これはつい先日3日に行われた葡萄摘みの場面で、真ん中に写っている方は、
ヴェネト州知事のルーカ・ザイア氏・Luca Zaiaで、その右に葡萄を持った手の方は、
(後ほどお顔も)ヴェネツィア市長ジョルジョ・オルソーニ氏・Giorgio Orsoni.
ヴェネト州知事のルーカ・ザイア氏・Luca Zaiaで、その右に葡萄を持った手の方は、
(後ほどお顔も)ヴェネツィア市長ジョルジョ・オルソーニ氏・Giorgio Orsoni.
で、この葡萄はドローナ・Dronaというヴェネツィア一帯の土着の品種です。

かってヴェネツィアのラグーナ・干潟で育てられ、白ワインとして普及していた品種で、
殆ど消滅していたのを探し出し、8年前からブラーノ島のお隣のマッゾルボ島・
Mazzorboで改めて栽培、遂にこの3日、初のワイン製造の為の葡萄摘みが行われた、
というその場面なのです。
殆ど消滅していたのを探し出し、8年前からブラーノ島のお隣のマッゾルボ島・
Mazzorboで改めて栽培、遂にこの3日、初のワイン製造の為の葡萄摘みが行われた、
というその場面なのです。
このブログには珍しい時事ニュースなのですが、ヴェネツィア共和国時代のワインを
蘇らせる、というロマンに満ちた話題を昨年聞いて以来興味を持ち、
葡萄畑の写真を撮らせてと頼んでいたのが、この嬉しい場面に行き合わせるチャンスを
頂いたのですね。 という事で、今日もまたごゆっくりご覧下さい!
蘇らせる、というロマンに満ちた話題を昨年聞いて以来興味を持ち、
葡萄畑の写真を撮らせてと頼んでいたのが、この嬉しい場面に行き合わせるチャンスを
頂いたのですね。 という事で、今日もまたごゆっくりご覧下さい!
マッゾルボ島・Mazzorboはどこにあるか、ヴェネツィア本島の北東、レース編みで
有名なブラーノ島・Branoの隣にあり、木の橋で繋がっている島。
有名なブラーノ島・Branoの隣にあり、木の橋で繋がっている島。

ブラーノ島や、素晴らしい中世の教会がある、ヴェネツィア発祥の島とも言われる
トルチェッロ島・Torcelloに行かれた事のある皆さんはご存知と思いますが、
トルチェッロ島・Torcelloに行かれた事のある皆さんはご存知と思いますが、
ヴェネツィア本島のフォンダメンタ・ノーヴェ・Fondamenta No'veからヴァポレットで
出発すると、かなりの距離を行って最初に停まるので、ブラーノ島到着かと
勘違いされやすい停留所がマッゾルボで、
ここまではちょうど30分で着きましたから、ブラーノまでだと35分程でしょうか。
地図の航路は普通と違うので、青い点線を入れました。
国鉄のサンタ・ルチーア駅からは42番のヴァポレットで、サン・マルコ広場からだと
サン・ザッカリーア停留所から41番でフォンダメンタ・ノーヴェまで行き、
ここでLN ・ラグーナ・ノルド線に乗り換えます。
サン・ザッカリーア停留所から41番でフォンダメンタ・ノーヴェまで行き、
ここでLN ・ラグーナ・ノルド線に乗り換えます。
が、41.42番でムラーノ島まで行くと、乗り換え場所が離れているので、
フォンダメンタ・ノーヴェからの方が気持ち的に楽、でしょうか。
フォンダメンタ・ノーヴェからの方が気持ち的に楽、でしょうか。
但しこちら行きは1時間に2本しかありませんので、(この記事当時の時刻表で)
時間の余裕を十分考慮の上お出かけ下さいね。
時間の余裕を十分考慮の上お出かけ下さいね。
フォンダメンタ・ノーヴェを出発しての眺めで、左側に停留所が3つ、こちらは
ヴェネツィア本島巡り用、橋を渡って右にあるのが、ラグーナの島巡りのLNライン発着用。
ヴェネツィア本島巡り用、橋を渡って右にあるのが、ラグーナの島巡りのLNライン発着用。

前日は涼しいながらも快晴だったのですが、この日は雨が来るという予想通りに、
朝から曇り空です。
が、いつもながら、サン・マルコの鐘楼の見事さに嘆息!

魚取りの小舟も見かけつつ、

ぐるっとラグーナの航路を進み、ブラーノ島の鐘楼が見えて来ます。
イタリアの斜塔は、何もピサだけではありませんで、あっちにもこっちにもありますぞ!

運河の中に入り込み、ここはもうマッゾルボ島。 家々の色はブラーノ同様色とりどり。
停留所で降りた後少し引き返し、この運河沿いをぐるっと一回り、古い小教会や、
由緒ある鐘楼を見るのも一興の散歩です。

停留所から船の進行方向を見て、4軒目のピンク色の建物が目ざす場所で、

正面の様子。 右の煉瓦塀にComune di Venezia ・Ristorante Venissaと。
レストラン・ヴェニッサは、ここが入り口で、
レストラン・ヴェニッサは、ここが入り口で、

ピンクの建物の入り口は、オステッロ・Ostello Venissaで、2,3階には全部で
6室のホテル設備が整います。
中に入っての様子。 この右手に葡萄畑が広がり、こちら側にレストランで、
いずれもかっての持ち主の建物を修復したもの。

実はここに1週間前にもお邪魔し、撮らせて貰らったのですね。
宿の部屋も見せて頂き、熟れて黄金色になった葡萄や、建物の様子も。
その前に2日は?というので、自由です、というと、では2日にアぺリティーヴォにここに、
というのでOKと言っていたのが、数日前に正式の知らせが来て、
州知事や市長も来られての記念行事と分かった次第!
というのでOKと言っていたのが、数日前に正式の知らせが来て、
州知事や市長も来られての記念行事と分かった次第!
ヴェネツィア共和国時代のワインの蘇り、と言うのは1年半前にプロセッコのメーカー、
ビゾール・Bisol訪問の時に聞いて以来、見たいもの!と思っていましたから、
8月初旬にビゾールの宣伝担当のミケーラから、日本のジャーナリストにコンタクトを
取りたいのだけど、と言ってきた時、
私のブログに載せるのに写真を撮らせてくれないか、とチャンスと頼んだのですね。
毎月これ位の訪問者がいるの、と、こんないささか強気の売り込みができるのも、
たくさん見て下さる皆様のお陰で、本当に感謝です!!
月にどれだけの訪問者か、以前の記事は、ブログのタイトルは、なぞと何度かの
やり取りがあり、州の報道関係にも送る、と次第に本格化し、
内心きゃいん、となりつつも我を励まし・・、ははは、
この葡萄摘みの行事に参加出来たという訳なのでした。
やり取りがあり、州の報道関係にも送る、と次第に本格化し、
内心きゃいん、となりつつも我を励まし・・、ははは、
この葡萄摘みの行事に参加出来たという訳なのでした。
プロセッコのワイナリー訪問は、
入り口に「ヴェネツィア市」とあると書いた通り、ここは現在ヴェネツィア市の持ち物で、
土地の利用法についての案を公募した模様で、
土地の利用法についての案を公募した模様で、
スロー・フード協会、ヴェネツィア大学等などから寄せられた12の案の中から、
ビゾールの、古くからのラグーナの葡萄、野菜類を再度ここで栽培し再評価させる、
が採用されたという訳。
ビゾールの、古くからのラグーナの葡萄、野菜類を再度ここで栽培し再評価させる、
が採用されたという訳。
ラグーナ・干潟の、salmastro・サルマストゥロ・塩を含んだ土地に葡萄畑があり、
そのワインが広く普及していた、という事自体が初耳の感がしますが、
記録には、現在のサン・マルコ聖堂の辺り、大運沿いにも葡萄畑の記録があるそうで、
実際、サン・フランチェスコ・デッラ・ヴィーニャ教会のヴィーニャ・vignaは葡萄畑を指し、
地図でご覧頂ける、ヴェネツィア本島の東にある島ヴィニョーレ・Vignoleの名もそう。
家庭菜園でも、教会や修道院でも、健康の為、行事の為にも
ワイン作りは欠かせなかったに違いありません。
こうした土着の、多分塩分の土地に強いと思われる葡萄の品種、15世紀頃までは
この葡萄がラグーナ一帯に普及していたのが、消滅したと思われるほどに衰退したのには、
ヴェネツィア共和国が本土側に領土を広げていった年代に重なります。
この葡萄がラグーナ一帯に普及していたのが、消滅したと思われるほどに衰退したのには、
ヴェネツィア共和国が本土側に領土を広げていった年代に重なります。
苦労して栽培せずとも、美味しいワインの産地を確保した年代でしょうか。
この土着の葡萄の品種ドラーナ・Dranaを探しだすのに、ミケーラの言葉では、
インディアナ・ジョーンズみたいな冒険をした、との事で、野菜作りで有名な
サンテラズモ島・Sant'Erasumoのお年寄りの畑に細々と残っていたのだそう。
インディアナ・ジョーンズみたいな冒険をした、との事で、野菜作りで有名な
サンテラズモ島・Sant'Erasumoのお年寄りの畑に細々と残っていたのだそう。
で、今こうして古い12世紀からの壁に囲まれた1ヘクタールの土地に、
新たに植え付けられたまだ若い葡萄畑が広がります。
新たに植え付けられたまだ若い葡萄畑が広がります。
背も高くなく、まだ細い幹に、たわわに実る黄金色の葡萄の大きな房を見た時、
植物って本当に偉いなぁ!! と。
植物って本当に偉いなぁ!! と。
前日2日はヴェネツィアの、パラッツォ・ドゥカーレの秘密のコース(カサノヴァの
入っていた牢とか、拷問室とか!)時計塔に上がるコースを見て泊まり、
3日の朝11時半から葡萄摘み、というので10時過ぎに到着しましたら、もうすっかり
準備が整い、既に招待客や報道陣がかなりの数。 小心者の上に知り合いのいない
唯一の東洋人は時間つぶしに、再度あれこれ写真を撮ってまわります。
準備が整い、既に招待客や報道陣がかなりの数。 小心者の上に知り合いのいない
唯一の東洋人は時間つぶしに、再度あれこれ写真を撮ってまわります。





レストランの前には、ヴェネトのラグーナ一帯の特産野菜が並べられています。
カヴァッリーノ・Cavallino、キオッジャ・Chioggia、サンテラズモ・Sant'Erasmo
はこの一帯の土地の名前。




1週間前にお邪魔した時はひっそりしていた葡萄畑が今日は取材陣に占領され、
あちこちでインタヴューが行われており、
あちこちでインタヴューが行われており、


3,4枚目の女性は、国営放送RAIヴェネトのジャーナリスト、エリーザさんで、
この後写真を撮らせて貰いましたが、ブログOKを貰わなかったので残念。
この後写真を撮らせて貰いましたが、ブログOKを貰わなかったので残念。


5枚目のインタヴュー中の男性が、今回のこの大きなプロジェクトを背負っている
ビゾールのジャンルーカ氏・Gianlucaで、さすがに今日は嬉しさを隠しきれない顔。

最後は、ヴェネツィア市長のジョルジョ・オルソーニ・Giorgio Orsoni氏、
お隣は、ビゾールの宣伝担当ミケーラ・Michela. 彼女のお陰で、今回のチャンスを。

今回のプロジェクトが始まり、この土地も、できるワインも、レストランも、
新しい名前を命名され、ヴェニッサ・Venissaです。
新しい名前を命名され、ヴェニッサ・Venissaです。




ドローナ、または金色の葡萄・Uva d'Oroと呼ばれるに相応しい素晴らしい色に熟し、
まだまだ細い幹なのに、見事な房で、なんと凄いなぁと感嘆します。
ワインだけでなく、食用にも供される葡萄との事で、コネリアーノ周辺で見かける葡萄より
粒が少し小さいかな、という感じですが、先週ちょっと味見をしたら、なんとその甘い事!
粒が少し小さいかな、という感じですが、先週ちょっと味見をしたら、なんとその甘い事!
土地の一角は野菜畑に充てられ、地元のお年寄りが管理をしていて、







ローズマリー、ジュッジョレ(ナツメ) ズッキーニ、茄子、カルチョッフィ
(この一帯の小さい紫のカルチョッフィは有名)、メロン、フィノッキ(ウイキョウ)
奥にはクオーレ・ディ・ブーエ・牛の心臓と呼ばれる大きなトマトも。
奥にはクオーレ・ディ・ブーエ・牛の心臓と呼ばれる大きなトマトも。
今水遣りをしているこの方、畑の傍らの覆いの下からやおら瓶を取り出し、
コップに赤をなみなみと注いでぐぃっと!
ずっと繰り返しているのでしょう、既に赤い顔でしたもの。はは。
コップに赤をなみなみと注いでぐぃっと!
ずっと繰り返しているのでしょう、既に赤い顔でしたもの。はは。

そしてまた一郭には、海水の入り込む細い運河を利用し、養魚場もあり、
今日はお披露目用に網の中で泳いでいるのが見えました。


ボラとかスズキとか、他にもあれこれ教えて貰ったのですがぁ・・。
空模様があやしくなる一方で、陽が射したり陰ったり。
畑北側の一郭にかっての鐘楼と小礼拝堂がありますが、今は公園に整備されており、
運河の向こうの家がすぐ地続きのように見えます。
運河の向こうの家がすぐ地続きのように見えます。

そろそろ州知事のご到着です、という声で、皆さんぞろぞろと桟橋の方にお迎えに。
という事で、n.2に続きま~す。
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