天正4少年使節のご縁により、九州大村からの皆さんと共に、ローマの街も
駆け足ながら見る事ができました。
「ローマの休日」というには、バスの窓からの風景が多いのですが、
駆け足ながら見る事ができました。
「ローマの休日」というには、バスの窓からの風景が多いのですが、
その代わりに普通では見れないものもご覧いただけますから、
有名すぎるローマの名所と一緒に、どうぞ!
9月30日の午後早く、フィミチーノ空港で日本からの皆さんと合流し、
バスで市内観光に。
このいっぱいに広がる壁、これコロッセオ。 バスで南から行きましたので、
いつもご覧の写真とは違う裏側からの眺めですが、やはり大きい!
有名すぎるローマの名所と一緒に、どうぞ!
9月30日の午後早く、フィミチーノ空港で日本からの皆さんと合流し、
バスで市内観光に。
このいっぱいに広がる壁、これコロッセオ。 バスで南から行きましたので、
いつもご覧の写真とは違う裏側からの眺めですが、やはり大きい!

正面に見えるコスタンティーノ帝の凱旋門。 315年に建設され、高さ28m.
修復され白く、大変美しかったです。

右奥にコロッセオが見え、この道筋左側一帯にフォロ・ロマーノが広がりますが、
今回は遠くから眺めるだけ。
凱旋門の右上部分。こういったモチーフも逸話があるのでしょうが、
駆け足で、おお!と眺めるのみ。
駆け足で、おお!と眺めるのみ。

このコスタンティーノ帝が、313年に多神教からキリスト教に改宗、
キリスト教による国、政府が生まれたのでした。
昨日まで迫害の対象だったキリスト教が、突然に最大の勢力を持つ国教となり、
その推移は1世紀にも満たない内に行われ、制度、階級、文化、意識 ecc、
大変な混雑を呈したと言われます。
半分裏側から眺めるコロッセオですが、左に見える途中で切れた層、
これが本当は外側を全部覆っていたのが、何年だったか(!)地震で崩れ、
その後さらに崩れ、建築資材として持ち去られ、今の姿との事。
これが本当は外側を全部覆っていたのが、何年だったか(!)地震で崩れ、
その後さらに崩れ、建築資材として持ち去られ、今の姿との事。

歩いて一周し、この場所に20分後にとかで中には入れずぐるっと一周。
まぁ、一度昔入った事があるので。 とはいえ、入口があるとやはり覗き込みます。
まぁ、一度昔入った事があるので。 とはいえ、入口があるとやはり覗き込みます。

周囲の石畳。 石が大きく見事にすり減っています。

いわば表側に来た所に、馬車が待機中。
さすがぁ! と言うほどの人込みですが、観光馬車は暇そう。

ローマ兵士の扮装で、写真のモデルを努める男性2人。 ガイドさんによると、
5エウロ位取られますと。 兵士とは言え、余り品が良くなかったなぁ。

内部の通路から見下ろす人々。

構築の石が本当に大きい! 一つの大きさが、2トンほどもあるそうで、
中世の石工の親方は、このローマ期の大石を積む技術を持たなかったとか。
中世の石工の親方は、このローマ期の大石を積む技術を持たなかったとか。
ボコボコと開いている穴は、ガイドさんの説明によると、支柱に使われていた
鉄棒を抜き取るために開けた穴だとか! 鉄の支柱は穴に差し込んだ後、
鉛を流し込んで固定していたのだそうで。
鉄棒を抜き取るために開けた穴だとか! 鉄の支柱は穴に差し込んだ後、
鉛を流し込んで固定していたのだそうで。
天正の4少年使節が1585年3月にローマに到着した際、
最初の夜をこのイエズス教会の修道院で過ごしたのだそう。
最初の夜をこのイエズス教会の修道院で過ごしたのだそう。

彼ら4少年をローマに送り出すよう取り計らったのは、当時のイエズス教会の
監察官として日本に来ていた、ヴァリニャーノ神父ですし、
イエズス会が布教に努めていた理由にも寄るのでしょう。
日本に布教に来たフランシスコ・ザビエルが、イエズス会の神父だったのはご存知でしょう。
イエズス会を創始したイグナティオ・ロヨラのお墓もこの教会内にある、
いわばイエズス会の大元で、バロック様式の大装飾で覆われています。
イエズス会を創始したイグナティオ・ロヨラのお墓もこの教会内にある、
いわばイエズス会の大元で、バロック様式の大装飾で覆われています。

ロヨラのお墓は、左手奥に青く見える修復幕が半分かかった場所で、
ラピスラズリの石で装飾された、凄い礼拝堂でした。
ロヨラのお墓の向かい合わせに、ザビエルのお墓というか、礼拝堂があります。

ザビエルは日本から中国に向かう途中で亡くなり、彼の右手のみがこうして戻ってきた
というわけで、う~む、余りはっきり見えない写真を選びましたぁ。
表に出て来ると、こんな格好で写真を撮る女性が!
うん、傑作を狙うのも楽では無いですねぇ。

ローマ市内観光用のバスで、2階席は青空天井というわけで、色々な色のバスが
走っているのを見かけました。 水色、若草色、そしてこの大派手なヤツ。
走っているのを見かけました。 水色、若草色、そしてこの大派手なヤツ。

場所はイエズス教会のすぐ前の交差点。 カンピドーリオの丘にも程近い中心地で、
大変な交通量。 で、遠くの方で救急車のサイレンが聞こえ始めたものの、
この交差点に来るまでにかなりの時間が・・!
コロッセオからのフォーリ・インペリアーリ通りの北端、ヴィットリオ・エマヌエル記念廟。

バスのガラス窓が反射して申し訳ないですが、廟の向かっての右側が修復中で覆われ、
手前の工事の覆いは、新しい地下鉄の工事に入ったとか。 少し掘れば、
何かの遺跡にぶち当たる永遠の都、ローマ。 この工事もきっと長い事でしょう。
手前の工事の覆いは、新しい地下鉄の工事に入ったとか。 少し掘れば、
何かの遺跡にぶち当たる永遠の都、ローマ。 この工事もきっと長い事でしょう。
フォロ・トロイアーノの遺跡群。 トロイアーノ帝の戦勝行幸図が浮き彫りにされた
高さ40mの円柱が見えますが、 う~ん、これもバスの窓から。
手前にフォロ・トライアーノと呼ばれる商業活動で栄えた市場の遺跡が広がります。

この遺跡は始めてみたのと、後ろにそびえる現代のビル群との対比で、かなりの迫力。
フォロ・トライアーノの市場の建物跡、といってもかなりはっきり建物群が残っています。

正面に見えるアーチの続く建物は、1階部分が野菜、果物などの生鮮食品の店、
2階の小さいアーチが続くのは、ガイドさんによると、輸出入の事務所だったとの事。
2階の小さいアーチが続くのは、ガイドさんによると、輸出入の事務所だったとの事。
全体としては約150店あったそうで、東洋の絹物や香辛料の店も。
内部の建物からの見学が出来そうで、次のチャンスには!
市場の建物に続いてのこのバルコニーの建物、赤い旗が見えますが、
これはマルタ騎士団の所有物との事で、赤い旗の真ん中に白い十字が見えます。

ローマ期の遺跡、中世の騎士団、そして現代のビル、やはり、ローマは永遠の都!
さて、バスの窓からコロッセオが見え、この姿がいつもの姿なのですが、
道の半分右側が敷石工事中でこんな有様。
道の半分右側が敷石工事中でこんな有様。

ガイドさんによると、8月に始まった工事で、夏休み中に済むという説明だったそう。
あはは、誰も信じてはいなかったでしょうねぇ?!
来年の6月2日、この通りで行われる共和国記念のパレードまでに、さて?
あはは、誰も信じてはいなかったでしょうねぇ?!
来年の6月2日、この通りで行われる共和国記念のパレードまでに、さて?
ローマの休日、と言うからにはこのトレヴィの泉ははずせませんよね。
昔来た時は修復中で、後全部が覆われていましたから、お初のお目見えです。

嘘みたいに水の色が綺麗ですから、泉の底に色が塗ってあるのでしょうね。
それにしてももの凄い観光客で、泉の傍に行くにも一苦労でした。
この写真はヤラセです。 いえ、私がヤラセたのではなく、彼ら2人がカメラを構え、
目の前でして見せて下さったので、折角ですから、ではと私めも便乗し、はい。

泉の傍で警戒中の(何を?!)カラビニエーリ2人。
まったくのにやけ顔で、次々と観光客の注文に応じて写真に納まるのがお仕事!
まったくのにやけ顔で、次々と観光客の注文に応じて写真に納まるのがお仕事!

この後バルベリーニ広場の噴水脇を通り、三越にお土産を買いに連れて行かれ!
戻り道は既に暗く、大変なラッシュに出会い、ヤレヤレとホテルに戻り、
初日の半日観光はオシマイに。
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