今日は月一度ご登場のグロリオーザさんのご案内で、ボローニャのご案内を。
街は、ちょうどヴェネツィアとフィレンツェの中間辺り。 コメントも彼です。どうぞ!
街は、ちょうどヴェネツィアとフィレンツェの中間辺り。 コメントも彼です。どうぞ!
今回は、美食と意外性の街「ボローニャ」の紹介です。
***
ボローニャは、フィレンツェ・トスカーナの北部、エミリア・ロマーニャ州の州都で、
私はフィレンツェから電車で行きました。インターシティで約1時間。
この街を表現するのに、La città Grossa Dotta Rossa と言うそうです。
太った、学識ある、赤い街ですね。 その理由も含めて紹介しましょう。
この街で、最も印象的だったのが、このサン・ドメニコ教会です。

1770年にモーツアルトが訪れて、パイプオルガンを弾いたところだそうですが、
右奥にある礼拝堂はイエスのフレスコ画の美しさに加えて、祭壇にはミケランジェロの
彫刻もあり、荘厳な雰囲気。
右奥にある礼拝堂はイエスのフレスコ画の美しさに加えて、祭壇にはミケランジェロの
彫刻もあり、荘厳な雰囲気。
この日は地元の中学生の団体が見学に来て、賛美歌を歌っており、
清らかな気持ちになりました。
清らかな気持ちになりました。
中心部のマッジョーレ広場にあるサン・ペトローニオ聖堂。1390年に建設が
始まりましたが、政敵だったフィレンツェの、サンタマリア・デル・フィオーレ教会
始まりましたが、政敵だったフィレンツェの、サンタマリア・デル・フィオーレ教会
以上のものを造ろうと、大規模な計画を立て、

16世紀にはさらにローマで再建が始まったサン・ピエトロ大聖堂を超えようとし、
結局財政難で中断して、ファザードが未完成のままです。
ただし、あくまでも中断で、中止ではない ところがすごい。
結局財政難で中断して、ファザードが未完成のままです。
ただし、あくまでも中断で、中止ではない ところがすごい。
同聖堂内部で、全体的に赤味がかった色調が、ほんのりと落ち着いた心に
させてくれる場所でした。
させてくれる場所でした。

前文のRossaは、街全体が赤い屋根や赤いポルティコ(街路の柱廊)で
占められている事と、70年代から80年代にかけて、この街はイタリア共産党の
支配下にあり、都市再建のリーダーになっていた事などが、「赤」のイメージで語られます。
占められている事と、70年代から80年代にかけて、この街はイタリア共産党の
支配下にあり、都市再建のリーダーになっていた事などが、「赤」のイメージで語られます。
外に出ると、広場に、ジャンボローニャ作の「ネプチューンの噴水」がありますが、
私はネプチューンよりもその下にある、おっぱいから水を出している女性像に、
目が点になりました。
私はネプチューンよりもその下にある、おっぱいから水を出している女性像に、
目が点になりました。

ここが市民の待ち合わせ場所だそうです。
ボローニャの「世界一」はこのポルティコです。 街中にこうした柱廊が続いており、
全体で、42キロにもなるということです。

従って、雨が降っても傘などは必要なし。 ある場所ではこのスペースを利用して、
リストランテが営業していました。
リストランテが営業していました。

このポルティコのすぐ近くで、昼食を取りましたが、ここエミリア・ロマーニャ州は
美食でも有名です。 パルミジャーノや、パルマハムのパルマはすぐ近くですし、
ボロネーゼスパゲッティはここが本場です。
ボロネーゼスパゲッティはここが本場です。
私はアンティパスト・ミストで肉を選択したら、ハムが山盛りになって出てきました。
これと、ひき肉が入ったそら豆のような形のパスタ「トルテッリーニ」で、腹がパンク寸前に。
うまかったけど苦しかった(料理の写真がなくてすみません)。
これと、ひき肉が入ったそら豆のような形のパスタ「トルテッリーニ」で、腹がパンク寸前に。
うまかったけど苦しかった(料理の写真がなくてすみません)。
こんな食事をしていたら間違いなく、Grossaになります。
1088年開学、ヨーロッパ最古の大学とされるボローニャ大学は、今アルキジンナージオ宮殿
として開放されていて、この二階にあるのが、世界初の人体解剖を行ったという解剖室です。

女子高生らしき団体と一緒でしたが、なぜか先生の解説より日本人に興味があったらしく、
皆じろじろと私を見ていました。
皆じろじろと私を見ていました。
解剖室近くの廊下天井です。 こんな豪華な天井を持つ大学なんて、他には知りません。
こうした学問の歴史が、Dottaという言葉に繋がるのでしょう。

サンタ・マリア・デッラ・ヴィータ教会という小さな教会で意外なものに出会いました。
「死せるキリストへの哀悼」というテラコッタ彫刻群。

キリストの遺体(中央下)を取り囲むように聖母マリア、福音書記者ヨハネ、マグダラの
マリアなど6人が配置され、女性たちの嘆きの身振り、表情は、これまでのどの絵画や
彫刻にもなかったような、激情があふれ出ていました。
特に、マグダラのマリア(右端)は、衣を大きく翻して今にもイエスに飛び掛りそう。
嘆きというより、絶叫の声が聞こえてきそうな迫力でした。 ニッコロ・デッラ・ルーカ作。
ボローニャに行かれたら、是非是非ご覧になってください。
嘆きというより、絶叫の声が聞こえてきそうな迫力でした。 ニッコロ・デッラ・ルーカ作。
ボローニャに行かれたら、是非是非ご覧になってください。
マッジョーレ広場近くの図書館前の壁に、数百人の顔写真がずらりと並んでいます。
第二次大戦末期、イタリア解放の為に戦ったパルチザンが、ナチス軍によって虐殺された、
悲惨な歴史がありますが、その犠牲者の顔写真です。
第二次大戦末期、イタリア解放の為に戦ったパルチザンが、ナチス軍によって虐殺された、
悲惨な歴史がありますが、その犠牲者の顔写真です。

最もにぎやかな広場に、これだけの大きさで写真を掲げているのは、
その歴史を繰り返さないための、強いメッセージなのでしょう。
その歴史を繰り返さないための、強いメッセージなのでしょう。
もう一つ、慰霊碑が駅構内にあります。

1980年8月2日、駅待合室で右翼の爆弾テロによって多数の死者が出ました。
その事実を決して忘れまいと、事件現場に犠牲者の名前を刻んだ、慰霊の碑が
建てられたのでした。
その事実を決して忘れまいと、事件現場に犠牲者の名前を刻んだ、慰霊の碑が
建てられたのでした。
この中に「SEKIGUCHI IWAO 20」という名前もあります。
早稲田大学生の彼が、旅行中にこのテロに巻き込まれたのです。
早稲田大学生の彼が、旅行中にこのテロに巻き込まれたのです。
暗い話が続いたので、最後は明るく終りましょう。
聖ドメニコ教会前で出会った、イタリアの子供たち。 中学生でしょうか、
「写真を撮らせてね」というと、「プレーゴ」と快諾してくれました。
「写真を撮らせてね」というと、「プレーゴ」と快諾してくれました。

みんな、体つきも表情も、はちきれんばかりに元気一杯でした。
如何でしたか、グロリオーザさんご案内のボローニャは?
私も一度だけですが、ボローニャに行った事があり、少し知っているので、
彼の写真が大変気に入りました。
大きな街、というイメージがあったのですが、調べてみると、人口は43万ほど!
何せスコミーゴ村の住人ですから、今はどこに行っても、目が回ります!
何せスコミーゴ村の住人ですから、今はどこに行っても、目が回ります!
駅トイレの個室内に、注射器回収用の箱が備え付けてあり、それだけで「ひぇ~!」と、
ひるんだ事を覚えていますし、街に物乞いの多い事にも、かなり驚いたものです。
ひるんだ事を覚えていますし、街に物乞いの多い事にも、かなり驚いたものです。
が、毎年のイタリアの街のランキングでは必ず、ボローニャが登場、
「都市生活を楽しめる街」と、時にはトップになるほどの街です。
いわゆる、都会らしい街 という事なのでしょう。
「都市生活を楽しめる街」と、時にはトップになるほどの街です。
いわゆる、都会らしい街 という事なのでしょう。
古いイタリアの街は、中心部の古い建物の修復が思うに任せぬと、スラム化して、
悪の巣窟と化しかねませんが、このボローニャでは、こうした中心部の古い建物が上手く、
内装のみモダンに修復され、新しく街の中心部として機能しているようです。
悪の巣窟と化しかねませんが、このボローニャでは、こうした中心部の古い建物が上手く、
内装のみモダンに修復され、新しく街の中心部として機能しているようです。
文中にもある通り、ヨーロッパ最古の大学が開かれた街でもあり、美食でも有名、
日本でも有名な、「絵本展」も開かれ、静謐な、白い静物画のモランディの街でもあり。
日本でも有名な、「絵本展」も開かれ、静謐な、白い静物画のモランディの街でもあり。
そして、長年の左派による市政から 「真っ赤なボローニャ」と。 最近一期のみ右派に
なリましたが、その後2004年から再度、左派による市政に戻っています。
なリましたが、その後2004年から再度、左派による市政に戻っています。
現市長はセルジョ・コッフェラーティ、チネーゼ(中国人)というニックネームを持つ
左派組合委員長出身で、現左派政権首相のプローディも、ボローニャに住んでいます。
左派組合委員長出身で、現左派政権首相のプローディも、ボローニャに住んでいます。
ボローニャの街にも、かっては運河が縦横に行きかい、カザノヴァは、この街から船で
ヴェネツィアまで行ったそう。
今日のグロリオーザさんの写真にはありませんが、この中心街に、中世の塔が
2本並んでいて、高い方の塔は97Mで、登れます。
薄暗い電気のついている塔の中、ぎしぎし鳴る梯子のような階段を、つかまりながら
ハァハァと登りましたので、次の機会には、上からの眺めをご覧頂きましょう。
ハァハァと登りましたので、次の機会には、上からの眺めをご覧頂きましょう。
最後に、私の大好きなボローニャ出身の歌手、ルーチョ・ダッラの「ピアッツァ・グランデ」
という、マッジョーレ広場を想わせる、歌詞とYoutubeのご紹介で終わります。
まずは、彼の写真をご覧頂いて。 ルーチョ・ダッラ ・ Lucio Dalla

Youtubeのヴィデオをどうぞ。 イタリア各地のピアッツァ・グランデの写真と共に。
https://www.youtube.com/watch?v=flLU4H89-ok&list=RDflLU4H89-ok
https://www.youtube.com/watch?v=flLU4H89-ok&list=RDflLU4H89-ok
ピアッツァ・グランデ
私に昼食をおごってくれる聖人達はいない
ピアッツァ・グランデのベンチの上
私ほど商人みたいに飢えている者は他にいない。
ピアッツァ・グランデのベンチの上
私ほど商人みたいに飢えている者は他にいない。
草の上で眠り、周囲にはたくさんの友達がいる
ピアッツァ・グランデの恋人たち
彼らの厄介事、彼らの愛もすべて知っている
間違っていても、いなくても。
ピアッツァ・グランデの恋人たち
彼らの厄介事、彼らの愛もすべて知っている
間違っていても、いなくても。
私なりに、私だって愛撫されたい。
私なりに、私だって夢を見たい。
私なりに、私だって夢を見たい。
私の、本当の家族はいない
そして私の家はピアッツァ・グランデ
私を信じる人からのみ愛され
私ができる範囲で、愛する。
そして私の家はピアッツァ・グランデ
私を信じる人からのみ愛され
私ができる範囲で、愛する。
私に寛大な女は、いない
ピアッツァ・グランデで愛を掠め取る
ありがたい事に、私ほど悪いやつは此処にはいない。
ピアッツァ・グランデで愛を掠め取る
ありがたい事に、私ほど悪いやつは此処にはいない。
私なりに、私だって愛撫されたい。
私なりに、私だって夢を見たい。
でも、自分の人生は決して決して変えない
私なりに、今の私は自分が望んだ自分
私なりに、私だって夢を見たい。
でも、自分の人生は決して決して変えない
私なりに、今の私は自分が望んだ自分
私を包む白いシーツは持っていない
ピアッツァ・グランデの星空の下
もし人生に夢がないなら、私が持っているのを上げよう。
ピアッツァ・グランデの星空の下
もし人生に夢がないなら、私が持っているのを上げよう。
そしてもう、私のような者がいないなら
ピアッツァ・グランデで死にたい
私の周りにいる、私の様に主人を持たない猫たちの間で
ピアッツァ・グランデで死にたい
私の周りにいる、私の様に主人を持たない猫たちの間で
先年亡くなった彼の暖かい声、素敵な歌を再度聴きながら、
ちょっとこみ上げるものが。 やはり彼の歌は素晴らしい!!
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