フィレンツェが、イタリアのみならず世界中に「ルネッサンスの都」と
鳴り響いている事は、皆さんも良くご存知の通りで!
鳴り響いている事は、皆さんも良くご存知の通りで!

が、いまだあちこちに中世がしっかりと残り、中世大好き人間もうふうふと
満足感に浸れます。
こうして見つけた中世を、2回に分けてご覧頂きますが、今回は
ダヴァンツァーティ邸・palazzo Davanzati・フィレンツェ中世邸宅博物館
とその近辺をどうぞ!
ダヴァンツァーティ邸・palazzo Davanzati・フィレンツェ中世邸宅博物館
とその近辺をどうぞ!
ダヴァンツァーティ邸はポルタ・ロッサ通り・Porta Rossaに面する大きな邸宅で、
簡単に行けますし、
簡単に行けますし、
国鉄駅から南東方面、ドゥオーモに行く道を来ると、
このサンタ・マリーア・マッジョーレ教会・S.M.Maggioreが右手角にあり、
ほら奥にドゥオーモが見えますね。
ここを右折すると・・、

道の突き当たりに、どーんと見えるのがそうです。
写真は日曜の朝ですが、まさに楽勝気分! 後ほど地図も。
写真は日曜の朝ですが、まさに楽勝気分! 後ほど地図も。

ダヴァンツァーティ邸の前は広場で、その脇にもこんな中世の建物。

フォレージの塔・Torre dei Foresiといい、左側の塔の右に、
少し低い建物がくっついた形。
少し低い建物がくっついた形。
同じ造りなのですが、もしもの塔の崩壊に備え間隙が作られているそうで、
建物内に、当時の富の象徴である家の専用井戸と、地下には倉庫があるそう。
フォレージ家というのは、13~14世紀に栄えたグエルファ・Gelfa・
建物内に、当時の富の象徴である家の専用井戸と、地下には倉庫があるそう。
フォレージ家というのは、13~14世紀に栄えたグエルファ・Gelfa・
教皇派の一族で、16世紀に消滅。
グエルファ・教皇派、ギベッリーノ・皇帝派については、
次回ご紹介予定の「ダンテの家博物館」の際にご説明を。
次回ご紹介予定の「ダンテの家博物館」の際にご説明を。
現在の広場の位置にあったいくつかの建物が19世紀に取り壊され、
この壁面が良く見えるようになったのだそうで、
フィレンツェに残る幾つかの「中世の塔の家」の、良く保存されている一つだそう。
この壁面が良く見えるようになったのだそうで、
フィレンツェに残る幾つかの「中世の塔の家」の、良く保存されている一つだそう。

1階部分にレストランかバールがあり、中世の壁面に取り付けられたこの灯り。

デザインは確かに中世風ですが、中の電球は省エネタイプの蛍光灯で、
なんなく可笑しく、でも努力は評価です。
なんなく可笑しく、でも努力は評価です。
広場から見るダヴァンツァーティ邸。
14世紀の住宅建築と言いますが、かくも健在、威容を誇ります!

正面壁真ん中には・・
ダヴァンツァーティ家の紋章が。 ガイドブックより
後足立ちのライオン・青地に金の紋章で、
紋章学的には、軍指揮官・condottieroを現すそう。
紋章学的には、軍指揮官・condottieroを現すそう。

建物は14世紀半ばに裕福な商人のダヴィッツィ家・Davizziにより建設、
後16世紀後半にダヴァンツァーティ家・Davanzatiに。
買い取ったベルナルドは、裕福な銀行家であると共に文学者であり、
彼がこの紋章をつけ、中世の塔の家の典型である最上階の凹凸の
レース飾りを取り去り、ロッジャ式のテラスを作ったのだそう。
彼がこの紋章をつけ、中世の塔の家の典型である最上階の凹凸の
レース飾りを取り去り、ロッジャ式のテラスを作ったのだそう。
上の建物全面写真でご覧の様に、隣の建物との間に隙間があり、こんな感じ。
広場のフォレージ家の塔にも、建物の並びに間隙があったといいますが、
いかにも中世風の支えです。
いかにも中世風の支えです。

こちらが、現在の邸宅博物館入り口。

19世紀前半までダヴァンツァーティ家の住居として、内部調度も整えられ、
大変美しかったと言いますが、一族の最後が自殺して後住居は区分けされ
内部もあれこれ変更されたと。
大変美しかったと言いますが、一族の最後が自殺して後住居は区分けされ
内部もあれこれ変更されたと。
20世紀に入り骨董商が買い、調度を中世風に整え、私的な邸宅博物館として
公開、大いに人気を得たそうですが、この骨董商自身がその後ニューヨークで
ここの家具を競売、アメリカでの新ルネッサンス様式調度の口火となったと。
公開、大いに人気を得たそうですが、この骨董商自身がその後ニューヨークで
ここの家具を競売、アメリカでの新ルネッサンス様式調度の口火となったと。
再度の変遷の後、戦後最終的に国が買取り、他の博物館から調度を買い
寄付を受けたりで、博物館として開館したものの修復の為に長い閉館があり、
今年6月に再開されたばかりと言う、訪問チャンスでした。
寄付を受けたりで、博物館として開館したものの修復の為に長い閉館があり、
今年6月に再開されたばかりと言う、訪問チャンスでした。
入り口を入るとロビー空間があり、アーチを潜るとこの中庭。

吹き抜けの中庭の素晴らしさに驚き! この見上げる高さに居住空間が広がります。
これは、中庭奥から入り口側を。左側の壁沿いに、家専用の井戸。
実はこの邸宅には2度行きました。 最初は、サンタ・トリーニタ橋から
シニョリーア広場に抜ける途中に通り、あ、ここだ!と見学。
シニョリーア広場に抜ける途中に通り、あ、ここだ!と見学。
その時に、今からでも上階を見る予約が出来ます、と親切に教えて貰い、
予約して出直したという訳です。
予約して出直したという訳です。
これは、入り口側から中庭の奥に向かい。

建物は真四角ではなく、正面側は広く、奥(南部分)が斜め。
それが、部屋にも面白い不思議な印象を与えます。
写真はやはり禁止でしたが、写さずにはおれない素晴らしいもので・・!!
中庭1階部分のフレスコ画。

中庭から上階に上がる階段。 奥に、地階への階段も見えます。
本来の中庭は屋根がなく、雨も降り込んだでしょうが、
現在は電動で開閉の覆いが。
現在は電動で開閉の覆いが。

このダヴァンツァーティ邸は、1階中庭部分と2階が無料で見学でき、
開館 月曜から金曜 8時15分~14時 土、日曜 13時15分~19時
閉館 第2 第4の日曜、第1、3、5の月曜と、元旦、5月1日、12月25日
開館 月曜から金曜 8時15分~14時 土、日曜 13時15分~19時
閉館 第2 第4の日曜、第1、3、5の月曜と、元旦、5月1日、12月25日
お出かけ前にサイトでお確かめくださいね。
http://www.bargellomusei.beniculturali.it/musei/4/davanzati/
http://www.bargellomusei.beniculturali.it/musei/4/davanzati/
2階への階段から。

右側の壁の扉が開いている部分、あの壁の厚みの中に滑車があり、
下の井戸に通じています。
井戸の水がどの階でも、という贅沢。 中世の一般庶民は公共の井戸を
利用していたのを考えると、大変な富を持っていた事が分かりますね。
利用していたのを考えると、大変な富を持っていた事が分かりますね。
こんな感じに、中庭を囲み各部屋に続きますが、
部屋の外側の壁に、かなりの落書きが見えるのですね。
はや、もう既に?! と思いましたら、これは由緒ある落書き、との説明。
はや、もう既に?! と思いましたら、これは由緒ある落書き、との説明。

かって部屋が事務所として使われていた時、外で待っている人たちが
計算用紙代わりに、はたまた詩を書いたり、の落書きで、消さずにあるのだそう。
計算用紙代わりに、はたまた詩を書いたり、の落書きで、消さずにあるのだそう。
2階の右側の大きな部屋。 ここが1階入り口ロビー上に当る部屋。サイトより

高い窓の鎧戸をご覧下さい。幾つにも分かれ、用途に従い開閉できる仕掛け。
2階のパッパガッリ・オウムの広間・Sala dei Pappagalli. ガイドブックから。
食事用の部屋で、名前の由来は、綴れ織りで部屋が覆われた風の
フレスコ画装飾の絵柄からで、
食事用の部屋で、名前の由来は、綴れ織りで部屋が覆われた風の
フレスコ画装飾の絵柄からで、

見えますか? 四角い柄の白い縁取り部分のオウムが。

各部屋に監視カメラがあり、カメラに写らぬ位置から、はは、まるで泥棒猫!
おまけに、監視の女性がちょいちょい回って来るのですぅ!!
サイトで写真を探しましたが、皆さん私同様内緒で大急ぎか、殆どピンボケ!
こちらは奥の素晴らしい寝室、孔雀の間・Sala dei Pavoniとも呼ばれ、
上側の装飾、三角のアーチ部分に紋章と孔雀が。

紋章は、縁組みをしたフィレンツェの各名家のもので80にも及ぶそう。
部屋の右側はまだ広いのですがねぇ、テレビカメラがねぇ。
部屋の右側はまだ広いのですがねぇ、テレビカメラがねぇ。
少しピン甘ですが、同じ部屋の天井部分を。 格子天井の装飾が大変美しく、
感じだけでもね。
全体に装飾のフレスコ画には赤色が多く使われ、大変豪奢で密な印象に。

これは狭い通路状の部屋で、布を織るための道具類とか、
素晴らしいレース類の展示とかあり、写真が撮れずに大変残念。

11月にはガイドブックが、との話で、ウッフィーツィ美術館のブックショップに
関連本が1冊あると聞き、訊ねては見たものの修復関連の記事が多く、
重たくお高く断念。
はい、例によりトイレ関連を!

2階の部屋の片隅に。 おマルを入れる位置がないのが・・、むむ!
建物の床は、すべてこれに見える焼き煉瓦。
この薄い盥は、水浴用でしょうね。 ピンボケご容赦。

感心したのは、14世紀の建物というのに各部屋の隅を利用して、きちんと
設えられていた事。 裕福な商人の邸宅とは言え、当時にあって大変な贅沢と!
これは、3階部分のトイレ兼お風呂。 サイトより
3階は予約しての見学で、10人程も一緒で写真がまったく撮れず心残りでしたぁ!!

3階にこの大きな台所。 ガイドブックより
家の上階に台所があるのは、家中に煙や湯気が回らぬよう、
また火事を考慮してとの事。

奥中ほどの扉の手前に、ハンドルのついた物が取り付けられていますが、
穀物挽きだそう。 粉挽きというと即水車を思いますが、
そうですよね、家庭でも手軽に挽いたのでしょう。
他にもふいごや天秤秤、糸の整形機とか手仕事の道具類が展示されており、
当時の日常生活を髣髴とさせるこの台所を見ると、時の隔たりを一挙に越え、
親近感を覚えます。
当時の日常生活を髣髴とさせるこの台所を見ると、時の隔たりを一挙に越え、
親近感を覚えます。
3階のいとも豪華なる寝室。 ガイドブックより
天井部分の愛の物語のフレスコ画に、唯一オリジナルが残っているのだそう。
フレスコ画が語るお話は中世フランスの伝承物語で・・

城主夫人が、夫の騎士が戦いに出かけた留守中に、逗留した若い騎士に
横恋慕、迫りますが断られ、夫に逆恨みの嘘の告げ口を。

若い騎士には別に愛する女性がおるものの内緒なので、名を出して
自分の正当性を主張できず・・。
部屋をぐるりと一回りして続く、愛の物語。 最後は皆死ぬのですと!
地図をどうぞ。

ダヴァンツァーティ邸は、予約しての3階見学も、2階までの一般公開も無料です。
4階部分はまだ修復が済んでおらず、非公開ですが、大変素晴らしい!
との予告で、はい、お待ちいたします。
との予告で、はい、お待ちいたします。
14世紀の中世の塔の家から、ルネッサンス期の邸宅建築への移行期に当る、
とにかく素晴らしい、一見の価値ある博物館。
中心部にも近く、大いにお勧めです!
とにかく素晴らしい、一見の価値ある博物館。
中心部にも近く、大いにお勧めです!
ではこれより、ダヴァンツァーティ邸の南西域に向かいますね。
テルメ通り。 ダヴァンツァーティ邸から東に向かい次の角を曲がると、
その南に、こんな広場が。
その南に、こんな広場が。

入って行くと何やら不思議な中世の空間で、建物前の標識に
左が、元のサンタ・マリーア・ソプラ・ポルタ教会・S.M.sopra Porta
右が、カナッチ・ジャンドナーティ邸・Canacci-Giandonati
突き当たりに見えるのが、グエルファ側隊長の館・パラージョ・デイ(・カピターニ・ディ)
・パルテ・グエルファ・Palagio dei Capitani di Parte Guelfa
とあり、??!!
一瞬にして、中世の真っ只中に迷い込んだ印象。
調べて分かったのは、ソプラ・ポルタ教会は11世紀に遡り、門の上教会という名は
古い市壁の南門の傍らにあった由来からで、
古い市壁の南門の傍らにあった由来からで、
最初はこの教会でグエルフィ・教皇派が会合を持ち、13世紀に隣に集会所
として館ができ、この周辺一帯が教皇派の中心であった様子です。
カナッチ・ジャンドナーティ邸は、裕福な商人のカナッチ家が15世紀後半に建設、
写真に見える手前側のジャンドナーティ邸と併合した事などなど。
写真に見える手前側のジャンドナーティ邸と併合した事などなど。
グエルファ側の館と、カナッチ・ジャンドナーティ邸の間に薄暗い狭い小路があり、
そこを辿ります。
そこを辿ります。
と、狭いテルメ小路の向こうに細い塔の家。 地面から最上階まで、
フレームに入りません!

ボンデルモンティの塔・Buondelmontiという13世紀の塔で、
同名の一族は、この近辺にたくさんの塔を持っていたと。
13世紀のフィレンツェに於ける他の塔と同様、上辺が真っ直ぐで、1階の中程迄は
切り石積みが見えますね。切石積みがフィレンツェで最初に見られる例の一つだそう。
切り石積みが見えますね。切石積みがフィレンツェで最初に見られる例の一つだそう。
ご覧の通り、ちゃんと1階部分はお店になっていて、少人数のグループが
ガイドの説明を拝聴していて、ここがテルメ通り・via delle Terme.
ガイドの説明を拝聴していて、ここがテルメ通り・via delle Terme.

もう1本細い小路を南に抜けると、ボルゴ・サンティ・アポストリ通り・
Borgo Santi Apostli.
Borgo Santi Apostli.

塔上部が光り、見難くご容赦ですが、この古い塔もボンデルモンティの塔・
Buondelmontiで左隣に建物が続き・・
Buondelmontiで左隣に建物が続き・・
アッチャイウォーリ邸・Acciaiuoli といい、隣接の塔も、元ボンデルモンティの塔
と呼ばれ、フィレンツェの大名門アッチャイウォーリ家の持ち物だったそう。

アッチャイウォーリ家というのは、ナポリ王国の執事を務めていたそうで、
塔は13世紀末の、館は14世紀とフィレンツェでも最も古い建物のうちに入るそう。
塔は13世紀末の、館は14世紀とフィレンツェでも最も古い建物のうちに入るそう。
現在ここはホテルになっていますから、皆さん、お泊り可能で~す。
この辺り一帯いまだ中世の雰囲気濃厚ですが、可愛い野菜果物店も。

道を辿るとすぐにアルノ河沿いで、狭い薄暗い中世の小路を抜け、ホッと深呼吸。

快晴の日曜、フィレンツェ滞在最後の日。 ヴェッキオ橋も撮り収めです。

◆*◆
フィレンツェについては一通りの知識のみで、今回も歩きながら見て感じ、驚き、
戻って調べる、という経過でしたが、中世好きには発見の地区でした。
戻って調べる、という経過でしたが、中世好きには発見の地区でした。
知るとまた知らない事が増え、でも大いに楽しんでいます。
上手くお伝えできていると良いのですが!
上手くお伝えできていると良いのですが!
ではまた次回、よろしくお願いいたしま~す!
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