・ n.1 埋もれた島の蘇みがえり・ヴェネツィア、チェルトーザ島

先回はヴェネツィア共和国時代のワインの蘇りを目ざすプロジェクトについてお伝え
しましたが、今日はやはりヴェネツィア市が取り組んでいる埋もれた島を取り戻す計画、
こちらのプロジェクトも現在進行中で、
その島というのがヴェネツィア本島のすぐ傍なのですね。

先日お邪魔し、半分野生のジャングルのままの島を楽しんで来ましたので
それをご覧頂きます。 が、まずは新しい橋からの眺めをどうぞ!

向こうに見えるのが国鉄駅前にかかるスカルツィ橋で、そう、これはヴェネツィアの
大運河にかかる第4の橋、カラトゥラーヴァ橋改め、憲法橋の上からです。

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追記:この記事を書きました時に橋の名前を間違えないようにと検索をかけ、
   Ponte di Calatrava と出ましたので、カラトゥラーヴァ橋と書きました所、
   ヴェネツィア事情に大変詳しいお友達からメールを頂き、
   設計者のカラトゥラーバ氏はスペイン人で、スペイン語ではvとbは同じ発音なので、
   日本語表記ではカラトゥラーバとなっている事などを教えて下さいました。   
      


既に竣工開通から2年も過ぎているのですが、今回初めて渡り!
駅からピアッツァーレ・ローマに渡りました。

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ピアッツァーレ・ローマは本土と車での接続場所で、バス発着所もあり、この橋が出来て
大変便利になった事は間違いありませんが、
ヴェネツィアの街にしては斬新で現代的な姿と、莫大な費用がかかった事で
大きな批判の的となり、開通してからも滑って転んだ等のニュース続出。



確かに、ガラスが嵌め込まれているので少し滑る感じですが、まぁ、この位置での
高い眺めを楽しめるという事で・・。
このガラスが夜、下からの光で照らされるのでライトが無いのですが、写真が見つからず・・。

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ピアッツァーレ・ローマから41番のヴァポレットで、目指す島チェルトーザに。



地図をどうぞ。 チェルトーザ島・Certosa はどこに?
はい、魚に例えられるヴェネツィア本島の尻尾の先に。
       
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サン・マルコ広場からだと、ホテル・ダニエリ前のサン・ザッカリーア・San Zaccaria
の停留所からやはり41番で。

この線は国鉄駅前にも寄りピアッツァーレ・ローマに来ますが、本島の西外をぐるっと回り
ジュウデッカ島・Giudeccaの西から本島の南側とジュウデッカを繋ぎつつ、
サン・ジョルジョ・マッジョーレ島・San Giorgio Maggioreに寄り、
サン・マルコ広場の東サン・ザッカリーアの停留所に出るので、
大運河をゆるゆると進むよりも早くサン・マルコ広場に着きます。
但し、大運河沿いの邸宅を愛でたい観光客向きでない事は確か。

それ以降は一般のヴァポレットと同じに進みますが、ビエンナーレ会場のあるジャルディーノ・
Giardinoか、その次のサンテーレナ・S.Elenaあたりで船の係か船長に、
「チェルトーザで降りる」事を伝えます。 チェルトーザ停船はリクエストに寄るからです。
       
ではチェルトーザから乗りたい時はどうするか。 桟橋の先に← →の付いたボタンがあり、
それを押すと停まってくれるという訳で、この41番は日中は1時間に3本あります。

地図の島に、赤丸を付けた場所に停留所があり、向かいの赤丸が次のサン・ピエトロ・
S.Pietroの停留所で、ここは本島と繋がっていて、ここからだと3分の距離。



チェルトーザ島の長い桟橋の先に降り、ゆらゆらと揺れる木の桟橋を島の入り口方面に。

チェルトーザ島という名前は聞いた事もなく、どこにあるのかも勿論知らず、
地図を見て確かめたほどでしたが、なぜ行ったかと言いますと、
マッゾルボ島に最初に行った時、先にこの島に寄り、ここにあるホテルとレストランを見て、
というのが、葡萄摘みの行事手配をしてくれたミケーラからの言葉だったのでした。
     
まったく何があるのかも、どんな島なのかも知らずに・・、ははは。
そう、関係者一同はよく知りすぎていて、部外者が何も知らない事にも
気がつかないのは良くあるでしょう?
で、このshinkaiは、いつもどうにかなるさタイプでして、まぁ、どうにもならずに、
きゃいんという事もよくあるのですが・・、ははは、のこのこ言われた通りに来た次第。
まぁ、話を聞いてもピンと来なかったでしょうけどね、全くの所。

で、島の桟橋からはサン・マルコの鐘楼がこんな風に西に見え、

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右手にはヨットの係留が続き、南のリド島も近くに見えます。

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桟橋の最後に島の入り口風門柱があり、ここを入ると、あれこれ矢印表示が出ていて、
バール・ホテルを目指し長い建物の間を辿り奥に。

で、この建物が目ざして来たチェルトーザ・ホテル・Certosa Hotelと
レストラン・チェルトジーノ・Ristorante Il Certosino.

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ホテルの前には、色鮮やかな椅子の並ぶバールのテラス席。
       
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シェフのイヴァン・ガルラッシ氏・Ivan Garlassiと面会の約束があるのですが、
とレセプションに告げ、待つ間もなくにこやかに迎えて頂いた中年の男性、
わっ、なに、このハンサム?! と内心の衝撃!!
ははは、本当なんですよぉ。 背も高く物腰柔らかで・・、最後に写真をご覧頂きますね。

という事で、イヴァン氏に連れられての島巡りの始まり。

まずは隣の建物の壁に掲げられた大きな写真で、これで島の位置、上空からの様子が
よく分かり、島全体の広さは、約22ヘクタール。

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サン・マルコ広場等の街の中心部が西に、そして島の殆どが緑に覆われている様子。



島の入り口部分に長い建物が固まっていて、これらはヨット製造と修繕関係で、
その奥に見える四角い2階建てが、このホテル。

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島の真ん中あたりに細長い建物と草原が見えますが、ここも建物が修復された部分。

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島の上に右から張りだすのはリド島の一番東端で、左の上に見えるのが本土側から
ず~っと伸びるプンタ・サッビオーニ・Punta Sabbioniの先っぽで、
リド島からもずっと堤防が延びているのが見えますが、あの先にヴェネツィアを
高潮から守る筈のモゼ・Mosèの防波堤が。

航空写真だと、ラグーナ・干潟の位置、様子がよく見えますね。       
左手前にも大きな干潟が見えますが、ここは膝までの水深だとか。
リド島のこちら側の水の色が濃く見えますが、サン・マルコ広場の前を通り、背後の
サン・ジョルジョ島を隠す程の巨大なクルーズ船がアドリア海に出航して行きますが、
リド島に沿って東に行き、そして右に回り深い海域に、というのが良く分かる水の色。




島の外周はやはり壁に囲まれていますが、その内側に遊歩道の部分が切り開かれ、
散歩道になっていて、とりわけヨット係留に使われている島の北側はきちんと整備され。

写真の左側に金網が張ってあるのが見えますが、あの中はジャングル同然で、
イヴァン氏はホテルの庭奥の金網の柵を外し、内側のジャングル部分の案内を。

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まったくサン・マルコ広場から15分程の場所に、こんな緑に埋もれた島があるなんて
想像できませんよね。
       

この島の名前チェルトーザが示す通り、島には7世紀頃アゴスティーノ派の教会と
修道院が造られ、15世紀初頭にチェルトーザ会(カルトゥジオ)の僧達が集い、
ヴェネツィア・ラグーナにおける重要な位置を占めていた様子。
       
が、ナポレオン占領による修道院の閉鎖の後、この島は軍の使用する所となり、
それも1960年代に完全に放棄、島は植物の天下となり、軍が使用していた建物も
屋根が落ち、木々に埋もれ、どこに何があるのかも見えない程!

それがヴェネツィア市に無償で委託され、漸くに2000年頃より島を蘇らすプロジェクトが
進み始め、かっての建物の幾つかを修復し、造船所、ホテルなども開かれたという次第。
70程の兵舎、家畜小屋等跡などが島に散らばっている様子ですが、
その内の40程を徐々に修復していく計画だとか。
       


細く通る道は伐採や工事用の道で、一般の人は通れず、至る所に野生の実が熟し。

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上空からの写真で見えた、島中央の修復された建物。

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カーザ・デッロルトラーノ・Casa dell'Ortolanoと名札がついていましたが、
どうやら講義室などに使われる様子。
近くに修道院の遺跡があり、窓の形から見ても、修道院関係の建物だったと。
このジャングルの中にあってこの草地を保つには、常の手入れが欠かせないそう。



この古い古い壁が修道院の跡で、応急処置を施され、新しい植物の浸食が無い様に
周囲は刈り込まれています。 

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これが修道院の中庭に当たる場所で、ぐるりと2重の壁、つまりこの中庭を囲み
僧院の部屋があった事を示します。

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大きな木のこちら側の盛り上がった場所に井戸の跡が見られ、この木は中庭の真ん中から
少し外れた位置にありますが、
それについてイヴァン氏は、建築美学的に見て均衡が取れた位置であると。
僧院の様子も地面に木の枝で図を描いたりの説明で、大変良く分かりました。



中庭への入り口も木で補強されていて、いずれは修復されるのを待機中なのですね。
まだ何に使うかは決まっていないが、やはり公共的な建物になるだろうとの事。 

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見える建物跡の壁にも、最初の建物を変えた跡が残り、木の階段があったとみられる
場所や、多分その下の小さなアーチはパン焼き窯の跡だろうとか、
かっての人間の営みの痕跡を偲ばせます。

     
        
至る所に見られるこんな木の形、何か分かります?
宿り木が巻きつき繁殖し元の木は既に枯れ果て、今は宿り木が独り立ちを。
なんとも凄い生命力と繁殖力で、悪魔的な美、とでも言えますね。

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という所で、n.2にお進みを!


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