今日は、イタリア・ローマをご訪問された方も、まだの方も、
皆さん良くご存知のヴァティカン訪問記です。
が少し違うのは、今回の訪問は天正の4少年使節のご縁に寄り、九州大村を
中心とする方々のヴァティカン訪問について行き、
教皇様の一般謁見の会場にも、図書館内にも入る事が出来ましたので、
その様子をご覧頂きますね。 では、どうぞ!
中心とする方々のヴァティカン訪問について行き、
教皇様の一般謁見の会場にも、図書館内にも入る事が出来ましたので、
その様子をご覧頂きますね。 では、どうぞ!
10月1日の朝8時、ローマは、ヴァティカン市国に向かいます。 ホテルは
フィミチーノ空港に近い街外れ、大体バスで1時間ほどの距離ですが、さて・・。

九州大村を中心とする20人近いグループの方々は、半数程がクリスチャンの方、
そして神父さまと、4少年の一人、中浦ジュリアンのご子孫に当る方。
そして神父さまと、4少年の一人、中浦ジュリアンのご子孫に当る方。
中浦ジュリアン神父は帰国後のキリスト教の禁教で、4少年の内唯一殉教された方で、
この11月に福者に列せられるのを機会にこうしてやって来られたという事で、
この11月に福者に列せられるのを機会にこうしてやって来られたという事で、
横断幕を用意されていて、これがその縮小版で、バスの中でご披露中。

教皇様、万歳! 中浦ジュリアン神父の列福に感謝するため、
そして日本人188名の殉教者のため、日本の長崎、大村からやって来ました。
道に見える車がかなり混雑し始めている事に、ご注目!
いよいよ中心地に近くなると大混雑! ヴァティカンに近い、と言いつつ進みません。
前も後ろも、横も、満杯! 毎日通勤の方々、ようやります!

大体1時間の予定が1時間半かかり、ああ、やっとヴァティカンの大クーポラが!

地下の駐車場にバスが入り、広場に出る途中、地下通路にこんな広告が。
ライトが映っていますが、誰か分ります? トッティと奥方のイラリー。

遂にサンピエトロ広場に到着。 やはりこの快晴の広場では記念撮影をせねば、ね。
はるばる、やって参りましたぁ!

ここに来るまでに、既に一度検問通過。
大変な快晴でどんどん温度が上がります。 広場の大噴水が気持ちよかとねぇ~!

そして次の検問を通り、列柱の間を進みます。

先ほどの検問通過から、この許可書が必要となります。
左下の太字、REPARTO SPECIALE・特別区域、にご注目を!
左下の太字、REPARTO SPECIALE・特別区域、にご注目を!

わが生涯で最初で最後の経験でしょうから、見せびらかしをご容赦願いま~す。
そして、参加させて下さった大村の皆さん、有難うございましたぁ!!
そして最後の検問。 水色の許可証をひらひらさせて通過します。

広場の聖堂への階段が始まる位置にこんな楽隊もおりました。
我々はもうちょっと上に上がります!

教皇様の座られる椅子を取り囲むように設えた席が、我々の位置でした。
券に番号がありましたが実際は早いもの順でして、前から10列ほどは既に満杯!
法王様のお出ましは10時半。じりじりと焼きつく様な陽を浴びながら、
あちらを見、こちらを見あげ・・。

中央上部のキリスト像もこんな角度で。
2000年の大聖年の際の大修復で、サン・ピエトロ聖堂の正面壁は大変に美しく。
2000年の大聖年の際の大修復で、サン・ピエトロ聖堂の正面壁は大変に美しく。

サン・ピエトロ聖堂の正面壁、向かって右上角にこんな時計がありました。

左上にある時計は正確で、イタリアの実の時間でしたが、この時計が何処の時間なのか、
2時間10分ほどか、遅いのです 。どなたかが、遅れているのだろうと言いましたが、
まぁさか、ヴァティカンの時計が不正確とは考えにくく、ご存知の方、お教え下さい!
我々の前の列に陣取るグループの女性。 例の横断幕を広げる練習を重ねていると、
物珍しげに写真を撮ったり、日本からかと話かけたりするので、
どこからですか、と聞くと[クロアチア]と。

と言ううちに、中央のドアからスイス衛兵が2人、階段を下り場所を占めます。
お出ましだ! と待つうちに広場の向こうの端の方から、歓声が上がり、
その声が徐々に近づいて・・。

椅子の上に立っても皆立っていますし、背も横幅も大きい人ばかりなので、
椅子席の列の間を抜け前に行くと、同じように考えるのが他にもたくさんいて、ははは、
一番前列の女性が「私ら、7時から並んでいるのに」と文句を言うのが聞こえましたが、
まぁ、隙間から覗いているので勘弁してもらい・・!
と、教皇様の車がゆっくりと階段を上り、ぐるっとお席の後まで来て停まり、
という所で、この一枚!
という所で、この一枚!

思いもかけず、大きくしっかり撮れたので、ローマから一度家に戻った際に印刷し、
グループの皆さんに一枚ずつ記念に。
これは、教皇様のお車と護衛たち。 車のナンバーは、SCV1、ヴァティカン市国1、
やはりおベンツで、フィアットではダメなの?!
やはりおベンツで、フィアットではダメなの?!

これが、我々の席から見えた教皇様。

聖書の一説を、フランス語、英語、ドイツ語、スペイン語、ロシア語の順で話され、
それが済んで後、同じ言語の順で今日の謁見に臨んでいるグループ紹介がされ、
名前が上がるグループは一斉に声を上げたり、歌を歌ったりで、アピールを。
英語の時に、日本の長崎の・・、との紹介で、打ち合わせの時は皆で、
ヴィーヴァ・パーパ!と叫ぼうと言っていたのが、・・なかなか!
いぇ、私はインディアンみたいに、イェーイ!と前の方の人が振り返るような声をね。
グループの紹介に、教皇様がその言語でお話をされ、それが結構長い時間で、
見事にまた日に焼けて。
名前が上がるグループは一斉に声を上げたり、歌を歌ったりで、アピールを。
英語の時に、日本の長崎の・・、との紹介で、打ち合わせの時は皆で、
ヴィーヴァ・パーパ!と叫ぼうと言っていたのが、・・なかなか!
いぇ、私はインディアンみたいに、イェーイ!と前の方の人が振り返るような声をね。
グループの紹介に、教皇様がその言語でお話をされ、それが結構長い時間で、
見事にまた日に焼けて。
一応お話が済み、枢機卿たちのご挨拶がはじまり、我々は席を立ちました。
次のお約束、ヴァティカン図書館への時間が30分以上も遅れていますが、
やはりこういう位置からの風景は見逃せませんよね。

かなり下りてきた場所から、こんな風によく見えましたが、横には大スクリーンがあり、
中継もされてもいるのですね。 でもね、やはりあの場所に行った、というのが・・!
中継もされてもいるのですね。 でもね、やはりあの場所に行った、というのが・・!

検問所にいたスイス衛兵の背中を一枚。 背中の真ん中と、両側斜めに2本、
襞の間の切れ目は、ダーツが畳まれているのを発見。 見えますか?
背中の筋肉に合わせているのですね。

このスイス衛兵の制服は、個人寸法に従い、300幾つかのパーツで、
全体の重さが4キロとか、とにかく世界の制服の内で一番重いのだそう。
近くで見るとこれは夏服らしく、生地が薄めでした。
それにしても、素敵な後頭部!
広場から列柱の間を通りぬけ、いよいよヴァティカンの建物の中に。
中庭に通るまでに2つの検問所。 でも既に連絡が届いており、すんなりと。
図書館の中で、マジーニ館長のお迎えを受け、見せていただけた物はこれ。
1620年代に、九州大村のキリシタン達から届けられた連判状です。
1620年代に、九州大村のキリシタン達から届けられた連判状です。

ご覧のように、大変美しい柄が入り、金箔を散りばめた紙に・・・、
こうして、名前を記し花押も書かれたもので、左上にラテン語訳がなされ、
その下に、ローマ字で名前が記されています。

1602年にはキリスト教は禁止されたと言う事ですから、この連判状が書かれた時は
禁教となって既に20年経っているわけで、それでも、こうして信仰を守っていた人々が
教皇様に書状を差し上げた事になります。
マジーニ館長が、大変美しい文章であるとラテン語を訳して下さり、内容は、
キリスト教信者への弾圧が始まり、それに対し、我々は心を備え、
神のお力を借りて立ち向かいますという、覚悟の程を示す、大変感動的なものでした。
神のお力を借りて立ち向かいますという、覚悟の程を示す、大変感動的なものでした。

若桑みどりの[クワトロ・ラガッツィ」を読むまで、当時の日本に何十万にも及ぶ
キリスト教信者が存在した事も知りませんでしたし、
当時の日本の貧しさ、また信仰に至る心の動きを考えた事もありませんでした。
キリスト教信者が存在した事も知りませんでしたし、
当時の日本の貧しさ、また信仰に至る心の動きを考えた事もありませんでした。
が、400年後の今、この悲痛な連判状を見ると、死に至る覚悟を決めたとはいえ、
やはりその思いを吐露したかったのだろう、聞いて欲しかったのだろう、と
心に染み入るものがありました。
やはりその思いを吐露したかったのだろう、聞いて欲しかったのだろう、と
心に染み入るものがありました。
拝見した図書館は、実はドア1枚で、博物館に接していて、大変ご親切に特別に、
鍵のかかったこのドアを開けて下さり、博物館に入り、ドアの上に描かれていた、
4少年の壁画を見れるようにして下さいました。
この写真の奥に見えるドアがそれで、これは逆に出口に向かう際に写したもの。

これが、行幸図。 天正の4少年達は、1585年にローマに到着、ヴァティカンで、
グレゴリオ13世の謁見を受け、後のイタリア各地でも大歓迎を受けました。
グレゴリオ13世の謁見を受け、後のイタリア各地でも大歓迎を受けました。

この行幸図は、その様を描いたもので、一番下の列、真ん中左寄りに白い衣装、
赤いマントの教皇様が見えます。
マジーニ館長の説明によると、その上の列左端に4本の赤い傘をさした騎上の人物が
4少年だという事で、そう言伝えられているとの事でした。
4少年だという事で、そう言伝えられているとの事でした。
この左端の4つの傘の人物が4少年だ、という説は今回来られたグループの、少年使節の
研究を続けられている方々にとっては初めて聞く説、という事で、皆さん驚かれ、
私も写真を撮りました。

で、一旦家に戻った際に見てみますと、ご覧の通り、日本風な傘はさしていますが、
横顔も西洋風な高い鼻をし、とりわけ顎鬚が皆さん白く、かなりの年配者に見えます。
一方こちらは、真ん中の列の右寄りに3人、そして一番上の列の右端に1人、
騎乗の人物が続きますが、従来は、これが4少年という説だったそうです。
如何? こちらの方が横顔も丸く、帽子の下に見えるもみあげも黒く見えませんか?

4少年、と言いならわされるとおり、彼らは13歳から16歳の少年だったのです。
という事で、やはりこちらが4少年と思うのですが如何でしょうか?
この壁画を拝見した後、もっと凄い事に、ガードマン先行で、ヴァティカン博物館内の
道筋を逆行し、(細い廊下の通行には先方を一旦止めて!)
システィーナ礼拝堂も見る事ができたのです!!
道筋を逆行し、(細い廊下の通行には先方を一旦止めて!)
システィーナ礼拝堂も見る事ができたのです!!
23年前に一度、ミケランジェロの有名な壁画の礼拝堂は見ているのですが、
修復されて後は初めてなのです。
修復されて後は初めてなのです。
大変色が美しく明るくなり、肌色も綺麗、衣服の黄色、ピンク色も鮮やかで見とれました!
長い長い廊下を歩きながらの、外の緑。 北イタリアでは既に黄葉、落ち葉が
始まっているのに、ローマのこの緑! 目に沁みるようです。
始まっているのに、ローマのこの緑! 目に沁みるようです。

博物館の廊下を歩きながら、ガイドの女性が教えてくれた地図。
よくご覧下さいね。
左端中程の位置にイタリアは見えますが、日本が無い!!

有名な螺旋階段。 今回は上から見ただけ。

という事で、ローマのヴァティカン市国訪問は、この出口の写真で終わりです。
かってはここが入口でしたが、今はこの写真の左手に変わっていました。

天正の4少年使節のご縁で、思いがけないヴァティカン訪問が出来ました。
来られた皆さんとご一緒に、ローマの街中もチラッと見ましたので、
ローマの休日もご覧頂きますね。 お楽しみに!
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