・ n.1 モンテプルチャーノ再訪  トスカーナ、丘の上の町 

先回ご案内のモンティッキエッロから東に9km程、ヴァルドルチャと
ヴァルディキアーナ・Valdichianaにまたがる山の上、海抜605mに位置する
人口14500人ほどの町、モンテプルチャーノ・Montepulcianoのご案内を。

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以前訪問した時は町のいわば南半分しか見ておらず、昨年春再訪2泊し、
きつい坂道の町をゆっくり見て歩きましたが、余りの写真の多さと、お天気が
イマイチだったもので、ご案内をしそびれておりました。
が、モンティキエッロの再訪記を載せると、もう逃げられず、
ははは、はい、頑張って参りたいと思いま~す。

ですが、繁栄した歴史を持つ町ですので、見所はたくさん! おまけにshinkaiの
興味をひどくそそるお祭りもあり、ははは、自分の写真にサイトからのを合わせると、
それはもう・・・!!
      
で、2回に分ける事にし、それでも多いのです、はい、
どうぞご容赦願い、ごゆっくりお楽しみくださいますように!

上の写真は雨上がりの翌日、まだしっとり煙る中を北西の方から近づき、
町が見えてきた所。 狭い坂道で結構車が多かったのが、それでもこの眺めに
何人も車を止め、車外に出て撮っておりました。

山道を辿ってくる道で、こうして見える町の姿は格別で、おお、見えた!
 
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町西端の麓のサン・ビアージョ・San Biagioも、雲に霞みながらしっかりと。

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午後宿に着き早速探訪に出かけましたが、写真の発色が良くないのでパスし、
まずは初日の夕暮れの写真を。

宿はドゥオーモのすぐ近くで、町のいわば中心位置にある
サン・フランチェスコ修道院の前まで行くと、

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ここはちょうど絶好のパノラマが広がる場所で、下を覗き、町の西、下町を。

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暮れなずむサン・ビアージョ教会も、この位置に。

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遠くに少し鮮やかな夕暮れの西空。

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こちらは町の東側、光りが点在し、村や町の在りかを。

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ドゥオーモの前に広がるピアッツァ・グランデ・グランデ広場の西側を占める
パラッツォ・コムナーレ・市役所と塔。

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この建物、そして塔に上っての眺めなど以前のご案内に。
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461279571.html       



こちらが今回2泊したホテル・ドゥオーモ。 お値段も安く町中で、部屋も悪くなく、
駐車場も近く、shinkaiには上等な宿、ははは。

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さて翌日の、ドゥオーモとピアッツァ・グランデ。

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午前中は曇り空で、写真の発色が良くなく、と言いつつ撮らずにはおれず、はは、
午後、広場に戻って来た時に陽が射し喜んで撮った物。
      
17世紀の末に完成したドゥオーモですが、正面は未装飾、未完で、
それが逆に迫力ありで・・。
       


広場の北側正面パラッツォ・カピターノ・デル・ポーポロ・
Palazzo Capitano del Popolo・行政長官の館とでも、
右にちょっと見えているのがパラッツォ・ノービリ・タルージ・
Palazzo Nobili-Tarugi・ノービリ・タルージ邸、
どちらも設計はアントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ヴェッキオ・
Antonio da Sangallo il Vecchio.

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15世紀初頭から16世紀の半ばにかけ、この町は政治的にも安定し文化芸術も
花開き、一番の繁栄期を迎え、と共に建築ブームとなり、町の貴族達の
豪壮な館やドゥオーモの建設も行われます。

上に名の見えるノービリ家、タルージ家、同じグランデ広場の東側を占める
コントゥッチ邸・Contucci、ベッラルミーノ・Bellarmino、リッチ・Ricci、
チェルヴィーニ・Cervini、ベンチ・Benci等など、今もその邸宅が町に残ります。
       
       

2つの建物の空間にあるグリーフィとライオンの井戸・
Pozzo dei Grifi e dei Leoni. 1520年作、6つの球、メディチ家をあらわす
盾を持つライオンで、この設計もダ・サンガッロ・イル・ヴェッキオだそう。

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2頭のライオンが、ちょっと小首を傾げているみたいでしょう? 
傍で見ると、ねっねっ、メディチ家なの、これも!と笑いかけているで、ははは、
いつも内心クスッとなるshinkai。



元カピターノ館、現在は裁判所の様ですが、この壁がとてもお気に入り!

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グランデ広場の真ん中辺りは様々な催しの為か、ぴちっと赤レンガで敷き詰めて
いますが、周囲はこんな風に古いままの石や煉瓦敷きが残り、とても良い趣。

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町の地図と有名な建物などの位置をどうぞ。
南側に大きく囲んだ辺りが、ドゥオーモ、市役所、タルージ館で、
道を辿り中間辺りに飛び出した所が、サン・フランチェスコ修道院、
       
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そして道を下りながら、サンタ・ルチーア教会・Santa Lucia,
サンタゴスティーノ教会・Sant Agostino, プルチネッラの塔・
Torre di Plucinella. そして町の一番北の位置にマルゾッコの円柱・
Colonna del Marzocco.



朝の曇り空でもしつこく撮りましたが、ははは、お日様が出ると眺めがどんなか
見たく、再度サン・フランチェスコ修道院の前庭に戻りますが、
その手前を左に折れ下ると、グラッサ門・Porta di Grassa.
翻る旗は、町を8分する区域の旗。

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下まで坂道を下り、見上げる町の高さ!

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さて上に戻り、サン・フランチェスコ修道院前からのパノラマ! 正面かなりの高さに
小さな町の姿が見えますが、モンテフォッローニコ・Montefollonicoかな?
サイトで見ると、ここも中世の面影を残す素敵な村の様。

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この写真では良く見えませんが、モンテフォッローニコの左にちょこっと高い山が
ありますね、あの左の山の上にカステルムーツィオの町が写っておりました。



町の麓の畑、丘のうねり。

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今こうして見える豊かに広がる麦畑、葡萄畑は、如何にも自然と、人間の叡智と
努力の見事な融合とでも言うのか、素晴らしい眺めですが、
かってはトキワガシや栗の森、砂地の土地、沼の多い湿地帯だったのを開墾し、
土地改良に勤めた結果なのだそうで、

やはりまず政治的に安定する事が大事で、この町がシエナの元から最後は
フィレンツェと結んで発展したのも納得できます。



さて、サン・フランチェスコ修道院から北に行く道は、ははは、冗談やめてと
笑える程のこんな下り坂で・・!

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正面に見える鐘楼はよく見ると3つ重なっていて!
奥がサンタニェーゼ・Sant'Agneseの鐘楼の先っちょと分ったものの、
その手前の2つはどこのか分かりませんでしたぁ・・。



町の上と下の道を繋ぐ階段と、その急な傾斜!

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サンタ・ルチーア教会・Santa Luciaの前に出て来て、

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ドッシリと重厚な古い感じにちょっと魅せられ、中も見ましたが、
う~ん、shinkaiには重たいだけでしたぁ。



広場横の幼稚園らしき建物の聖母子像。ルーカ・デッラ・ロッビア作の愛らしさ。

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細い古びた小路をくぐり、

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また本通りに出て来て、・・それにしても見える2又の道、どちらも急な坂!!

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少し先に見えたプルチネッラの塔。

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「プルチネッラ」というのは、コンメディア・デッラルテに登場する、怠け者の癖に
哲学的なお喋りをする道化役。 これは木製の像に金属板を被せ彩色した物で、
下に見える時計と連携していて、時を知らせるのだそう。



その向かいにサンタゴスティーノ教会・Sant'Agostino. オリジナルは13世紀に
遡りますが、現在残るのは15世紀にミケロッツォ・Michelozzoが改装したもの。

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ご覧の様に素晴らしい扉と、上のルネッタ・半円部に見えるテラコッタの浮き彫りは
ミケロッツォの作だそうで、内部にロレンツォ・ディ・クレーディ・Lorenzo di Crediの
「磔刑図」、中央祭壇に木製彩色のドナテッロ作の「十字架像」もと。
う~ん、中を見たんだったっけ?
 
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ドゥオーモからずっと上の道を通るとまるで店がなく、もう一本の下の道には
店が並んでいますが、漸くにこの辺りから、観光客用の土産物店も見かけます。
今、下から自転車で上ってきた4人組、

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道に固まっていた中高年団体の一人が、道を開けてぇ!と大きな声を上げ、
彼らは漸くに通り抜けまた坂道を。 こんな坂道続きを、ようやるよ!

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shinkaiが参加しているグループもまさにこの通りで、ははは、皆が喋りながら
固まっていて、車が通りかかってもクラクションを鳴らさず待っているので、
誰か先に気が付いた者が、「マッキナー! 車」と大声をね。
shinkaiも良く大声を上げますです、ははは。



少し先にあったブチェッリ邸・Palazzo Bucelli. この入り口扉の両脇は大変な
リサイクル活用で、早い言葉が泥棒ね、ははは、墓石らしきものもあちこちに見える
建物の基部でして!

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この高所にあるモンテプルチャーノは、エトルスクからの町と言われますが、
右に見えるのはエトルスクの彫刻が多いらしい! やるなぁ!

ガイドを読むと、このブチェッリ家はエトルスク、ローマの石碑などのコレクションで
有名だったらしいですが、集めていたのをフィレンツェ大公などに奪われ、今殆どが
フィレンツェに収まっていると! はぁ、上には上がいるのですねぇ、ははは。



お土産用のパスタ製品、ピーチとか、ピリ辛のトマト・ソースとか、

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土地の物産とワイン店なのですが、ここのエトルスク期からのワイン蔵が無料で
見物できるというので、勿論ね!  様子は次回にご覧頂きますね。

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ヴィーノ・ノービレ・ディ・モンテプルチャーノ・DOCGで名高い町ですものね、著名な
エノテカもたくさんあり、レストランも勿論美味しいワインが飲める事を売り物に。



町の北端に近いサボナローラ広場の手前に見えた大きな建物、売りに出されて
いる様子でしたが、アヴィニョネージ邸・Palazzo Avignonesi.
16世紀に建設のルネッサンス様式の建物。

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調べてアヴィニョネージという姓の一家だったらしい、と分かったものの、このなんとも
良いライオンの顔に惹かれたshinkaiには、もうちょっと何か分ると喜んだのですが・・。
       


通りの突き当たりに広がるのがサヴォナローラ広場で、蔦の絡まる歴史あるホテル・
マルゾッコ・Marzoccoがあり、なかなか良いホテルの様ですが、
     
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右に円柱が見えますね。
       


円柱は傍らのホテルの名により「マルゾッコの円柱」と呼ばれ、
その上に鎮座するのが、このライオン君。

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1511年、シエナの元から最終的にフィレンツェの元に移った際、シエナのシンボルの
メス狼・ルーパから、フィレンツェのライオンに取り替えられたもの、と。

次回にご紹介予定の大変興味深いこの町のお祭り、「樽ころがし」と言うお祭りは
このライオン像のある円柱の下から出発するとの事。 お楽しみに!!
       


この円柱の前から左に緩やかな坂道を下ると、見えてくる町の門、
アル・プラート・サン・ベルナルド・Porta al Prato San Bernardo.
門は2重になっていて、

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門の外はこんな様子で、内側の門の脇に、中の様子が見れます、という張り紙が
あったものの、鍵がかかり誰も居らず・・!

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門の外側、谷の下には大駐車場が広がり、町の北側からの眺めはこんな様子。

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ああ、上から重なって見えた鐘楼の先と、アーケード式の鐘楼も見えるのになぁ、
むむ、町の教会の名を手がかりに虱潰しに?!

という所で、今回はお終いに。
次回には、町の下の通りと、お祭りなどのご紹介を。 お楽しみに!


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