トスカーナのご案内が続きますが、
キュズーレ・Chiusureという村の名をご存知ですか?!
キュズーレ・Chiusureという村の名をご存知ですか?!
トスカーナはシエナの東南部、シエナのクレーターと呼ばれる太古には海だった浸食地・
カランキの中にぽつんとある、2001年の人口が僅か115人という小さな村。

私も知らずにいて、クレーターの写真を探していて偶然村の広場の写真を見つけ、
そしてグーグルのストリート・ヴューで見る土地の風景にも魅かれ、行ったのでした。
上の写真は村に4つほどある広場の一つ、ぐるっと回りつつ駐車場を探し、
やっと2周目に、はは、遂にこの近くの道脇に留め、中心の広場に。
やっと2周目に、はは、遂にこの近くの道脇に留め、中心の広場に。
キュズーレの村はどこにあるか、地図をどうぞ。
シエナのクレーター探訪の中心ともいえるアシャーノ・Ascianoの南約10Kほどに。
キュズーレに並びモンテ・オリヴェート・マッジョーレ修道院・
Abbazia di Monte Oliveto Maggiore と見えますが、
はい、かの有名な修道院がすぐ傍に。
と地図の中、見難いですが、アシャーノの町手前から南に直接の道と、斜めに
東南に行きヴァル・ダッソ・Val d'assoの手前から左にキュズーレに下る道の、
2通りがあるのが分かりますか?
2通りがあるのが分かりますか?
私はアシャーノの手前で標識が出ていたのでつい曲がり、悪くは無かったですが、
ヴァル・ダッソ周辺の眺めが広大なので、次回のチャンスには是非そちらの道をと。
既にご案内の土地は、アシャーノ、サン・ジョヴァンニ・ダッソ、そしてモンティージ。
ヴァル・ダッソ周辺の眺めが広大なので、次回のチャンスには是非そちらの道をと。
既にご案内の土地は、アシャーノ、サン・ジョヴァンニ・ダッソ、そしてモンティージ。
キュズーレの村は海抜401m、下の道から上ってきて、村の外側をぐるっと道が回り、
また下の道に下り他の村へと、つまり小さな集落の中は坂道と石段で車は入れずで、
こんな風に下の道から見上げながら中心に向かい、

小さな広場に出た所に、バール兼食料品店。 確か中でジュースを飲んだ記憶あり、

その右手から坂道が上の広場に続き、
これは左が下から辿ってきた道で、石垣越しに上の店の他のテーブルを撮った所。

上の広場に井戸があり、が飲み水ではないとの表示で、奥に上の家並みに続く石段。

実はキュズーレに寄った時、着いた時は曇り空だったのが途中から良いお天気になり、
喜んで大体の場所は撮り直し、坂道も上りなおしで、はい。
がまるで同じ場所からは撮っておらずで、今回は曇り空と晴れと混ぜこぜでご了承を。
喜んで大体の場所は撮り直し、坂道も上りなおしで、はい。
がまるで同じ場所からは撮っておらずで、今回は曇り空と晴れと混ぜこぜでご了承を。
上の広場の様子、一番右の下の道の教会はオリジナルが8世紀に遡るといい、
サン・ミケーレ・イン・ルーコ・San Michele in Luco。

壁の石の大小、扉の位置が変わったりの変遷が楽しめる壁!

下の道の、家の扉を覗き込み。

上に続く石段、

半ば上がって来て見える上の家並み。
ほら、やはりお天気の時の写真は、影が立体を強調してくれますね。
ほら、やはりお天気の時の写真は、影が立体を強調してくれますね。

上から見る石段の曲がり具合いと、三角の広場。

この石段の途中の曲がり角に、こんな家の扉と壁があり、
これがなかなか良い感じで、でもどう撮ったら良いのかと
あれこれ何枚もトライしておりまして、ははは、
あれこれ何枚もトライしておりまして、ははは、

こちらは陽が射して後の1枚。

ふと気がつくと、はは、後ろからワン君が小首を傾げshinkaiを眺めておりまして・・!
村のお爺さんが見つめる様な、そんな目でしょう?! ははは。
村のお爺さんが見つめる様な、そんな目でしょう?! ははは。

石段を上りきった所、右手にあるアーチ、かっての村の門だったのでしょうね。

門の外から逆に。

そして村の下の道と家、遥か向こうに広がる波打つ平野。

アーチの所から左に折れ、も一つ坂を上った所からで、右背景に
少しカランキ・浸食地が見えるかな?

奥に広がる丘の流れ。

ゆるい坂道を上りつつ、上から賑やかなお喋りの声が聞こえ、今日は何かあるのかな、
と思うほどだったのですが、
上に辿りつくと展望台式に開けた小さな公園があり、その後ろにこの建物。
と思うほどだったのですが、
上に辿りつくと展望台式に開けた小さな公園があり、その後ろにこの建物。


建物はカーザ・ディ・リポーゾと呼ばれる老人ホームで、大きな古い建物なのが、
ちょうど祭日で、たくさんの老人達と訪問者がお喋りし、公園のベンチに腰を下ろし、
素晴らしい眺望を楽しんでいたのですね。
下の家並み越しに見える風景は、こんな感じで素晴らしく、

ほら、右手中ほどに見えるのが、
これ、モンテ・オリヴェート・マッジョーレ修道院。 マッジョーレという言葉通り、
大変大きく威容を誇ります。
大変大きく威容を誇ります。

14世紀初めから建設され、完成が16世紀というこの修道院、shinkaiはまだ訪問
してませんので、サイトから様子が分かる何枚かを拝借し、
大回廊。 見える像はサン・ベネデットで、奥に井戸も。

大回廊の周囲は全面フレスコ画で装飾されていて、主題はサン・ベネデットの生涯、
15世紀末のルーカ・シニョレッリの作品が8面、他は16世紀初頭からのソドマの作品と。

こちらはレフェットーリオ・Refettorioと呼ばれる食堂。

そして合唱隊席の、木の嵌めこみ細工の一部。 見事ですねぇ!
修道院の持つ富というのはどこも凄い様ですが、モンテ・オリヴェート・マッジョーレは
19世紀に修復されたものの、他に特別な被害とか破壊とかは無かった様子で、
建設当時のままの姿を保っているようですね。

修道院の持つ富というのはどこも凄い様ですが、モンテ・オリヴェート・マッジョーレは
19世紀に修復されたものの、他に特別な被害とか破壊とかは無かった様子で、
建設当時のままの姿を保っているようですね。
キュズーレの村の起こりを読みましたら、シエナの貴族トロメイ・Tolomei、伝説では
エジプトの王家に繋がるという家系が、へへへ、12世紀シエナの記録に出てくる旧家で、
このキュズーレ辺りにも広く領土を持っていたとの事。
1313年にベルナルド・トロメイ・Bernardo(1272-1348)が隠者生活に入る事を決め、
彼の土地であったキュズーレに程近いデゼルト・ディ・アッコーナ・deserto di Accona
に居を定め、オリヴェターナ信心会・Congregazione Olivetanaを起こし、
それがモンテ・オリヴェート・マッジョーレ修道院の基となったと。
彼の土地であったキュズーレに程近いデゼルト・ディ・アッコーナ・deserto di Accona
に居を定め、オリヴェターナ信心会・Congregazione Olivetanaを起こし、
それがモンテ・オリヴェート・マッジョーレ修道院の基となったと。
デゼルト・ディ・アッコーナは、アッコーナ砂漠と言う意味で、かっての乾燥した不毛の地と
言うことでしょうが、どこにあるのかと調べると、なんとなんと現在シエナのクレーターと
呼ばれているアシャーノ周辺の東部と南部を指すのを知り、
言うことでしょうが、どこにあるのかと調べると、なんとなんと現在シエナのクレーターと
呼ばれているアシャーノ周辺の東部と南部を指すのを知り、
その中でも有名なのは、ビアンカーネ・biancaneと呼ばれる白い丸い形のカランキの
カステッロ・ディ・レオニーナ・Castello di Leonina周辺と、カランキ・caranchiの
キュズーレとモンテ・オリヴェートと!
カステッロ・ディ・レオニーナ・Castello di Leonina周辺と、カランキ・caranchiの
キュズーレとモンテ・オリヴェートと!
も一つ知ったのは、ははは、無知ムチshinkai丸だし、シエナの市庁舎にある
アンブロージョ・ロレンツェッティの「善政と悪政」のフレスコ画の中に、
ビアンカーネが描かれていた事!!
アンブロージョ・ロレンツェッティの「善政と悪政」のフレスコ画の中に、
ビアンカーネが描かれていた事!!

なんと単にトスカーナの山風景と単純に思い込んでいましたが、へへ、
このフレスコ画を基にした楽しい絵本「トスカーナのスキャンダル」、
こちらにご紹介していますので、どうぞ。
こちらにご紹介していますので、どうぞ。
という、このキュズーレ周辺のカランキですが、見た時は、わぁ、凄く大きくて広いなぁ!
と驚いたものの、2年前の春はずっと雨が多かったせいか、谷の木の繁殖も多く・・、

サイトで見つけた写真拝借で、
手前下が村の門のあったアーチの外で、老人ホームは一番右上。
手前下が村の門のあったアーチの外で、老人ホームは一番右上。
こうして見ると、凄いですよね、やはり! ぼこっと穴が開いたというか、隕石でも落ちた様な
大きさで陥没し、それが村の何倍もの広さなんですね。
村から見る修道院はかなり低い位置に見えるのですが、こうして見るとカランキの上で、
説明にあったデゼルトの高所に修道院を、というのも納得です。
説明にあったデゼルトの高所に修道院を、というのも納得です。
衛星写真を追加し、右上に小さく見えるキュズーレの村と、カランキの大きさを
比較してご覧くださいね。

それにしても、村のすぐ脇にこんな大きな侵食陥没地! この一帯の畑を見ても、
水が流れる筋がしっかり見えますし、時にぼこっと陥没している所もあり!
こういう土地のすぐ横に住み、村があるというのは、少し怖い気がしますが、
土地の人は平気なんでしょうか? 太古の昔からあったんだから、とでも?
水が流れる筋がしっかり見えますし、時にぼこっと陥没している所もあり!
こういう土地のすぐ横に住み、村があるというのは、少し怖い気がしますが、
土地の人は平気なんでしょうか? 太古の昔からあったんだから、とでも?
修道院の奥に広がる土地の様子と、

こちらはキュズーレの北東方向。

しっかり上からの眺望を楽しみ、村の下に。
これは石段を降りてきた所の、土地の高低を利用した納屋。
石の厚い壁の、存在感が凄いでしょう?!
石の厚い壁の、存在感が凄いでしょう?!

サイトで最初に見つけた、村のもう一つの広場の、井戸と円柱のあるレストラン。
が、行った時はお休み。
が、行った時はお休み。


建物の間の小路を入ると、古い厚いレンガ壁が続き、


写真を撮っていると、中からお年のシニョーラが顔を出されたので、ちょっとお喋り。
美しい村ですね、と言った様な・・。
突き当たりの正面右の扉、なかなか良いなぁと思ったのですが、気が付いたのは、
番地が変わったのでしょうが、扉脇の番号が乱暴にXで消されたままで、ははは。

右のお家の鐘の上に、何があるのかと撮りましたら、王冠を被った蛙が
仰向けに寝ており・・!

王冠を被った蛙は、ここから西南にある町ブオンゴヴェルノ・Buongovernoの、
町の紋章にもあり、お土産で買ってこられたのかな?
町の紋章にもあり、お土産で買ってこられたのかな?
さて、キュズーレの村、下の端にある教会の古い形の鐘楼に
別れを告げ、南に下ることに。

途中の道で見た古い小さな教会は、色鉛筆+水彩画ブログの方に
載せていますので、お暇な方、はは、見てやって下さいね。
http://italiashinkai.seesaa.net/article/451920946.html
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