・ 「真の十字架伝説」 ・ アレッツォのサン・フランチェスコ教会

こちらイタリア(ヨーロッパ)は、この日曜から冬時間に戻り、
日本との時差が8時間遅れに。
朝が少し早く夕暮れも早い・・印象ですが、まぁすぐに慣れ、
寒さもやって来るでしょうから、
今のうちに精々、最後の秋を愛でる事に致しましょう!

さて今日は、アレッツォの街に残る素晴らしい壁画、サン・フランチェスコ教会、
ピエロ・デッラ・フランチェスカの手になる「真の十字架伝説」を。

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写真は教会前広場から見る正面と入り口で、左端に見えるシニョーレの姿から、
ここの脇道はかなりの坂道なのをご想像ください!
で、近年修復された下の教会内部は、この坂道を下った横から入るようになっており、
別の展示会が開かれていましたので、それも次回ご案内を。

見える石像は、ヴィットーリオ・フォッソンブローニ・Vittorio Fossombroni.
向こう側足元にライオンがうずくまって彼を見上げる形で、像の台座には、
水利・経済学者・政治家と彫られた18~19世紀のアレッツォ出身の人物だそう。



サン・フランチェスコ教会(聖堂)の位置は、地図のちょうど真ん中、
グランデ広場から南西に下ってきた所に。

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脇道から見上げる壁はこんな風に高く威圧的。

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上でもご覧のように、教会正面はいたって素朴なままで、入り口もこんな感じ。

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で、入り口脇にほんの少し出っ張りがあります。
       
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というのも、清貧を重んじるサン・フランチェスコ会派ですので、
正面の装飾を考える事もなかった様子ですが、
14世紀に一人の女性信者が300リラを、正面の装飾にと遺し、
勿論到底足りる金額ではなく、足元の強化工事代になったとか・・。

現在のこの教会は実は2代目で、最初の大聖堂は街の壁の外にあったのが、
防御に為に取り壊しにあい、13世紀後半に現在の位置に建設されたのだそう。



内にどうぞ。 入り口から見る内部は、一廊式の広く高い空間で、
その素晴らしさに溜め息がもれます!

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入り口扉内にプラスティックの囲いがあり、その内側までは誰でも入れるのですが、
ロープの仕切りがあり、そこからは予約し交換した切符を提示しないと入れません。
昔は予約なしに奥の礼拝堂内にも入れたのですが、修復後は30分毎の予約で、
その代わり礼拝堂内でもフラッシュなしで写真OKに。

面倒だとは思いましたが、写真でもお分かりのように、ゆったりと混雑なく見れ、
この方法も良いなぁ、と思ったことでした。
      
日曜は午後のみですが、平日は休館も昼休みなく開いており、
オンラインでの予約は
http://www.pierodellafrancesca-ticketoffice.it/



ピエロ・デッラ・フランチェスカの壁画のある礼拝堂、前からの眺め。

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前面にある十字架は、チマブーエ・Cimabue作と書いてあるのもありますが、
同時代のフランチェスコ派のマエストロの作と。



礼拝堂の脇から内部に。 天井、そして脇のアーチの下部等はピエロの作品でなく、
彼の前任者ビッチ・ディ・ロレンツォ・Bicci di Lorenzoの作と。

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で、今に残るこの素晴らしい壁画が描かれた由来をちょっぴり!
この主礼拝堂の装飾壁画の為にと、1417年に亡くなった町の裕福な商人
バッチョ・ディ・マーゾ・バッチ・Baccio di Maso Bacciが遺贈を。

元々この教会のこの礼拝堂の後援をしていた縁からだそうで、が実際にこの遺言が
果たされたのは30年後、息子のフランチェスコが葡萄畑を売り、資金の調達が出来て、
フィレンツェの当時の有名画家ビッチ・ディ・ロレンツォに仕事が委任されます。
       
バッチだ、ビッチだと少しややこしいですが、ご勘弁を、ははは。

所でこのバッチョ家の家柄を調べていましたら、壁画の資金調達で売った葡萄畑
というのが驚いた事に今も残っていて!
アレッツォの街の北東にある、サン・ファビアーノ農場・Fattoria San Fabiano、
伯爵ドットーレ・ジャンルイジ・ボルギーニ・バルドヴィネッティの持ち物で、
最初の記録にバッチ家から購入とあるのだそうで、素晴らしい写真がこちらでご覧に。
http://www.tenutesanfabiano.it/
       
壁画依頼先任のビッチ・ディ・ロレンツォと言う画家は年配で、既に作風が過去のものと
なりかけている按配で、仕事に取り掛かり、上で見て頂いた天井部分やアーチの
下側とか描いた物の、1452年に重病にかかり直に亡くなるはめに・・!

フランチェスコの息子ジョヴァンニが、アレッツォの町の人文学者達のサークルと深い
かかわりがあり、多分その縁で迎えられたのが、じゃ~ん、ははは、
当時既に評判が高く、フェッラーラやリミニ、ウルビーノの宮廷の仕事もしていた
我らがピエロ・デッラ・フランチェスカという訳!

リミニのシジスモンド・パンドルフォ・マラテスタの宮廷に関しては
       
ウルビーノのパラッツォ・ドゥカーレについては
      


ピエロ・Piero della Francescaの壁画の全体をどうぞ。

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一般にこうした壁画は左から右に、上から下に語られますが、ここでは画家は
上の段に野外風景を、中段に宮廷を、下段に戦闘風景と対にしており、
      


彼が基に置いた逸話「黄金伝説の中の、真実の十字架伝説」の話の進み具合
とは異なり、番号順はこの様子。

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まず右手の全体を、・・と言いつつ、下段が欠けておりますが、はは。

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ピエロが基にしたヤコポ・ダ・ヴァラジーネ・Jacopo da Varagineの
「黄金伝説」の中の「真の十字架伝説」というのは、
旧約聖書にも通じ、中世において大変人気を得たお話のようで、



1. アダムの死。 右に横たわるアダム、その右に老いたエヴァ!と、息子達。

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息子セツは天使から種を貰い父親の墓に植え、何世紀か経ち大木に育ちますが、
その幹はどの様にも使えず、結局橋の材として打ち捨てられるはめに。
ピエロはこのルネッサンス初期の画家としては、初めて裸体を描いた一人なのだそう。
       


2. シバの女王がソロモン王を訪問。

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左に、この橋の材を認め礼拝、この材が後にヘブライ教の衰退を決める事に
なるであろうと予言し、



右、ソロモン王とシバの女王の会見。

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なんとも美しい場面、空気感! ピエロの画面は涼やかで静謐。
憧れて、左の礼拝場面をフレスコ画で模写した事がありましたっけ・・。



3. 正面右の細い画面。 こうしてこの材は、ソロモン王の希望により
  井戸の中に埋められます。

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一番前で担ぐ男のパンツがずれて・・! ははは。

ですが不思議にも神秘にもこの材は、キリストが死刑判決を受ける何日か前に
姿を現し、処刑の十字架となります。
       


4. 時を経て312年10月、ミルビオ橋の戦い・Battaglia di Ponte Milvio
  の前夜、コスタンティーノ帝は空に、太陽の上に輝く十字架の夢を見、
  天使が夢に現れ、彼の旗印としてその十字架を加えるよう命じます。
 
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5. 戦いの朝、コスタンティーノは軍旗の上にキリスト教徒である事を示す
   モノグラム、XP(キリストのギリシャ綴りの最初と2番目の文字)を掲げ、
 マッセンツィオ・Massenzioを破ります。

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コスタンティーノが手に持つ十字架、どこかの国のあの黄門様の、
この紋所が目に入らぬかぁ!に似ていません?! ははは。

それにしても、この真ん中の川の流れの清い事! 大好きな場面ですが、
戦のシーンに似ぬ静けさで、こういうのを取り込むピエロの不思議さ!
   


6. 正面左上の細い画面。 326年コスタンティーノ帝の母親エーレナは聖地巡礼に
  出かけ、かの十字架の存在とその在り場所を知る唯一のユダヤ人を知り、
  秘密を明かすまで拷問にかけ・・。

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7.9.の場面。 下の7の大きな写真がありませんで、左半分に、十字架の再発見。 
  右、十字架を死人の上にかざすと蘇生、真の十字架である事が判明の場面。

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7. の奥に見える町は15世紀のアレッツォと見られ、聖地ジェルサレムのシンボルと
  表現されていると。

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8. 614年ペルシャ王コスロエ・Cosroeがジェルサレムを征服、十字架を持ち去り、
  冒涜。 627年皇帝エラクーリオ・Eraclioは、ニニヴェ・Niniveの戦闘にて
  コスロエを破り、転宗を拒む王を殺害。

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9. こうしてエラクーリオは真の十字架を、聖地ジェルサレムに戻す事を果たします。
    (写真上の画面)

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10. 正面左脇の下、受胎告知。 逸話順から行くと、ここに受胎告知が来るのは
  少し変な気もし、4のコスタンティーノの夢の前でもOKかもと。
  が、まぁ、こういう静謐な場面がピエロの謎、という事で・・。

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ピエロ・デッラ・フランチェスカの出生、作品の数々、そして
「出産のマドンナ」について
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461129166.html



礼拝堂内から見る、大きな十字架像の裏側。

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天井の梁を。 横幅の広い一廊式なので、長い梁を途中で繋ぎ、
それを支えの材で挟み、模様が描かれ・・。

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礼拝堂を脇に出た所にあるフレスコ画「受胎告知」若きルーカ・シニョレッリの作品!

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教会左脇には小さな礼拝堂が掘り込まれる形でいくつかあり、

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右側には壁画と木製の礼拝堂が並びますが、素朴な形が趣があり、素晴らしく。

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入り口上のステンド・グラス。聖フランチェスコが1209年12人の同士とローマに赴き、
インノチェンツォ3世から、会則の承認を得る場面ですね。
       
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上に壁画を依頼したバッチ家について調べたと書きましたが、こういう遺贈自体が
余りある事ではありませんので、生前高利貸しで財を築いたりの罪の滅ぼしかと思い、
何の商人だったのかと調べたのでしたが、アレッツォ市のサイトで、羊毛商だったと判明。

こうした高利貸しによる贖罪で有名なのには、
パドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂のジオットの壁画があります。
       

30年前、まだ壁画修復以前で、どの教会もフリーで入れ、写真にも煩く無かった時、
最初にこの壁画の謂れをガイドブックで読んでもまるでピンと来ず、ははは、
が徐々にピエロの絵にも親しみを持ち、じっくり眺めるようになり・・。

今回何とかこの壁画の謂れを分りやすく説明できるようにと、中世庶民に親しまれた
黄金伝説の一端をとあれこれ読んだのですが、上手くお伝えできましたように!



所で、最後はまた面白い、すごい写真を! これはアレッツォに本拠のある
エトルリア銀行の金庫室で、見えるのは、ははは、金のインゴットで~す!!

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なぜこんなのが?!、というのを次回のお楽しみに!
が、映画の宣伝CMも本編より面白いのがたくさんありますけん、さてどうなりますか・・!


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