今日はヴェローナの南西25kmにある、ボルゲット・Borghettoのご案内を。
ガルダ湖の東南より流れ出すミンチョ河が約10km程下った位置に当たり、
ローマ期から、ミンチョ河の渡河地点として主要街道と繋がり、
河と共生してきた、大変に美しい村です。
ガルダ湖の東南より流れ出すミンチョ河が約10km程下った位置に当たり、
ローマ期から、ミンチョ河の渡河地点として主要街道と繋がり、
河と共生してきた、大変に美しい村です。
14世紀末に、ミラノ大公ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティが建設した、
要塞兼橋・堤防のポンテ・ヴィスコンテオ・Ponte Visconteoと呼ばれる橋。
村の側からは、この様に横幅部分が見えますが、実際の威容を後ほどご覧に。
要塞兼橋・堤防のポンテ・ヴィスコンテオ・Ponte Visconteoと呼ばれる橋。
村の側からは、この様に横幅部分が見えますが、実際の威容を後ほどご覧に。

ミンチョ河がこの様に村の中心を滔々と流れ、川魚が泳いでいるのも見えます。
右端は、河に張り出したレストランのテラス席で、我々はここでお昼を。
家の軒に届きそうな程の大きな水車が、ゆっくりと回っていました。

15世紀初頭にヴェネツィア共和国の元に入り、水車を利用しての穀類の粉挽き
の活性化、灌漑用水を作り、農産物の収穫の増加、とヴェネトの平和も享受。
水量豊かな河がゆったりと流れる様はなんとも言えず心地良く、こちらも心豊かに。

真ん中部分に、小さな堰の滝があり、常に聞こえる水音。
穏やかで静かな、眺めです。
穏やかで静かな、眺めです。
小さな教会前庭に接する、窓。 壁の色、緑の窓枠、白いレース飾り。

中の島の形で、何軒かの建物が河に張り出し、細長い部分にレストランが。
食べる前から、美味しい予感がしません?!
食べる前から、美味しい予感がしません?!

村のちょうど真ん中を河が流れ、鉢花が咲き乱れる古い木の橋が渡ります。

かってはこの橋を境に、この小さい村がオーストリアとイタリアに分断された事も。
そんな歴史も全て飲み込み、今も変わらず、河は滔々と。
木の橋を渡った北側にある、アンティーカ・ロカンダ・ミンチョ・レストランと宿。
いかにも由緒ありげで、ガイドブックによると、既に13世紀頃から続いていて、
壁には、ナポレオン軍の弾が、今も食い込んだまま、と。
いかにも由緒ありげで、ガイドブックによると、既に13世紀頃から続いていて、
壁には、ナポレオン軍の弾が、今も食い込んだまま、と。

ミンチョ河の渡河地点、旅人に常に美味しい料理と、一杯の美味しいワインと、
清潔なベッドを、提供してきた、この村なのですね。
道を挟んで、何本もの大きな樹の下に、このロカンダのテーブルが用意され。
白いテーブルクロスも、ワイングラスも、緑色に染まり。
白いテーブルクロスも、ワイングラスも、緑色に染まり。

車で行くのは楽ですが、時につまらない、という想いも!
村の家も、常の田舎の家ではなく、どことなく優雅。

この青いリボンは、男の子が生まれたしるし。 女の子だと、ピンクなのですね。
普通はリボンで作った花が飾られますが、これはなんとも大きく素晴らしい。
ぐるっと村を抜け、ヴィスコンティ橋の上の上がり、これは北側からの眺め。
なんという、壮大さ! 道が砦を2つ通り抜け、一直線に走り、
山の上のお城も、ちょうど真っ直ぐ上に繋がって見えます。
なんという、壮大さ! 道が砦を2つ通り抜け、一直線に走り、
山の上のお城も、ちょうど真っ直ぐ上に繋がって見えます。

長さ 650M 幅 25M 14世紀後半の建設。
ミラノ大公ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ(1351-1402)の壮大な野望そのもの!
彼はミラノから、ウンブリアのアッシジに至る広大な領土を持ち、支えたものの、
まだ若くしてペストで倒れ、夢が砕けたのでした。
彼はミラノから、ウンブリアのアッシジに至る広大な領土を持ち、支えたものの、
まだ若くしてペストで倒れ、夢が砕けたのでした。
これが村の中から見える、最初の写真の砦で、橋の真ん中にある砦部分。
横に長く、高さもあり、かなりの迫力で、上に上がれないのが残念。
横に長く、高さもあり、かなりの迫力で、上に上がれないのが残念。

かなり高いので、村の様子も違って見え、この農家のような建物群も、
どこか常のイタリアの村とは雰囲気が違うのです。

河の渡河地点として1000年に及ぶ歴史を持つこの村は、
どこか、コスモポリタン的なのかも。
河に張り出した中ノ島の眺めをこちらから。 三角に突き出た形も面白く。
河は右側で小さい滝となり、建物群の右に古い木の橋がかかります。

こちらは橋の東側、村の外側。 ゆっくりと河は蛇行し、他にも何本も運河となって、
流れて行きますが、大変な水量。

左下の浅瀬部分で、何匹もの川魚が産卵中、あちこちで、白い煙がぱっ、ぱっと。
こんな光景は、実際に初めて見ましたぁ!
やはり東側、村の外に広がる畑。 なんとも、ゆったりと穏やかな谷の風景。

ぐるっと村を回った後、河に張り出したレストランのテラスでお昼を。

テラスの下に集まる川魚・鱒。 これは少しパン屑を投げた後なので、
常に見える魚の数の倍ぐらい集まり・・。
常に見える魚の数の倍ぐらい集まり・・。
お昼の後、山の上にお城に、細い急な坂道を教えてもらい、ふぅふぅと。
でもこの眺め! 素晴らしかった!
でもこの眺め! 素晴らしかった!

右下部分に村の駐車場があり、並木道を通り中心部分に。
斜めに見える高い塀の中は、どうやら由緒ありげなお屋敷でした。
こちらが村の東半分と、ヴィスコンティ橋。
この山の上のお城と、真っ直ぐに繋がって見える橋。

村から帰る前、橋の上をイエ~イ!と通り抜け、ぐるっと回り、もう一度イェ~イ!
皆さんだって、やりたくなるでしょう?! ははは。
毎年6月、第3火曜には、この橋の上に長~~いテーブルが用意され、
「愛の結び目」と呼ばれる、この地の名物トルテッリーニ・詰め物パスタを、
4000人もの人が、食べるのですって!
そして中世の衣装での行進や、旗振り競技、花火大会もね。
「愛の結び目」と呼ばれる、この地の名物トルテッリーニ・詰め物パスタを、
4000人もの人が、食べるのですって!
そして中世の衣装での行進や、旗振り競技、花火大会もね。
村を出て、またゆったりと平野の中を蛇行しつつ流れてゆく、ミンチョ河。

やがてマントヴァに届き、大きな湖ともなるミンチョ河。
河が齎す大きな幸と、運び去る不幸の歴史と。 まさに桃源郷の趣のボルゲット村。
村の山越の反対側にはヴァレッジョの町。

この教会が素敵だ、と眺めていると、先に来ていたシニョーラが話し掛けてきて、
教会の鐘楼が、25年ほど前、夜中に突然崩壊した事、死者はなかったが、
車がつぶれた事など話してくれました。
教会の鐘楼が、25年ほど前、夜中に突然崩壊した事、死者はなかったが、
車がつぶれた事など話してくれました。
彼女はヴァレッジョで生まれ、子供の頃このお城跡に来て遊んだのだそう。
この美しい土地が自慢で、話さずには居れない様子が、大変心地良い物でした。
この美しい土地が自慢で、話さずには居れない様子が、大変心地良い物でした。
そうそう、書き忘れる所でした。 ボルゲットの村は、ヴァレッジョに含まれます。
ぐるっと回りヴァレッジョの町に。こちらも大変落ち着いた豊かなイメージの町。

ナポレオン軍に踏みにじられ、第1次大戦では戦場となったこの地ですが、
どうやら、大変懐が深い町のようです。
どうやら、大変懐が深い町のようです。
レストラン「野兎」の看板。

この地はロンバルディアとヴェネトの文化を受け、商業交通の繁栄と共に
街道筋の通過点として、宿と厩舎、のシステムで、大いに栄えたのだそう。
現在でも、この大きさの町にしたら、異例ともいえる40軒のレストランがあるそう。
という、やはり、奥が深い桃源郷なのでした。
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