今日のご案内は、またまたぽんとイタリアに戻りマルケ州の山の中、
文化の香り高いウルビーノ・Urbinoに。
文化の香り高いウルビーノ・Urbinoに。
この地で生まれたイタリア・ルネッサンス期を代表する画家建築家
ラッファエッロ・サンツィオ・Raffaello Sanzioの生家博物館と、その前を通る
ラッファエッロ通り・via Raffaelloのなんとも物凄い傾斜の、
殺人的坂道の様子をご覧下さいね!
ラッファエッロ・サンツィオ・Raffaello Sanzioの生家博物館と、その前を通る
ラッファエッロ通り・via Raffaelloのなんとも物凄い傾斜の、
殺人的坂道の様子をご覧下さいね!

トップの写真は、ラッファエッロ通りを上りきった所のローマ公園・Piazzale Roma
にあるラッファエッロの像ですが、最後にまた優男振りをアップでご覧頂きますね。
にあるラッファエッロの像ですが、最後にまた優男振りをアップでご覧頂きますね。
こちらが街の中心広場になるレプッブリカ広場・Piazza della Repubblicaで、
この眺めは、かのドゥカーレ宮から下って来た所。
この眺めは、かのドゥカーレ宮から下って来た所。

写真の、上に延びる道がこれからご案内のラッファエッロ通り、右に見えるアーチの隣に、
以前ご紹介したトラットリーアがあり、左に下ると街の大駐車場に行くマッツィーニ通り
・via Mazzini. この通りも凄い坂道ですから、最後にご覧頂きますね。
以前ご紹介したトラットリーアがあり、左に下ると街の大駐車場に行くマッツィーニ通り
・via Mazzini. この通りも凄い坂道ですから、最後にご覧頂きますね。
という所で、街の地図をどうぞ。 数字8が今日ご案内のラファエッロの生家、
地図の3.4.に見えるドゥカーレ宮・Palazzo Ducaleの前から左に下るサッフィ通り
・via Saffiもこれまた細い物凄い傾斜道で、
一緒した友のmkちゃんが、あの道は運転しないで!と言ったほど!!
・via Saffiもこれまた細い物凄い傾斜道で、
一緒した友のmkちゃんが、あの道は運転しないで!と言ったほど!!

つまりウルビーノは街の北側が一番高く、下って来た中心地のみが緩やかな
傾斜の平地で、そこからはどちらにも下り坂という、恐ろしい街! ははは。
住んでいる方々は足腰が鍛えられているでしょうし、大学生達は若いので
問題ないでしょうが、ツーリスト泣かせの坂の街ウルビーノなのです。
傾斜の平地で、そこからはどちらにも下り坂という、恐ろしい街! ははは。
住んでいる方々は足腰が鍛えられているでしょうし、大学生達は若いので
問題ないでしょうが、ツーリスト泣かせの坂の街ウルビーノなのです。
が、写真やスケッチのモチーフには最高で、ぼちぼちご覧頂く事に致しますね。
ウルビーノの美味しいトラットリーアのご紹介は
ウルビーノの美味しいトラットリーアのご紹介は
さてでは、坂道を上がって頂きましょうか、ははは、なに、ラッファエッロの家は
そう遠くありませんし、この辺りの傾斜は、まだまだ緩やかですから・・、ひひ、
そう遠くありませんし、この辺りの傾斜は、まだまだ緩やかですから・・、ひひ、
右に見えるアーチは、先ほどの広場のとは別で、サン・フランチェスコ教会の物。

教会横はこんな感じで広場になっていて、そうそう、ここでタルトゥーフォを1個
買いましたっけ。 ですが、余り香りが無く残念の想い出。

さて、この厚かましい黄色のポルシェの斜め奥、壁にイタリア国旗とEUの
ブルーの旗の出ている所、あそこがラッファエッロの生家博物館です。
ブルーの旗の出ている所、あそこがラッファエッロの生家博物館です。
ね、坂道がきつくなって来ているでしょう?

この辺りから振り返ると、こんな様子。
突き当りにレプッブリカ広場の見える様子から、ご想像を!
突き当りにレプッブリカ広場の見える様子から、ご想像を!

到着しましたぁ、こちらがラッファエッロの生家博物館で~す。

開館 11月5日~2月28日 月曜から土曜 9時から14時
日曜 祭日 10時から13時
3月1日~11月4日 月曜から土曜 9時から13時 15時から19時
日曜 祭日 10時から13時 15時から18時
休館 12月25日 1月1日
日曜 祭日 10時から13時
3月1日~11月4日 月曜から土曜 9時から13時 15時から19時
日曜 祭日 10時から13時 15時から18時
休館 12月25日 1月1日
要入場料の筈ですが、(2011年当時3エウロ)ですが、今回サイトでは
料金が書いてあるのが見つかりませんでした。
料金が書いてあるのが見つかりませんでした。
サイトはこちらに ヴァーチャル・ツァーが見れます。
http://www.casaraffaello.com/
http://www.casaraffaello.com/
まず井戸のある小さな中庭をどうぞ。

というのも、入り口に写真禁止の張り紙があり、素直なshinkaiは最初中庭だけ
撮ったのですね。 入り口には、管理のシニョーレがいましたし・・。
中庭を取り囲む壁の窪みに、誰かが林檎を置いていて、

この家は14世紀に建設の物だそうで、ラッファエッロの父親ジョヴァンニ・サンティ・
Giovanni Santiが1460年に買い取り居住。
Giovanni Santiが1460年に買い取り居住。
1483年にラッファエッロがこの家で生まれましたが、父親50歳の一人息子。
その月日については3月28日とヴァザーリが書いているのですが、
他の事実から推定して4月6日であろうという事、そして彼はローマで
1520年の4月6日に、奇しくも生まれた日と同日に、37歳の若さで亡くなりました。
他の事実から推定して4月6日であろうという事、そして彼はローマで
1520年の4月6日に、奇しくも生まれた日と同日に、37歳の若さで亡くなりました。
彼については皆さんの方がよくご存知だろうと思いますが、盛期イタリア・ルネッサンスを
代表する画家、建築家の一人であり、短い生涯に数多くの傑作を描き残しました。
あまたの美しい女性像、淑やかで美し過ぎる程の聖母像など等・・。
代表する画家、建築家の一人であり、短い生涯に数多くの傑作を描き残しました。
あまたの美しい女性像、淑やかで美し過ぎる程の聖母像など等・・。
ですがええと、申し訳なくも私にはイマイチぴんと来ずで、男性を描いたのは、はい、
じっくりと眺めるのですが・・、
ですから、ここでは生家博物館の様子のみ、を。
じっくりと眺めるのですが・・、
ですから、ここでは生家博物館の様子のみ、を。
そうそう、彼の父親ジョヴァンニ・サンティも画家で、息子ほどには大きく後世に
名を残しておりませんが、それでもラッファエッロの父親で最初の教師とだけ
みなされていたのが研究も進み、徐々にその力量の素晴らしさも認められてきており、
数少ない作品の写真を見ても、確かに、水準以上の画家であったと。
名を残しておりませんが、それでもラッファエッロの父親で最初の教師とだけ
みなされていたのが研究も進み、徐々にその力量の素晴らしさも認められてきており、
数少ない作品の写真を見ても、確かに、水準以上の画家であったと。
ウルビーノに一大ルネッサンス宮廷を作り上げたフェデリーコ・ダ・モンテフェルトゥロ・
Federico da Montefeltro公の信頼も厚く、大変頭の良い人文学者
という面もあった人物で、ウルビーノ出身の最初の頭角を現した画家にして
宮廷画家、27歳にしてこの家を買える程であった、という事。
Federico da Montefeltro公の信頼も厚く、大変頭の良い人文学者
という面もあった人物で、ウルビーノ出身の最初の頭角を現した画家にして
宮廷画家、27歳にしてこの家を買える程であった、という事。
この父親の仕事環境から、幼いラッファエッロもこのウルビーノの宮廷に出入りし、
数多くの素晴らしい作品に接した事が、その素質を花開かせるに大いに働いた事と。
数多くの素晴らしい作品に接した事が、その素質を花開かせるに大いに働いた事と。
ラッファエッロの実母は彼が8歳の時に亡くなり、父親はじきに再婚、女の子が
生まれたものの3年後、ラファエッロが11歳の1494年61歳で死亡。
生まれたものの3年後、ラファエッロが11歳の1494年61歳で死亡。
こうして早熟の天才画家が、急激に独り立ちを強いられて行ったわけですが、
ラッファエッロは父親の残したこの女性2人と遺産相続で揉めたそう!
ラッファエッロは父親の残したこの女性2人と遺産相続で揉めたそう!
1階の部屋には、当時の家庭用品などが置かれ大変良い雰囲気で、
もう写したくてうずうずで。 後程、どのようにして撮ったかをね・・。


暖炉の中に見える物と、右の壁に取りつけられた重しの下がった物が
繋がっているのが見えますか?
繋がっているのが見えますか?
これは肉を炙るのに、適当に周るよう工夫された自動グリル器ですって! ははは。
陶器、銅器、秤、何か分からない物あれこれ・・、ですが、
もうこれだけで、静物画になりそうでしょう?!
もうこれだけで、静物画になりそうでしょう?!

こちらは金庫。 素晴らしく重そうで・・!

金庫の内側は、技術的で複雑な仕掛けが、美的な程に込み入っているのを
あちこちで見ています。
この可愛い窓への階段と腰かけ、子供のラッファエッロが覗く様子を想像したり・・、

そして素晴らしく美しいフレスコ画が1枚。 多分彼が父親から絵画の手ほどきを受け、
当然フレスコ画の技術も習ったろう、若き若きラッファエッロの作品。
当然フレスコ画の技術も習ったろう、若き若きラッファエッロの作品。

多分彼自身が生まれたであろう寝室の部屋に置かれたこの作品、
肌が本当に柔らかく、ほんのりと色味が射していて、長い間見つめました。
はい、これは素晴らしかった! 好きです!
肌が本当に柔らかく、ほんのりと色味が射していて、長い間見つめました。
はい、これは素晴らしかった! 好きです!
家の床、そして天井の梁。


生家博物館には、ブラマンテのデッサンとか、他の作品もあった様ですが、
・・はは、覚えておりません。
・・はは、覚えておりません。
写真禁止なのに、なぜ何枚かの写真があるかを白状しますと、後から来た
東欧人らしいカップルが、フラッシュ付きで写真をね。
パシャッと光った後、誰か来るか、何か注意が来るかとshinkaiはじっと待ち、
何も起こらないのを確かめて後にね、はは、
でもTVカメラの位置に気をつけ、少し写したという訳でした、はい。
東欧人らしいカップルが、フラッシュ付きで写真をね。
パシャッと光った後、誰か来るか、何か注意が来るかとshinkaiはじっと待ち、
何も起こらないのを確かめて後にね、はは、
でもTVカメラの位置に気をつけ、少し写したという訳でした、はい。
2階部分の展示はアッカデミア関係の展示との事で、この辺りは何が何だか
猫に小判でまるきり分からず、関心もなく・・、へへ、
この窓際の椅子席と、窓の半分づつ開く鎧戸が面白く、
猫に小判でまるきり分からず、関心もなく・・、へへ、
この窓際の椅子席と、窓の半分づつ開く鎧戸が面白く、

上から見下ろす、小さな中庭。

生家博物館を出まして、そのままラッファエッロ通りを上がって頂きましょう!
既に道がカーヴして、生家博物館は見えなくなり、

まったく、凄い坂道でしょう?! 雨の日雪の日は大変でしょうねぇ!
地図を見ると、この道のあちこちに大学の学部が散らばり、法廷もあり、
常に多くの人々が往き来していて、そして、この両脇に駐車している車!!
うっかり発進したら、即ドスンとやりそう!
常に多くの人々が往き来していて、そして、この両脇に駐車している車!!
うっかり発進したら、即ドスンとやりそう!
いやぁまったく、ウルビーノの人々はエライ!!!
坂の中程にある、ここは中世のオスペダーレ跡、巡礼者を泊めたり治療したリ、
貧者への救済に当たった場所。

ですがぁ・・、いちびりshinkaiが思うには、
この坂道だと、ここに辿り着くまでに、生き倒れになるんではないかと・・!
この坂道だと、ここに辿り着くまでに、生き倒れになるんではないかと・・!
で、まだまだ坂は続きます。
見えます? 坂下にあった教会の鐘楼の高さと同じ!!
見えます? 坂下にあった教会の鐘楼の高さと同じ!!

で、やっと頂上にあるローマ広場、公園に到着、
最初にご覧頂いたラッファエッロ像のアップを眺め、一息。ご苦労様でしたぁ!!
最初にご覧頂いたラッファエッロ像のアップを眺め、一息。ご苦労様でしたぁ!!

こちらは、中心のレプッブリカ広場から西に下るマッツィーニ通りで、下に
ヴァルボーナ門・Porta Valbonaがあり、これはその門の上からの眺め。
ヴァルボーナ門・Porta Valbonaがあり、これはその門の上からの眺め。

この門の外側に大駐車場がありますが、昔訪れた時の何倍もの広さで、
でも見覚えのバールがひとつあり、懐かしかった。
でも見覚えのバールがひとつあり、懐かしかった。
ウルビーノにはこんなに美しいお城、ドゥカーレ宮もあり、

ぼちぼちとご案内して参りますので、長~~い目で待ってやって下さいませませ!
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