スカーナはシエナ県、ヴァル・ドルチャとヴァル・ディ・キアーナの境の山の上、
海抜605mに位置するモンテプルチャーノ・Montepulciano.
海抜605mに位置するモンテプルチャーノ・Montepulciano.
今日はその2回目という事で、写真整理を始めましたが、余りにも多く、といって
削り過ぎると面白みが減りますので、う~~んと頑張って奥の手を出し、ははは、
結局3回に分ける事にしましたので、へへ、よろしくお願い致します。
写真は、町の北端の門を出た向こうのサンタニェーゼ教会・Sant'Agnese.
が、中に入らずに戻り、
が、中に入らずに戻り、

エトルスク期からのワイン蔵が無料で見られる、ワインと土地の物産店に行き、
地下のワイン蔵の見物を。

店前のこの写真は出てきた時のものですけど、手前に見えるこのブルテリア君も、
ご主人と一緒に私より先にカンティーナ見物をね。
こんな様子の狭い階段を降り、

小さい部屋が次々と繋がりながら、地下にも、横にも、

新しい大きな樽の部屋もあり、

樽の中で寝かせている内にワインが蒸発するそうで、上に見える緑のガラス瓶の中に
ワインを入れておくと、自然に蒸発した分が補給されるとか。

低い天井、古い壁、そしてこんな坂道もあり、

下って小さな部屋に繋がり、

古い薄暗い部屋に見える、古い小さな樽。

博物館式にかっての道具類の展示もあり、これは葡萄絞り器。
上から重石をかけ、出る葡萄汁を手前下で受けます。

多分ここが一番古く、深い地下なのだと思いますが、
ひんやりした空気の中を降りていくと、

こんな小さな部屋。 エトルスク期からのワイン蔵、ちょっと湿気も感じ、
余り深いと不便でしょうし、今は使われていませんでした。

それにしても、ワインは静かに、温度も一定の場所で寝かすと聞きますが、こんな風に
ずっと開けっ放し、人もしょっちゅう出入り、おまけにワン君までと、ははは、
こういう場所でワインがじっくり熟成できるのかいなぁ、と他人事ながらちょっぴり心配を。
我が町コネリアーノに、素晴らしいワイン樽製造所があり、こちらにご案内を。
モンテプルチャーノのワインで検索すると、ヴィーノ・ノーヴィリ・ダブルッッォ・
アブルッツォ種の葡萄からのモンテプルチャーノのノーヴィリ・ワインとして、
たくさんカンティーナの名前が挙がり、美味しいそうな美しい葡萄、葡萄畑、ワイン、
料理の写真がずらりで、その中からほんのちょっぴりを!



所でこの町独特と思われる、ワインとワイン樽に関連するお祭りで、
ワイン樽ころがし・Bravìo delle Botti・ブラヴィーオ・デッレ・ボッッティ
と言うお祭りがあります。
区域を8つに分け、毎年8月最後の日曜開催、町中が沸き立つお祭りなんだそう!
元々は14世紀頃から始まった騎乗の競争だったのが、17世紀に人身事故があり
中止され、今の樽ころがしに。
元々は14世紀頃から始まった騎乗の競争だったのが、17世紀に人身事故があり
中止され、今の樽ころがしに。
ブラヴィーオというのは勝者の区域に与えられる旗の事で、写真中央に見えるのがそれ。

シエナのパリオの「パリオ」と同じで、毎年手描きの絹の旗が、柄は毎年違うのが
与えられ、この写真は2006年。
どのお祭りも即競技が始まるわけではありませんで、出発点で2列に並ぶ順番の
くじ引きから始まり、ははは、旗振り競技、そしてブラーヴィオを持った行列行進と
続くうちに、町中に興奮に溢れ、沸いていくわけで、
くじ引きから始まり、ははは、旗振り競技、そしてブラーヴィオを持った行列行進と
続くうちに、町中に興奮に溢れ、沸いていくわけで、
さて、いよいよ出発点からの競技の始まり、始まり!
ほらね、左後ろにマルゾッコの円柱が見えるでしょう?!
ほらね、左後ろにマルゾッコの円柱が見えるでしょう?!

前後2列に4つずつの樽、重さは80kで、勿論途中での衝突で樽を間違えたりせぬ様、
しっかりと区域の焼印が押される写真もサイトにあり!
見て下さい、この坂道! 歩くだけでも大変なあの坂道を、80Kの樽を2人で押してる!!
それはもう、応援の人の熱気も上がるわけですよねぇ。

ここは多分下側の道を上って行っての一旦の下り坂で、ここでまぁ一息つけるでしょうがね。
町の南で折り返すと、また上り坂があります。
町の南で折り返すと、また上り坂があります。

一度車で町の道を上っている時、うっかり間違えて入り込み、車が通れる道なので、
ホテルの近くにでも出れるだろうと思いつつ上っていきましたら、
突然目の前の道が、ダッシュボードの先から見えない!!
わっ、ぎゃ!! とサイド・ブレーキを引き、そろっと車のドアから出てみましたら、
崖っぷちではなく、ははは、急傾斜の下り道の始まりで、ああ、やれやれ、の
そんな経験もある、町の道なんですよ。
崖っぷちではなく、ははは、急傾斜の下り道の始まりで、ああ、やれやれ、の
そんな経験もある、町の道なんですよ。
なので、あの坂道を樽を転がしながら上がる、というこのお祭りに興味を持ち、
どの道を通るんだろうと、行程図を探し回り、ははは、見つけました。

地図右側のマルゾッコの円柱前から上り坂、途中から下り町の南側を上りつつ迂回し、
最後の折り返し点がまた急傾斜。 そして最後はドゥオーモの前に出てくるのですね。
全長1,7kmだそうで、ようやるよ選手諸君たち!!
という事で、ゴールの写真。 広場に集まった人々の数も凄いですね!

いやぁ、シエナのパリオも燃えますが、これもきっと同じでしょう!
道中の様子をドゥオーモ前の人々も見れるように、実況中継等あるのかな?
町の道を行ったり来たり、先回ご覧頂いたプルチネッラの塔から南側辺りはいわゆる
下町と言うのか、中世の面影が強く残る小さな家が建ち並んでいますが、
城壁沿いの道からの眺めはこんな様子。

この右手下の平野では、ジオストラ・Giostra と呼ぶ遊戯公園ができていて、
大音響の音楽が聞こえ。
町の下を通る道を辿りますが、中世の面影が濃く残る建物郡。


上の道とを繋ぐ階段、坂道を下から眺めるとこんな傾斜!


見上げる家並み、建物。


ちょうど中ほど、町の上下を結ぶ道が三叉路になる所、16世紀頃の町の経済の
一番の中心であったと言うピアッツァ・デッレ・エルヴェ・Piazza delle Erbeで、
ロッジェ・デル・グラーノ・Logge del Grano, またはロッジェ・デル・メルカート
と書いたのもあるので、まさに商取引、穀物取引の中心だったのでしょう。

道を進み、そしてくぐるのが、町の門カヴィーナ門・Porta della Cavina.

その先の店前にこんな表示が出ていて、1157年、紀元前5世紀のエトルスクの
古い2つのお墓の上にこの門が建設されたと。

多分町の南半分の高所に先に町が出来、この辺りが当時の町の境界だったのと。
で、木の標識の下の写真は、ここで、映画「ニュー・ムーン」が撮影された、と。
映画「トワイライト・サガ」の「ニュー・ムーン」というの、ご存知ですか?
この俳優は確かTVシリーズの「ドラキュラ・ダイアリー」に出ていたと思いますが、
shinkaiはオカルト的なのは見ないので・・。

こちらのシーンでは、ドゥオーモ前に大きな泉も作られ、赤マントの大集団が集っての
撮影風景。映画では、かなりの迫力だった事でしょうね。実際は無い泉も出てね。

この町ではたくさんの映画が撮影されている様子で、「トスカーナの空の下」でも、
この広場での旗振り大会が出て、「ノスタルジア」「イギリス人患者」も、他にもたくさん!
「ニュー・ムーン」のあの俳優は、shinkaiの泊まったホテルに泊まったのか、
フロント横に写真がありましたっけ。
歩きながら漏れ聞こえた弦楽の響きに導かれ、入ったジェズ教会・Chiesa del Gesù.


はい、この町の若者達の春のコンサートでした。
はっ、出来具合ですか? はぁ、まぁ、若者というより少年少女達のグループで、
頑張っていたと思います、はい。
と言う所で、次の n.3 モンテプルチャーノに お願い致します。
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