今日はウンブリアの小さな町、アッシジから向かい側の山の上に見える、
エトルスク以来の歴史を持つ古い町、ベットーナ・Bettonaのご案内を。
写真は昨年5月、アッシジから出かけた時の物です。
エトルスク以来の歴史を持つ古い町、ベットーナ・Bettonaのご案内を。
写真は昨年5月、アッシジから出かけた時の物です。
アッシジのサン・フランチェスコ聖堂前広場から、夕暮れの灯の点り始めた
お膝元のサンタ・マリア・デッリ・アンジェリの、聖堂の丸屋根が見えますが、
お膝元のサンタ・マリア・デッリ・アンジェリの、聖堂の丸屋根が見えますが、
今日ご紹介のベットーナの町は、写真右端の山中腹に見える灯のかたまり、
あそこになります。

アッシジから直線距離で10kの距離に位置し、海抜は355m.
ちなみにアッシジは、と調べましたら424mで、かなりのつづら折りの坂道!
これは坂道にかかる前の眺めだったと思いますが、町はほぼ南北に広がり、
写真右が北で、左側にもう少し広がっています。

町は完全に壁に囲まれていて、壁の高さも地形を利用し見上げるような高さ。
この辺りの壁は、エトルスク期の基礎を利用した中世の壁だそうですが、
町の北側にはエトルスクの壁も残っていて、後ほどそれもご覧いただきますね。
この辺りの壁は、エトルスク期の基礎を利用した中世の壁だそうですが、
町の北側にはエトルスクの壁も残っていて、後ほどそれもご覧いただきますね。

で、壁の外に車を止めこうした門から入りますが、階段の上り道なのです!
暑い日で、またもやヒィヒィ言いながら上り、こういう日の写真は、資料として
お見せするのに不足ばかりですぅ。(最初から言い訳!)
壁の中の町は、中世の雰囲気が強く残ります。 これは中心広場に繋がる道を
逆に見ていますが、町中の坂の様子、お分かりでしょうか。

中心広場ピアッツァ・カヴールに向かいます。 道の奥に見える教会と鐘楼、
行った時、名前を確かめておらず、今回サイトや、ガイドブックを探し回り、
サンタ・マリーア・マッジョーレ教会と思います。 後ほど、正面を。
行った時、名前を確かめておらず、今回サイトや、ガイドブックを探し回り、
サンタ・マリーア・マッジョーレ教会と思います。 後ほど、正面を。

上の写真を撮った通りの右側辺りにこんな石碑があり、
マラテスタ4世・バリオーニがこの家で1531年12月23日に死んだ、という石碑で、、
マラテスタ4世・バリオーニがこの家で1531年12月23日に死んだ、という石碑で、、

今回ブログを書くのに調べ、この建物がベットーナの町を15~17世紀にかけて
治めたバリオーニ家の物だったと知りました。
が、町も複雑な政治の舞台に操られ、教皇領になったり、バリオーニ家になったり、
アッシジの下に入ったり・・、のようで、
バリオーニは、町の人からは好かれていなかったらしい事も知りましたが、
このマラテスタ4世はヴェネツィア共和国でも働いていた、多分傭兵隊長ですね、
で、おかしな言い方ながら、世の中は狭いですねぇ~!
で、おかしな言い方ながら、世の中は狭いですねぇ~!
中心のカヴール広場にあるポデスタ宮。 ここは現在、市の絵画館になっていて、
町で一番素敵な14世紀の建物!
1階部分はバールになっていますが、横の階段を上がり、小さな絵画館に。

表に見える大きなポスターはぺルジーノの女性像で、ペルージャのご案内で
書いた、開催中だった「ピントリッキオ展」にちなみ、ウンブリア出身の
2人の画家キャンペーン中なのでした。
書いた、開催中だった「ピントリッキオ展」にちなみ、ウンブリア出身の
2人の画家キャンペーン中なのでした。
この絵画館にもぺルジーノの作品がありましたが、一体に、ウンブリアの美術館、
博物館の取り組み方が、とても積極的な印象を持ちました。
ブックショップもこんな小さな絵画館なのに、大変品ぞろえが良かったですしね。
博物館の取り組み方が、とても積極的な印象を持ちました。
ブックショップもこんな小さな絵画館なのに、大変品ぞろえが良かったですしね。
ペルージャのご案内は
絵画館の入り口横の壁。 写真でもお分かりの様にフレスコ画があったり、
石碑類の展示があったりで、古い石壁に一層の趣を。
石碑類の展示があったりで、古い石壁に一層の趣を。

確かぺルジーノの作品だったと。

ガイドブックで、彼の「パドヴァのサンタントニオ」があるというのが・・!
女性像は、単に綺麗とか優しそうなのよりも、少しエキセントリックなのに
惹かれますが、これは少しカルロ・クリベッリに似ている、と思って。

クリベッリの作品は、ミラノのブレラ絵画館に祭壇画が多くありますが、
ヴェネツィア生まれで人妻と問題を起こし、マルケ州のアスコリ・ピチェーノ
辺りに追放された様で、あの一帯に彼の作品が散らばっており、
聖堂に残っているのは素晴らしい作品!
ヴェネツィア生まれで人妻と問題を起こし、マルケ州のアスコリ・ピチェーノ
辺りに追放された様で、あの一帯に彼の作品が散らばっており、
聖堂に残っているのは素晴らしい作品!
アスコリ・ピチェーノの夏祭り 1 と 2
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461029151.html
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461029323.html
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461029151.html
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461029323.html
サンタ・マリーア・マッジョーレ教会の広場に向いている壁面は修復され、
変哲もありませんが、こちらの正面は、古いままの良い感じ。
変哲もありませんが、こちらの正面は、古いままの良い感じ。

キリスト教の始まりに、基礎が置かれた様ですが、その後13世紀に拡張
されたそうですが、閉まっていて中は見ておりません。
絵画館の階段の上からの眺め。 この建物も古いですね、確か現市役所と。

広場右奥に大きな教会の鐘楼が見えますが、広場一帯が工事中で、
赤いプラスチックで覆われているので、写したくもなく・・。
ガイドブックによると、新しく考古学博物館にする為の建物を修復中との事で、
案外その工事だったのかも。
中心広場の真ん中に、この古い大きな泉が。

暑いのと、工事中でごった返しでいささか疲れ、余り写真を撮っておらず。
今こうして見ると、泉の上の部分が、確か四角な、背の高いものだった、様な・・。
今こうして見ると、泉の上の部分が、確か四角な、背の高いものだった、様な・・。
◆ 追記 2018.10.28 ◆
何とも不明瞭なので、グーグルで調べましたら、なんと、立派な大きな泉で、へへ。
何とも不明瞭なので、グーグルで調べましたら、なんと、立派な大きな泉で、へへ。

サン・クリスポルト教会。 聖クリスポルト・San Crispoltoというのは、
ウンブリアの最初の司教で、殉教した、この町の守護聖人との事。
ウンブリアの最初の司教で、殉教した、この町の守護聖人との事。

大きな教会でしたが、13世紀にべネデッティーノ派によって建てられた部分は、
今鐘楼のみが残っているそうで、
今鐘楼のみが残っているそうで、
左奥の、この黄色い古い壁の部分が大変良い雰囲気で、正面壁は立派すぎ・・、
という事で、この1枚のみ!
という事で、この1枚のみ!
中心広場の横の少路を行った所の、レストラン兼ホテルの建物。

修復された建物の、2階への階段アーチが面白いと思ったのですが、
レストランは閉じていて、味見出来ませんでしたぁ。
レストランは閉じていて、味見出来ませんでしたぁ。
小さい市壁の中の町ですから、少し歩くと、すぐ突きあたりになります。
多分ここは、サン・クリスポロ教会の裏手になると思うのですが、小さい半分になった
回廊があり、その横にこのアーチが続き、乳母車を押したお父さんと、女の子が。
回廊があり、その横にこのアーチが続き、乳母車を押したお父さんと、女の子が。
町の通りの写真で、唯一、人の写った写真!

上の写真のアーチを抜けた所が、この公園。
周囲の建物の様子からみて、かっては、教会内の庭だったのではないかと。

この公園は、今回の記事2枚目の、下から見上げた写真でも位置が分ります。
涼しげな、高い公園から見下ろして。
東を見ているのですが、靄がかかってアッシジの位置が分りません。

町の位置の高さがお分かりでしょうか。 古代の人間、エトルスク人は防御の為、
丘の高所に町を作りましたから、こういう眺めになります。
鮮やかな緑をどうぞ!

紀元前4世紀から3世紀にかけてのエトルスク期の壁。町の北側部分の壁、
約40mほどがそのまま残っていて、特徴ある大きな石組が見てとれます。
他にお墓が1つ、発見されているそう。
約40mほどがそのまま残っていて、特徴ある大きな石組が見てとれます。
他にお墓が1つ、発見されているそう。

エトルスク期に既に主要な町だったと言いますが、ローマ期には、トーディから
ペルージャに抜ける北への重要な道、アメリア街道が西を通る有名な町だったと。
こんな町、というより村に行って通りを歩いても、本当に人通りがないのですね。
と言って、ちょっと大きな町の寂れた裏通りよりも、ずっときちんと整備され、
薄気味悪い感じはまるでありません。

横っちょを覗き、写真を撮らして貰いながら、ゆっくりと歩きます。
こういう風にアーチが続き、陽が射し込む、中世特有の町の感じが好きです。
時間が止まっている感じで、心がゆったりします。
時間が止まっている感じで、心がゆったりします。

ウンブリアの町特有の様でいて、少路の幅、坂道の傾斜、両脇の建物の高さ、
石の色・・、 それらが皆、その町独特の雰囲気を作ります。
この家の角は、中心広場から西に下った所。 何とも言えない、洒落た一廓で、
一口に中世とは言えない雰囲気だったのですが、上手く撮れなかった様な・・。
手前に両側の家の壁があり、これがもういっぱいでした。
一口に中世とは言えない雰囲気だったのですが、上手く撮れなかった様な・・。
手前に両側の家の壁があり、これがもういっぱいでした。

ベットーナの町は、イタリアの一番美しい村々、に選ばれていますが、
確かに、と思える部分があります。
美しいから選ばれるのでしょうが、と同時に、選ばれた事が住んでいる人々に
自信を与える、そんな事も感じます。
スポレートの奥のバッロ・ディ・ネーラの村にも行きましたが、住んでいる人の表情が
明るいというか、旅人に対してゆったりと接してくれ、訪問者には嬉しい事です。
明るいというか、旅人に対してゆったりと接してくれ、訪問者には嬉しい事です。
「イタリアの一番美しい村々」のサイトはこちらに。英語版もあり、ホームページの
イタリアの地図の州にポイントを合わせると、選ばれている村の名が出ますので、
それで、あちこちご訪問を! http://www.borghitalia.it/
イタリアの地図の州にポイントを合わせると、選ばれている村の名が出ますので、
それで、あちこちご訪問を! http://www.borghitalia.it/
バッロ・ディ・ネーラのご案内は、
裏通りに、なんとも居心地のよさそうな場所を見つけました。
日陰に椅子が並べられ、既にお喋りの舞台が用意!
日陰に椅子が並べられ、既にお喋りの舞台が用意!

壁の傍で会ったシニョーラにアッシジの位置を確かめ、もう一度、公園まで戻り、
おお、今度は靄が少し晴れ、見渡せました!
丘の上に広がる町並み、サン・フランチェスコ聖堂の威容、山の上の要塞。
やはり美しく、凄い町ですね。
やはり美しく、凄い町ですね。

アッシジ全体のご案内は、こちらからどうぞ。
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460871638.html
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460871638.html
*****
ブログご訪問、有難うございます!
見たよ! の応援クリックも宜しくお願い致しま~す!
見たよ! の応援クリックも宜しくお願い致しま~す!
*****
コメントの書き込みについてのお願い。
ブログの記事下に、「コメントを書く」が出ていない時は、
上か右の、記事タイトルをクリックして頂けると
記事の一番下に「コメントを書く」が出ますので、よろしくお願いいたします。
上か右の、記事タイトルをクリックして頂けると
記事の一番下に「コメントを書く」が出ますので、よろしくお願いいたします。
非公開コメントをご希望の場合は、非公開で、と書いて頂くと、
コメント承認制ですので、保留にし、お返事だけ公開しますので、
それもご了承下さいませ。
コメント承認制ですので、保留にし、お返事だけ公開しますので、
それもご了承下さいませ。
この記事へのコメント