んだのですが、詳細も作品も知りませんので以下略で、済みません。
これはブラウニングが所蔵していたというスピネッタ・Spinettaという楽器。
15世紀にヴェネツィアで、G・スピネッティが発明したクラヴィチェンバロに似た楽器で、
これは16世紀の物のようですが、木製で鍵盤はツゲの木と。

博物館展示のもう半分はカテリーナ・コルナーロで、彼女については次回に。
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