・ フェルトゥレ ・ ドロミテの麓、小さな高貴な町 

今日はヴェネト平野の北西奥、既にドロミテ山系の麓に近い、落ち着いた
小さな町フェルトゥレ・Feltreをご案内です。

歴史は古く、ローマ期にはアドリア海沿岸からアルプスを越え、ドイツ、
バイエルンのアウグスブルグまで続く街道が通る重要な町でもありました。

その後15世紀初頭にヴェネツィア共和国の元に入り、現在も残る町の夥しい
美的な建築は、すべて16世紀の物と。

写真は今月4日に訪れた時のもの、お楽しみ下さい!

町は丘の中腹に広がり、東西に走る道は高さが一段ずつ違い、手前の道も
町の南を走る一番下の部分からは少し上がった所にあり、中心部は上の高さ。
 
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これから、写真の一番左に見える階段を上ります。



右側の壁の中ほどに見える切り込み部分の、ここの階段を上がって来て、
町の西側を見ています。

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町の中心部の高さの感じ、お分かりでしょうか?
日曜のお昼前、快晴に誘われ、ミサを済ませたたくさんの人々がのんびりと。
       


崖の様なイメージの、壁の上の細い道を東に辿ります。
途中、中心部に抜ける階段道もありますが、今回はずっと東まで行きました。

町の中心の東にあるドゥオモです。 9世紀の地下礼拝堂を始め、
14世紀末の鐘楼、現在のドゥオモ自体は16世紀、と時代が重複した建物。

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ドゥオモの南側部分。 この辺りは考古学的に中世の物が層をなしているそうで。

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円柱の見える建物の左、軒下の飾りが見えるでしょうか? 今回は、近くに
行きませんでしたが以前写した写真があるので、お目に入れますね。



これがそうです。 多分礼拝堂だったと思うのですが、以前の時は結婚式の
準備中で急いで退散したため、中の写真はありません。

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以前の写真と比較してみて、町全体がかなり修復、整備された印象を。



最初の、崖道から中心への坂道を振り返り、町の階段状の感じ、お分かりですね?

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崖道を辿り、東の上に抜けるあたり木蓮の蕾が膨らんでいました。

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フェルトゥレの町は盆地にあり、夏暑く、冬寒いという評判がありますが、
この木蓮の蕾も、時期から考えると少し遅いですね。
1週間後のフリウリの平野では、すでに満開の花で枝が重そうでしたっけ。



一番東の抜け道を上に。 建物の下を斜めに潜る形で道があります。
丸石舗装の、この傾斜道。 雨の時、雪の時はきついでしょうね。

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潜り抜けた建物はプレトーリオ邸といい、左下に白い碑文が見えます。
プレトーリオというのは法務官を指しますから、ヴェネツィア共和国の行政庁かも。

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白い碑文には、「カルロ・ゴルドーニがここで書記補佐官として働いていた時、
インスピレーションを受け最初の劇を書き、成功した」旨が、記されていました。

カルロ・ゴルドーニ(1707-1793)はヴェネツィア出身の劇作家で、
ヴィヴァルディとも時代が重なり、今なお彼の作品は上演され、
この春生誕300年、とのニュースがありました。



上の写真の手前右部分がテラス状に張り出し、その奥にラジョーネ邸、
現在の市役所があります。
手前部分はA.パッラーディオ設計のポルティコで、上にこの顔でライオン君が。

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威風堂々のパッラーディオのポルティコの上に、この顔!
パッラーディオが、ライオンも設計したら良かったのに! ははは。



ラジョーネ邸の前に、現在修復中としてこの劇場の写真がありました。
中は見れませんが、ここにも素晴らしい小さなテアトロがあるのですね。

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これが町の中心のマッジョーレ広場。 知らずに一番の中心に上って来た訳で。
 
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この広場の建設の最初はローマ期だそうで、南側部分が坂道に沿って
舞台状に一段高くなっています。

左奥に見える屋根部分が階段状の建物が、町に残る数少ない中世の面影で、
左端の時計塔の付いた部分が古いお城。



広場の北側から。 広場の中央の両端に、フェルトゥレが生んだ2大人物像が、
向き合っています。 右端奥に見えるのがプレトーリオ邸。

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広場の人物像、西側はヴィットリオ・ダ・フェルトゥレ。14世紀の人文学者で、
フェッラーラのエステ家の教育係だったそうで、マントヴァで亡くなっています。

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東側が、パンフィーロ・カスタルディ。 15世紀の医者にして出版業者。
活版印刷のグーテンベルクは、このカスタルディのアイディアをコピーしたものと。

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この、両手に杖を付きゆっくりと歩むシニョーレ。 彼はあちこちと眺め、写真を撮り、
ゆっくりゆっくりと吟味するかのように広場を横切っていきました。

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広場の横に駐車した車の中には、彼を待って若い男性が雑誌を読んでいましたが、
車を運転して去ったのはこのシニョーレ。
この年頃になり、杖に縋ってもあちこち見て歩き、自分の研究を続ける様子、
私にはそう感じられたのですが・・、心が揺さぶられました。



マッジョーレ広場の北西の角に接して、この大きなちょっと特殊な建物があります。
グアルニエーリ邸といい、19世紀に再建されたという事なのですが、
ご覧のように、正面壁に幾つものダヴィデの星が。

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どんな由来を持つのか検索をかけましたが、分りませんでした。
正面の扉も、大変繊細な柄が彫られたものです。



上のグアルニエーリ邸の斜め向かい、坂道に沿ってトミターノ邸があります。
現在は市図書館ですが、かっては公営質店モンテ・ディ・ピエタだったそうで、

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どうやらこの人物は、やはりこの町出身のベルナルディーノ僧の様で、
彼がモンテ・ディ・ピエタの発明者だとか。



広場からもう一つ北側上の道を辿ると、かなり切り立った町の外れに出ます。
そこからの、北の眺め。

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東から西に、目の前いっぱいにこの眺め! この山の向こうはアルト・アディジェ州、
ドロミテ山系で南ティロルに続きます。



丘の中腹に広がるフェルトゥレの町は、南北に繋がる道はすべて階段状の坂道。
こんな風に、古い家の間を坂道が通ります。

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マッジョーレ広場から西の皇帝門に続くメッザテッラ通りの両側には、
町で一番の、美しい建物が続きます。

これはフレスコ画で飾られた家。 影がきつくて、見え難くてご勘弁を。

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これも面白い建物でしょう? 建物の名前を探しましたが、見つからず、
なんとなく、銀行っぽい感じがしません?

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右奥の渡り廊下式の繋ぎの部分に、美しいフレスコ画がありました。
そうそう、中心の広場から西に向かい、東西を走る通りも傾斜していて、
ここもかなりの坂道です。



骨董店の店先。
      
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古いイタリアの町は、大概日曜はお休みの店が多く、この日は近くのバールも、
すべて閉まっており、すいたお腹を抱えて、うろつくshinkai!



腹減ったぁ~! と思いつつ坂道を下り、彼に出会いました。

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丸々と太って、艶々の毛を持ち、呼ぶと寄ってきて、ごろんと横になり、
お腹をさすらせてくれたのは良いですが、 やはり、私のお腹はすいたまま!



これは古い写真でご覧頂く、メッザテッラ通りの西の端にある皇帝門。
またはカスタルディ門とも。 名前にふさわしく、威風堂々。

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