先月中旬、久しぶりにべッルーノ・Bellunoに出かけるチャンスがありました。
町の中心は以前ご紹介していますので、写真がダブらぬよう気を付け、
町の中心は以前ご紹介していますので、写真がダブらぬよう気を付け、
今回はアルプス兵に縁のあるこの町の様子、そしてボルゴ・ピアーヴェ・
Borgo Piaveと呼ばれる歴史ある下町を中心にご覧下さいね。ではどうぞ!
Borgo Piaveと呼ばれる歴史ある下町を中心にご覧下さいね。ではどうぞ!
我がコネリアーノから約50k北にあるベッルーノに、ディーゼル・カーは
山の隙間を抜け、峠を越え、ゆるゆると1時間近くかけて到着です。
ヴェネツィアからだと、約1時間半から2時間でしょうか。
山の隙間を抜け、峠を越え、ゆるゆると1時間近くかけて到着です。
ヴェネツィアからだと、約1時間半から2時間でしょうか。
山にはまだこんなに雪が、そして、如何にも空気が清澄です!

往きの列車内、前の席にこのシニョーレを見かけ、撮らせて貰いました。
実はこの前日に、ローマ近くのラティーナ・Latinaで毎年恒例のアルプス兵の
集会があったのをTVで見たので、その戻りの方とすぐ分かったのですね。

少し見えにくいのですが、黒い羽根が1本帽子に。 イタリアのオーストリアからの
独立に大奮闘したアルプス兵の帽子で、彼は83歳だそうですが、矍鑠たるもの。
帽子の正面に見えたバッチは、ロシアの村との交流を物語り、
(映画、ひまわり のロシアのイタリア兵を思い出しますね)
この2つのバッチの左は彼の連隊の記章で、右は、ドイツで収容所に
入れられていた印だそう。
入れられていた印だそう。

それを聞いた時は何も言えず、ただ、彼の手を握りましたが、
「そうですか、日本人ですか」との言葉にも、彼が何を思いだしたのか、
良く分かりました。 ええ、日・独・伊の3国連盟です。
「そうですか、日本人ですか」との言葉にも、彼が何を思いだしたのか、
良く分かりました。 ええ、日・独・伊の3国連盟です。
べッルーノの駅前広場。 陽射しは強いのですが、本当に爽やか!
まさに、アルプスの麓の空気です。
まさに、アルプスの麓の空気です。

駅前広場の東側が公園になっていて、
朝食中の鳩君やら、既に一服中の皆さんやら・・。

公園の一角に、アルプス兵への記念碑が。

右下には、イタリア砲兵隊の
祖国のために、静かなる犠牲を一緒に捧げた
ラバと輜重兵の記憶に。
祖国のために、静かなる犠牲を一緒に捧げた
ラバと輜重兵の記憶に。
足元の部分には、
何も要求することなく、たくさん与えてくれた彼らに。
そして、将軍の名前が。
べッルーノの奥、ドロミテ山系には、今なお彼らの戦場だったたくさんの塹壕が。
何も要求することなく、たくさん与えてくれた彼らに。
そして、将軍の名前が。
べッルーノの奥、ドロミテ山系には、今なお彼らの戦場だったたくさんの塹壕が。
道の向こう、バス停の一団。 ここにもアルプス兵の帽子が見え、
奥さんともども、集会に参加してのお戻りでしょう。
奥さんともども、集会に参加してのお戻りでしょう。

この集会は、毎年イタリア各地で場所を変えて開催され、イタリアのみならず
全世界から、退役、現役が何万人も集まり、大行進をするのですね!
駅前から歩いて5分もかからずに、大きな広場、公園にもなっている
マルティリ広場に出ますが、
マルティリ広場に出ますが、
これは、広場の北側のマッテオッティ通り・via Matteottiの東半分で、
中央の白い3つのアーチは、サン・ロッコ教会。
ヴェローナのブラ広場のイメージに、ちょっと似ています。

マルティリ広場・dei Martiriの東端に市の劇場があり、
古い建物が両脇に続くローマ通りになります。

冬は零下の日が続き、雪も多いそうで、古い建物の窓は2重になっています。
ローマ通りの突き当たりにあるサント・ステーファノ教会前。 由緒ある美しい教会
ですが、既にご覧頂いているので、今日はこの微笑ましい母子の姿を。
ですが、既にご覧頂いているので、今日はこの微笑ましい母子の姿を。

市の劇場・テアトロ・コムナーレの脇の市門ポルタ・ドイオーナ・porta Doiona
をくぐり進むと、メルカート広場・piazza Mercato.
をくぐり進むと、メルカート広場・piazza Mercato.

野菜、果物の屋台が並びますが、白と緑のアスパラガスを、春の色と香り!
道なりに行くとドゥオーモ広場に出ますが、これはドゥオーモの鐘楼が見えた所。

真ん中に見える、クリーム色のアーチの建物が市博物館で、今回見学を。
ドゥオーモ広場の北側を占めるレットーリ宮・Rettori、現在は県庁ですが、
いつも、このテラスの彫り込みの美しさに見惚れます。

まだご覧頂いていない、広場の泉の真ん中に立つ、べッルーノの2聖人の一人、
聖ジョアタ・Gioatàで、15世紀の中頃からここに!
聖ジョアタ・Gioatàで、15世紀の中頃からここに!

もう一人の町の守護聖人は、マントを分け与えた事で有名なサン・マルティーノ。
ドゥオーモ広場の南西角にドゥオーモがあり、東側にはかってのヴェスコヴィ宮、
現在の音楽堂(写真、左側に切れている建物)があり、
壁にMUSEO CIVICOの赤い垂れ幕のあるのが市博物館。
現在の音楽堂(写真、左側に切れている建物)があり、
壁にMUSEO CIVICOの赤い垂れ幕のあるのが市博物館。

絵画よりも、考古学的な物、木彫作品、装飾品などが多いですが、
建物自体大きくないのが幸いし!、ティントレットの大作等もすぐ目の前に!
建物自体大きくないのが幸いし!、ティントレットの大作等もすぐ目の前に!
追記:サイトを確かめていて、現在かっての市博物館は考古学関係の博物館に
なっており、新しい博物館はパラッツォ・フルチス・Palazzo Fulcisで、
市博物館のコレクションがこちらにあるそう。
住所はVia Rialto 2 で、マルティリ広場から東に行った所。2018.12.30
サイトは https://mubel.comune.belluno.it/Musei/Palazzo-Fulcis
なっており、新しい博物館はパラッツォ・フルチス・Palazzo Fulcisで、
市博物館のコレクションがこちらにあるそう。
住所はVia Rialto 2 で、マルティリ広場から東に行った所。2018.12.30
サイトは https://mubel.comune.belluno.it/Musei/Palazzo-Fulcis
これ、分かりますよね? 町中のマルティリ広場脇の歩道で見つけた
大きなアンモナイト! 他にも見つけ、驚きとちょっとした感動。

お昼を食べたレストランの、テラス席からの眺め。真ん中に見える白い太いのが、
ピアーヴェ河・Piaveで、蛇行している道が、南からの国道が町に入ってくる道。
橋を渡ってすぐの、町の下に広い駐車場があります。

少し霞んで残念ですが、大変素敵な眺めで、お昼も美味しかった!
もう一度メルカート広場まで戻り、町の東側を南に下る道
サン・ピエトロ通り・via S.Pietroを行きます。
サン・ピエトロ通り・via S.Pietroを行きます。
べッルーノの町の歴史は古いものの、15世紀にヴェネツィア共和国の下に
入って後の繁栄で、現存の建物は殆どヴェネツィア風で、
はい、ここにもサン・マルコのライオン君が。
入って後の繁栄で、現存の建物は殆どヴェネツィア風で、
はい、ここにもサン・マルコのライオン君が。

中心の通りに比べ、鄙びてのんびりした通りの脇に、こんな泉が大樹の下に。
吹き抜ける風も、青葉の色。

写真だけご覧になると、きっとどなたもが、ヴェネツィア!と思われるでしょう?!


お気付きですか? 街灯の白いガラスカバーも、壁から突き出す鉄の支えも、
ヴェネツィアと同じなのを?!
ヴェネツィアと同じなのを?!
何年か前に来た時に比べ修復が進み、かっての廃れたイメージが一掃され、
古い建物の素朴な美しさが蘇りました。
古い建物の素朴な美しさが蘇りました。
細長く南に突出す町の南東の端に、市門ポルタ・ルーゴ・porta Rugoがあり、
2重の門の内側、堅固で素朴な門構え。
2重の門の内側、堅固で素朴な門構え。

これが外に出ての様子。 ここから下って行くとボルゴ・ピアーヴェ・Borgo Piave、
ピアーヴェ川の港であった、古い一郭に出ます。

この門はかなり改築されている様子ですが、内側には14世紀末にこの町を一時
支配したヴィスコンティ家の紋章もあるそう・・。
町は南に向かって傾斜し、川の蛇行部に突出した断層の上に位置しますが、
それより一段下河床の高さに、ボルゴ・ピアーヴェがあります。

真ん中に見える鐘楼の先は、サン・ニコロ教会。
ボルゴ・ピアーヴェは、ピアーヴェ村とでも訳せましょうか。
一帯の建物は古く、小路も細く、如何にも下町のイメージが彷彿と。
一帯の建物は古く、小路も細く、如何にも下町のイメージが彷彿と。
この建物も現在はスーパーなのですが、なんともレトロで瀟洒というか・・。

細い小路も美しく修復され。

ピアーヴェ川の港は12世紀頃から存在した様で、この一帯のモミの木を切り出し、
筏に組み、ピアーヴェ川を下り、ヴェネツィアにまで運んだのでした。
筏・ザッテレ・zattereという、ヴェネツィアのS.M.デッラ・サルーテ聖堂南に
その名が残ります。
その名が残ります。
どこと言って変哲がないのですが、懐かしいイメージが沸きません?

ちょろちょろと、絶え間なく水が溢れ、ブリキのバケツには緑の苔も・・!

中庭の猫の姿が見えますか? なんと、5匹ほども居たのですが、いずれ・・。

上の写真の建物ですが、かっては全面フレスコ画で埋められていた様子。
今、軒下部分のみ残り、稚拙で迫力があり、・・でも私めには意味不明!

川向こうに見える建物。 今は緑に埋もれていますが、
寒い土地の建物特有で、部屋暖房の煙突が多いですね。

いつの時代にか、落ちた橋の跡。

ガイドブックを見てもグーグルの地図にも、べッルーノの町に渡る橋は、南には
1本しか出ず!レストランから見えた新しい橋も、この橋も名無しの権兵衛。
サイトで、ボルゴ・ピアーヴェを探しましたが、不動産関係のみで、
全体にべッルーノの情報は不足気味。
全体にべッルーノの情報は不足気味。
修復なったボルゴ・ピアーヴェの眺めを、これは上の落ちた橋の上から。

隙間の土地は家庭菜園で、これも如何にも下町らしく。
レストランのテラス席から見えた、町の下の駐車場から。
そうなのです、この見上げる高さに町があります。

で、現在はこの駐車場に車を止め、長い長い3度に分かれる急傾斜の
エスカレーターで、ドゥオーモ広場に直接行け、町中は車も少なく、という訳。
エスカレーターで、ドゥオーモ広場に直接行け、町中は車も少なく、という訳。
ドゥオーモ広場脇から、ピアーヴェ川の流れを。

この冬の大雪のせいか、いつになく水量が多く、筏でヴェネツィアまで、
というのも素直に頷けます。
この写真を見ながら、滔々たるミンチョ河の流れを、美しいボルゲットの村を、
見て頂きたくなりました。こちらを、ぜひどうぞ!
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463417373.html
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