・ オデルツォ ・ 3000年前、既にヴェネトの中心地 

今日は我がコネリアーノから南西に25キロほど、いわばヴェネト平野の中心
近くに位置し、3000年に近い歴史をもつ オデルツォ・Oderzoのご案内を。

ピアーヴェ・Piaveとリヴェンツァ・Livenzaの2本の河に挟まれた、
この平野の中心地に鉄器時代より移殖が始まり、キリスト生誕1000年前に
既にこの一帯地域で一番豊かな中心地であり、
ローマ期には、ジェノヴァとアクイレイアを結ぶポストゥミア街道がここを通り、
町の一層大きな発展に繋がりました。

ローマ期のこの町の名は、オピテルジウム・Opitergiumといい、
今もこの町の住民の形容詞は、オピテルジーニと言うのだそう。

これは上空からの眺めで、真ん中に白く見えるのが町の中心にある
ヴィットリオ・エマヌエレ広場で、広場左下にドゥオモ、そして鐘楼。
      
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広場の下側真ん中にアーチが見えますが、かってここに行政庁のあった
トレッジン・il Torresinと呼ばれる建物で、広場からこの南に続く通りの
一帯が現在の町の、一番賑やかな商店街。

ローマ期の町の中心は鐘楼の見える左側から上方にかけてで、
フォーロなどの遺跡が現在も見る事ができます。

写真の上方が北で、コネリアーノからは一旦町の東を通りすぎ西に曲がり、
深い木陰の道を抜け、橋を渡り、広場の上右をかすめる道に出てきます。



上の写真の右端に見える緑の部分、道がカーブしている手前が
モンティカーノ川を渡る橋で、道のカーヴに沿い、こんな像が立ち並びます。

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この橋を渡ると一番の中心地なので、かなり優雅なイメージを受けます。



道路地図をどうぞ。 オレンジの線が高速で、A4の南にヴェネツィア・メストレ、
そしてA27で北に向かいトゥレヴィーゾ、一番北に、コネリアーノで、
東側中程の緑の旗の立っているのが、オデルツォ・Oderzo。

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かってのローマ期の街道はパドヴァから、現在のメストレをかすめて海側を通り、
東のアクイレイアに繋がっており、アクイレイアから、オデルツォ、トゥレヴィーゾ、
ヴィチェンツァ、ヴェローナと、少し内陸を西に連絡していました。
       
そしてトゥレヴィーゾからほぼ真っ直ぐ南に下った所の海に近くに、以前
アクイレイアと共にご紹介したアルティーノ・Altinoがありました。



今回行ったのは7月最初の暑い暑い土曜日で、広場はオペラ公演準備の
真っ最中でした。 そう、オデルツォは夏の野外オペラでも有名なのです。

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すぐ何日後かに迫ったヴェルディのオペラ「イル・トロヴァトーレ」初日の為、
洞窟のようなお城のような大装置が備えられ・・。
教会に入るにも、後ろの塔の下を抜けるにも、ぐるっと横を回って細い通路を。

右に見える正面が簡素で、上に小塔3本が見えるのがドゥオモですが、
内部は町の繁栄を受け、多くの絵画作品やフレスコ画があります。

正面の塔のある建物がトレッジンで、かっての行政庁、現在は銀行ですが、
建物は20世紀初頭に、ゴシック風に建て直された物との事。



ここの鐘楼も少し傾いており、塔の上の天使像が回るそうです。

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町の中心東側を流れるモンティカーノ川は2つに分けられ、一方はこの様に
町の中心を横切っていきます。

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この川は南に下り海に注ぎますが、ヴェネト一帯の他の中心地と同様、
このオデルツォの町も河の港として大いに栄えたという事で、
こういう細い流れも家々から直接に物資の運搬が出来るようにも考えられ、
大いに利用されたのでしょう。



こんな家から流れへの階段は、私が育った長野で見た思い出にも繋がります。

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トレッジンの下の門をくぐり町の南側、町の一番賑やかな古くて美しい
マルティーニ通りには、両脇にポルティコが続き、ずらっと駐車。

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広場の南の門トレッジンは通り抜けれませんので、すぐ近くまで入ってくる車は
少なめですが、ポルティコの下はやはり大勢の人々が行きつ戻りつ。
       


マルティーニ通りには、フレスコ画装飾されたゴシック様式の古い建物が、
びっしりと並んで続きます。

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狭い間口で奥に細長い敷地様式を、ロット・ゴシックと呼ぶと今回知りました。
建物の奥まで、裏庭から菜園まで至るこの細長い敷地式は、
中世の町並みに良く見られるそうです。



中でも美しいこの建物、白いテントに全て白い花の鉢植えで、清楚に清々しく。

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細部をどうぞ。かっては全壁この様なフレスコ画で埋められていたのでしょう。
ご想像下さい、狭い道の両脇にびっしりとこんな建物が並んでいるのです。
 
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ローマ期の繁栄もですが、一旦蛮族の襲撃で衰退した町が中世に復興、
そしてヴェネツィア共和国の下で、更に繁栄したその名残がここに見えます。



フレスコ画を描いた画家達の名を見ると、ポンポーニオ・アマルテオなど、
ヴェネトからフリウリにかけて活躍した、かなり有名作家の名も見出せます。
そういった画家に払える、資力があった町という事なのでしょう。

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この人物像なども、単純ながら見事な流れの線と思います。



通りの向かい側も同様に、フレスコ画装飾の建物とポルティコが続き、
奥に明かりが見える通り店が賑やかに営業し、中世と現代が混在です。

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マルティーニ通りと、西に向かうガリバルディ通りの交差点に、こんな装飾の建物。
縁取りが花柄、中は幾何学模様で、可愛いパッチワーク風ですね。

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建物の壁面もポルティコも修復され、すっきりとした町になりつつありますが、
ポルティコの隙間、木組みの間にたくさんの燕の巣があり、あちこちで鳴き声が。

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この子もようやっと巣立ちした所で、ポルティコに渡した柱に捕まり、
飛び立つ心の準備中!



今回の訪問目的は、この市博物館で、ローマ期のモザイクを見る事で、町は
何回か訪門してますが、まだここの床モザイクは見ておらず、憧れていました。

市立考古博物館は、ガリバルディ通りをずっと西に行った、ご覧の様に
広大な庭園を有した、素晴らしい場所にありました。

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Museo Civico Archeologico "Eno Bellis"       
Via Garibaldi 63 
開館時間 6月-9月 火、木、金、土 9時ー12時 14時半-18時
          日曜と祭日 16時-19時 
     10月-5月 平日開館は上と同じ 日曜祭日 15時ー18時
休館 月曜、1月1日、1月16日、復活祭、5月1日、8月15日、12月25,26日
かなりややこしいので、ご訪問前にはこちらサイトでお確かめを。
http://www.archeoveneto.it/portale/wp-content/filemaker/stampa_scheda_estesa.php?recid=129
すぐお隣に絵画館もあります。



内部の収蔵品を絵葉書、ガイドブックからどうぞ。

一連の有名な床モザイクの一部。 これらは6世紀の建物にあったモザイクで
ご覧のように大変精巧な物。
色は茶形で纏められ、動物の表現が躍動感に溢れていて驚きました。

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上の犬の下にROMANUS・ロマーヌスと見えますが、この犬の名前なのだそう。
ご主人に大変に愛されたワン君、優秀な狩猟犬だったのでしょう。



この顔の表情も! 量感溢れる額、頬、髪の流れ、素晴らしい!!

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このモザイクが長年憧れていた「狩」。猪の毛並みの表現、狩猟犬の姿、
槍の穂先の鋭さ。 モザイク作者のレベルの高さを感じます。

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これも大変面白く、当時の生活状態が偲べます。 家鴨や鶏の飼育状態、
そして右端、切れていますが、井戸から水を汲んでいます。

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ロマーヌスの犬以外の3場面は、皆、同一部屋分のモザイクの図柄で、
大きく、横幅が5~6Mもあった様な。
       
今までに見た部屋床モザイクは、つまり部屋は皆小さかったので、
この部屋の大きさにも驚きました。

そしてモザイクに使われている破片が意外と薄いのにも、驚きました。
5mmほどでしょうか。 近くで見れると、意外な発見がありますね。



こちらはローマ期のお墓の飾り。 似たような物はアルティーノでもかなりの数を
見ましたが、今回見た物は少し変わっていました。
今までは兄弟などの男性像でしたが、今回は夫婦像が多かったのです。

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そしてこの写真は残念な事に違いますが、殆どが、手を繋いでいたのです。
二人の前で、両方から右手を差し伸べ握手する形で表現されていて、
永遠の愛を誓う形のように見え、少し感動しました。



市考古博物館を出て町の中心広場に戻るのに、少し手前で、左に、
マッツィーニ通りに折れ、そして少し行くと、現在の建物の下に残された
ローマ期の家の床モザイクが見れます。
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発掘された床の上に、全体に橋を渡す感じで床が覗け、建物が上にあります。
紀元前1世紀の物だそうで、
台所部分に当るのか、奥には井戸と思える掘り抜きの、丸石柱も見えました。
              
すぐ近くには、フォーロの基礎部分も保存されており、ここも同じく建物の
地下部分を高床式にして覗いたり、多分、時には中に入れる様にもなっており、
こういう町中の保存方式としては、よいアイディアだ、と思った事でした。



再び中心広場に戻る為、トレッジンの裏側から写真を撮っていましたら、
右下に写っているグループが通りかかり、

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男性の1人が、「このヴェネトは、どこに行っても美しいでしょう?
こうして回って歩くの、素敵じゃない?」と尋ね、女性達が、「ええ、本当に!」
と答えるのが聞こえ、   
      
私は一瞬、「オ! ブログでヴェネト紹介をしている仲間?!」と思い、
一人で笑いました!!  あはは。



中心広場、ドゥオモに向きあう大きな オットボーニ・サッコマーニ邸の壁画。
この壁画はポンポーニオ・アマルテオの手になるそうで、大変興味深い物。
       
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この広い広場が日曜の午前、ドゥオモのミサが終わった頃人々で一杯になり、
あちこちのバールのテラス席が埋まります。 そして暫くしお昼前になると、
がらんと人っ子一人いなくなる、イタリアの地方の小さな町。
あの感じが大変好き!



最初にご紹介した橋脇の女性像ですが、こうして見る町の向こうは、
川が緩やかに流れているだけ。

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では、私も家に戻りお昼ご飯に。

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