トゥレヴィーゾご案内2回目、中心街の様子と、少し東にあるかっての教会、
現在は市の博物館となり、トンマーゾ・ダ・モデナの壁画修復が進む
サンタ・キアーラ博物館 などのご紹介を。 写真は先月中旬。
現在は市の博物館となり、トンマーゾ・ダ・モデナの壁画修復が進む
サンタ・キアーラ博物館 などのご紹介を。 写真は先月中旬。
街の地図は、先回の最後にありますので、ご覧下さいね。
先回の最初のシーレ川の、駅前のサン・マルティーノ橋の手前の道を
今回は川に沿って東に。
今回は川に沿って東に。

こちら側は街中を流れる川の表情で、大きな近代的な建物が並びます。
見える橋は、サン・マルティーノ橋からは2本目のサンタ・マルゲリータ橋で、
大概はここで橋を北に渡り、右上の建物の前を通りこの位置に。
見える橋は、サン・マルティーノ橋からは2本目のサンタ・マルゲリータ橋で、
大概はここで橋を北に渡り、右上の建物の前を通りこの位置に。
右上の旗が3本見える建物は、元の市民病院を地元の銀行が買い取り、
パドヴァ大学、ヴェネツィア大学の幾つかの学部が置かれているとの事。
この辺り水鳥の溜まり場、鴨、白鳥など賑やかで、見えるのはオオバンの親子。
パドヴァ大学、ヴェネツィア大学の幾つかの学部が置かれているとの事。
この辺り水鳥の溜まり場、鴨、白鳥など賑やかで、見えるのはオオバンの親子。
上の写真の東側の続き部分ですが、ダンテ橋・Ponte Dante.
北から街に流れ込み何筋もの運河となり、街をめぐるボッテニーガ川の
カニャン運河・Cagnanが、ここでシーレ川と合流。

緑色のシーレと、少し濁ったカニャンの水色が、筋をつけるのが見えます。
が、まだ街は東に広がり、ボッテニーガ河の本流、そして運河も東を流れます。
かの大詩人ダンテの名が冠されているのは、神曲の天国編 第9章に、
「シーレとカニャンが出会う所」と詠っているのにちなみ、
19世紀半ば、生誕600年記念に命名との事。
「シーレとカニャンが出会う所」と詠っているのにちなみ、
19世紀半ば、生誕600年記念に命名との事。
ダンテの足跡、像にはあちこちで出会うのですが、神曲も読んだ事のない私には・・。
ですが十何代めかのご子孫が、ヴェネトはヴェローナ近郊にお住まいであると、
TVニュースで聞きましたし、他にも、かっての王族、貴族のご子孫がヴェローナに
お住まいという事も。
ですが十何代めかのご子孫が、ヴェネトはヴェローナ近郊にお住まいであると、
TVニュースで聞きましたし、他にも、かっての王族、貴族のご子孫がヴェローナに
お住まいという事も。
そんなヴェローナの旧地区のご案内 1 と 2
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462245546.html
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462246409.html
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462245546.html
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462246409.html
橋の脇にこのオステリーア(レストラン)「アル・ダンテ」があり、何年か前、
外のテントの下で食べた事があり、お値段も安かった事を覚えています。

お味は、まぁ、オステリーア(食堂のイメージかな)ですから、そこそこだったと。
この日は閉っていましたが、健在と見えます。
ダンテ橋の東から、北東に向かいます。
この一帯、かっては古い建物が半ば放置され暗いイメージがありましたが、
今は修復整備が進んで蘇り、明るくなりました。

途中一度道を尋ね、無事到着。 古い街の例に倣い、道が細く曲りくねっていて、
地図を頼りにすると逆に迷います。 分かると、迷うのが可笑しい位で。
で、こちら、元のサンタ・カテリーナ教会、現在は市博物館。

前が細長い広場になっていて、教会に並ぶ建物の、アーチの下が入り口。

壁は、はげ落ちて寂れているのではなく、古いフレスコ画の残りなどを、ワザと
見せているのですよ。 はい、念のため!
この元教会を見たかったのは、この壁画、先回サン・ニコロ教会でご案内した
14世紀の画家トンマーゾ・ダ・モデナの「聖ウルスラ伝説」がここにあるのですね。
何年も前にこの写真を見て、ずっと憧れていましたが、やっと実現、という次第。
14世紀の画家トンマーゾ・ダ・モデナの「聖ウルスラ伝説」がここにあるのですね。
何年も前にこの写真を見て、ずっと憧れていましたが、やっと実現、という次第。

内部は写真禁止、買って戻った絵葉書が良くなく、ガイドブックからご紹介です。
聖ウルスラ、イタリア語では聖オルソーラ、中世の半ば伝説の人物で、
11000人の処女(!)とともに、アッティラ王の虐殺で殉教した、という・・。
まぁ話の真偽はともかく、このトンマーゾの女性像に大いに惹かれ、一度見たく。
11000人の処女(!)とともに、アッティラ王の虐殺で殉教した、という・・。
まぁ話の真偽はともかく、このトンマーゾの女性像に大いに惹かれ、一度見たく。
こちらは別のガイドブックからで、女性群のアップをどうぞ。
色もこちらの方が実物に近く、実際はもう少し地味な感じでしょうか。

大変豊かな、優しい女性像でしょう? 背後の女性も潤んだような眼をしていて、
ジオットに次ぐ技量の画家、と言われますが、画面構成は弱くとも、人物描写に
関しては、ジオットよりも優れているのではないかと・・。
先回ご紹介の、サン・ニコロ教会の40人の肖像画もそれを語っている様に。
今この壁画群は修復中で、壁にあるまま、足場を組んで修復するのではなく、
「ストラッポ」と言いますが、3m四方ほどかな、の大きさで壁からはがし、
ここで垂直に立て、一画面ずつ修復中なのです。
目の前で修復している様子も見れ、済んだのは、舐める様に見れる、のです!
本来なら教会内の高い位置の壁画も、こんな近くで見れる嬉しい経験です。
市博物館と言いましたが、近代的な設備に整えられた、考古発掘物の展示、
ローマ期のモザイク、そして絵画館も併設です。
本来なら教会内の高い位置の壁画も、こんな近くで見れる嬉しい経験です。
市博物館と言いましたが、近代的な設備に整えられた、考古発掘物の展示、
ローマ期のモザイク、そして絵画館も併設です。
これは、博物館を出ての近くで。 古い建物を修復した店が並んでいますが、
その壁の装飾と、アーチの下の天井部分を。
その壁の装飾と、アーチの下の天井部分を。

アーチの下は通行者用で、つまりポルティコで、天井部分が木の小さな格子で、
やはりちょっぴり、装飾されているのです。
壁の装飾も濃いグレイの一色ですが、逆に新鮮で、素敵な雰囲気。
で、ついでにおまけを書きますと、博物館を出て、まっすぐ前の道を行き、
「SUSI」と書いてある店を見つけ買い込み、ご一緒していたランさんの奢り、
近くの運河べりで食べましたが、行けます! 美味しかった!!
中国人の店で、イタリア語で寿司を、という経過ですが、ここは行けます!
と、これを書きつつ思い出しましたが、この店のお兄ちゃん、大変男前でした!
ええと、一昔前の男前、という感じで、分かります?
ええと、それとですね、ははは、中心街裏手にある魚市場・ぺスケリーアを
突っ切って東に出ると、道の向こう側の目の前に寿司屋があり、
サンタ・カテリーナに行くにも左にまっすぐ、の位置という大変嬉しい発見で!
また、行くぞぅ!! 食い物の話になると、つい力が・・!
ええと、一昔前の男前、という感じで、分かります?
ええと、それとですね、ははは、中心街裏手にある魚市場・ぺスケリーアを
突っ切って東に出ると、道の向こう側の目の前に寿司屋があり、
サンタ・カテリーナに行くにも左にまっすぐ、の位置という大変嬉しい発見で!
また、行くぞぅ!! 食い物の話になると、つい力が・・!
トゥレヴィーゾには、南にシーレが流れ、北からボッテニーガが流れ込み、
何本もの運河に分かれ、と書きましたが、
最初にボッテニーガから、3本の運河に分かれます。
その内の1本がカニャンで一番東側で、真ん中が先回もご覧頂いたブラネッリ、
ぐるっと街の西をめぐるのがロッジャ。

これは、カニャン運河にかかる橋、デッラ カンパーナ・della Campana.
橋の奥、建物の隙間に見えるのが、13世紀に遡るサン・フランチェスコ教会。
岸の建物の下、水面にアーチが見えますね。 一帯の建物は下駄を履いた様な
こういう形が多いのです。建物の下を運河が流れているのですね。
こういう形が多いのです。建物の下を運河が流れているのですね。
橋からの眺め。 ここも水量が豊かで、水鳥がいろいろ。
左からの建物の下にもやはりアーチがあり、水がくぐって行きます。
左からの建物の下にもやはりアーチがあり、水がくぐって行きます。

建物群の向こうがぺスケリーア・魚市場で、中之島には屋台の魚屋が毎日店開き、
そして手前の道には、野菜果物の屋台が並びます。
古くからの庶民生活が感じられるのですが、最近は、新しいデザイン小物を
扱う店なども見かけるようになっています。
水辺に寄ると、すぅっと白鳥がやって来るのですが、こちらの白鳥君は、どこのも
ものすごく気が強くて、いつも脅迫されます。
ものすごく気が強くて、いつも脅迫されます。

食う物ないのか? なら、お前を食ってやろうか?!という感じで、この時も既に
ホラ、グゥッ、グゥッと低く脅しながら、羽をもたげかけているの、見えます?
この後ろの古い家は、既にご覧頂いているので。
こちらには、穏やかなオオバンの親子。
こちらには、穏やかなオオバンの親子。

橋の西側に並ぶ家ですが、この左の家には両脇に水車があり、回っています。

かってヴェネツィア共和国の元では、水車活用の農業、産業が大いに推奨され
栄えたとかで、この界隈だけでも、今も4水車を見かけます。
もちろん今は、利用はされていないのでしょうが、
水音高く溢れ、流れる豊かな水量に、なるほどなぁと思う眺めです。
橋の上から、南西の建物のポルティコ部分を。
ソットポルティコ・ディ・サン・フランチェスコと呼ばれ、レストランの席が並び。

この辺り一帯、全世紀初頭の古い白黒写真に残る風景とまるで変わっておらず、
いや、もっと言うと、美術館に残る18世紀の絵の風景とまるで同じです。
ルイジ・バイロ市美術館・Museo Civico L.Bailoでは、18世紀の街出身の
画家メドーロ・コゲット・Medoro Coghettoの風景を多く収蔵の様ですが、
今も風景はそのままで、驚きます。
ソットポルティコ・ディ・サン・フランチェスコ、ヴェネツィアでは、
ソットポルティゴと訛る、建物の下をくぐるポルティコですね。

このレストラン、美味しそうでした。 次回のチャンスを楽しみに!
上の写真のポルティコを抜けてくると、駐車場があり、こんな可愛いのが。

かと思うと、こんな凄く長~いのが。 どこから、どうやってこの狭い駐車場に?!
おまけにキャデラックに、こんな絵を描いたりして!!

アホちゃうか?!と眺めていると、このお二人が通りかかり、やはり車を覗きこみ、
モデルをお願いして。 私らの車と違うのだけど・・、と言いつつもにこやかに!

西側の建物は多分市の結婚式場で、昨年春、結婚式参列と思われる人々を
見かけましたが、一人、バシッと決めたスーツの若者がいて、紫のネクタイ!
「ワォ! 紫だぁ!」 「やぁ、日本だったら、やXXですねぇ!」となり、
日本語が分からないのを幸い、大笑い!
駐車場を斜めに抜けると、このブラネッリ運河に。
そうなのです、ここでは建物2棟挟んで運河が2本、通り抜けて行くのですね。

1920年代の白黒写真には、運河べりで女性達が跪いて洗濯をしているのが。
こちらも運河沿いのソットポルティコで、やはりレストランの席が。
はい、ここは一度。 美味しかった。

ブラネッリ運河・Branelliの名の由来ですが、ヴェネツィアのブラーノ島の
魚商人たちがここに倉庫を構えたり、住んでいた事に由るそう。
シーレ川はヴェネツィアの干潟に、ヴェネツィアから12K程東に注ぎますから、
かってはこのシーレを利用しての船の運搬も盛んだった様子で、
ぺスケリーア・魚市場では、新鮮な海の魚が、毎日手に入ったといいます。
かってはこのシーレを利用しての船の運搬も盛んだった様子で、
ぺスケリーア・魚市場では、新鮮な海の魚が、毎日手に入ったといいます。
流れの向かいに、可愛いお家。 かって詩人が住んでいた、という碑が壁に。

この辺りご紹介済みですが、春の、柔らかい光で。

運河沿いで語らうカップル。 男がちとムサイかな? いや、なに、その・・。

街の一番の中心ともいえるシニョーリ広場・Piazza dei Signoriに出ます。
この建物は、ロマネスク様式を19世紀に改修した、現在は県庁。

昔1度、何かの申請で行った事があり、廊下の机に秘書が座っているのを見て、
まるで映画のシーンみたい、と思った記憶が。
この前の道を西・左に行くと、ドゥオーモに。
広場の右横に特徴ある三角形の屋根、正面壁のパラッツォ・デイ・トゥレチェント
がありますが、以前ご覧頂いたので、その東の広場の、イタリア像を。

イタリアは、イタリア語では女性形という事で、いつも女神像で表されます。
足元には、ヒッピー風髷のお兄さんが。
追記:イタリア像というのは間違いで、「独立の記念塔」が正解。
お詫び申し上げ、こちらにご説明を。 2018.10.31
http://www.italiashiho.site/archives/20170505-1.html
お詫び申し上げ、こちらにご説明を。 2018.10.31
http://www.italiashiho.site/archives/20170505-1.html
やはり横側から。 建物は、普段の一般公開は無いようです。

壁にジグザグの線が見えますが、かって、爆撃の被害を受けたそうで、修復跡と。
シニョーリ広場の裏側に、15世紀の公営質屋モンテ・ディ・ピエタがあり、
希望すると、素晴らしい装飾内部が見れるとの事。 これも次のチャンスに。
希望すると、素晴らしい装飾内部が見れるとの事。 これも次のチャンスに。
ブラネッリ運河は建物の下をくぐり、シニョーリ広場のすぐ裏手を抜けて行きます。
古い小路の奥に画材店があり、その奥の水辺の古い建物には、現代彫刻も展示。
古い小路の奥に画材店があり、その奥の水辺の古い建物には、現代彫刻も展示。

コネリアーノの町中を走るバスにもトゥレヴィーゾ県の印が描かれ、
街を見たら、大好きになるよ! と。
そう、ヴェネツィアとはまた少し異なる、水の街の趣き、ぜひお出かけを!
トゥレヴィーゾの街のサイトはこちらに。 英語版もあります。
http://www.trevisoinfo.it/index.htm
http://www.trevisoinfo.it/index.htm
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