2日ほど前、久し振りにヴェネツィアに。
といっても1年半ほどなのですが、やはりヴェネツィアは素晴らしく、
大いに写真を撮りまくりましたので、大急ぎで整理してご覧に。
といっても1年半ほどなのですが、やはりヴェネツィアは素晴らしく、
大いに写真を撮りまくりましたので、大急ぎで整理してご覧に。
サンタ・ルチア駅からサン・マルコ広場までの道行きですが、
それを2回に分け、今日は途中のサンティ・アポストゥリ広場まで
を、ごゆっくりどうぞ!
それを2回に分け、今日は途中のサンティ・アポストゥリ広場まで
を、ごゆっくりどうぞ!
朝の駅前の混雑振り。
ヴァポレット・水上バス、荷物船、警察の船・・
ヴァポレット・水上バス、荷物船、警察の船・・

到着したのが午前9時前でしたので、街が活気づき始めた所。
国鉄駅前は、荷物船が横付けして荷降ろしの最中。
国鉄駅前は、荷物船が横付けして荷降ろしの最中。
消防車も、救急車もこの街ではみなモーターボートですが、
こんなタンク船は初めて見ました。

写真右が、国鉄のヴェネツィア・サンタ・ルチア駅、奥に大運河の
4番目の新橋がちらっと見えますが、まだ渡った事がありません。
駅前のスカルツィ大橋・Scalziの上から、駅横のスカルツィ教会。

同じ橋の上から、大運河の東に向いて。
真ん中に見える教会は、サン・ジェレミーア・San Geremia.
真ん中に見える教会は、サン・ジェレミーア・San Geremia.

駅前からリアルト橋に行くには、駅前のスカルツィ橋を渡り、街中を突っ切って
行くのと、逆S字に流れる大運河の外側を行く2通りありますが、
今回は、駅前から東の繁華街を抜けて行きます。
これはグーリエ橋・Guglieの上から北を、カンナレージョ・Cannaregioの眺め。

この右側を入って行くと、ゲットー・Ghettoが、1516年にヨーロッパで始めて
造られたユダヤ人隔離の場が残ります。
造られたユダヤ人隔離の場が残ります。
この橋に至る手前の広場に、先ほど見えたサン・ジェレミーア教会と広場、
RAI・イタリア国営放送のヴェネツィア局のあるラービア邸・Palazzo Labia
があります。
RAI・イタリア国営放送のヴェネツィア局のあるラービア邸・Palazzo Labia
があります。
ヴェネツィアのゲットーについては、こちらを。
カンナレージョ運河、建物の窓。
ヴェネツィア・ゴシック様式の形、壁の赤色、いかにも!
ヴェネツィア・ゴシック様式の形、壁の赤色、いかにも!

グーリエ橋に並ぶ顔。 男、ライオン、そして男。

橋の上から、東に向かい。 この辺り、カンナレージョ側には魚の屋台が、
こちら側にはスーヴェニールと、奥は野菜、果物の屋台が立ち並び、
いわば、庶民の生活が感じられる地域。
こちら側にはスーヴェニールと、奥は野菜、果物の屋台が立ち並び、
いわば、庶民の生活が感じられる地域。

野菜果物の屋台店の値段は安く、品物は大変新鮮です!
重くなければ、買って帰りたいほど。
どこもみな綺麗に並べている中で、一際、鮮やかに目を引く店がありました。
で、店主は、腕に刺青のお兄ちゃんで、こういう発見が大変楽しい!
で、店主は、腕に刺青のお兄ちゃんで、こういう発見が大変楽しい!

あっちこっちと眺め、見上げ、道を行くのが大変楽しい。
のそのそ歩いても、車に弾かれる心配もなし。
このベランダは、以前は濃いピンクの花でしたね。

通りから少し内に、サンタ・マリーア・マッダレーナ教会・Santa Maria Maddalena
と広場があり、広場の建物が修復中でごった返していましたが、
こんなカモメ君に出会いました。 近くで見ると、厳しい嘴ですねぇ!

広場の横を、小運河が流れます。
少し薄暗い場所で、いつもここでヴィスコンティの「ヴェニスに死す」の
シーンが頭に浮かびます。

上の写真の、建物部分。 アーチの支えが、木なのです。
建物が運河に沿ってカーヴする、この古く、懐かしい感覚。

サンタ・マリーア・マッダレーナからカーヴをきって橋を渡ると、こんな眺めで、
この中ほど左に広場と教会サン・フォスカ・Foscaがあります。

道の左にスーヴェニールの屋台が並んでいますが、一軒エディーコラ・新聞雑誌店
があり、ダヌンツィオのDVDを見つけちゃった! こんな嗅覚が割と発達してるの。
があり、ダヌンツィオのDVDを見つけちゃった! こんな嗅覚が割と発達してるの。
サン・フォスカ広場に向いた建物。
標識も何もないのですが、由緒ありそうです。

左に入り込む細い小路。両手を広げると、楽に届く幅。
奥にまた小さい橋が見え、小路は続きます。
奥にまた小さい橋が見え、小路は続きます。

小路を戻りながら、上を向いて一枚。 空がこんなに狭~い!

カ・フォスカに近い橋の上から。大運河のこの建物は、
カ・ペーザロ・Ca'Pesaro、国際現代美術館。

同じ橋の上から逆に北側を見ると、奥に大きな教会が望めますが、
ミゼルコルディア修道院・Misercorcia.
ミゼルコルディア修道院・Misercorcia.
先ほどの橋を渡ると道幅が少し広く。
こちらは右手にある、多分現在はホテルの入り口ですが、shinkaiが
斜めに写したのではなく、これが本当の姿!
こちらは右手にある、多分現在はホテルの入り口ですが、shinkaiが
斜めに写したのではなく、これが本当の姿!

大運河に続く小路。 白い美しい建物が大運河の向こうに。

大運河に出て気がつきました。 こちら側に船着場とテラスがあるのですが、
昔ここから、あの向かいに見える赤い建物をスケッチした、同じ場所でした。

白い大きな建物は、上のカ・ペーザロから2軒ほど東のパラッツォ・コルネール・
Ca’Corner.
Ca’Corner.
但し、あのアーゾロの領主、キプロスの女王の一家ではなく、その分家筋の
コルネール家の様子で、18世紀に最後の持ち主(この方もカテリーナ)が
法王ピオ7世に贈ったものと。
コルネール家の様子で、18世紀に最後の持ち主(この方もカテリーナ)が
法王ピオ7世に贈ったものと。
一般に、大運河のコルネール邸と呼ばれるのとは違い、小路のコルネール邸
と区別されます。
それでも、先日書いた所ですから、いささか因縁を感じました。
こんな広い大運河の向こうに建物だけなんて、ゴンドラでも通ってやぁ!と
思うまもなく来てくれ、同時にヴァポレットやモーターボートもどかっと・・!

赤い建物はサン・カッシアーノというホテルで、ご興味のある方どうぞ。
http://www.sancassiano.it/san_cassiano-jp.htm
http://www.sancassiano.it/san_cassiano-jp.htm
こちら側にゴンドラが何艘か。 快晴のお天気で眩いばかり。

舳先の金色の飾りもぴっかぴか! 太陽、ラッパを吹く天使は初めて見ました。

船端(で良いのかな?)の飾りは馬が多いようですが、魚の尾になってますね。
そうか、海馬なのかもね。
そうか、海馬なのかもね。

小路を引き返しながら見つけた呼び鈴と、郵便受けですが、
この郵便受けの顔と口は、かっての密告の投書箱の顔ですね。

密告口は、高利貸しや衛生問題など、あちこちで見かけますが、
こういうデザインが今も残って使われている事に、乾杯!
こういうデザインが今も残って使われている事に、乾杯!
同じ小路の別の家の扉。
「オテロ」を思い出しますね。 あのオペラもヴェネツィアが舞台ですものね。

サンタ・ソフィーア・S.Sofiaの渡し場。 向かいは、建物部分が魚市場で、
その左側は野菜市場。 リアルト橋から北の位置です。
その左側は野菜市場。 リアルト橋から北の位置です。

渡し・トラゲットは観光客も勿論ですが、お祖父ちゃんと孫みたいに
地元の人がよく利用します。 ゴンドラと同じつくりですが、ぐっと大型。
地元の人がよく利用します。 ゴンドラと同じつくりですが、ぐっと大型。
サンタ・ルチーア駅から東にまっすぐ来て、突き当りの広い広場が
サンティ・アポストゥリ・Santi Apostri。
サンティ・アポストゥリ・Santi Apostri。

同名の教会がこの写真左手前にあり、私のいる位置から北に辿ると、
ムラーノ、ブラーノ、トルチェッロ島に行く船着場フォンダメンタ・ヌオーヴェに。
ムラーノ、ブラーノ、トルチェッロ島に行く船着場フォンダメンタ・ヌオーヴェに。
リアルト橋方面に行くには、真ん中奥に見える橋を渡り、右に曲がり・・。
橋を渡っての建物の下の道をこちらから。 この辺りから、また道が一段と狭くなり、
あちらこちらと曲がりながら、リアルト方面に。
上の建物も、いつの間にかホテルに・・。

橋の上から、ゴンドラを。 ゴンドラは平底舟で、漕ぎ手は艫の片側に乗るので、
そのバランスを考慮し、竜骨が曲げて造られています。
ね、今は左に傾いでいるでしょう?
そのバランスを考慮し、竜骨が曲げて造られています。
ね、今は左に傾いでいるでしょう?

建物の下を通る道を、ソット・ポルティコと呼びます。
ヴェネツィアではよく出会いますが、道が狭く建物が迫ると大変薄暗くなり、
慣れない内は一瞬怯みます。 ここも実際は、もっと薄暗いのですよ。

追記です。
このソット・ポルティコは、ファリエールのソットポルティコ・Sottoportico Falier
と呼ばれますが、上の写真に見える建物の下です。
で、この上の建物が共和国元首マリン・ファリエーロ・Marin Faliero、
1355年にクーデターを企て露見、斬首刑になった彼が住んでいた家との事。
このソット・ポルティコは、ファリエールのソットポルティコ・Sottoportico Falier
と呼ばれますが、上の写真に見える建物の下です。
で、この上の建物が共和国元首マリン・ファリエーロ・Marin Faliero、
1355年にクーデターを企て露見、斬首刑になった彼が住んでいた家との事。
サンティ・アポストゥリ教会の鐘楼。 奥に少し見える屋根が教会。

この教会が、キプロス女王でアーゾロ領主のカテリーナ・コルナーロの墓所と読み、
記事に載せた石棺を見ようと寄りました。
確かにコルナーロ家の礼拝堂はありますが、石棺は男性のが2つのみ。
訊ねましたら、どの本にもそう書いてあるが、彼女の墓はここにはない、
アーゾロにある、と。
記事に載せた石棺を見ようと寄りました。
確かにコルナーロ家の礼拝堂はありますが、石棺は男性のが2つのみ。
訊ねましたら、どの本にもそう書いてあるが、彼女の墓はここにはない、
アーゾロにある、と。
礼拝堂に眠るのは、父親のマルコと、弟のジョルジョのみでした。
アーゾロのどこにあるのでしょうか?
次回行きましたら、ドゥオーモを確かめてみましょう。
が、女王でもあった人の墓の行方が分からない、すぐに忘れられた存在だった?
次回行きましたら、ドゥオーモを確かめてみましょう。
が、女王でもあった人の墓の行方が分からない、すぐに忘れられた存在だった?
カテリーナ・コルナーロについては
サンティ・アポストゥリ広場には大きな樹があり、居心地のよい陰をつくっていて、
観光客が通り過ぎていく横で、地元の人がのんびりと。
観光客が通り過ぎていく横で、地元の人がのんびりと。

ここから、リアルト橋に向かい、さらにサン・マルコ広場に行きましたが、
そのご案内は、次回に!
そのご案内は、次回に!
***
ブログご訪問有難うございます!
このヴェネツィアに行った今週火曜日、朝、出かけるコネリアーノは涼しくて、
上着を着ている人もかなり居ましたのに、ヴェネツィアではどんどん暑くなり、
午後出かけたトルチェッロ島では、へばりました。
でも、久し振りのヴェネツィアは、やはり素晴らしかった! 美しい街!
上着を着ている人もかなり居ましたのに、ヴェネツィアではどんどん暑くなり、
午後出かけたトルチェッロ島では、へばりました。
でも、久し振りのヴェネツィアは、やはり素晴らしかった! 美しい街!
大急ぎで纏めましたが、楽しんでいただけましたでしょうか。
次回も、どうぞお楽しみに!
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それもご了承下さいませ。
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