今日のご案内は、ウンブリア州からほんの少しマルケ州に入った所の、
ヴィッソ・Visso という小さな町を。
ヴィッソ・Visso という小さな町を。
殆どの方がご存じないと思いますので、まずは地図をどうぞ!

タイトルに書きましたヴァルネリーナ・Valnerina というのは、
マルケ州シビッリーニ山に源を発するネーラ川・Nera が流れる渓谷で、
ヴィッソ・Visso から左下ヴァッロ・ディ・ネーラ・Vallo di Nera
に続く道がこの渓谷を通り抜けます。
マルケ州シビッリーニ山に源を発するネーラ川・Nera が流れる渓谷で、
ヴィッソ・Visso から左下ヴァッロ・ディ・ネーラ・Vallo di Nera
に続く道がこの渓谷を通り抜けます。
ネーラ川はテルニ・Terniから オルテ・Orte辺りで、ローマに流れる
テーヴェレ河・Tevereに注ぎます。
テーヴェレ河・Tevereに注ぎます。
ヴィッソはローマ期以前からの歴史を持ち、ローマからアドリア海に抜ける
街道、商交易の要所に位置し、「イタリアの一番美しい村々」にも選ばれ、
シビッリーニの珠玉とも呼ばれ、シビッリーニ国立公園の事務所も。
街道、商交易の要所に位置し、「イタリアの一番美しい村々」にも選ばれ、
シビッリーニの珠玉とも呼ばれ、シビッリーニ国立公園の事務所も。
ヴァルネリーナの歴史ある小さな村をあれこれ訪ねながら、
中世の外科学校があった事で有名なプレーチ・Preciや
サン・ベネデットの生地であり豚肉製品で有名なノルチャ・Norcia、
大平原の花畑、レンズ豆産地のカステルッチョ・Castelluccio に
行くのに2007年春、2008年夏と2度この町を訪れつつ、
ご案内を逸しておりました。
この所お天気が少し好転して地図を眺めるようになると、
宿題提出をサボっていた事に気がつき、やっと今回ご案内を。
中世の外科学校があった事で有名なプレーチ・Preciや
サン・ベネデットの生地であり豚肉製品で有名なノルチャ・Norcia、
大平原の花畑、レンズ豆産地のカステルッチョ・Castelluccio に
行くのに2007年春、2008年夏と2度この町を訪れつつ、
ご案内を逸しておりました。
この所お天気が少し好転して地図を眺めるようになると、
宿題提出をサボっていた事に気がつき、やっと今回ご案内を。
スポレート・Spoleto からヴァルネリーナ渓谷の道に入り、
細い曲りくねった道を上り下りし、町の直前はまさに両脇に渓谷が迫り、
そして一転ぱっと開け町の入り口に。
細い曲りくねった道を上り下りし、町の直前はまさに両脇に渓谷が迫り、
そして一転ぱっと開け町の入り口に。
並木が続く美しい道を辿り、町の西門サンタ・マリーア・S.Mariaに。
写真は町入り口の並木ではなく、町横を流れるネーラ川沿いで、大変美しい趣。

門を通る道が細く、いいのかな?と思いつつ抜けると・・、

細長く繋がる2つの広場、マルティリ・ヴィッサーニ・Martiri Vissani が手前側、
奥がピエトゥロ・カプーツィ・Pietro Capuzi.

ご覧の様に、この山の中の小さな町に14~16世紀にかけての、
ゴシックからルネッサンス様式の建物が立ち並ぶのですね。
写真真ん中部分ベージュ色の出っ張っている建物は、
ゴヴェルナトーリ邸・Palazzo Governatori.

広場の反対側からはこんな感じに。
ゴヴェルナトーリ・執政官邸という呼び名は、この町が自由都市から
スポレートの教皇領の下に入った歴史を語りますが、1583年には
ウンブリア教皇領の本拠となったそうで、由来については後ほど。
実際19世紀のイタリア王国建設まではウンブリア州に属しており、
現在はマルケ州のマチェラータ・Macerata県で、
海抜608mの町の住民は現在1200人程。
スポレートの教皇領の下に入った歴史を語りますが、1583年には
ウンブリア教皇領の本拠となったそうで、由来については後ほど。
実際19世紀のイタリア王国建設まではウンブリア州に属しており、
現在はマルケ州のマチェラータ・Macerata県で、
海抜608mの町の住民は現在1200人程。
1522年に南のノルチャ、プレーチ辺りをも巻き込んだ有名な戦争
ピアン・ぺルドゥートの戦い・battaglia del Pian Perdutoに
ヴィッソが勝ち、漸くこの周辺の力関係に決着がついたのだそうで、
ヴァルネリーナ東部の商業、文化の中心地となったのも頷けます。
ピアン・ぺルドゥートの戦い・battaglia del Pian Perdutoに
ヴィッソが勝ち、漸くこの周辺の力関係に決着がついたのだそうで、
ヴァルネリーナ東部の商業、文化の中心地となったのも頷けます。
そうそう、プレーチに3泊した時には15K走ってヴィッソまでガソリンを入れに
来ましたし、それ以外は西のチェレット・Ceretto辺りまで無かったと!
マルティリ・ヴィッサーニ広場・ヴィッソの犠牲者に捧げる広場、には、
尖った美しい鐘楼のサンタ・マリーア教会・Collegiata di S.Maria.
来ましたし、それ以外は西のチェレット・Ceretto辺りまで無かったと!
マルティリ・ヴィッサーニ広場・ヴィッソの犠牲者に捧げる広場、には、
尖った美しい鐘楼のサンタ・マリーア教会・Collegiata di S.Maria.

教会とはいえドゥオーモに次ぐ格にあり、奥の三角の正面壁の教会は
サンタゴスティーノ・S.Agostinoで現在は市の博物館。
広場に向いているサンタ・マリーア教会の正面扉の、上部の半円に
描かれた受胎告知、土地の画家パオロ・ダ・ヴィッソの作、

扉両脇にいるライオン像、彫刻された木製扉、

中世の面影を宿す彫り。

いずれも暗くて手振れし申し訳ないですが、内部を。
12世紀の木製着色の聖母像、北の影響を受けたウンブリアの作品で、

フレスコ画はいずれも14世紀のもの。

巨大なサン・クリストフォロ像・S.Cristoforoは、高さ10,68m
横幅が4mもある見事な物で、中世の大男伝説により常に巨大な姿。

町の地図をどうぞ。
左半分は上でご案内の通りですが、赤い印をつけたPorta S.Maria から町の中心に。

町の上半分は山沿いに広がる坂道の家並で、南側に川が2本、
ウッシータ川・Ussitaとネーラ・Neraが流れます。
地図左下に見える美しい薔薇窓の三角形のサンタゴスティーノ教会、
ここは現在市の博物館。
ここは現在市の博物館。
町のパンフレットによると200点を超す絵画作品も収納の様ですが、
いかんせん、開館時間が土・日曜の短時間のみ。
いかんせん、開館時間が土・日曜の短時間のみ。
で、ここの目玉とも言えるのが、イタリア19世紀最大の詩人と言われる
ジャコモ・レオパルディ・Giacomo Leopardi(1798-1837)
伯爵の家に生まれた文学者、哲学者、言語学者の手稿、
とりわけ有名な6篇の田園詩、インフィニート・L'Infinitoを含む、が
あるのだそう。
ジャコモ・レオパルディ・Giacomo Leopardi(1798-1837)
伯爵の家に生まれた文学者、哲学者、言語学者の手稿、
とりわけ有名な6篇の田園詩、インフィニート・L'Infinitoを含む、が
あるのだそう。


マルケ州海沿いの町レカナーティ・Recanati生まれのこの詩人の
作品で唯一知っているのは「孤独の雀・Il passero solitario」.
イタリア語を最初に習った坂本教授の本の巻頭にあり(ご存知の方も多いと)
格調高い詩の朗読テープを何度か聞かされた遠い記憶が。
作品で唯一知っているのは「孤独の雀・Il passero solitario」.
イタリア語を最初に習った坂本教授の本の巻頭にあり(ご存知の方も多いと)
格調高い詩の朗読テープを何度か聞かされた遠い記憶が。
中心広場の南側に立ち並ぶ建物の壁に見つけた「灯り燈し」と。


ライオン君はともかく、この女性像はなかなか凄いでしょ?!
もひとつは、明らかに当たり前の男性像で・・。
中程の建物に小さな本屋があり、土地の出版物なども揃っていて、
2度の訪問で買い込んだものの、う~~む、まだ積読のままだぁ!
2度の訪問で買い込んだものの、う~~む、まだ積読のままだぁ!
細長く続く2つの広場を東に辿ると、プリオーリ宮・Palazzo Priori.
現在は市役所で、町のカタログはここで貰いましたが、

一階のロビー横に、こんな農耕具の物らしきがあれこれ展示で、
これは葡萄絞りの汁受けだと。

町の山側の細道を辿ると、教会の鐘楼が見え、坂道がくねって続きます。



この家は地図真ん中上に見える、バルコンチーノ・メディオエヴァーレ・
Balconcino Medioevaleで、如何にも武骨な中世の面影を宿します。
修復されているので、今もお住まいなのでしょう。


教会・修道院サン・ジャコモ・Chiesa del Monastero di S.Giacomo
花で埋まったこの一角が素晴らしかったですが、

大きな古い建物は、ボンコンパーニ邸・Palazzo Boncompagniと。
訪れた2007-2008年、町は大修復の真っ最中で、道はあちこち掘り返され、
建物が修復中だったりで、観光用標示もなく、今回地図を睨みながら・・。
建物が修復中だったりで、観光用標示もなく、今回地図を睨みながら・・。

ですが、あれこれ読むうちに面白い発見が、というのも
グレゴリオ暦を採用した事で有名な法皇グレゴリオ13世・Gregorio XIII
(1502-1585)の俗名がウーゴ・ボンコンパーニ・Ugo Boncompagni.
グレゴリオ暦を採用した事で有名な法皇グレゴリオ13世・Gregorio XIII
(1502-1585)の俗名がウーゴ・ボンコンパーニ・Ugo Boncompagni.
ボローニャ生まれですが、そのご先祖がこのヴィッソの出身で、
14世紀の初めにボローニャに移ったとの事。
14世紀の初めにボローニャに移ったとの事。
で広場の写真にあるゴヴェルナトーリ邸には、この町にウンブリア教皇領の
本拠を置いたグレゴリオ13世の紋章も掲げられていると。
グレゴリオ13世という方はボローニャ大学で教えていたのを、その優秀さから
40歳でローマに招かれ司祭となり、法王庁で働くうちにぐんぐん頭角を現し、
トレント公会議で大活躍、外交の働きでもスペインのフェリペ2世の
信頼を受けたりで、法皇になったのが1572年、なんと70歳の時!
この時の法皇選出は、スペインの支援の下24時間内に決定で、
カトリックの改革の取り組み、発禁書の見直し、グレゴリオ暦の
採用等など、84歳で亡くなるまで大車輪の働きぶりを。
カトリックの改革の取り組み、発禁書の見直し、グレゴリオ暦の
採用等など、84歳で亡くなるまで大車輪の働きぶりを。
トレント公会議に赴く途中滞在した生地ボローニャで、従妹の下で
働いていた女性との間にジャコモ・Giacomoが生まれたり、
(46歳の時、正式に認知を)
働いていた女性との間にジャコモ・Giacomoが生まれたり、
(46歳の時、正式に認知を)
亡くなる直前には、日本からの天正の4少年が拝謁を賜わったり・・。
フェリペ2世の信頼が厚いとなると、先日ご案内の、理想の町造りを目指した
サッビオネータのヴェスパジアーノ・ゴンザーガとの出会いもあったろう、
などと想像しつつ、つい読み耽ってしまい・・。
サッビオネータのヴェスパジアーノ・ゴンザーガとの出会いもあったろう、
などと想像しつつ、つい読み耽ってしまい・・。
町の狭い道の両脇に古い3-4階の建物が立ち並び、見事に修復が。


一番東端に抜けた場所に広場が開け、背後の山上に要塞。

広場の南をウッシータ川が流れ、橋の上からの眺め。
川床が高く、こちらからだと入り口が半分しか見えない教会は、14世紀の
サン・フランチェスコ・San Francescoで、修道院もある様子。


この正面壁の様式はアブルッツェーゼ様式と言うそうですが、
ペンペン草がいっぱいで、大丈夫かいな、と。
北に住む人間にはアブルッツォ・Abruzzo州は「地の果て」の
イメージですが(失礼!)マルケ州の南、お隣なのでした。
イメージですが(失礼!)マルケ州の南、お隣なのでした。
サン・フランチェスコ教会周辺は少し鄙びたイメージが漂い、
古い大きな建物が残り、中世の面影が残ります。


地図に見えるオデスカルキ邸・Odescarchiは撮っていませんが、
修復されクリーム色に塗られた瀟洒な建物だった記憶が。
ヴィッソの町の門は全部で4つで、ポルタ・サンタンジェロ・Porta S.Angelo。
町のパンフレットには、この門にグレゴリオ13世の紋章があるといい、
必死にサイトで確かめましたら、どうやら門の内側にあるらしく、やれやれ。
町のパンフレットには、この門にグレゴリオ13世の紋章があるといい、
必死にサイトで確かめましたら、どうやら門の内側にあるらしく、やれやれ。


この門はポンテラート門・Porta Pontelato.
前年は修復の真っ最中ごった返しの通行禁止でしたが、翌年はこの美しい姿。
飽くまでも、元の姿を保つ姿勢がやはり凄いなぁと。

こちらはネーラ川で、川沿いも整備され、少し上流には小さな公園もあり、

近くの家の軒下にはたくさんのツバメの巣。

ネーラ川沿いの緑濃い中を散歩しつつ、町を振りかえり。

これは春に行った時の物で、緑が芽吹き花が咲き、麗らかな、
まさにイタリアの一番美しい村々の名に相応しい、
素敵な歴史ある小さな町、ヴィッソなのでした。
追記:2016年の8月、そして10月に起こった中部地震で、このヴィッソの町も
壊滅状態となりました。 そしてその後の状態がまるで報道されず、
サイトにも写真アップがなく、未だに多分そのままなのであろうと、
気にかかっています。
やっとそれ以前の地震被害から立ち上がり、町が元の面影を取りもどした、
という状態の時に訪れて喜んでいたのでしたが、
また元の崩壊状態が続いているのだろうと想像すると、私までも辛くなります。
一日も早い修復、立ち直りを祈るばかりです。 2018.12.17
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