かってのウンブリアの農民生活を今に伝える、チッタ・ディ・カステッロという町の、
民衆伝統博物館をご紹介です。
民衆伝統博物館をご紹介です。
暗い博物館の中、手持ちフラッシュなしの写真が、大変ブレて申し訳ありません!
目薬などご用意の上・・、どうぞ、ごゆっくり!!
目薬などご用意の上・・、どうぞ、ごゆっくり!!

最初にこの博物館を知ったのが旅行雑誌のこの写真で、実際には、この左に
大きな炉が見え、見てすぐ、行きたい!と思ったのでしたが、
写っている木のテーブルに魅かれたのかもしれません。
大きな炉が見え、見てすぐ、行きたい!と思ったのでしたが、
写っている木のテーブルに魅かれたのかもしれません。
地図をどうぞ。 チッタ・ディ・カステッロという町はウンブリアの北部、
トスカーナからウンブリアに入ったすぐの所に。
トスカーナからウンブリアに入ったすぐの所に。

この町からアッシジまでは50キロ程の距離で、他に見るべき物も多いのですが、
今回はここに直行した、ウンブリア旅行第1日目の午後。
地図にはついでに、今回訪れた町に線を引きましたが、北から挙げると、
グッビオ・Gubbio、グアルド・タディーノ・Gualdo Tadino、アッシジ・Assisi、
スペッロ・Spello、ベヴァーニャ・Bevagna、モンテファルコ・Montefalco、
フォリーニョ・Foligno、 トゥレーヴィ・Trevi、スポレート・ Spoleto、
プレーチ・Preci、ノルチャ・Norcia、 カステルッチョ・Castelluccio
(ノルチャの東に、黒丸を付けた所)
今回はここに直行した、ウンブリア旅行第1日目の午後。
地図にはついでに、今回訪れた町に線を引きましたが、北から挙げると、
グッビオ・Gubbio、グアルド・タディーノ・Gualdo Tadino、アッシジ・Assisi、
スペッロ・Spello、ベヴァーニャ・Bevagna、モンテファルコ・Montefalco、
フォリーニョ・Foligno、 トゥレーヴィ・Trevi、スポレート・ Spoleto、
プレーチ・Preci、ノルチャ・Norcia、 カステルッチョ・Castelluccio
(ノルチャの東に、黒丸を付けた所)
そして、マルケ州に入り、ヴィッソ・Visso、トレンティーノ・Tolentinoなど。
勝手に博物館と言ってますが、正式にはCentro Delle Tradizione Popolari、
民衆伝統センター、とでも。
ガラヴァッレ・Garavalleという、町を南に出た郊外にあり、カーナヴィに打ち込み
連れて行って貰え、
ガイドブックには午前と、午後は2時からとありましたが、入口の門には午後3時半からで、
大きな錠前で閉じられていて・・、田舎の畑の真ん中で、建物は修復用に覆われており、
時間になっても開かないのではないかと心配していましたが、
5分前に、お父さんらしき人の車に送られた若い男性が到着、
門の鍵を開けて、どうぞ、と。 ヤレヤレ!
連れて行って貰え、
ガイドブックには午前と、午後は2時からとありましたが、入口の門には午後3時半からで、
大きな錠前で閉じられていて・・、田舎の畑の真ん中で、建物は修復用に覆われており、
時間になっても開かないのではないかと心配していましたが、
5分前に、お父さんらしき人の車に送られた若い男性が到着、
門の鍵を開けて、どうぞ、と。 ヤレヤレ!
これは1階入り口前にあった、オリーヴの大きな大きな碾き臼。

TVニュースなどで見ていたので知っていました。 この左にのびた棒の先、ハンガー状の
物に馬が繋がれ、周囲をぐるぐると回って、オリーヴをひき潰すのですね。
こちらは17世紀のオリーヴ絞り機だそうで、壁というか建物に据え付けられ、
絞られたオリーヴ油は手前に開けられた穴の中で受ける様に。

絞り機の床に、平べったいザル状の編んだ籠が見えますね、
上の石臼でひき潰したオリーヴをこの籠に入れ、そしてこの絞り機にかけたのですね。
戦後の1960年代、まだこの種の絞り機が活躍していたそう。
上の石臼でひき潰したオリーヴをこの籠に入れ、そしてこの絞り機にかけたのですね。
戦後の1960年代、まだこの種の絞り機が活躍していたそう。
絞り機の前にあった、大きな炉。

1階部分にいろいろな農具があるので、あれこれ見ながらああ、日本と同じだと
楽しんだり、写真を撮っていると、一旦上に行った男性が戻ってきてあれこれ説明を。
楽しんだり、写真を撮っていると、一旦上に行った男性が戻ってきてあれこれ説明を。
雑誌には実際の農家を利用しているとあったのですが、
この農家は、隣に見えた黄色い大きなお屋敷、侯爵家の持ち物で、代々の専属農家、
収入の半分を受け取る、実際は70~80%ほども取られたとか、の農家だったと。
この農家は、隣に見えた黄色い大きなお屋敷、侯爵家の持ち物で、代々の専属農家、
収入の半分を受け取る、実際は70~80%ほども取られたとか、の農家だったと。
1階部分は、こうしてオリーヴ絞りやら家畜小屋、道具置き場で、2階が居住区。
建物自体は細長く、石臼とかオリーヴ絞り機、炉などは、入口部分に。
建物自体は細長く、石臼とかオリーヴ絞り機、炉などは、入口部分に。
こちらも葡萄絞り機。 最初、私には見分けがつきませんでしが、
葡萄は直接この中に入れて絞るのだそう。

箱状部分の横にも穴が開き、そこからも絞り汁が出る仕組みで
この機械も最近まで使われていたとか。
棚の上には御存じ、ワイン用の大瓶が並び、手前には小さなキャンティの藁苞瓶も。

彼の説明によると、キャンティのフィアスコ瓶、藁で巻かれた瓶はキャンティだけの
やり方だそう。 映画でもよく見るので、イタリア中の方法かと思っていましたが。
私がワインの量り売りを買うのに持参する瓶は、5リットル入りですが、この大きさの
半分位でしょうか、となると、大体10リットルから15リットルという事かな。
半分位でしょうか、となると、大体10リットルから15リットルという事かな。
鞍 ・ 荷物運び用物入れで、奥の壁際に見えるのはロバ用の鞍だそうで、
上の棚にはもっと小さい鞍も。
上の棚にはもっと小さい鞍も。

半円形の木でできた籠は、ロバの両脇に付け、物を運んだものだそうで、
すべて手作りの品。 「何でも、自分たちで作ったんよ」と。
すべて手作りの品。 「何でも、自分たちで作ったんよ」と。
テブレ、目チカチカの写真で申し訳ないです。
この籠も農民の手作りで、これにはヒヨコを入れたのだそう。
後ろに見える形も、日本にもありそうな形でしょう?
後ろに見える形も、日本にもありそうな形でしょう?

私が大変興味を示すので、彼も(多分学芸員の有資格者)どんどん話してくれ、
奥の方にも案内してくれました。
隣の侯爵家とは土地の段差があり、ここは中間部分の半地下なのだそうで、
この細い通路は温度が低く一定しており、いわば天然の保存倉庫で、
この細い通路は温度が低く一定しており、いわば天然の保存倉庫で、

食料品はすべてここに保存していたそうで、見える壷はオリーヴ油用。
おまけに、ここに湧き水の泉まであるのです。 しかもローマ期からのものだそう!
手前に付いた紋章をご覧下さい!!
手前に付いた紋章をご覧下さい!!

但し大変石灰分がきつく、2つの流れ口の下は鍾乳洞式にびっしりと固まっていました。
「トンボラ」というのは、日本の「当てもん籤」みたいなものしょうか。
数を書いた自分用の紙の上、自分が賭けたい数字の上に、豆などを置き、
で、親がサイコロを転がし、数字を読み上げ、いくつ当てたかを競うわけですね。

この数字板が大変美しく大きく、由緒ありげなのに驚きましたら、
毎年の町のお祭りに広場に運ばれ、町中がトンボラに湧く、そのご本体なのだそう!
55の数字が見えませんが、これは一つ一つの数字がくるっと回る様になっている、
それを見せてくれたのでした。
それを見せてくれたのでした。
左上に見えるガラスの籤入れ、あれは日本の籤をガラガラ回すのと同じですね。
で、いよいよ2階の居住部分のお部屋に。 大きな炉には赤々と火が燃やされ、
大変気持ちの良い空間になっていました。
最初彼が2階に上がって行ったのは、この為だったのですね。

外は暑い位のお天気でしたが、1階部分はヒンヤリとしていて、
この火の暖かさが大変気持ちが良かったです。
この写真を写したのは一番最後でしたので、余り火の勢いがありませんが、
最初はもっと盛大でした。 使い込まれて、煤で真っ黒になった炉の周り。
いかにも、生活の温かみの感じる博物館でした。
最初はもっと盛大でした。 使い込まれて、煤で真っ黒になった炉の周り。
いかにも、生活の温かみの感じる博物館でした。
この部屋が一番大きく台所も兼ね、農民一家の寛ぎの場所でもあったでしょう。
この部屋に続く奥の2部屋は、一家の寝室に当てられていたとの事。
この部屋に続く奥の2部屋は、一家の寝室に当てられていたとの事。
隣の寝室、展示パンフレットから。 とはいえ、その様に設えて様々な物を展示
している訳で、このベッドは農民の物ではありません。
している訳で、このベッドは農民の物ではありません。

ヘッドボード部分に美しい飾りが付いており、そして丈は大変短いのです。
私のベッド、195cm、を基準に考えてみて、170センチあったかどうか、と。
昔のイタリア人の背の高さが想像されます。
写真で見えるほどに実際の部屋は大きくなく、でもこういった部屋に5,6人から
時には、7,8人が寝たのだそう。
時には、7,8人が寝たのだそう。
ベッドのマットレス部分は、裂いて中の詰め物が見える様になっており、
はい、中身はウモロコシの皮で、マットレスに触って見ましたが、ごわごわ。

で、マットレスの上に乗っている木製の物、これは真ん中に炭火の入った鉢を置き、
ベッドを暖めた物なのですって。 そう、日本のコタツと同じ要領ですね。
ベッドを暖めた物なのですって。 そう、日本のコタツと同じ要領ですね。
後に小さい子供用のベッドの柵が見えますが、ここには赤ちゃんをぐるぐる巻きにした、
ホラ、よく昔の絵画に登場する、ミイラみたいに全身を白布で巻かれた赤ちゃん用の、
白い布の帯などがあり、見せて貰いました。
ホラ、よく昔の絵画に登場する、ミイラみたいに全身を白布で巻かれた赤ちゃん用の、
白い布の帯などがあり、見せて貰いました。
地織布のきちんとした物もあり、きっとこういう布は上流家庭のお母さんや、
一家の愛情が籠もっているのだろう、と見つめた事でした。
一家の愛情が籠もっているのだろう、と見つめた事でした。
農民の衣服。 継ぎがあてられ、言うまでも無く、たいへんに着古されていて、
大方が、スモックのような上から被る形。

これは遊ぶ人形ではなく、マリア様、お祈りを捧げるためのマリア様で、
大変大事に大事に扱われていたのでしょうね。 ちびたローソクが少し切ない。

これは農民の靴ですが、写真ではちょっと分りにくい部分のご説明を。
上の足の甲を覆う部分は皮ですが、底の部分は、木で出来ているのです。
軽くて、暖かいのだとか。 それにしてもねぇ・・!
軽くて、暖かいのだとか。 それにしてもねぇ・・!

イタリア版 ひょうたん。 ね、まさに瓢箪でしょう?!
私は大喜びで、日本にも同じような物がある事を伝えました!
私は大喜びで、日本にも同じような物がある事を伝えました!

これは瓢箪ではなくカボチャだそうですが、やはり水入れに使ったとの事。
この写真は実際よりも少し派手めに色が出ましたが、植物染めの色見本です。

イタリアにもやはり植物染めがあるそうで、単に染めるだけでなく、色の取り出し方も、
実際にかって行なっていたシニョーラを招いて、子供達の前で実演した事があったとか。
「大変、素晴らしい経験だった」と。
最後に見学代を払い、良かったら署名を、と言うので漢字で名前を書き、
見ましたら、その日の入場者は、午前中に2人のみ。多分、午後は私1人かも。
冬がかなり厳しい、と彼が言っていました。 訪れる人も無く、一人で火の前で
たくさん本を読むのだそうです。
「ある意味で、素敵な人生だ」と言いましたら、頷いていましたが。
ひょろっと背が高く、明るくシャイで、なかなか深い眼をした人でした。
建物がかなり雨漏りがするので、この7月頃から本格的に修復工事に入るそう。
良い時に訪れました。
楽しかったです!!
良い時に訪れました。
楽しかったです!!
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