今日は先回に続き、デルタ・デル・ポー・ Delta del Poの一帯、
イタリアで一番長い河ポーが海に出会う三角州の辺り、そしてエステ家のお城、
果てしなく広がる平野、水門、アドリア海に注ぐ場所、などなどのご案内を。
先回のメーゾラの森のご案内の地図に、ピンクの丸を3つ追加で、
中央上メーゾラ・Mesolaのエステ家のお城、その右下にアバーテの水門、
運河に沿って下り、ポー・ディ・ゴーロ・Po di Goroの下、ここにパルーの水門、
そして、一番突端のピンクの丸に、ゴーロの灯台があります。
イタリアで一番長い河ポーが海に出会う三角州の辺り、そしてエステ家のお城、
果てしなく広がる平野、水門、アドリア海に注ぐ場所、などなどのご案内を。
先回のメーゾラの森のご案内の地図に、ピンクの丸を3つ追加で、
中央上メーゾラ・Mesolaのエステ家のお城、その右下にアバーテの水門、
運河に沿って下り、ポー・ディ・ゴーロ・Po di Goroの下、ここにパルーの水門、
そして、一番突端のピンクの丸に、ゴーロの灯台があります。

地図の右半分に見える3本の流れはすべてポー河の支流で、灯台の位置に
流れ出るのがポー・ディ・ゴーロ。 このポーが、エミリア・ロマーニャ州と
ヴェネト州の州境になります。
流れ出るのがポー・ディ・ゴーロ。 このポーが、エミリア・ロマーニャ州と
ヴェネト州の州境になります。
その右はポー・ディ・ニョッカで、一番右が、一番の主流からこの地図のすぐ上部で
分かれたポー・デッレ・トッレ。 この一帯はフェッラーラのエステ家に始まる
営々と干拓された土地で、縦横に運河が走ります。
先回のメーゾラの森、ポンポーザの修道院のご案内
分かれたポー・デッレ・トッレ。 この一帯はフェッラーラのエステ家に始まる
営々と干拓された土地で、縦横に運河が走ります。
先回のメーゾラの森、ポンポーザの修道院のご案内
メーゾラの森、ポンポーザの修道院を見た翌朝は、大快晴となり、
まずは、パルーの水門・トッレ・パルー・Torre Palùを見に。
まずは、パルーの水門・トッレ・パルー・Torre Palùを見に。

地図に見えるPo di Goroの字の近くの、メーゾラの森を突き抜ける県道を通り抜け、
運河沿いに下るとある筈ですが、よく分らず、土手で魚釣りのシニョーレに尋ねOK。
車で行けるよ、というので、そろそろと土手道を。 逆光に、見えてきた所です。
これが来た道。 白い橋が見えますが、あれが森を突き抜ける県道で、
土手道の奥に見える白い車のシニョーレに、道を尋ねたのですね。

手前のブルーの車も魚釣り! 日曜の朝とは言え、ヴェネトでは余り見かけない
魚釣りの多さに少し驚き。 写真の土手下にも、魚釣りの車が一台。
水門を順光で。 このパルーの水門は18世紀前半の物。

今回調べていて、ヴィンチャーネ式扉、という言葉にぶつかりました。
つまりこの5つ並んだ閘門の開閉システムは、かのレオナルド・ダ・ヴィンチ様の
つまりこの5つ並んだ閘門の開閉システムは、かのレオナルド・ダ・ヴィンチ様の
発明で、水自体の力を利用し、干潮時には海に流れ、満潮には海水が入り込まぬ様、
自動的に開閉する方法で、現在も現役との事。
500年前の大天才の、発明の説明を飲み込むだけに、大分時間が・・。ああ!
自動的に開閉する方法で、現在も現役との事。
500年前の大天才の、発明の説明を飲み込むだけに、大分時間が・・。ああ!
土手から見る南の風景。 右手の奥から南にかけて、ずぅ~~っと続く林の流れは、
メーゾラの森。 前日には立ち入り禁止だった部分。

少し離れての眺め。 この運河は、カナーレ・ビアンコ。

土手は、ご覧のように草を刈った跡が見え、車2台がやっとすれ違えるほど。
ずっと先に行くと県道に出て戻れる、と教えて貰ったのですが、ごとごとと、
行けども行けども県道に出ません。 運河に沿っての土手道の長かったこと!
まぁ、それでも、地平線を見つつ走り、戻って来れました。
ずっと先に行くと県道に出て戻れる、と教えて貰ったのですが、ごとごとと、
行けども行けども県道に出ません。 運河に沿っての土手道の長かったこと!
まぁ、それでも、地平線を見つつ走り、戻って来れました。
再度、メーゾラの森を突き抜けて戻り、アバーテの水門目指し北上。
松並木の真っ直ぐな道が続き、両脇には平野が広がる素敵な道。

前を行く車の荷台に白い箱が見えますが、あれはワン君の運搬用。
トスカーナでも見ますが猟犬、そしてタルトゥーフォ探しのワン君が乗っているのです。
この辺りもタルトゥーフォが採れるらしく、サイトで、タルトゥーフォ採集ハイキング、
とあるのを見つけました。
道の両脇に平野が広がります。 これは、上の写真の位置から前夜の宿を。

大きな農家を修復したレストラン兼宿で、料理もまぁまぁ、宿もサッパリ清潔。
初めての、日本人のお客だったようです!
で、手前の緑の畑は・・、
ニンジン畑でしたが、ご覧の通りの砂地。 干拓地なのですね。

この一帯の名産物に「砂地のワイン」というのがあり、お城の「秋の物産展」で見つけ、
買い込みましたが、う~ん、まぁまぁのお味。
今頃は、フリウリの美味しい、強い白にすっかり慣れているのでして!
アバーテ水門のすぐ近くに小さな礼拝堂があり、周辺が格好の釣り場に整備され、
この流れのあっちにもこっちにも。

写真の右端からも釣り糸が光っているのが見えますか? 前夜からの泊り込みの
小さなテントもあり。
逆光に、墨絵のよう。裸木の風景が、とても好きです。
これが、アバーテの水門・Torre Abate、大変美しい姿。
16世紀の半ばに始まったフェッラーラのエステ家による、デルタ・デル・ポーの
干拓の歴史の証ともいえる、水門との事。

先のパルーの水門同様、ポー河の水の管理も勿論ですが、要所の防御監視も
兼ねての建物だった様で、やはり、ここの閘門システムもダ・ヴィンチ式だそう。
3年ほど前、メーゾラというのは何所?と、友人からメールと写真が届き、
その時調べたのが、メーゾレの森、この水門、お城への興味の始まりでした。
ただ、その添付された白黒写真の別荘が、今回特定出来ませんでした。
その内、出会える事を楽しみに。
その時調べたのが、メーゾレの森、この水門、お城への興味の始まりでした。
ただ、その添付された白黒写真の別荘が、今回特定出来ませんでした。
その内、出会える事を楽しみに。
穏やかな秋晴れの日曜の朝、静かな水面に、形の良い水門が映ります。

エミーリア・ロマーニャ州は、ヴェネトのすぐ南のお隣なのに、行った事のあるのは、
フェッラーラ、ボローニャ、パルマ、ラヴェンナ、コマッキオ、フォルリ、チェゼーナ
フェッラーラ、ボローニャ、パルマ、ラヴェンナ、コマッキオ、フォルリ、チェゼーナ
と街だけ。 美食、フェッラーリ、古城、独特の音楽、踊り・・、
他にもたくさん見所がありそうです。
水門のすぐ向こうにもう一本運河が通り、橋の上を自転車クラブの面々が
走り抜けていきました。 日曜の朝、何所でも見かける男達の姿。

その運河の土手、ここにも何台もの魚釣りに来た車。

それにしても、イタリアの男達はマメに良く遊びますねぇ!
若いうちは女の子と遊び呆け、はは、少し年が行くと、一人で、または
若いうちは女の子と遊び呆け、はは、少し年が行くと、一人で、または
男同士で遊ぶ、というのが多いような!!
奥に小さい礼拝堂が見える水門脇で、やはり、釣り糸が光ります。

何が釣れるか、尋ねて教えて貰いましたが、土地の呼び名らしく、覚えられず。
沼地独特の水草が、生い茂ります。
沼地独特の水草が、生い茂ります。
アバーテの水門から、メーゾラの町に。 水門から北にかけて、細長く
サンタ・ジュスティーナの森が続きますが、こちらはメーゾラに比べ小さいもの。
サンタ・ジュスティーナの森が続きますが、こちらはメーゾラに比べ小さいもの。

広い畑が広がり、農家が見え、そして背後にある林は殆ど裸木になり、
上に少し濃く見える部分、あそこだけまだ葉が残っているのです。
サンタ・ジュスティーナの林を抜け、メーゾラに向かう真っ直ぐなポプラと松並木の道。
道の奥の空気が青く見え、それだけで、嬉しくなってしまいます。

自転車のシニョーレを追い越し、写真を撮るのに車を止めると、彼がまた追い越し、
・・が2度ほど。 アホかいな、という目で一瞥され!
・・が2度ほど。 アホかいな、という目で一瞥され!
道脇の小川の向こうに彼らが。 放し飼いで、彼らにとっても、日曜日?!

メーゾラの中心部。 右がお城で、左に教会、写真の右手外にガソリンスタンド、
これで全部! ちょうど、秋の物産展開催中で、こんなに車とテントの店。

お城の内部は、この一帯の環境博物館で、無料でのガイドつき見学が出来ました。
このお城を作ったフェッラーラの最後の領主アルフォンソ2世は、3度結婚していて、
3度目の奥方はマントヴァのゴンザーガ家のマルゲリータで、城は彼女に捧げた物と。
が、結局3度の結婚にも拘らず男子が生まれず、彼がエステ家最後の領主と。
3度目の奥方はマントヴァのゴンザーガ家のマルゲリータで、城は彼女に捧げた物と。
が、結局3度の結婚にも拘らず男子が生まれず、彼がエステ家最後の領主と。
写真は博物館内にあった、鹿に関する展示の一つで、ポンポーザ修道院のある
ゴディゴーロの町の紋章にも鹿が描かれているのですね。
ゴディゴーロの町の紋章にも鹿が描かれているのですね。
メーゾラの森のみならず、とにかく鹿が多かった様子。
フェッラーラのエステのお城の装飾にも、たくさん描かれている様子で、
その心算で、見に行きたくなりました。
フェッラーラのエステのお城の装飾にも、たくさん描かれている様子で、
その心算で、見に行きたくなりました。

剥製は好きではありませんが、まぁ、実物にお目にかかれませんでしたので・・。

これは私も持っている、こちらの身分証明書を模したもので、フフと可笑しく、ご紹介。

名前・イタリア鹿
通称・メーゾラの鹿
類・哺乳類 偶蹄
住所・メーゾラの大きな森
市・メーゾラ、ゴーロ、コディーゴロ
州、国・フェッラーラ、イタリア
身長・オス108cm、 メス95cm
体重・オス110kg、 メス75kg
毛皮・夏-褐色、黄褐色、 冬-褐色、灰色
子供には、白い斑 など等。
写真に押されたコムーネの印、ヒズメ紋が笑えます。
前日森で見た足跡と、やはり同じ!
前日森で見た足跡と、やはり同じ!
追記:何年か前から身分証明書もプラスティックのカードとなり、
こちらの様々なカードについては
http://italiashinkai.seesaa.net/archives/20180621-1.html
http://italiashinkai.seesaa.net/archives/20180621-1.html
お城の展示室は4階に当たる部分で、ガラス越しですが、展望が素敵でした。

すぐ背後にポー・ディ・ゴーロが流れ、ヴェネト州・かってのヴェネツィア共和国との境。
城の周辺建物に囲まれた中庭、そして土手に沿って、たくさんのテントが並び、
秋の諸国物産展、開催中。
秋の諸国物産展、開催中。
上の写真の東側。 奥に見える橋、あれがロメア街道、国道です。

上の写真共々、ご覧の様に、ポー河水面の方が地面よりも高いのがお分かりでしょうか?
長い年月の堆積物で、こうなのですね。
ポー河が穏やかに流れる時は良いのですが、2000年のスイス側での大雨が原因の
大水の際など、堤防を切り畑に水を流し町を守ったり、鉄橋を切って持ち上げたり、
と大変でした。
ポー河は全長652km、河上からアドリア海に注ぎ込むまで、約1週間かかるそうで、
あの大雨の時も毎日、今一番の大水がどこを流れている、とTVニュースでありました。
干拓の歴史共々、たくさんの逸話が残りますが、ポプラの木が多いのも、早く成長し、
根を張り、地面を護るからと言うのも知りました。
根を張り、地面を護るからと言うのも知りました。
ゴーロの町でお昼を食べ、灯台を見に。
そのまま真っ直ぐ南に下れる筈が、行き止まり! 尋ねましたら、ポンテ・ディ・バルケ・
舟の橋を渡りなさいとの事。 教えられた通りに戻り、土手に上がって納得!
「小舟橋」という名ではなく、舟を繋いで作った橋で、その時になってやっと、
旅行雑誌で見た事を思い出し・・
旅行雑誌で見た事を思い出し・・

板を並べた上をゴトゴトと渡り、写真の車が止まっている橋中央部分に小屋が
見えますが、あれが料金徴収所だったのです。
渡る前に、車一台75チェンティージミ、とか見ましたが、お兄ちゃんが顔を出したものの
何も言わないのでそのまま通り過ぎ、こちら側に来て後、無払い渡河に気がつき!!
何も言わないのでそのまま通り過ぎ、こちら側に来て後、無払い渡河に気がつき!!
戻りに2回分払おう、と思いつつ、帰り道は、ナヴィが他の道を指定し・・! きゃ。
ここが州境で、私はヴェネト側、向こうが、エミーリア・ロマーニャ州。
ゴリーノ・Gorinoで舟の橋を渡り、突端にある灯台まで7~8kでしょうか。
一面遥かに干拓地が広がります。 所々に、放置された農家の廃屋。
一面遥かに干拓地が広がります。 所々に、放置された農家の廃屋。

1951年に、ポー河の大氾濫がありました。 大雨の流れがアドリア海に注ぐ時、
満潮と重なり逆流し、88名死亡、5600軒程の家屋破壊、畑、道、工場破壊等の、
大災害でした。 こういった廃屋は、多分その時のものと。
満潮と重なり逆流し、88名死亡、5600軒程の家屋破壊、畑、道、工場破壊等の、
大災害でした。 こういった廃屋は、多分その時のものと。
ここは、既に車の行き止まり地点。 靄にかすみ、幾つかの農家の廃屋が点々と。
土手の高さを、4mも越す洪水だったそう。
土手の高さを、4mも越す洪水だったそう。

土手道は車は行き止まりですが、自転車か、歩きでは、もう少し突端まで行けます。
が、戻りの時間を考え、ここでオシマイに。
葦のそよぎ、逆光の煌き。

エミーリア・ロマーニャ州側に灯台が見え、アドリア海への河口が、左に広がります。

この灯台は1950年に作られたもので、それ以前の物はドイツ軍が引き上げる前に
破壊して行ったのだそう。
土地の歴史が、即、世界の歴史に繋がるイタリア、ヨーロッパの歴史と変遷。
それにいつも、ああ、そうなんだ、と改めて振り返り、驚かされます。
それにいつも、ああ、そうなんだ、と改めて振り返り、驚かされます。
イタリア最長の河ポーと、アドリア海の接点を見たぞ! と納得、
霧の出はじめたヴェネト平野を、我が家へ。
*****
ブログご訪問、有難うございます!
見たよ! の応援クリックも宜しくお願い致しま~す!
見たよ! の応援クリックも宜しくお願い致しま~す!
*****
コメントの書き込みについてのお願い。
ブログの記事下に、「コメントを書く」が出ていない時は、
上か右の、記事タイトルをクリックして頂けると
記事の一番下に「コメントを書く」が出ますので、よろしくお願いいたします。
上か右の、記事タイトルをクリックして頂けると
記事の一番下に「コメントを書く」が出ますので、よろしくお願いいたします。
非公開コメントをご希望の場合は、非公開で、と書いて頂くと、
コメント承認制ですので、保留にし、お返事だけ公開しますので、
それもご了承下さいませ。
コメント承認制ですので、保留にし、お返事だけ公開しますので、
それもご了承下さいませ。
この記事へのコメント