・ n.2  アクイレイア と、 アルティーノ

今日はアクイレイアの2回目と、良く似た町アルティーノ・Altinoのご案内を。
ローマ期に第2のローマと言われるほどに栄え、中世に衰退した町アクイレイアと、
同時期に栄えたアルティーノ。        
      
アルティーノも、交通の要所として、川の港として大いに栄えましたが衰退し、
アッティラの襲撃で破壊された後、住民はトルチェッロ島に逃げ、
これがヴェネツィアの起こりとなりました。 
アルティーノ博物館の様子もご紹介しますが、まずはアクイレイアから、どうぞ。

アクイレイアの町が近づくと、進行方向左手に、特徴あるフォロの遺跡が見えます。
       
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ウーディネから、グラードに続く主要道路のすぐ横に、雨ざらしで2000年を経ます。

後ろに見える鐘楼が高いので、70m、円柱が低く見えますが、実際はどの位の
高さなのか、何処にも高さが書いてありません! 広場の広さは130x70m.



このフォロの広場は、かっての東側半分ほどが発掘されているそうで、広場を囲み、
裁判所や、店、食堂などが並ぶポルティコ・柱廊があったといいます。 

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最盛期の人口が20万にも達しようかという、中心広場の賑わいをご想像ください。 
広場には、写真のように敷石が敷かれていたとの事。
写真一番左端中頃に車が見えますが、これがすぐ横を通る県道です。



フォロの円柱が一直線に並んでいるのを見ると、つい、こうして写したくなりません?

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周りに転がっている石には、浅浮き彫りが施されているのもあり、
貧乏性の私は、なんとなくもったいない様な気になりますが・・!



バジリカの西と北に広がる原っぱには、ローマ期の家の跡が発掘され、残ります。 
この写真は、バジリカの西の原。
 
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小さく「乗ってはいけない」と書いてはありますが、そんなもの、撮り始めたら・・・!!   
皆、知らん振りで乗ってるよ。



西の原っぱのモザイク。 家の中の一部ですが、この半円形というのが
いかにも興味を引きません? どういう使い方をしていたのでしょうか?
モザイクに、柄に従い、色石が使われているのも見えます。

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これがこの住居の全体です。 部屋の大きさが考えているよりも小さめで、
奥に半円形が続いていて、手前の部分真ん中に円柱が残っています。
       
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こうして見ていると、専門家に少し説明をお願いしたくなりますね。



これも西側の原。 モザイクの柄が大変繊細になり、色使いも多色です。
お金持ちの家かな?

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これはバジリカの北側の原、川の港に通じるヴィア・サクラの横に広がります。
家の跡がたくさん残り、床モザイクが見えます。

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上の写真と同じ場所の、モザイク床3種です。

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やはり一つの部屋の広さが狭いですが、この様に装飾が施され、
その細やかさに驚かされます。
この白とブルーの色使いが、初期モザイクの色だったようで。



川の港・ポルト・フルヴィアーレ。 今は埋め立てられ、小川の様なこの流れは、
かってアドリア海から上ってくる船の大きな港として、大いに栄えました。

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この岸には倉庫が立ち並び、地中海沿岸の国とヨーロッパ北部とを結ぶ、
交易の中心地だったそうで、町の賑わいが想像できそうです。



新しい、かっての賑わいの想像図が見つかりましたので、ご覧に。
倉庫群は、護岸に沿って南北に立ち並び、入口に階段が向かい合わせに
ついた基礎が残っているそうです。

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港は4世紀の中頃まで大いに利用されましたが、その後、町から河の流れが
そらされて次第に衰え、蛮族の襲撃の破壊の後は立ち直る事はありませんでした。
長く続く護岸の跡をご覧下さい。

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倉庫か家の跡なのか、私には定かではありませんが、入口の跡と思しきものの
切れ込みがあり、そこから少し高台に上がる階段状のものも見えます。
石に穴が開けられているのは、舟をもやいだ跡なのでしょう。
 
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写真で白っぽく見えるのが、水草で覆われた今の水路。 訪れたのは夏だったので。



道の横に、こんなに立派な門の跡がありました。 門というより、
建物の壁の跡の様ですが、この細工の立派さ、豪華さをご覧下さい。

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国立考古博物館所蔵品、絵葉書。
このリボンのモザイク! つる植物の、つるの巻き方の表現!
是非、実物を見てみたいものです。

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「競技者の肖像」というタイトルで、いかにも闘技者のイメージが伝わります。
お相撲さんの髷にも似て、でも髪もお髭も金髪ですね。

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「リヴィアの肖像」 何と美人ではありませんか! これも是非実物を見たいもの。
      
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凛々しい美人で、そして唇が素晴らしい!! リヴィア とは誰? 皇妃?


***

では、アルティーノのご案内を少し。
      
ヴェネツィアの本土側、メストレから15~6キロ東にある町で、2年ほど前の冬、
名前も知らず訪れ、畑の真ん中の国立考古博物館に、レストランの時間待ちに入り、
かってはここに、大変繁栄した町があった事を知りました。

驚いて眺めた収蔵品のいくつかをご紹介、写真は国立考古博物館のパンフレットから。

入場券の絵馬。 このデザインをご覧下さい。 奉納の「絵馬」で、文字がギリシャ語。 

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馬のお尻側にある説明によると、金属の薄板で、初期ヴェネトの作、
ボルツァーノの一地方から発見されたとの事。
奉納の「絵馬」が、日本の物だけでは無いという事も知りました!



ガラスのカップ。 リボン状のガラスを型押しで作った物で、1世紀の最初。

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ガラスのコップ。 シリアのタイプ、吹きガラス製。1世紀半ばの作。

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ガラス製の骨壷。 型に吹き込み、磨いた物、とあります。  
何と美しいブルーで、形の良い事。 亡き人への愛情がこもる、1世紀始めの作。

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モザイク・水を飲む豹。 これも是非再訪して見たい作品で、素晴らしいイメージ。
       
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白地にブルーのモザイクですが、豹の目と口に赤い色が入っているのです!
植物の流れの線と、豹の量感。 凄いです。



お墓の上の、蓋の部分。 どうやら、お墓は一人用ではなく、家族とか、兄弟で
同じお墓を利用した様子。
前部の浮き彫りは、どうも子供の兄弟の様に見えますが、も少し大きくなってかな? 
そして上に犬が。 博物館には別の蓋もあり、そこにも犬がいました。

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2000年前の人々と、気持ちの距離が縮まる一瞬、愛情のあり方に違いはないと。



何も知らずに訪れた博物館で、最初に度肝を抜かれたのが、この彫像でした。

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この完成度の高さ! こんな彫像が、1世紀の始めにあった町なのです。


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