今日は先回に続き、国鉄駅からサン・マルコ広場までの道行き第2回目、
サンティ・アポストゥリ広場からリアルト橋、そしてサン・マルコ広場の
サンティ・アポストゥリ広場からリアルト橋、そしてサン・マルコ広場の
様子をご覧いただきます。
この道筋はいっそうの混雑となりますので、はい、ごゆっくり!
この道筋はいっそうの混雑となりますので、はい、ごゆっくり!
国鉄駅からサンティ・アポストゥリ広場までに渡る橋は5つ。
そしてこの広場からリアルト橋までは橋を3つ渡りますが、
これは2つ目の小運河の眺め。
そしてこの広場からリアルト橋までは橋を3つ渡りますが、
これは2つ目の小運河の眺め。

左側から突き出した形のピンクの建物、3階部分の窓の下に白い石碑と
十字架が見えますね。 あそこがマルコ・ポーロの生家と言われます。
13世紀にシルク・ロードを通り中国まで行き、日本を黄金の国、
と西洋に伝えたあの方ですね。
十字架が見えますね。 あそこがマルコ・ポーロの生家と言われます。
13世紀にシルク・ロードを通り中国まで行き、日本を黄金の国、
と西洋に伝えたあの方ですね。
今いるこの橋の右手奥に、彼一族の家が在ったと言われますが、
その辺りの詳細は、調べておりません。
その辺りの詳細は、調べておりません。
も一つ橋を渡り、リアルト橋のすぐ手前にある現在の中央郵便局、
かってのドイツ商館フォンダーコ・デイ・テデスキ・Fondaco dei Tedeschi
の中庭の様子です。
かってのドイツ商館フォンダーコ・デイ・テデスキ・Fondaco dei Tedeschi
の中庭の様子です。

真四角の建物、中央に井戸のある中庭を囲む4階建て、13世紀からの建物が
炎上し、これは16世紀初頭に再建されたものとの事。
商館とは、港町に作られた外人用の商取引の場、倉庫、そして居住地ですが、
ヴェネツィアには現在もトルコ商館が残り、も一つドイツ商館の横にあった
ペルシャ商館は残っていないとの事。
地元の人間との紛争癒着、武器の取引、娼婦の出入等々を防ぐため厳重に監視され、
夜は外出禁止だった様子です。
夜は外出禁止だった様子です。
上の写真で半分切れている、24時間表示の時計。
10時過ぎを指していますが、正確です!
10時過ぎを指していますが、正確です!

4層の重々しくも素晴らしい建物で、こんな壁が四面、中庭を取り囲みます。

2階以上には居住部分も含め、200以上もの室があるそう。
ドイツ商館という名前ですが、後にオーストリア商人、そしてハンガリーの商人も
受け入れる、要するに北ヨーロッパ人の商館であったと。
中庭真ん中にある井戸のこちら側の浮き彫りは、勿論、サン・マルコのライオン君。
大運河側への正面がこの入口で、リアルト橋脇の、最高の位置ですね。
船での運搬、荷卸にも最適条件。


さて、脇入り口から出て、リアルト橋に。
リアルト橋・Rialto からのドイツ商館船着場を。
かってはこの大運河側の正面壁をジョルジョーネの壁画が、脇の道側を
ティツィアーノの壁画が飾っていたと。
かってはこの大運河側の正面壁をジョルジョーネの壁画が、脇の道側を
ティツィアーノの壁画が飾っていたと。

残念ながら今はその壁画は残っておらず、部分がカ・ドーロのフランケッティ美術館・
Franchettiに保存されているそうで、ジョルジョーネの裸体画もあるそう!
Franchettiに保存されているそうで、ジョルジョーネの裸体画もあるそう!
つい最近、元商館の所有者はかのベネットンに移ったそうで、近年のうち、
中央郵便局からの模様替えもあるかも。
中央郵便局からの模様替えもあるかも。
追記:2016年10月より、この元商館はショッピング・センターとしてオープンしており、
改装されモダンで明るい建物となっています。
改装されモダンで明るい建物となっています。
大運河・カナル・グランデに立ち並ぶ建物。
運河側が大通りの正面に当り、どの建物にも船着場と入り口が見えます。

大運河を行くゴンドラ。 どのゴンドラも、目一杯に乗って!


大運河の全長は約4km程、幅は30~70m。
逆S字に流れるちょうど中程のカーヴ部分に、リアルト橋48mが架かります。
逆S字に流れるちょうど中程のカーヴ部分に、リアルト橋48mが架かります。
この辺りは橋の上も大運河も交通の要所で、いつも大賑わいの混雑。
ヴァポレットも満員ですねぇ!
ヴァポレットも満員ですねぇ!
リアルト橋もフィレンツェのヴェッキオ橋のように店が並んでいますが、
外側は欄干のついた歩行者用で、この眺めは西に向いて。

左側真ん中の白い大きな建物は、イタリア銀行。
リアルト橋の北側は、大運河に沿って暫く歩道が続き、レストランのテラス席、
ゴンドラ乗り場などが。

ちなみにゴンドラの全長は11,5m、 幅が1,4m との事。
最近ついに初の女性のゴンドラ漕ぎが誕生し、まずはトラゲット・大型ゴンドラの
渡し舟から仕事始めとか。 彼女の父親もゴンドリエーレで、夢だったのだそう。
リアルト橋の南にあるバルトロメオ広場にある、18世紀の劇作家
カルロ・ゴルドーニ・Carlo Goldoni(1707-1793)の像。
カルロ・ゴルドーニ・Carlo Goldoni(1707-1793)の像。

ヴェネツィアに住み、劇場にも深く関わり、「レ・バルッフェ・キオゾッテ・
キオッジャの喧嘩」などが大変有名ですが、最後はパリで没。
劇作についての知識も不足ですので、彼の住んだ15世紀のヴェネツィア・ゴシック
の家が現在博物館として公開されている事のみお知らせしますね。
サン・ポーロ通り via San Polo
ヴァポレットは、サン・トマ・San Toma`の停留所
10時-16時 水曜閉館
の家が現在博物館として公開されている事のみお知らせしますね。
サン・ポーロ通り via San Polo
ヴァポレットは、サン・トマ・San Toma`の停留所
10時-16時 水曜閉館
ゴルドーニが若い頃過ごしたフェルトゥレの町のご案内は
フェルトゥレ ・ ドロミテの麓、小さな高貴な町
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462862246.html
フェルトゥレ ・ ドロミテの麓、小さな高貴な町
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462862246.html
リアルトからサン・マルコへは道幅も狭く歩行者が多いので、余り写真も
撮れませんが、2日前に行われた、レガータ・ストーリカのポスターを。

我々よそ者は、競艇の前の華やかな時代衣装の行進に関心が行きますが、
実際は競艇が主役で、とりわけ最後のこのクラスが一番重要で、
TV中継もこれを的に。
実際は競艇が主役で、とりわけ最後のこのクラスが一番重要で、
TV中継もこれを的に。
で、今年もこの写真の2人が優勝。 ライヴァル視されていた舟が転覆、
というおまけつきでした!
レガータ・ストーリカについては
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461785677.html
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461785677.html
せっせせっせと橋を渡り、また小路を行きます。 観光の方の鞄がねぇ、
見るだけで大変そう!
見るだけで大変そう!

さて、メルチェリーエ通り・Mercerieのアーチの向こうにサン・マルコ聖堂が!
この眺めには、いつも感動!!
この眺めには、いつも感動!!

聖堂正面上の4頭の馬も変わらず・・!
少し色が濃くなったような・・、陽に焼けたかな?!

正面上の聖マルコも、天使たちも変わらずに! 入り口に並ぶ人の長~い列!

サン・マルコ広場を囲む北側の建物、かっての旧政庁の窓、まど、窓。
南側には新政庁の同じような建物が。
南側には新政庁の同じような建物が。

こちらは広場の西側を占めるコッレール博物館・Correrの窓と彫像群。
修復が済んで白い美しい姿ですが、真ん中は修復中で覆われています。

そして広場中が大変な人、ひと、人!!
まるで見通しが利かずで、アップの写真のみを。
カフェ・クワードリ・Quadri 前の生演奏。
サン・マルコ広場を挟んで向かい合うカフェ・フロリアーンと共に18世紀創業。
サン・マルコ広場を挟んで向かい合うカフェ・フロリアーンと共に18世紀創業。

広場への入り口アーチ上の時計塔。
近年すっかり修復が済み、陽に映えて美しい!
近年すっかり修復が済み、陽に映えて美しい!

時計の盤面、星座標。

聖堂の南にあるカルタ門。 以前はここがドゥカーレ宮・Palazzo Ducaleの
観覧入り口でしたが、現在は出口、入り口は南側に。

奥が見えたのでちょっと懐かしく、柵の所まで。

というのも、初めてヴェネツィアを訪れた25年前!にはこの門から入り、
巨人の階段を上れたのですね。 今は通る事も出来なくなり、写真のみ・・!
巨人の階段を上れたのですね。 今は通る事も出来なくなり、写真のみ・・!
暫く覆いの掛かっていた鐘楼入り口も、ご覧の通り白く鮮やかに。
そしてここも長~い列!

鐘楼の上からの眺めは
聖堂前に3本並んで立つ旗の掲揚竿上、ここにもサン・マルコのライオン君。

ドゥカーレ宮の優雅な白い大理石模様、街燈のカバーの色は、やはりこの色ね!

広場から見あげる、回廊の眺め。

回廊の南西角の彫像2つ。 下のアダムとイヴはご覧頂いているので、
上の戦いの大天使ミケーレ・Micheleも一緒に。

ヴェネツィアのお決まりを1枚!
サン・ジョルジョ・マッジョーレ、見るとやはり撮らずにはおれませんねぇ。
サン・ジョルジョ・マッジョーレ、見るとやはり撮らずにはおれませんねぇ。

聖テオドールの円柱と、鐘楼と。
光輪の青銅の緑青の影響なのか、聖人の背中がなぜか少し緑色。
でも、それが大変美しい。
光輪の青銅の緑青の影響なのか、聖人の背中がなぜか少し緑色。
でも、それが大変美しい。

で、円柱の足元には、蹲った姿がいくつか。
初めて気がつきましたが、そういえば、何年か前に修復していたっけ。
初めて気がつきましたが、そういえば、何年か前に修復していたっけ。

小広場の海側からの眺め。 満員御礼!

ドゥカーレ宮の一階部分には、西と南側に円柱が38本並びますが、
その柱頭の彫像部分。
人の顔、動物、鳥、・・色々さまざま。
その柱頭の彫像部分。
人の顔、動物、鳥、・・色々さまざま。

衝撃の溜息橋をどうぞ! 今回驚いたのは、この無節操ともいえる大広告。

以前のドゥカーレ宮の修復時には建物の実物大の写真とか、チラッと
中の絵画を覗かせる写真の覆いでしたのに、
時計塔の修復時から関係ない写真が使われ始め、今回は更に大広告で稼ぎ!
時計塔の修復時から関係ない写真が使われ始め、今回は更に大広告で稼ぎ!
マッシモ(カッチャーリ市長)、やり過ぎだよぉ!
溜息橋を見るパーリア橋・Ponte della Pagliaから、
東のスキアヴォーニ河岸の人通りを。
東のスキアヴォーニ河岸の人通りを。

左側中程の一際高い教会は、A.ヴィヴァルディ由縁のピエタ教会ですが、
今の建物は彼の没後のものと。
以前は現在の教会の右側にあり、経年の損傷で建て替えられた、
という事を今回改めて知りました。
こちらは西の眺め、覆われているのはマルチャーナ図書館・
biblioteca Marciana. ね、こんな風にどでかい広告なのです。
biblioteca Marciana. ね、こんな風にどでかい広告なのです。
GUとまで見えますが、CCIではありません、念のため。
円柱の上で、サン・マルコのライオン君も目を剥いているような・・!
円柱の上で、サン・マルコのライオン君も目を剥いているような・・!

はい、では最後は綺麗に決めたいと思います。
ヴェネツィアの定番、サンタ・マリーア・デッラ・サルーテ聖堂とドガーナの眺め。

邪魔なクレーンがまだ幾つか見えるものの一応こちらも修復が済んだ模様。
文句を言いつつも、やはり心が弾みます。
ヴェネツィアは、いつもヴェネツィア!
ヴェネツィアは、いつもヴェネツィア!
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ブログご訪問、有難うございます!
最近古い記事を整理していて、気がつきました。
この方は、イタリア・サッカーチームのゴールキーパー、ジージ・ブッフォンの奥様。
この写真当時は勿論結婚前で今はもっと素晴らしい美人です!!
即グロリオーザさんにお知らせしましたぁ。
この方は、イタリア・サッカーチームのゴールキーパー、ジージ・ブッフォンの奥様。
この写真当時は勿論結婚前で今はもっと素晴らしい美人です!!
即グロリオーザさんにお知らせしましたぁ。
追記:ですがまだ続きがありまして、2人の子供さんが生まれて後離婚し、
ブッフォンはその後再婚しております。 2018.9.15
ブッフォンはその後再婚しております。 2018.9.15
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それもご了承下さいませ。
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