・ n.3 パドヴァ ・ 黄金の世紀 の 2

さて、もう一度パドヴァのご案内を。 宜しくお付き合いを!
ラジョーネ宮の中からのロッジャ越しの青空と、
エルベ広場に面する建物の並びをもう一度ご覧頂きまして、

27-170_GF.jpg



これはサローネの入り口の上に掲げられた碑。

28-180_GF.jpg

本を手にし、背後の書見台にも本が置かれ、周囲に残るフレスコ画、
上には例によりヴェネツィア共和国のライオン君がいますが、
左右には地球儀やコンパスが見えます。

衣服から見て中世の学者を現わしているのと思うのですが、
下の碑文も半分薄れ私には見当もつかず、ラジョーネ宮のサイトにも
記載がなく分かりません。 どなたか、ご存知の方お教えください!



ロッジャから見下ろすエルベ広場。 もう殆ど屋台店が片づけられ、

29-179_GF.jpg

30-177_GF.jpg



バールで憩う人も、今はお昼を食べに。

31-1-176_GF.jpg



サイトで見つけたラジョーネ宮の図をどうぞ。
建物内の様子はお分かりと思いますので、ここでは右の現市役所に繋がる
渡り廊下、ヴォールト・デッラ・コルダ・Volto della cordaにご注目を。

31-2-one.jpg


サローネから階段を下り、ラジョーネ宮の東側の道、上の図の
ヴォールト・デッラ・コルダを潜り、北側の広場・フルッタ広場に出た角に
見えるのがこの標識、

32-1-182_GF.jpg

カントン・デッレ・ブジーエ・Canton delle Busie・嘘つきの角、
見事な柱頭の上にある、この可笑しな標識!

中世の昔からラジョーネ宮を挟む広場一帯は、市が開かれ市民の集まる
賑やかな中心地だった訳ですが、
これは、ここには嘘つき商人たちがいるから気をつけろ、という警告から
そう名付けられたと、ははは。



実際このアーチの右側のラジョーネ宮の壁には、他の4隅にも、
当時のパドヴァで使用された寸法が白い石に刻まれていて、
買い手が騙されないよう、試す事が出来たのだと。

という事で、こちらもサイトで見つけた、刻まれた寸法!

32-2-rda_GF.jpg

寸法、言うので長さだけかと想像しましたが、この種々様々な形と大きさ!
一体、どれが何の基準寸法なのか、これを知りたくなりません? はは。
ガイドさんと街巡りをしたいものです!
       
で、先ほどのヴォールト・デッラ・コルダ・ロープのアーチですが、
名の由来は、この場所でロープの刑が執行されたというのですね。

先回サローネに置かれている支払い不能者や破産者への罰に使われた石、
ヴィトゥペーリオの石に座る刑罰について
ご説明しましたが、それ以前の刑罰がこのロープの刑だった様子。

つまり破産者達はここで後ろ手に縛られ、アーチの上部からのロープで
3~4m吊るしあげられ、そして落下させられたのだと。

読んだだけで怖くなる、中世の刑罰の物凄さですが、ですからあの石に
下着だけで座って財産放棄を宣言するのは、恥さらしではあっても
命に別条はない訳でして・・。
厚顔無恥の輩なら、何度か繰り返す野郎もいたでしょうねぇ、ははは。



という所で、再度街の地図で位置確認をどうぞ。
8,14辺りがドゥオーモ、洗礼堂、そしてモンテ・ディ・ピエタ、
26の横に見えるのがラジョーネ宮、

33-291.jpg

その横に見える真ん中に石段の見える19の建物、これがモローニ宮・
Palazzo Moroni 市役所の入り口で、その向かい側にパドヴァ大学が。
28.かのカフェ・ペドロッキ・Caffe` Pedrocchi 実際の位置は数字の
見える下側、市役所の絵に隠れる所、その裏側にインフォメーション、
右上緑の中の2が、スクロヴェーニ礼拝堂で、すぐ南にエレミターニ教会と
市博物館。

前の大通りを真っ直ぐ行くと国鉄駅に行き、ここにもインフォメーションがあり、
なんと日本語のパンフレット!
私の顔を見て、日本語のがあるけどいるか、と訊ねてくれる親切さで、
皆さん、駅のインフォメーションをご利用下さいね。
カフェ・ペドロッキの裏のはお昼休みで閉っておりましたし。

書き忘れを追記しますと、パドヴァカード・Padva CARDというのがあるそうで。
48時間と72時間があり、それぞれ16エウロ、21エウロ。
これを利用するとバス、トラムが無料、スクロヴェーニ礼拝堂を含む博物館
美術館の入場料無料、(スクロヴェーニの予約料は1エウロ必要)等など。

駅のインフォメーションなどで販売しているそうで、サイトはこちら、英語版も。
http://www.padovacard.it       
       


という訳で、パドヴァ大学前。 白い紙がひらひらしているのは、
卒業がめでたく決まった方たちのお知らせの紙。
大概友人達が描く漫画風の似顔絵があり、時に風刺風や、笑える服装で
描かれておりまして・・、
で、今見えるあの入り口から入り、

34-184_GF.jpg



このかっての代々の卒業生の紋章のある廊下を通り、

35-187_GF.jpg

36-188_GF.jpg

あの紋章のたくさん掲げられた部屋が見たい、と言いましたが、
あいにく修復中の様子で、おまけにジュリアーナが言うには、
どこかにガリリオ・ガリレイのもあるんだけど、どこか忘れた、と。
ああ、大先輩の紋の場所位覚えておいてやぁ!
折角に日本向けのブログに載るのにさぁ!!

なにせ1222年に創立されたボローニャ大学に次いで、イタリアで2番目に
古い大学ですから、ちょっと見でも、ひしめくその紋章に恐れをなします。



この写真の真ん中のは、LVCAE QVARTANO XXXXX 
SYNDICO MERITISSIMO VNIVERSITAS IVRISTRARVM 1611年
大変優秀な学生だったんだろう、と見当をつけましたが・・。



ぐるっと廊下を回って出てくると、こちら側の入り口で、

38-197_GF.jpg



斜め前にカフェ・ペドロッキ。
お絵描き中が見えますが、本人はおらず・・。

39-196_GF.jpg

カフェ・ペドロッキの左に見えるロッジャの奥にインフォメーションがあると
いうので、入って行きましたが、お昼休みで閉っており、



その先の水飲み場では、男性が1人下側で飲み、上では鳩君が。

41-200_GF.jpg



水飲み場の角を回ると、はい、カフェ・ペドロッキのライオン君。
昔々最初にパドヴァに来た時も、確かライオン君の写真を撮り、
中でのお茶は無しでしたが・・、はは、

42-202_GF.jpg



裏側のテラス席、どうやら大学卒業祝いのパーティーが始まる様子で、

43-203_GF.jpg



ジュリアーナが、中を通り抜けようか、と。
ええ、お茶をしよう、とは言いませんで、ははは。

通り抜けながら一枚撮りましたが、ブレているでしょう?
はい、shinkaiにはこういう高級カフェは不向きな様子、はは。

44-205_GF.jpg

創業1831年というカフェ・ペドロッキのサイトは
http://www.caffepedrocchi.it/              



由緒ありげな横道奥のライオン君の像も、横目で睨むのみで、

45-207_GF.jpg



古本市の開かれているのも素通りし、

46-210_GF.jpg



こんなレトロ調の建物、現郵便局も見つつ、
  
48-213_GF.jpg     



行きつきましたのが、エレミターニ教会・chiesa degli Eremitani.
ここにはグアリエントやメナブオーイの壁画、そしてマンテーニャの見たい壁画も
ありますが、閉っておりましたし、再度出直す予定なのであっさり諦め、

正面とこの横に見える彫像のみを写し、

49-215_GF.jpg

50-216_GF.jpg



直ぐ横にあるエレミターニ市博物館に。

51-217_GF.jpg       

ここでは「パドヴァの黄金の14世紀」を招いたカッラーラ家に関する資料や、
当時の地図、貴金属、陶器、衣類などの様々な展示がありましたが、



こちらは展示品の一つ、お隣にあるスクロヴェーニ礼拝堂に、
ジョットが1303~05年に描いた壁画で有名な礼拝堂の依頼主、
エンリコ・スクロヴェーニ・Enrico Scrovegniの像、

53-307.jpg     

ジョヴァンニ・ピサーノ・Giovanni Pisanoの作だそうで、等身大の
足までの像が印象に残りました。

父親共に金融業、高利貸しや土地の売買で儲けた私財を投じ、
礼拝堂を建設、ジョットに壁画を依頼、
現世での高利貸しで儲けた贖罪の為と言われますが、彼自身は学問も
納めた優秀な人物だったそうで、画家や彫刻家を選ぶ目も確かだったですね。

あれこれ見て戻りかけましたら、博物館の方が親切に中庭のあちらの
考古展示の赤丸の付いたのを見ていらっしゃい、大変重要なものだから、と。

はい、有難くお言葉に従い見に行ったのですが、古い重要な物らしいし、
美しい碑文や柱頭であるのは分かるのですが・・、
2人で、これは豚に真珠だね、と。
イタリアにも同じ言葉があるのを知り笑いましたので、ついでに、
「猫に小判」を教えてあげましたです、はい。
       

       
こちらが、現在は広い公園の奥に見えるスクロヴェーニ礼拝堂・
Cappella degli Scrovegni.

54-218_GF.jpg

中の有名なジョットの一連のフレスコ画、そしてアッシジの
サン・フランチェスコ聖堂の彼のフレスコ画、
それらについては、また秋にこの礼拝堂を見た後にご紹介出来ると思います。


という訳で、パドヴァ駅前に戻りまして、帰路に。

55-224_GF.jpg
 
やれやれ、今日はもう頭が満杯だね、と、大いに満足したパドヴァ行きの1日、
駆け足でほんの少しだけご案内したパドヴァの中世ですが、
当時人口4万人程の街が、14世紀に文化の黄金期を迎え繁栄した様子の、

ほんのとっかかりでもお伝え出来ました様に願います。
長いお付き合い、有難うございました!
       
*****

ブログご訪問、有難うございます!
見たよ! の応援クリックも宜しくお願い致しま~す!


*****

コメントの書き込みについてのお願い。

ブログの記事下に、「コメントを書く」が出ていない時は、
上か右の、記事タイトルをクリックして頂けると
記事の一番下に「コメントを書く」が出ますので、よろしくお願いいたします。
非公開コメントをご希望の場合は、非公開で、と書いて頂くと、  
コメント承認制ですので、保留にし、お返事だけ公開しますので、
それもご了承下さいませ。 

この記事へのコメント