・ ウルビーノの、パラッツォ・ドゥカーレ・Palazzo Ducale di Urbino

ずいぶん前に買った歴史雑誌Focus Storiaの特集号は
「ルネッサンス・イタリアの天才の源泉」とでも言いましょうか、建築、絵画、
彫刻、人物にいたる、つまりそう深くもなく全般にわたっての特集で、
はい、私めにぴったり、好きな項目はなんとか読む事が出来るという奴で、ははは、

とにかくこの手の雑誌の良い所は写真が多い事!
実際に見ても肉眼では見えない部分まで見る事知る事が出来、
知らない資料写真まで居ながらにして見れる事、なのですね。

という事で、この特集号で見つけた大変興味深いイラストを見て頂きつつ、
マルケ州はウルビーノのパラッツォ・ドゥカーレのご案内です。

ルネッサンスの一大文化の華開いた宮廷としても有名な、かのフェデリーコ・
ダ・モンテフェルトゥロ・Federico da Montefeltro公のお城、
現在は国立のマルケ博物館となっている美しい姿のあれこれですが、

町の北西にある一大駐車場から見上げるドゥカーレ宮。

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手前の半円に飛び出したのは市壁の塔・要塞部分で、その左奥のドゥカーレ宮
に並んで見える鐘楼はドゥオーモのもの。


ウルビーノを最初に訪れたのは27年前!ですが、2010年秋に友人と再訪。 
ぼちぼちご案内します、と言いつつ、ははは、・・今迄のご案内はこちらに。
町中の地図も、下2つの記事の中に。

友人との旅行中、町のちょっぴりのご案内は
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461246922.html 

ラファエッロの生家、そして、殺人的坂道のウルビーノ!

ウルビーノの美味しいトラットリーアのご紹介は
       


まずはドゥカーレ宮の特徴ある美しい2つの小塔と、間に挟まれる
白い優雅なテラス部分をどうぞ。

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町には何泊かして行ったり来たりで愉しみ、写しましたので、
写真の光線の具合があれこれ違うのはご容赦願います。
       
後ほどご覧頂く図でお分かりになりますが、この小塔とテラス近くに、
かのフェデリーコ公がお住まいだったのですね。
美しくて特徴あるこの小塔だけでも、このお城の価値があると思うのですが、
フェデリーコ公が住んでいたと知って、・・もっとじっくり見とくのだったぁ!



この向かい合ったご夫婦の肖像画は、このドゥカーレ宮の主フェデリーコ公と
2番目の妻バッティスタ・スフォルツァ・Battista Sforza.

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肖像画はこの宮廷にも招かれたピエロ・デッラ・フランチェスカ・Piero della
Francesca描く所の物で、現在はフィレンツェのウッフィツィ美術館にありますので、
ご覧になった方もたくさんおられると思います。

肖像画が描かれたのは1465~1472年というのですが、
2人が結婚したのは1460年2月の事、彼女は14歳!!フェデリーコ38歳。
バッティスタにとってフェデリーコは継母の兄という関係にあり、

・・今回あれこれ好奇心にそそのかされ読み始めましたら、各家系の複雑な
入れ込み関係に私めの単純な頭はこんがらかり、遂に自分で家系図を
書き始めた程で!

ここではまぁ、余りややこしい事は書かない事に致し、
ええと、このお二人の結婚生活は12年間続き、7人の子供をもうけておりますが、
7番目が男子で跡継ぎとなるグイドバルド・Guidobaldo。

彼女はグッビオで亡くなり、肺炎らしく、ご夫婦向かい合わせの肖像画は
彼女の晩年、と言っても26歳での若き死、の物という・・。

この頃のちょっとした楽しみ、あれこれ歴史上の人物の話を読む時の愉しみは、
一体幾つの時の事?と計算する事で、
すると、ははぁ、なるほどなぁ、という年寄りの納得が大いに満足する部分が
多々ありまして・・、ははは。

ご夫婦の対の肖像の背後に描かれた風景について
http://www.italiashiho.site/article/463142443.html

フェデリコ・ダ・モンテフェルトゥロの特徴ある鼻について
http://italiashinkai.seesaa.net/article/463142651.html

ピエロ・デッラ・フランチェスカについては
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461129166.html
 
     

さて、本日の主題ドゥカーレ宮に戻りまして、この素晴らしい写真をどうぞ!

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ドゥカーレ宮、現在の博物館入り口は建物の向こうに見える広場側に。

まず地面の高さをご確認下さいね。 左に中庭が見える部分は2階の高さに
ある事にご留意を。 そして、手前側の2つの小塔がある部分の左側にお目を!
大きなアーチが続き、茶色のかなりの傾斜の坂道が上っているのが見えますね、


この図をどうぞ!
上の写真で切れていた茶色の坂道、低い石段の坂道が手前側に。
下に見えるPiano dei servizi というのは、召使たちが働く部分を指し、
図で見る様、この部分は建物の地下、半地下部分、中庭の下の階に当たります。

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Vivere a palazzo. 宮殿に住む。
ウルビーノのドゥカーレ宮は町の中の真の要塞であり、ルネッサンス期の
住まいの建築としては最高傑作である。

ウルビーノ公フェデリーコ・ダ・モンテフェルトゥロの望みで宮殿建設は1444年に
始まったが、実際は1468年にダルマチアからの建築家ルチャーノ・ラウラーナ・
Luciano Lauranaがやって来ての事で、 1474年頃にシエナから
フランチェスコ・ディ・ジョルジョ・マルティーニ・Francesco di Giorgio Martini
が来て、最終的に明確な設計図「町の形」が出来上がった。

まさに宮殿は私的な住まいというだけでなく、「生活の家」で、誰もが入る事の
できる場所であった。 完成したのは1536年。

この宮殿が建てられた場所には以前から、つまりフェデリーコの祖父に当たる
アントーニオ2世の時代から住まいがあったようですが、
フェデリーコは庶子で、5歳年下の嫡出子の弟オッダントーニオ・Oddantonio
が17歳で家臣たちの謀反の形で殺害され、勿論その背後にはフェデリーコの
存在がある訳ですが、1444年に公国の実権を握っての夢の実現に。

因みにモンテフェルトゥロ家というのは、12世紀の末に名が歴史にあらわれ、
1234年からウルビーノの領主、現在は単にフェデリーコ・ダ・モンテフェルトゥロで
通っている彼の正式名は、家系の中ではフェデリーコ3世という事になります。

22歳で新しい宮殿の建設を考え始め、1482年に60歳で亡くなっているので、
宮殿全体の完成にはその後半世紀後という事になります。
 
が、当時の芸術家たちのパトロンとして、妻バッティスタと共に素晴らしい
ルネッサンス文化の宮廷を作ったといわれるフェデリーコの事、
彼らの住まい部分が最初の内に出来上がっていた事でしょう。



では見やすいよう部分アップで、番号順にご説明を。

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1. 洗濯場と染色場
   衣類は十分な水の供給された大きな水槽で洗われ、他の水槽では
   布の染色も行われた。
2. 台所
   大きな台所の方では客人用の食事が用意され、小さな台所は
   公爵とその家族用であり、その隣には料理人たちの寝部屋もあった。
3. 貯蔵庫と氷室
   一連の暗い部屋、薪の貯蔵や氷室があり、氷室には夏でも食料が
   新鮮なままで保存できた。
4. 馬具置き場と蹄鉄工場
   直接に5の厩舎と繋がり、馬達はここで馬具を装丁、蹄鉄をつけられた。
   そう、現代における車庫と、その隣に整備工場がある感じですね。
   右奥には厩舎管理人の為のトイレ設備も。
5. 大厩舎
   25もの小屋に分かれ、広くて機能的なもので、床は石に穴が開けられ、
   廃棄物は直接に肥え溜めに。

既に2度もこのドゥカーレ宮を見ているにも関わらず、こういった使用人達の作業場、
台所と言った、生活の基本線については
この図を見るまでまるで考えた事もなかった事に、我ながら驚き呆れましたが、

この手前に見える茶色の坂道については朧な記憶が蘇り、その内側、
半地下の部分にこんな台所や厩舎があったのか、と新鮮な驚きで改めて
じっくりと眺め、写真を探しました。



はい、この道は宮殿下の大きな駐車場からエレベーターで上がり、写真左奥に
ある町の中心のレプッブリカ広場に繋がる道コルソ・ガリバルディで、
右手にはこんな坂道のアーチが繋がっているのですね。

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一度この坂道を辿った事がありました。 この写真はサイトから拝借ですが、
そう、こんな具合に低い石段で煉瓦敷き、つまり馬が通る坂道ですね。

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右手下の一番奥がテアトロ・ラッファエッロ・サンツィオで、その角奥に
下の駐車場に連絡のエレベーター、という場所です。



この坂道の一番上はこんな形で折れ、この奥はドゥオーモの後陣に当たり、

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またもや急な狭い、低い段差の付いた煉瓦道となり、

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ほらね、こうしてお隣のドゥオーモとの間の細い隙間を通りぬけ、ドゥカーレ宮前の
フェデリーコ広場に出て来ます。 広場の右が上の写真、左が下の写真。

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下の写真の左手の一番奥の扉が、現在の博物館の入り口。

蛇足ながら、ちょっとした疑問点、と解決について。
図の中では手前側坂道の上部分に扉があり、お馬君が出てくるように
描かれていますが、自分の写真、サイトの写真にもこの部分には扉がなく、
後に塞がれたのかもですが、
図には扉の無い左横、つまり広場に続く狭い隠れた坂道に扉がある写真を、
サイトで見つけた事を付け加えておきますです。



ドゥカーレ宮南面の壁と、

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優雅な窓。

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壁面に穴が間隔正しく開いていますね。 この穴は材木を差し込み、建築足場
を組むための物で、多分これは将来、全面に化粧岩が張り巡らされる予定
だったのではないかと・・。

ですが、フェデリーコの後を僅か10歳で継いだグイドバルドには遂に子がなく、
難しい当時の局面も切り抜ける運にも恵まれず、
甥にあたるフランチェスコ・マリーア・デッラ・ローヴェレを養子に迎え、
彼自身ウルビーノに戻ることなく痛風で36歳の若さで亡くなり、
モンテフェルトゥロ家はここに絶えます。



こちらはPiano nobile・ピアーノ・ノービレ・貴人の階と呼ばれる上の階。
まず全体図を見て頂き、

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2枚に分け、上の部分を。

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1. 表敬の内庭・Cortire d’Onore 
   ルチャーノ・ラウラーナ設計する所の、ルネッサンス芸術の宝石。
   円柱、縁飾り、色使いは、まさに建築の素晴らしい調和の例である。
2. 大宴会場
   広場に面した広間で、儀式や重要な機会に使われ、
   2つの暖炉が客人を迎える大広間を暖めた。

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3. 公爵夫人の住居部
   5つの部屋から成り立ち、寝室から書斎に、祈りの小部屋、小さなサロン
   に通じ、大きなサロンは芸術家や文学者に会うために使われた。
4. 公爵の住居部(右上)
   5つの部屋が小塔を通じ繋がっていて、2階部にある内庭に向かっていた。
   寝室、書斎、祈りの部屋、仕事部屋、著名人に会うための大きなサロン。
5. 入り口の小塔
   高さは60m、この2つの小塔から宮殿のどこにでも連絡がつき、
   秘密の行程もあり、公爵とその親密な関係者により使われていた。
6. 公爵の私的浴室
   書斎から直接に行けるようになっていて、温められ、脱衣室とお風呂と
   サウナがあった。

楽しいでしょう?!
今は単なる美術博物館で、おまけに写真禁止、27年前は撮れたのがぁ!
かっての生活の匂いなどまるで感じられないのですが、こうして見ると、
フェデリーコ殿ご一家はここで生活していた、というイメージが湧きますものね。



という事で、
宮殿前のフェデリーコ広場から建物内に入る扉、上部の優雅な飾り。

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表敬の内庭、端正で大変美しい内庭。

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内部の写真がありませんので、サイトから少し集めました。
煉瓦床。 いろいろな柄があるようですが、これ可愛いでしょう?

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嵌め木細工が見事な書斎・ストゥディオーロ。

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ウルビーノはラファエッロの生地としても有名ですが、彼の作品が一枚ここに。
ラ・ムータ・La Muta    1507頃の作品。

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彼の好みの女性ではなかったろう、とすぐ分かる程に顔は素っ気なく描かれ、
そのくせ重ねた指が生で、それに昔ひっくり返りそうなほど驚いたshinkai。



ピエロ・デッラ・フランチェスカの作品を。 鞭打ち。

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理想の町。

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フェデリーコ公登場の、現在はミラノのブレラ博物館所蔵の、ブレラの祭壇画。

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フェデリーコの家族については、cucciolaさんがこちらに詳しく。
http://blog.livedoor.jp/cucciola1007/archives/3373411.html       



ウルビーノでの我々の宿は、まさにドゥオーモの前に位置し場所は最高!
ただしぃ、夜食事に出かけて坂道を戻るのが大変、・・小々飲んでますのでね。

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とは言え、この美しい夜景を見ると手振れもなんのその、はは、写さずにおれず、
何度も写した中から、ウルビーノの夜景をどうぞ。



サイトで写真を探していましたら、どか雪に町が埋もれた写真が何枚も。
その中から、美しい雪化粧のドゥカーレ宮をどうぞ!

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で、最後のおまけは、ははは、 今日2月14日はヴァレンタイン・ディ。
チョコレートならず、ウルビーノの名産カショッタ・Casciottaチーズをどうぞ!

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熟成させないので皮が1mmほどの薄さで、新鮮なミルクの香りのする
お口の中でとろけるチーズだそう。
写真を見ながら、白ワインをお二人でどうぞ!!


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